4『儚き夜の記憶たち』
「げほっげほっ!」
少女はまた咳を繰り返し、酸素が肺に行き届かない苦しみに喘いでいた。
瞳の色はもとに戻っているようで、反動とも見て取れる吐血が目立った。
私は自分で吐き出した血を見て気分を害した。生きている証を見るだけで吐き気がした。
少女は木に寄りかかる形で座り込んだ。
少し休めば済む程度の過労だ。
溜息をつく。
欠伸もしてやった。
いっそのことこの村を出ようとそう考えたこともあった。
しかし、此処の<前の村>の時も考えたことを思い出して受けいれたのだ。
何度も何度も私は己を考えた。己自身を考えようとした。でもそれは無駄なことだったのだ。
一つ、二つとゆっくり瞬きをして、それで世界なんて変わりはしない。当たり前のことだ。皆、絶対にそんなことを考えたことなど無いだろう。
だからこそ人間達はそれに気付けない。
そんなことのように必要なことでさえも平気で考えないのだ。
そして私も変わらない。変われない。
世の中に人は心から変われる等という謳い文句があったものだが、そんな言葉等所詮、弱いものが並べ立てた空言に過ぎない。
最初から自分を変えられると思っているものたちのうぬぼれであり、言葉だけに溺れて甘えているだけだ。自分から逃げている。
私は良く自分というものを考えていた。そしてその度に苦悩し、何もかもが分からなくなる。頭では絶対に分からないと知っていても、考えてしまう矛盾。
それは、もう一人の私が手招きして話しかけているように…空虚な不安がおしよせてくるようだった。
そんな不安定な< 心 >の中…
ただ広いだけの空間が延々と支配していて、何かに手を伸ばして必死にあがいても振り切れない虚無感が私の頭を離れない。絡み付いてきて解けない…考えても考えても深みに嵌るだけで進みもしなかった。
だから<無駄>なのだ。
少女はふと、森の木々を見渡す。
気配を感じたのだ。
勘は当たった。動物たちが隠れながらも此方を覗いて様子を伺っている。
「森の者達。私は自分の身に危惧が訪れない限り、お前達に危害を加えないことを此処に誓おう。」
胸元に手を軽く当てて、凛とした声で少女は告げた。
動物たちは警戒を解いたようなのか、直ぐに立ち去って行く。少女の言葉が通じたのだろうか。
少女は特に驚く様子も無い。当たり前のことをただ行っただけのようだ。
座り込んだままいつものようにゆっくりと呼吸の動作を繰り返し、酸素を肺いっぱいに満たしていく。緑のやわらかな風が運んでくる森の香りを楽しんだ。この森の空気は随分と前から吸っていたのだが、少し変化していっているようだった。
私には分かる。
この森が変化していく…その様子が。いやもう変わってしまっているのかもしれない。穢れてないはずの美しい空気に違和感があるのだ。
此処のところ良く感じる寒気の正体が気になっていたところだった。
森に住む生物たちは、自分のこの身体で全て感じ取っていた。
そう<知っている>
己の理解は想像以上に広く深い。自分が気付けない程の場所でさえも。
それでも<理解>仕切れないことがこの森の違和感というものだ。
少女が考えに耽っていたその時、森の少し遠い場所でがさがさと木々が揺れる音がした。少女は良く聞こえるその尖り耳で物事を察する。
その騒々しい草の物音はどんどん近づいてきた。
また動物たちが警戒して此方に来ているのか。
そうではない。
毎日のように森の中を徘徊している鹿の群れだ。
象の皮も貫いてしまいそうな立派な角をもった鹿を筆頭に、一つの大きな群れが出来ている。いつも足音を森中に響かせながら己たちの存在を主張しているのだ。
地面が揺れ、鳥達が慌てふためく様子で大空に羽ばたいていく。
いたるところに確認できる獣道を、まるで決まっていることのように辿って来たリーダー格の大きな大きな身体の雄鹿。頭に擡げた二つの象牙のような角は、その存在をさらに強めるように広がっている。どうどうとした立ち姿には怯えを微塵も感じさせないほど誇り高い。それどころか、他の雄の鹿達を威圧で押さえつけられるくらいその視線には命の強さがあった。
少女が木の下で座っている状況の中、鹿の群れはそれを避けるように去っていく。鹿の軽快に走る音も、群れとなっては騒々しいだけだ。
そこで少女はふと考え付く。
鹿の群れはいつも走ってなど居なかった。普通に歩いて徘徊しているだけ。
これだけ急いていると言うことは…何者か天敵に…追われているのかもしれない。
嵐が過ぎ去ったかのようだった。
鹿達は少女が居る場所を通過し、さらに奥地へと逃げていく。音も遠ざかってやっと静けさが戻る。
しかし、ガサガサと後方で草が揺れた。
野生の生物並の素早さと勘の良さで少女は振り返った。目を細めて、その場所を睨む。ぴたりと音は止んだが、まだ気配を感じていた。
鹿が逃げていた理由とやらが…来た可能性もある。
身体も充分に休まった少女は立ち上がって、無言で揺れた草の場所まで歩いていった。それが逃げ出さないようにゆっくりと慎重にだ。
「…。」
依然として草は動かない。
気のせいだった訳は無いのだ。ありえない。あれは確実に揺れた。
少女は止めていた息を吐き出すと、嫌でも肌に感じる不快感に眉をひそめる。
ピリピリと身体に刺さるそれは…殺気だろうか。
人間達には良く向けられたものだ。
また風がふく。木が少々揺れる程度の風に乗ってきたのは…獣特有の…臭いだ。
この殺気はあきらかに私に向けられたもの。何かが襲ってくるかもしれないのだ。しかし…森の生物が私に敵意を向けたことなどあっただろうか。この異様な…気分を悪くさせるような殺気をもつ森の生物などいただろうか。
それでも襲ってくるものには抵抗するしかない。森の生き物達に危害を加えない誓いはあるが、それは自分に危惧が訪れないかぎりであって無抵抗で襲われるわけにもいかないのだ。
ふと風がやむ。煽られていた自分の長い髪も動きを止めた。
「……?」
少女は首をかしげ、あたりを見回した。殺気は完全に消え、不気味な静けさに思わず身を低めて警戒する。虫一匹すら見当たらない。
その瞬間、恐ろしいうなり声が私の耳に届いてくる。
それは瞬きも出来ない刹那のこと。大きな獣はとてつもない速さで少女に襲い掛かる。不意をついた背後からの奇襲。大きく開いた口からはゾロリと並んだ牙が覗いている。
攻撃せよ。
少女の頭をパッと駆け巡ったのは己の護身本能のみ。
少女は迷いの無い鋭い視線を後方にちらりとやると、脳から己の身体に次の行動を指令する。身体はばねのようにしなやかに動く。しっかりと左の軸足を地面に突き立て、胴体をひねって右足を後方斜め上に振り上げた。
非の打ち所のない少女の後ろ回し蹴りは、獣の首元に突き刺さるようにして当たった。少女も驚くほど吹き飛ばされていくそれは…。
少女は振り上げたままの足を下ろすと、視界を遮る髪を後ろに流した。
無言で草の上に横たわっている狼を見据える。
森の狼はこんなに凶暴だっただろうか。ましてや私を襲うことなど皆無だった。
少女のエメラルドグリーンの瞳に映る狼は、胴体を震わせ息をしている。口をだらしなく開き、舌を出し入れして何とか呼吸をしているように見えた。銀色の毛色をした強大で大きな狼。少女に認識の無い森の狼はどうやら起き上がれないようだ。苦しそうに足だけを動かして立ち上がろうとしている。
何かおかしい。そうこの森は。
少女は警戒したままその場を離れる。動きそうにも無い狼に背を向けて、歩き出す。
しかしピクリと反応すると、また後ろを振り返った。
狼は起き上がっていた。普通の狼の倍もある巨体をふらつく足で支えていたのだ。
「やめろ。」
少女は色の薄い唇を少し開いて囁くように言った。
それでも狼は牙をむき出しにして、先ほどまでの弱々しい動きを感じさせない走りで此方に向かってくる。生まれたての鹿のように震えていた足もしっかりと地面を蹴っている。消えていた殺気も元通りになっていた。
盛大にため息をつく。
もうひとつ、抵抗をしなければならないらしい。
と、激しい動悸が少女を襲った。周りのことがスローモーションのように感じる。どくん…どくん…と心臓があらぶり、少女を苦しめる。
このままでは頭をガブリとやられて死だ。
頭がふわりと浮き上がる感覚につきまとわれながらも、少女は狼にきびすをかえして走り出す。胸には痛みと一緒に温かいものが込みあがってきていた。
とっさに木の陰に隠れてしのげたと思ったが、まだ狼の気配はある。
「はあっ…!はあっ…!」息が途切れ途切れになり、頭はまっしろになっていた。
しかし身体は勝手に命の危険に動き、少女は木を猫のように軽々と登って見せた。大きな木の枝の根の部分にあたるところに座り込むと、激しく咳き込む。少女の血が高いところから、地面に落ちていく。
ほんの数秒遅れて、狼が少女の隠れている木の真下までくる。狼は地面についた少女の血のにおいを嗅ぎ、上を見上げていた。
気付かれてしまうのか…。
口に少しついた血を腕で拭い、荒くなる息をなんとか押さえ込む。
一秒一秒がゆっくりと流れ、水を打ったような静けさがあたりをおおう。
その時、木が揺れるほどの強い風が吹き荒れた。私の髪を盛大に乱し、木の葉たちが沢山舞っていく。
それは狼を錯乱させた。案の定、私のにおいが分からなくなってしまった狼は森中に響くほどの遠吠えをすると走り去っていった。
風は止むこともなくまだ吹いていた。青い髪が強く煽られ…髪は後方に流れる。
この風を感じると…あの嘘泣きの少女のことを思い出す。あの常に笑っている様は気味が悪くて一緒に居ると気が変になりそうだった。
「みーつけた!」
後ろで声がして、少女は溜息をつく。風が吹き荒れ、二人の髪を乱す。
「やはりお前は嘘をついていたな。」少しあきれ声で言った。「木に登れるじゃないか。」
「やっぱりばれちゃってたか!」
にへ…と口を曲げて笑うリセス。手には白いリボンを持っている。
「その程度の偽りが私に通用すると思っていたのか。」
「うーん。お姉ちゃんがとても頭が回るのは知っていたから、嘘がすぐばれちゃうのは想定内だったよ?」
リセスはそのリボンを手馴れた様子で髪に身につける。
二人の少女は木の上にいた。
少女は空を見つめ質問した。
「私の事を知っているのか?」
「んー…殆ど知らない!」
「……用件はなんだ。私に何の用だ。」
「言っちゃうとねえ…。」
リセスはにこ…と少し怪しい笑みを浮かべた。
「ねえ。お姉ちゃん。」
強い風が収まった後の静かな風。
「貴方。人間じゃないのよ。」
草が申し訳程度に揺れる。
少女は冷めた瞳で、木の枝の上で立ち上がり此方を見て笑っているリセスを見つめた。
「それはうすうす気付いていたことだ。私が一体どうして生きているのか、どのような生き物なのか…分からないことが多すぎるのだ。お前には分かるのだろう?」
リセスはその質問に口をひん曲げて笑う。しかし、目は笑っていない。
「お前は…何者だ。」少女は低い声で言った。
「んー…。」
いつものようにただ笑うリセス。
「笑うだけでは分からない。誤魔化しは効かない。」
少女はじっとリセスを見つめた。リセスはふっと笑顔を消すと真顔になる。
「私を…私をみて驚かなかったのはお前だけだ。先ほどから聞いているが用件はなんだ?」
「………………。」
「怪しいとは思っていたが、私には関係の無いことと判断して敢えて深く追求はしなかった。…今は違う。状況も全て変わった。」
「…………………。」
「まだ黙るのか?」
「…………………。」リセスは黙ったままだ。
「まあ、いい。続ける。」
少女は溜息をつくと、さらに自分が考察していたことをリセスに話した。
「…木の皮が所々剥がれていたのはお前が登った後だったからだ。わざと木に自分のリボンを引っ掛けた。そしていかにも分かるような嘘泣きをして、私の注意を引いたのだろう。それは何故か。あとは全て私の妄想でしかないが、恐らくお前は何かの為に私の前に現れた。…私に用が在るような人物など一生居ないものだと思っていたものだ。明確でも無いし、説得力にも欠ける意見だが私はそう感じる。だから聞いているだろう?」
間を置き、少女は念を押すように言った。
「お前は私にどの様な用件で来たのだ?」
「……………。」
何時間もの沈黙。少女はそれを受け入れ、ただリセスが応答するのを待つ。
「あはは……!」
突然、リセスは大きく目を見開き大声で笑い出した。
「あはははは!」
気が可笑しくなったかと思うくらい腹を抱えて笑うリセス。
「私は…私は…!全部貴女の言う通り!私は目的を果たすために此処にきたの!」
「……目的?」
「そう!貴方を……。」
少女は木の上から飛び降りた。足へのダメージを最小限にし、音もなく地面に着地する。
「木の上では火も熾せないだろう?お前も降りろ。」
「えー…?」
リセスは木の上からひょっこりと顔を出し、不満そうな表情をする。
「私、子供だよ?此処から降りたらバラバラになっちゃうもん!」
「子供だから…は聞き飽きた。もう芝居はいいから降りろ。」
「むー…。芝居とかじゃなくて本当なのに…。」
金髪の少女は他の言葉を待った。が、少女は先程の強い風で折れてしまった枝を黙々と集めていて此方の様子を見るそぶりも無かった。あきらめて慎重に木の枝をつかって降りてくる。
「私、登るのは得意だけれど降りる事まで得意とはいってないよ。」
ぶつぶつと文句を言いながら少女のところまで駆け寄ってきた。
「話の続きだ。何故私に近づいた?」
少女は話しながらも的確に太い枝から細い枝を綺麗に手早く組み、人差し指を空で揺らした。ポンッと音が響き、一瞬で木に火が点く。
リセスはその様子を見て、おお…と感動の声を漏らした。その次にこう告げる。
「いきなり言っても分からないかも。」
さらに頭をかきながら目をそらして見せた。
「説明無く言われても困惑するだけだ。早く言え。」
「………。」
間を置きリセスは口を開いた。
「貴女には元の世界に帰ってもらうの。」
「はあ…。」
少女は力なく空返事する。
「私は使い。貴女を元の世界に戻すために使われた。いまここにいる世界は均衡が崩れつつあるの。それは何故か………。お姉ちゃんがいるからよ。お姉ちゃんは本当はこの世界には居ないはずの存在。だから元の世界に帰ってもらう必要がある。」
「そうか。」
「ねえ!もっとおどろかないの!?」
リセスは地団駄を踏んだ。
「私すごく驚くと思って一番に楽しみにしてたのに!」
「用件はそれだけか?」
「それだけ!?いやいやすごく驚く話でしょう!?貴女はこの世界の均衡を崩している張本人!おまけに元の世界とかあるってさらにびっくりでしょ!?」
「私が予測していたことの中でそのような考えは沢山あった。よって、そこまで驚く必要はない。」
「あー!お姉ちゃんったら本当に顔にださないよね!つまんないの!」
ばったりと寝転がるリセス。本当につまらなさそうにしかめっ面をしていた。
「その世界は…私の知らないことが沢山あるのだろうな。」
少女はリセスの隣に座り、空を見上げた。もう暗くなり黒い夜空が広がっている。
「それは…どうかなあ…。」
リセスも宙を見つめ答える。その問いかけに困惑したようだ。
「………。」
「……あのね。」
「なんだ。」
「貴女が居るべき場所の世界の名は…ブラオヴァールヴェルトっていうの。その空間は人々の理想郷。神々が創生した太古からの世界。」
少女の頭の中で地震が起きたかのように思えた。それほどの衝撃だったのだ。痛みはなく…ただただ衝撃を受けたのだ。リセスの瞳を真っ直ぐと見つめた。しかし、理由は分からない。頭に血がめぐり、なにかに目覚めさせてくれたかのように目が冴える。ぽろりと出た言葉は…。
「青き真実の世界…だ。」
「え?」
「私は知っている。その世界を。」
「本当!?思い出してくれたの!?」
リセスは顔を明るくさせいきなり起き上がり、両腕を上げて喜ぶそぶりを見せた。
「…いや、少しだけ懐かしく感じた。知っている…靄が掛かってはっきりとは分からない。しかし…思い出すとはどういうことだ?私はなにか大切なことを忘れているのか?」
「な、なんでもないの。」
慌てて俯き誤魔化される。追求しても駄目だろう。話すつもりもなさそうだ。
また転がって空を見つめだすリセス。
「でも、この世界のキラキラと光るものは素晴らしい価値があると思う。」
「そうだな。私はこれを< ヴァールフンケルン >と名付けた。」
「真実の輝き…?ブラオヴァールヴェルトのヴァールからとったの?」
「それも分からない。私の脳内に出てきた。」
「そうなのか…。」リセスはまた悲しそうな顔をした。
「…あの輝きって取れるのかな?私、手にとって持ってみたい。」
「それが可能なのか、私には分からないな。」
「お姉ちゃんがわからないなら私も分からないよね…。」
「それは違うのではないか?お前の考えと私の考えでは大分違うと思うが。」
「どういうこと?」
「あの無数の< ヴァールフンケルン >の様に、思考から生み出された予測や意見や考えも同じように数え切れないほどあるのだ。」
「ごめん…わからない。」
リセスは申し訳なさそうに目を瞑った。
梟が森で鳴いていた。
少女の脳裏であの大きな獣のことが頭によぎる。
「狼…。」
「え?何?」
「お前、この森にいる狼を知っているか?」
「………っ。」リセスは突然口元を固める。
その一つの質問は…その場の空気を少し強張らせた。
「…狼がどうしたの。」
一寸の間の沈黙でさえ長く感じた。
「私を襲った。それも殺してくるような勢いでな。」
少女はリセスに起こったあらましを述べる。
「…ということだ。あれは何かが違う。その<青き真実の世界>とやらと関係しているのではないかと考えた。何も知らないのか。」
沈黙。
「…先刻この世界の均衡が崩れつつあるって、言ったよね?」
リセスは瞳を伏せて視線をそらした。
「ああ。お前は確かにそう言った。」
「うん…そうだよね。」
「そうだ。」
少女はリセスの額を軽く小突いた。「何をもったいぶっているんだ。言いづらいことか。」
「あうっ…そういう訳ではないんだよ。」
「では何故…。」
「私にも分からないんだ。」
リセスは少女の額を小突き返し、にっこりと笑うと小さな声で言った。
「泳いでる魚をつかめそうでつかめないような理解しか出来ていないの。私には到底説明できないようなことだから。」
「…………。」
少女は何かを言いかけた。
しかし敢えてなにも問わなかった。
それほど重要ではなかったから諦めたのか…否、気にしていたから黙したのだろうか。
悩ましげにため息をついた。
夜は長い。
その空に瞬いていた。
今は真夜中。
とても深い夜だ。
リセスはしなやかに横たわり、寝息を立てていた。
少女はというとすっかり焚き火を焚いてそのそばでなにやら考え事をしている。
パチパチ火の粉が飛び散る音も、夜のせいか良く目立っていた。しかし不気味なくらいに静かな森で、その音が目立つのはごく自然の成り行き。
風も、動物の鳴き声も全てが存在しなかったかのように沈黙しているのは……
気味が悪かった。
静かなことは…私が一番好む。しかし…どうしても思い出せないものが思い出せそうになってしまうのだ。
長い髪を軽く後ろに流して、露出させたのは耳だ。
特異な形をした耳。面倒なことにこれを隠さなければ、村人に石を投げられるようなことになるのだ。
深呼吸を繰り返した後、即座に髪で耳を覆い隠す。
少女の緑色の瞳にチラチラと炎が反射して映っていた。
見知らぬ小さな少女は、< ブラオヴァールヴェルト >という名の世界に帰るよう言った。もう、ここの世界に用などない。
どのようにその場所に行くかもまだ聞いていない。
彼女が此処に来たのなら、その帰る順序を理解しているのはごく自然の成り行きと考えていた。しかし、あまりにも情報が少ない。予測できることも限られた。リセスはすっかり寝てしまったため、気に留めたことを直ぐに聞けない歯がゆさが募る一方だった。
眠気というものは無いものの、あらゆる疲れのせいで身体が言うことをきかなくなってしまった。
少女はドサリと横たわる。
チラチラと視線が揺れ、視界の端で良く眠るリセスを確認したのち、深い深い闇に身を任せた。
少女が無防備に横たわった後、リセスはむくりと起き上がる。
月に照らされて海老茶色の瞳がきらりと光った。少しも音をたてることもなく、暗殺者の様に静かに少女を見おろしていた。
「お姉ちゃん…少し痛いかも。」
ふうと息を吐くと、リセスは少女の胸に両手を押し当てた。
その手の平から黄色のまばゆい光が放たれる。