5『odd eyes』
「お前は…見たことない顔じゃのう。」
村の建物が立ち並び人の多い場所。そこはあらゆる村の住人が、自由に暮らしていた。と、少し人気の少ないところに一人で蹲る青い…髪の塊。おそらく小さな子供だろう。大量の髪の毛からは、とても細い手足が覗いていた。年を召したおばあさんが、道端で震えるその子供に呼びかける。
子供は青いつるりとした髪で顔を覆い隠すように壁によりかかる形で三角座りをしていた。とても小柄で腕は骨がすぐに折れてしまいそうなほど華奢だ。
肌は異様なほど白く、小さな身体を小刻みに震えさせ…まるで小鹿のように弱々しい。しかしその中で、髪の川から見え隠れする顔…伏せがちで見えない瞳の上に長い睫。表情は伺えないが滲み出るような美しさには気品も感じられる。…あまりにも細い腕、そして物腰からおそらく少女なのだろうか。
しかし声をかけてくれたお婆さんには目もくれず、ただただ震えているだけだ。
「まあまあ…お嬢ちゃん…。具合が悪そうだね…。」
どうやらその子供を少女と断定した様子の老婆。
腰が丸く曲がったお婆さんは優しい顔で、子供に手を差し伸べる。
と…。
「止めときな。その女の子はあまり近づいたら危険だ。ばあさん。」
一人の荷車をひいた男が、強い口調で言う。やや目を泳がせながらポリポリと頭を掻いた。
「他にも俺の仲間が保護しようって話になったんだがよ。興奮してんだか何だか知らねえが、攻撃して来るんだ。むやみに近づいたらあいつみたいに…。」
「おうおう、俺のことを話しているような気がしたぜ。」
そこで、筋肉質な右前腕に包帯をまいた男が現れた。もう片腕には太い縄と大きな布、それを乱暴に地面に置く。
「はて…お兄さん。その腕のケガはどうしたのかね?」
「いや、そこに居る女の子にやられたんでさあ。肩をすこしぽんぽんとしただけで、思いきり俺の腕をガブリさ。いまも傷が塞がらなくて、硬い包帯生活って訳よ。」
包帯の男は苦々しい表情で自分の腕を撫で、まだ痛むのかさらに顔を歪ませる。
荷車の男はふざけた調子で乗っかった。
「お前の腕からそれはもう大量の血が滴ってたからな!一週間以上経っても傷が塞がらないのは不思議なもんだが、命に問題もないし大丈夫だろう。」
「あんなに尖った犬歯が食い込んだかと思うと、いまでも悪寒がする。しっかし…この子供も不思議でな。何も飲み食いせずにそこにすわりっぱなし。村のもんが話しかけても口を開きやしなければ、顔も伏せたまま。こんなに怯えているし、助けようとも接触したら噛まれるわで皆お手上げって具合よ。」
お婆さんは、うんうんと頷きながら少女の右隣に座る。
少女はびくりと身体を揺らした。
「お、おい。危ないぞ。」
二人の男は慌てた様子で止めに入ったが、少女に近づきたくないのか身体をぎこちなく動かすと無言になった。
「ほお…このお嬢ちゃん、どこから来たのかも分からんのかねえ。」
「俺らは何も知らないよ。」
「迷子かと思ったんだが、親も見つからねえ。」
お婆さんはおっとりとした口調で言う。
「私に任せてはくれんか…この子を放って行きたくないんじゃ。」
男たちは目を見合わせると、片方が早口で言った。
「いやあ。それは出来ないぜ、ばあさんや。その子は俺たちで保護するんだ。それにばあさん一人じゃ世話できねえだろうよ。それに怪我をしちまったら、大変だしな。」
「なんじゃ。私だって娘っ子の世話ぐらい出来る。」
お婆さんは負けじと言い放った。
「大丈夫じゃよ。」
皺だらけの顔にきっぱりと意見を曲げない頑固さが見えた。
「でもなあ…。」
包帯男は困り果てた様子で俯く。荷車の男はチッと小さく舌打ちした。
あきれた様に頭を掻いたのち、黙って荷車を押して颯爽とその場から消えてしまった。
「ま、まてよ!どうするんだ!?」
もう一人の男も地面に下ろした縄と布を持ち、あわててがなった。壁に寄りかかって座るおかしな組み合わせの二人に背を向け、足を引きずりながら逃げるように行ってしまう。
人が少なくなってきた夕方。
「嬢ちゃん。大丈夫かの?」
老婆はにこにこと笑みを絶やさずに、少女に話しかけた。
依然として少女は顔を上げることなく膝を抱えて座っている。しかし、身体の震えは無くなり怯えている様子は無い。
「私の話を聞いておるのじゃろ?ゆっくりでいいから顔をお上げ。そして私の顔を見て、話をしてはくれぬかの。」
少女の膝を抱えている細い指先がピクリと動いた。川のようにサラサラで長い髪がゆれ動く。少し躊躇したかのように思えたが、それは一瞬の事だった。
バッと顔を上げて、老婆の方を向く少女。しかし…。
「何故、目を瞑っておるのじゃ?」
少女はしっかりと目を瞑っていた。頬は興奮で赤く染まり、口をきゅっと結んで……顔に力を入れすぎて目尻や、眉間に皺がよっている。おまけに長い前髪が垂れてきていて、すぐに顔が隠れてしまった。
「どうしても目は開けられないのかの?」
こくり、こくりと二回ほど頷く少女。
「ここにもう人は通っておらんよ。私だけにでも声を聞かせてはくれぬか。」
必死に首を横に振り始めた青い髪の塊…いや、少女。
「そうかそうか。またあの男たちに拉致されかけてもいいのかね?」
びくりと身体を揺らして、さらに激しく首を横に振った。
「そんなに嫌か。なら私の家に来ないかね。そこなら安全じゃろう。」
おばあさんは後押しするように言った。
「賢明な判断というものをしてみてはどうかねえ?」
少女は、すこしの間を置きしぶしぶと頷いた。
「それなら良かった。さあ…行こうかのう。」
お婆さんはゆっくりと立ち上がると、動かないままの少女に手を差し伸べる。
「おいで。」
少女はキョロキョロと周りを見回していた。視界が完全に髪でカットされていそうなものだが、おそらく見えているのだろう。
老婆のほかに人物が居ないことを確認すると、スクリと立ち上がった。三角座りをしていた態勢でいたために、太腿の上、肩、また尻の下敷きになっていた恐ろしいほどの量の髪の毛が解放され……はち切れたかのように四方八方に広がる。引きずってしまうほどの長さだった。少女は青い髪に包まれるような形でそこに立つ。身体も全てが隠れてしまっていた。
「随分と長く伸ばした髪じゃの。顔も見えないくらいに。」
おばあさんは、少女が自分の手を掴まないことを悟ると差し伸べた手をもとに戻した。特に警戒することなく少女に寄ると、その髪を掻き分けて正体を見る。
「なんとまあ…。」
老婆は驚いた。瞳はあいも変わらず閉じているが、白く透き通る肌。肩幅は狭い。隠すそぶりも無く、ただ平然と立っていた。体型は子供らしく、すらりとした腹部には小さな臍が露になっていた。少女は…服を着ていなかったのだ。
……森の草を踏む音。二つのリズムが合わさって何ともいえない音を奏でている。森の住民達…もとい、夜行性の動物たちが珍しげにその生命体を見つめていた。
老婆との距離をきっちりと守って歩く少女。ズルズルと地面に引きずられる美しい髪は、夜の月光に照らされて青白い光を放っていた。
ゆっくりゆっくりと確実に前を進む足も、ふわりと優しい光をまとっている。光りは淡く甘い香りを漂わせ、まるで提灯鮟鱇が獲物を誘き寄せるように動物達を引き寄せていた。こりすや鳥などが操られているかのようにその少女について行く様子は、とても異様なものだった。
「嬢ちゃん。ここが私の家じゃよ。」
おばあさんが言葉を発したその瞬間、動物たちは目が覚めたように散り散りに去っていく。
ここは村から離れた森の奥に存在する家。つまりはこの老婆の住処である。夜の森の中で佇む家は、何か寂しいような雰囲気を出している。
少女も立ち止まると、顔を髪で隠したまま見上げた。去っていってしまった動物の事は気にしていないようだ。
「まずは服を着なければいけないのう…。」
ドアを開けると、家の中は真っ暗だった。老婆はその家に入り、何やらゴソゴソとし始める。その間も少女は何もせず突っ立っているだけだった。
「暖炉が消えてしまったか…このような婆一人じゃと火を起こすのも大変なんじゃよ…。」
「火……。」
ぽつり…と少女が老婆の前で始めて言葉を発した。感情の無い無機質な声だが、その中には強い意思があるようにも感じる。
「火…つける…。」
はっとして、しきりに首を横に振り始めた。
「火…つけない…怖い…られる。」
「どうしたのじゃ?」
老婆は、家の暗闇の中から出てくると少女に優しく問う。
「私…火…つける…怖い…られる。」
途切れ途切れに難解な言葉を放つ少女。決して弱々しいことは無く、はっきりと通る声をしているものの、言語力はまだあまりよくない様子だ。
「そうか…。」
しかし、お婆さんはうんうんと頷いた。
「つまり、お前が暖炉に火をつけたら怖がられるということかの?」
少女は髪をふわふわと揺らして首を縦に振った。
「私は絶対にお前を怖がったりはせぬよ。さあ、こっちにおいで。」
その優しい声に少し安堵したのか、おずおずと家の玄関まで移動する少女。
「まったく見えないのう…。」
老婆は全開で開けているドアから差し込んでくる月の光が届く場所まで、家に入り込んだ。困り果てたように辺りを見回すが、当然真っ暗闇で何も見えない。
…少女だけは足取りそのままで迷うことなく家の中を歩き始めた。それはまるで、暗闇で見えるようにも思えるほどだ。あちこちから足音が響き渡っている。
「物に躓いたら危ないじゃろう。戻っておいで。」老婆は迂闊に動くと自分が危ないので、成るべく大きな声で少女に呼びかけた。
しかし、答えは返ってこなかった。暗闇から聞こえる裸足で歩き回るペタペタという音が止んでしまい、居場所さえも分からなくなってしまう。
「お嬢ちゃん?」
老婆は不安になって声をかけた。
「いま……つける。」
返ってきたのは鈴のように凛とした声だ。暗闇のはずだった場所が、ほんのりと光を帯びていく。光を放っていたのは少女だった。少女自体が光だったのだ。
老婆が見えるのは後姿だが、少女は片腕を伸ばし何やらつぶやいている。
まだ暗い中、レンガ造りの暖炉に話しかけるように囁き続けていた。
時はすぐに訪れた。
少女の手元から活気溢れる炎の玉が現れる。ゆらゆら燃え盛るそれは、暖炉の中に飛び込んでいった。
少しの空間の沈黙ののち…
スイッチがカチリと入ったかのように刹那の間で暖炉に火がつく。暖炉から花畑が広がるような勢いで広がっていくのは、炎の瞬き。
真っ暗だった家は、大きな懐中電灯をつけたように一瞬で明るくなってしまった。暖炉にはすっかり活気が戻り、真っ赤な炎が生きているかのように燃えている。
そう。それはまるで魔法のように一瞬だった。
家は不可思議なほど良く暖かくなり、お婆さんは呆然と少女を見つめた。
少女は未だに背を向けたままだ。髪の間からは、裸のままの腿から脹脛が露出している。
「先刻…お前…怖がらない…言った。」
少女は意を決して振り返る。
「私…名…ユフィリ…だ。」
幼い少女の顔は作られた精巧な人形の様に整っており、小鳥のように可愛らしい口は真一文字に結ばれていた。生きているかが疑わしいほどに白い肌は、思わず触りたくなってしまうほど美しい。
なにより存在を主張するのは猫のように大きな瞳だった。
左の瞳は深く吸い込まれるようなエメラルドグリーン。
右の瞳はあらゆる人々が息を飲むほど輝く黄金の色だ。
オッドアイの瞳には、古の女戦士のような力強さが写っている。
少女がどうどうと立つその姿には威厳と気品が感じられる。
< 少女はユフィリだ >
「お嬢ちゃ…いいえ。ユフィリ。服を着せてあげようかの。こっちにおいで。」
老婆は嬉しそうに微笑むと、ユフィリを呼んだ。ユフィリはちょこちょこと跳ねるように歩き、他の部屋に移動する老婆を追いかけた。
「ユフィリ、あの男たちに何度攫われそうになったのじゃ?」
老婆と幼い子供は、テーブルに向かい合わせになって座っていた。真ん中には、果物やパンなどの食料が並んでいる。花瓶に飾られた花はすっかり枯れてしまっていた。
ユフィリは白いワンピースを身に纏い、髪は老婆に編みこまれて少々すっきりしたようだ。
「三度…。全て噛み付いて返り討ち…した。何故…攫う者…分かった?」
「あの、荷車を引いていた男の荷車には何も乗っていなかったのじゃよ。あまりにも軽々と荷車を引いて移動しているから気になったのじゃ。そして、もう一人の男は縄と大きな袋を持っていたからのう…。あれで誘拐しないと言ったら逆に怪しいもんじゃわい。」
年を召している割には洞察力に優れているようだった。かっかっかっと元気に笑いながら、銀の食器で飲み物を勢い良く飲み干す。
「お前はどこから来たのかねえ?」
「…分からない…私…名しか…。」
「うむ…。」
パチパチと暖炉の火が燃え盛っている。
ユフィリはオッドアイの瞳を伏せると、髪で隠れている耳元を触った。
お婆さんはその様子を見て、何かが少し分かったかのようににやりと笑う。
「ユフィリ。まだ何か隠していないかい。」
「………………。」
無言になって、何かを考えていた。しかし、この老婆には何を隠しても駄目だろう。おそらくそう悟ったに違いない。
「私の…耳…周りにいる人と…異なる。」
「違う形と言えど、私に見せても大丈夫じゃろう?恐れなくていい。」
ユフィリは髪を後ろに持ち上げ、肩に掛ける。さらに両手で残りを掻き揚げて、これから見せるはずの耳に掛ける形にした。
そして露出したのは…普通ではないほど横に伸び、先の尖った耳だった。
「ほお…先ほどこっそりと隠していたのはそれだったのかの?」
服を着る時に、特に違和感も無くユフィリが隠していたもの。老婆は細かいその仕草を見逃すことは無かったのだ。
ユフィリは諦めた様子で耳を露出させたまま頷いた。きまりが悪いように足をもじもじとさせている。
「それは確かに普通の物ではない。」
老婆はゆっくりと言う。
「しかし、隠すのはやめた方が良いじゃろう。己を受けいれ、ありのままでいることが自分の存在価値でもあるのじゃよ。」
「……?」
ユフィリは言葉が上手く飲み込めなかった。老婆の理屈が到底理解出来なかったからだ。
「存在価値…?」
「まだお前にはわからないかの。」
「理解…出来ない。」
ユフィリの暗く沈んだ表情。
老婆はまた高らかに笑った。
「まだ、まだ分からなくても良いんだ。とりあえずそれは出したままでいること。わかったかの?」
「お前……。」
ユフィリは口を開く。
「いいや、待っておくれユフィリ。」
「?」
「私の名前はレストじゃよ。婆さんとでも呼んでおくれ。お前とは呼んで欲しくはないのじゃ。」
「……レスト。お前は…レスト?」
初めて自分以外の名前を口から吐き出した少女。一言一言を大事にかみ締めるように呟く。
「そうじゃ。そしてお嬢ちゃんはユフィリ。自分の名は大事にするんじゃよ。」
「……分かった。」
ユフィリはパチクリと数回瞬きをした。ふっくらとした唇に、依然と笑みは零れない。感情のないその顔は儚くも美しかった。見ていても飽きないその顔を温かな瞳で見つめるレストは、何を考えているのだろうか。
「さあ、寝ようかの。」レストは声をかける。
ユフィリはこくりと頷いた。
老婆の家に一人の不思議な少女が住み始めた。
幼女ユフィリhshs