クイッ
「聞こえますか!?」
うっすらと目を開けた彼に声をかけてみるも、反応は弱い。
──だが、ある。
「これ、飲んで!」
器に入った薬湯を顔の前に掲げるが、目が少し動くだけ。
自力で飲めそうもない。
「失礼します」
顎を持ち上げ、少し開いた口に、少しずつ薬湯を流し込む。
うまく飲み込めずに噎せ、吐き出してしまいそうになるが、強引にでも飲ませなければならない。
そうしないと、傷がよくならない。
「飲み込んでくださいっ!」
背をさすりながら、ゆっくりと、飲ませていく。
器の中が空になった頃、彼は目を閉じた。
死んでしまったかと慌てたが、耳を澄ませると、規則正しい呼吸音が聞こえた。眠っただけのようだ。
彼は、瓦礫の陰に倒れていた。
少ししか離れていないところに新しくできた大きな爆発の痕があったし、彼の背には爆風によって吹き飛ばされたのであろう鋭い破片がいくつも刺さっていたから、間違いなく、彼の怪我はあの爆発によるものだ。
出血量は少なくなかったが、まだ命に関わるほどでもなかった。
彼が倒れていた傍らには別の人物が──おそらく女性がいた痕跡があったから、もしかすると衛生兵でも呼びにいったのかもしれなかったが、そんな不確かなことでこの消えそうな灯火をみすみす消していいわけはない。
この命を、繋がなければ。
そう思い、彼を再び、ここへ運んだ。
ここは、非公開技術で作られた地下シェルター。
場所も規模も公開されていないから、ここにいる限りよほど運が悪くなければ、この戦争で死ぬことはない。
かつてこの戦争を引き起こした国の衛生兵であった私は、彼の背の傷を処置した。
ここは、私の遠い親戚の知り合い(ほぼ他人)が異端者とされて処刑される少し前に作った。それを、なぜか私が引き継いだ。
その制作者は貪欲な化学者だった。
医師でもあった。
だからここには、原始的な、今では滅多にみられない単純な道具から最新鋭の未公開設備まで、あらゆるものがそろっている。
この戦争に意味を見いだせなくなった私は自らの記録を改竄し、死亡したことにして軍を抜けた。
それから、時々の食料調達以外はここに篭もって外の様子をうかがっていた。
彼と初めて出会ったのは、数年前、戦争が始まって間もない頃のこと。私もそのころは軍に所属し、味方の兵たちを治療していた。
負傷した兵を治療していた私の横を、敵兵である彼は素通りしていった。敵であることは一目瞭然なのに、だ。
それからしばらくして、私は上官の命令に背き、隠れて敵兵の治療も行っていた。それを見つかって殺されかけたとき、敵兵である彼が私の上官を射殺した。
敵であるから当たり前かもしれないが、自分が殺されていたかもしれないのに、それを承知で、彼は私を助けたのだ。彼は敵兵である私に一言礼を言ってから私が応急処置だけ行った彼の味方の負傷者を引き取り、自身の所属する軍の陣営へと連れ帰った。
それから、戻ってきた。
何の用だと訊くと、自分の所属する軍へ帰れるかと、逆に問うてきた。
上官の命令に背いたことはすでに伝わっているだろうから、帰っても待つのは死のみ。私は帰るつもりはないと答えた。
すると少しの間、彼に匿われた。
彼は自身の所属する軍の陣営ではなく、廃屋を行動の拠点としていた。
だから私はそこへ連れていかれた。
すぐに彼は拠点を変えねばならなくなり、私はそのタイミングで、自分のデータを改竄するためにいったん自分の所属する軍の本陣に忍び込んでからこのシェルターへ移った。
それからまた時が経ち、まだ戦争が終結していないことにうんざりしながらも食料調達のために外へでたとき、負傷した彼と再会した。
彼はずっと、無意味な戦いに参加し続けていたのだ。
逃げ隠れた私とは違って。
私はやはり、彼をここへ運んで治療した。
長い治療を終えて彼を途中まで送ったとき、彼が言った別れの言葉は「次は戦争が終わったら伝えにくる」だった。
それまで生きていると。
それまで私の世話になるような怪我はしないと。
そんな宣言だった。
なのにまた、私は彼を拾ってしまった。
ここへ運んで、治療するために。
まだ戦争は終わっていない。
彼はまだ、生きている。
眠っている彼の顔は、苦痛にゆがんでいた。
悪夢に魘されているのか。痛みに苛まれているのか。
どちらにしろ、しばらく彼は、地上に存在できない。
あの怪我では、誰かが見かけていたとしたら、死亡扱いになるかもしれない。
私と同じ、死んだ人間になるのだ。
さて、戦争の終わりを告げると言った彼の怪我が治るころには、戦争が、終わっているかな。