【三題噺】青い光を追いかけて。
夏になるたび、おばあちゃんの家に遊びに行った。
おばあちゃんの家には、エアコンもゲームもなにもなくて。
でも、母さん父さん僕と、三人分並べられて敷かれた布団はくすぐったくて、揃って縁側で食べたスイカは優しい味がした。
ふかふかの布団は少しだけ蚊取り線香の匂いがした。
それが、おばあちゃんの家の匂いなんだと、幸せな気分でまどろんだりもした。
「今年も行くよね」
ふと尋ねる。
去年は春に控えた高校受験のせいで断念したけれど、無事に入学もしたし、もちろん肯定が返るものだと疑わなかった。
「え、あぁ。行きましょうか」
「……そうだな」
ひどく狼狽した母と、新聞で表情を隠した父。
そこでやっと気がついた。
おばあちゃんの具合が悪いのだと。
もともと体の弱かった人だった。
あからさまな両親の態度に、事態は思ったよりも良くないのだと知った。
「いらっしゃい。久しぶりねぇ」
こんなにも小さかっただろうか。
微笑んだおばあちゃんに、一拍置いて笑みを返す。
「久しぶり、おばあちゃん」
「大きくなったねぇ」
一年会わなかっただけなのに、こんなにも小さくなってしまったのか。
それとも僕が大きくなっただけなのか。
「さあ、上がって頂戴」
先に玄関をくぐるその背中。
泣きたくなったのは、多分僕がいろんなことを知って、大人になったからだ。
「前に忘れていったねぇ」
「え?」
「昨日、見つけたの」
差し出されたのは鉛筆。
おそらく小学生のころの持ち物。
「あんなに小さかったのにねぇ」
慈しむように撫でられた鉛筆を見つめる。
長い鉛筆を握って、漢字ドリルを埋めていた自分を思い出す。
「わたしも歳をとったのねぇ」
「そんなことないよ」
俯いてゆるゆると首を振る。
鉛筆を受け取りたくなかった。
受け取ってしまったら、認めてしまいそうだった。
おばあちゃんが、自分が、もうあの頃とは違うのだということを。
「鉛筆、いらない。おばあちゃんにあげる」
「いいえ。大切にしてあげて」
無意識に握りしめた掌を、優しく解いて、おばあちゃんは鉛筆をのせた。
ころんと手にのる鉛筆は、もう小さく思えるほどだった。
「大きくなったねぇ」
しみじみと口にされたそれが、素直に喜べなかった。
部屋は蚊取り線香の匂いで満ちているのに、幸せな気分にはなれない。
真夜中に目が覚めた。
両隣で寝る両親を起こさないように、布団から這い出す。
星を見たくなった。
同時におばあちゃんが聞かせてくれた、たくさんの物語が蘇る。
縁側に出れば、大きな光が山に落ちるのが見えた。
流れ星にも似た青い閃光。
あの光は――――
『青い光には宇宙人が乗ってくるのよ』
『ほんと?』
『えぇ。裏山に来る宇宙人は願い事を叶えてくれるの』
『僕、会いに行くよ』
『もう少し、大きくなって、夜遅くまで起きていられるようになったら、ね』
窘められた小さな僕は膨れるのだ。
『もう、おっきいもん』
もう大きい僕は会いに行く。
パジャマの上にカーディガンを羽織り、スニーカーを履く。
そして、裏山に続く道を走り出す。
月がか細く照らす道をひた走る。
石に躓きかけながらも、裏山に向かう。
青い光を追い掛けていく。
縋りたいのだ。
あの日の思い出に。
それに気づいても足は止まらない。
息が切れるほどに走って、光を見つける。
「願いを」
願いをきいていれ。
溢れた涙はどうしてか。
泣くほどのことかと自分でも思う。
でも、いろんなことがいっぱいいっぱいなのだ。
「来年も来たいんだ。なくしたくないっ」
あの場所を、あの匂いを、あの人を。
全力疾走のせいで膝をつく。
胸がいっぱいで、涙は止まらなくて、足は痛くて、どうして。
眩しい青い光は褪せずに輝く。
「僕はっ」
「――――」
「え……」
不意に聞こえた聲に顔を上げる。
光を背に誰かが僕を見下ろしていた。
「――――」
聞き取れないその聲。
けれど、わかる気がした。
願いを唇に乗せる。
「ずっとなんて望まない。来年にまた来たいんだ。それだけなんだ」
またね、と手を振りたい。
また来年も来るからね、と約束をしたい。
「――――」
「え?」
差し出された手に戸惑う。
続いて、指差されたのはカーディガンのポケット。
まさぐれば鉛筆が一本。
「これ?」
手の上に乗せる。
ころんと転がる鉛筆を見つめた。
僕はあの頃の子供ではないのだと、心に刻む。
人影に尋ねる。
「この願い叶えてくれる?」
「――――」
笑ったように見えた。
途端に光が弾けるように輝いて、慌てて目をつぶる。
光に飲まれるような錯覚。
意識が真っ白に染まった。
目を開けると、天井が見えた。
「ん……」
目を擦り、体を起こす。
身支度を終えた母さんが、眉を潜めて僕を一瞥した。
「あんた、何時まで寝てるのよ」
「裏山に……」
「何、寝ぼけてるの?」
ちゃっちゃっと支度しなさい――布団を剥ぎ取られて、しょうがなく立ち上がる。
「てか、あんたカーディガン着て寝てたの?暑くなかった」
「え?あ、」
はっとして、カーディガンのポケットをまさぐる。
中には何もなかった。
「どうしたのよ、一体」
呆れたような母さんの声が耳に残った。
「来てくれてありがとうね」
「ううん。こっちこそありがとう」
手を握られて、両手で握り返す。
朗らかに笑うおばあちゃんは昨日より調子がよく見えた。
「お母さん、無理しないでくださいね」
「階段には気をつけてくれよ」
「はいはい。わかってるわ」
母さんと父さんに、おばあちゃんが何度もうなづく。
そして、おばあちゃんが言った。
「じゃあ、」
「また来るねっ」
「……えぇ。またいらっしゃいね」
「来年も絶対来るから」
「楽しみにしてるわ」
笑ってくれたのが嬉しかった。
迷わなくてよかったと思う。
でも、あれは夢だったのだろうか。
「ねぇ、おばあちゃん。鉛筆は」
「え?いま、なんて?」
「……やっぱ、なんでもないや」
きっと夢じゃなかった。
来年もまた来よう。
願いを嘘にはしない。
家に帰ったら、蚊取り線香を買ってみよう。
あと鉛筆で物語を書いてみよう。
願いを叶えてくれる宇宙人の物語を。
三題噺として書きました。
蚊取り線香、宇宙人、鉛筆。