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「Lunch boxs」

作者: 猫介

 油の焼ける匂い。別の所からはごうごうと何かが唸る。これは使い古された我が家の炊飯ジャー。蒸気を吹き出し、音をたてている──



 僕は目が覚めた。夢から現実に戻る。


 さっきの油の焼ける匂いは、目玉焼きの匂い。毎朝、お姉ちゃんが焼いてくれるやつだ。

「お姉ちゃん、おはよう」

「ん~。ご飯もうちょっとで出来るから。席に着いてて」

「ふぁーい」まだ僕は眠いよ。



 僕の名前は爽太そうた


 僕にはお母さんがいないと思った? まだ真っ暗な内からお仕事で家を出てしまうので、朝は会えないのです。

 お父さんもちゃんと生きてます。今頃はたくさんの荷物を積んだトラックを走らせながら、僕の知らない街を眺めているはずです。


 なので、僕はいつもいつもお姉ちゃんと朝ご飯を食べています。お姉ちゃんは僕よりうんと背が高いので、台所でお料理なんてへっちゃらなのです。凄いでしょ。


 そんなお姉ちゃんは高校生。ご飯を食べたら、僕を小学校まで送っていってくれます。小学校に着いたら、手を振って別れるのがお約束。


 お母さんみたいに優しくしてくれるお姉ちゃん。ありがとう。

 だけど、いつもひとりで頑張ってるから心配。


 だってね小学校で別れる時ね、手を振ってるお姉ちゃんはすごい笑顔なんだけど、時間が無いから顔が本気なの。ちょっと怖いって意味ね。で、遅刻しちゃうからすぐにぱたぱたと駆けていって、道の向こうで見えなくなる。

 でもねでもね、その時のお姉ちゃんの顔と後ろ姿が実は大好きなんだ。


 頑張ってるお姉ちゃんに悪いからこれは秘密。



 朝の台所で右左に動くお姉ちゃんの姿を見つめながら、僕はうちの家族のことを思い浮かべていた。


 まだちゃぶ台には目玉焼きしか乗っていない。

「お腹すいた~」

「はいはーい」


 まだかかりそう。


 しょぼしょぼしていた目はもうよく見えている。目の前のテレビは、今日の天気を教えてくれていた。

「今日一日天気良いってさー」

「あそー? よし。お味噌汁と、ご飯炊けたから。お箸持ってってねー」

「はぁーい」


 うちは古くて狭いアパート。居間の真ん中にちゃぶ台を置いて姉弟で座るから、もうぎちぎち。テレビと向かいの壁に挟まれ、手を振り回したらぶつかりそう。


 そして隣が台所。定員一名様しか入れない。居間から毎朝お姉ちゃんの勇姿がすぐ見れる。狭くてラッキーだ。


 あと、小さな寝室お風呂とトイレがあるけど、特に面白い所は無いや。


「また遠くの世界行ってる? 早く食べないと、遅刻するってば。今日は置いてっちゃおうかな~」

「う、食べるから待ってて」


 やばい。カッコいいお姉ちゃんの後ろ姿を見る楽しみが無くなるところだったよ。





 心地よい風が流れる。教室の窓は全て開いていた。天気予報の通り、外の景色は雲ひとつ無い青空。室内にはクラスメート達の笑い声が今日も響き合っていた──



 私、水村みずむら 真奈美まなみは、いつも、クラスのみんなより遅れて登校する。

 遅刻しているという意味ではない。先に年の離れた弟、爽太を小学校まで送り届けるからだ。今日もびりっけつで教室に入る。


 案の定、クラスメート達のおしゃべりには花が咲きまくっていた。学校まで走ってきたので、息がまだ乱れている。席に着いて、呼吸を整えるのが精一杯。話の途中から割り込む、勇気も技術も無いんだけどね。


「真奈美、おっはよ~」

 親友、加藤かとう 沙希さきが元気よくやってきた。

「沙希……。おはよぉ」私の心臓はまだバクバクで、挨拶するのもつらい──と言いたい。

「今朝も自主トレですか。陸上部入れば?」

「好きで毎朝走ってない……」まだ笑い返す余裕が無いって。

「弟君を自立させろ」

 これが我が家の事情を知る友の言葉か?

「君がしなさい。あと自主トレじゃないから」突っ込めた。私の心拍数が、安定してきた為だ。


 教室の一番後ろの窓際が私の席。で、真隣は沙希の席。この親友は勉強好きでもないのに朝早くから登校し、あっちに行ったりこっちに行ったりとクラスを渡り歩く。なんて落ち着き無いのかこの子は。その元気を私にくれ。


 自分はと言うと、いつもの如く走って登校するから疲労困憊。あとは大人しく授業を受け、今日は苦手な体育が無いことを祈るしかない。目まぐるしくも、なんとも地味な高校生活を送っている。こんなんで良いのか、私。


「部活入れば?」沙希の一言。


 それはそれで困る。部活なんてものに参加したら、家に帰って夕飯を作る気力が無くなる。毎晩疲労で倒れる姉の横で、飢えで倒れる弟が並んでるのなんて嫌。


 違う、私が求めているものは癒しだ。


「彼氏でも作れば~」気だるい沙希の声。


 なんか適当に言っていないか? そういう君は彼氏いたこと無いだろ。欲しいと言って、出来るものなのかい? うん?


「私の『あいきゅー』では、その問いに答えてあげることが出来ない。がくっ」


 私の親友は思考回路がショートしてしまったらしい。そのまま机に突っ伏している。こんな馬鹿なやりとりをして問題が解決することもなく、今日も一日が過ぎてゆく。





 朝の澄んだ空気が残る教室はがらんとしている。生徒はまだまばらにしか来てなくて、不思議な静けさを醸し出している。この雰囲気、いつ来てもドキドキする──



 私は荒んだ日常を送る真奈美を思い浮かべていた。


 廊下をうろつきながら策を練る。今年の夏休み、最高の思い出を真奈美にプレゼントする計画だ。

 私の全身全霊を懸けても、必ずや成功させてみせる。


 プロデューサー沙希と呼んでくれ!


 イカンイカン。輝ける自分を想像する方に頭を使ってしまった。


 私は真奈美の為に何かしてあげたい。お節介とか、そういうのではないんだよ。


 真奈美との付き合いは中学の時からだ。テスト勉強を教えてもらったり。小遣いピンチ! でハンバーガーを奢ってもらったり……。

 それらは平凡な出来事だけれど、真奈美の優しさがいっぱい詰まっている。私にとっては大事な思い出なのだ。


 もう恩返しするチャンスは今しかない。今返さなければ将来はもっと無いだろうよ。


 私が毎日朝早くから登校するのにも、ちゃあんと意味があるのさ。

 この幅広い人脈とべしゃりを生かし、校内恋愛ゴシップ……。

 じゃなくって、真奈美が女子高生らしく過ごせるような情報を収集している。


 例えば、流行りに疎い真奈美に最新ファッションを伝授したり。美味しいカフェがオープンしたと聞きつければ、連れていってあげたり。

 連れていった側なのに奢ってもらうことが稀~にあるがね。


 でもぶっちゃけ、夏休みはノープラン。後先考えず行動するこの頭のせいである。


 早速ダメダメプロデューサーじゃん。


 とにかく、夏休みらしいイベントをたくさん真奈美に過ごさせようと思う。


 安直だが、手っ取り早くイベントに参加する方法を考えた。夏休みにグループで海とか山とか行く予定がある子を探して、真奈美をそのメンバーにねじ込む作戦。


 これってプロデューサーというよりマネージャー?


 敏腕沙希マネの奮闘むなしく、真奈美ブッキングは失敗に終わる。だよね。いくらなんでも、よく知らぬ人をメンバーには入れてくれないよね。


 かくなる上は、夏休みイベントを自分達で企画するしかない。いや、端からこれだったな。


「真奈美、今年の夏どこ行く~?」

「そんな暇なーい」

 げっ。そういや毎年こんなやりとりを交わしていたんだっけ。

「いや~今年ぐらいはどっか出掛けない?」

「無理無理。市内がやっとこ」


 前途多難。


 こんなんじゃ三食作って、宿題やって、うだる暑さの中うちわ扇ぎながら寝そべってテレビを見る、いつもの真奈美イン・サマー。


「なに私の夏休みの行動を見てきたかのような発言は」その後、英語の使い方にまで指摘してきた。

 私の心の声を読まれてる!?

「ぶつぶつ独り言が聞こえてきただけ」

「え、声出てた? ははは」


 ああ、真奈美の冷めた視線が突き刺さる……。





 カーテンの隙間から、光が射し込んでくる。おひさまが眩しい。あちらこちらから、鳥のさえずりが聞こえてくる──



 今日は日曜日。さすがのお姉ちゃんも、まだ夢の中。僕はお休みの日になると、早く目が覚めるタイプ。


 まだ温かい布団から出たくはなかったけど、居間からした物音が気になり抜け出した。


「爽太おはよう」

「あ、お母さん。おはよう」

 週末は朝からお母さんと会える。ご飯もちゃぶ台に用意されていた。

とっても久しぶりのお母さん手作りご飯なのだ。


 あれ。でもおかしい。なぜかスーツ姿のお母さん。


「爽太、ごめんね。夏前でお仕事溜まってるのよ。それで、朝ご飯は用意したけど、もう会社に行かなきゃならないのよ」

 僕のショックを受けた顔がひどかったのか、お母さんは何度も謝る。

「そんなぁ~」

 結局、逃げるようにして、お母さんは家を出てった。


 お父さんはと言うと、まだ帰って来ない。週末は忙しくて、平日の昼間に帰って来ていることの方が多い。僕とお姉ちゃんは平日学校なので、すれ違い。帰って来ても、次の日の朝には、またお仕事に向かうのだ。


 忘れてた。せっかくのお母さんご飯。冷めないうちに、いただきます。



 ご飯も食べ終わって、テレビを観ながらごろごろしていると、お姉ちゃんが起き出してきた。


 さすがのお姉ちゃんも寝起きはカッコ悪い。いつもは長くてさらっさらな髪。今は、ぼっさぼさの髪で、よっれよれのパジャマ姿。


 そういえばこないだ、お姉ちゃんが話していたことを思い出した。それは、お友達の沙希お姉ちゃんの話。

「ほんと、沙希ったら、部活入れとか彼氏作れとか。言うのは簡単よね」

「お姉ちゃん、部活入んないの?」

「そんなことしてたらお姉ちゃん、死んじゃうよ」

 部活とはそんなに危険な物なのか。

「彼氏は?」

「爽太にはまだ分かんないだろうけど。まず相手がいないことにはね」

「ふぅーん……」

 大人って大変なんだな。僕は大人になれるのか、不安になってきた。


 こないだのやりとりを僕は思い出していた。

「また遠くの世界だー。ふぉぁぁ……」あくびの口はいつもでかい。

 お姉ちゃんに彼氏が出来ても、こんな姿見たら振られちゃうかもね。


「お姉ちゃん。どこか行こうよ~」

「めんどくさいー」

 日曜日のお姉ちゃんは岩みたいに動かない。だから僕も一緒になって寝転ぶしかない。ごろごろ。


 いつも頑張っているお姉ちゃんの為、寝ながら肩を揉んでみる。

「きゃははは!!」

 くすぐったいだけみたい。

 前にも同じことがあった。その時はお父さんやお母さんの肩を、揉んだり叩いたりしたら、すごく喜ばれた。だから、お姉ちゃんも喜んでくれると思ってやってみたら、くすぐったがるだけ。

 お母さんは「やっぱりまだ若いわね~」と羨ましがっていた。


 肩揉みを諦め、後から首に抱きつく。

「寂しいのー? お母さん休日出勤だもんね」


 僕は無力だよ、お姉ちゃん。





 さっきまで騒がしかった教室も今は静かである。お昼時、クラスの生徒達は散り散りに部屋を出ていった──



 昼食は各々好きな所で食べる。


 食堂で食べる奴。購買でパンを調達して外で食べる奴。そして作ってきた弁当を教室でひっそりと食べる奴……。


 普通母親が作ったやつか、女子生徒本人が作った弁当を持ってくる。

 俺みたいに、男子で弁当を作ってくるのは珍しい。というか浮く。

 浮くといっても、飯を食いにほとんどのクラスメートが教室から居なくなるから関係無いが。


 俺の名前は、黒石くろいし ゆう。最近困った事が起きた。怪しい勧誘をしてくる奴がいるのだ。

 そいつの話をよく聞けば、部活動ではないらしい。怪しさは増す一方。


 なんで俺なんかを誘うのか。そいつとの面識は無い……はずだが見覚えが。そういえば、用事で他のクラスに行く度行く度教室に居る奴だ。


 というか今、同じ教室でパン食ってるよ、そいつ。まさかクラスメートだったとは……。あまりにあちこちで見かけるから逆に気付かなかったのか?

 そいつの友達らしき奴は弁当食ってる。俺と同じ弁当組の女子生徒。こっちは見覚えあるぜ。おとなしそうで、目立たない奴だけどな。


 やばい。パンにかぶりつくスカウトウーマンと目が合った。すぐさま知らないふりをしてみたがうまく誤魔化せただろうか。


 向こうから足音が近づいてくる。いや、気のせい気のせい。


「あの~。一瞬に食べません? こないだのお話のご返事も聞きたいし」

 何やらにやにやしているぞ、こいつは。知らんぷりも不発か。

「いや、いつも一人で食べてるので。あの話も何度も断ったはずですが」

「そうですか……」



 学校では話さないが、俺には父親がいない。母はいるが俺を養うため一人働いている。そのため、自然と自分でできることは大抵こなせるようになった。

 好きな物を食べたいので弁当は自分で作る。むしろ母からは、弁当を作らせてくれと懇願されたこともあったが断固拒否した。俺のことを想ってのことだが、気にせず仕事に邁進してくれ。

 そんな自分の環境に不満はない。高校生活を送れるだけで幸せだ。


 ただ面倒は嫌い。問題を抱えないための危機回避ルールがある。

 部活に入らない。昼は一人で食べる。それなりに勉強をし、適度に友達と付き合う。


 騒ぎすぎない、目立たないために。

 暗すぎない、目立たないために。


 これで俺の平和な日常、そして幸せが保証される。



 ──はずだった。

 気付けば強引なヘッドハンティングにより、三人揃って飯を食べていた。俺はどこにも所属していないのでヘッドハンティングとは言わないか……。

 しかし、このスカウトウーマンは凄腕だ。どうやってここまで連れて来られたのだろう。

 食べながら話だけでもさ。とか。ちょっと、ほんとちょっとでいいから。とか。ありきたりな誘い文句は言われた気がする。

 そんなんで俺は微動だにしないはずだが。記憶を辿る。


「ちょっとそこじゃないですか。廊下側のこの席も、向こうの窓辺の席も、距離は大して変わらないでしょ?」

「まあ、そうかも知れないですけど……」

 かなり強引だ。

「ほら、ウチらも弁当組だよ。二人じゃ寂しいしさ」

 いや、君は購買パンだろ? それにさっきまで楽しそうに談笑してなかったか。

「あ、見て、すんごい手振ってる。友達も歓迎してるし~!」

 いやどうみても、もうやめてこっちへ来い、という手招きだが。



 結局最後は引きずられるような感じで連れて来られて、今に至る。

 引っ張る彼女の顔は、終止笑顔のままだった気がする。あまりの衝撃によく覚えていない。とにかく凄い力だった。


「黒石雄です。あなたの名前まだ教えてもらってないんですが」

「あ、えええ。そうでしたっけ? 加藤沙希と申します」

「以前来られた時に、何度か尋ねたんですが。聞いてなかったみたいで……」

「ごめんなさい……」うつむく彼女。

「わ、私は水村真奈美です。えと、友達の沙希がご迷惑かけてすみません……」うつむくその友達。


 なんだ。この空気は。やっぱり俺、来ない方が良かったんじゃないか?


「沙希の行動は私にも分からない時があるんです。でも、せっかく一緒にお昼食べれる機会が出来たので、私は嬉しいです」

 そう言って、止まっていた彼女の箸はまた動き出した。俺もまた弁当をつまみだす。沙希という子もパンにかぶりつく。


 沈黙。重たい空気の気配。


「ぷーっ」突然弁当を食べていた彼女が吹き出す。


 どこで売っているんだろうという巨大な白いパン。それに必死でかぶりつく友達を、彼女は見ていた。俺も不思議と釣られる。


「ぷぷーっ」


「何々? これ? 購買で一番ボリュームがあって安いパン。知らない?」

 なぜ沙希という子は、わざわざ立ち上がっているのか。なぜパン粉だらけの顔で力説しているのか。解読不能の笑いが、俺と弁当彼女を襲う。


 結局、何の話で呼ばれたのか分からないまま、昼休みが終わった。

 俺が求める静かなお昼時はぶち壊された。けれど、普段なら腹を立てているはずなのに、ちょっとだけ楽しかったのは気のせいだろうか。





 物事を進めるのは早い方が良い。どうしようかなどと手をこまねいているうちに、チャンスは逃げてしまうのだ──



 闇雲にひた走れば物事は全てうまくいくと思い込んでいる人間がいる。


 それは私。加藤沙希。


 そして結果は、ものの見事に失敗し、失敗という名の山を築きあげていく。


 それが私。加藤沙希。


 今回だけは神様見逃してくれ。もとい、成功させてくれ。私の今年の運を全部あげるから。真奈美に良い思い出を作らせさせてー……。


 私の想いが届いたかは分からないけれど、夏休みに遊ぶメンバーを一人仲間に入れることができた。

 いや厳密に言うと、話を聞いてくれる人物はもう彼だけ。最後の砦だ。手放す訳にはいかない。


 黒石雄君。部活に入らず、男友達がいるものの一人で弁当を食べるミステリアス・ボーイ。

 私の多大な不手際で、本題が全く伝わっておらず、サブカル的な部活の勧誘と間違われていた。あながち間違っていないかも……。


 それはさておき。もうあまり時間がない。一学期も終わる。未だ、なにを、いつ、するのかすら決まっていない。

 夏休みに入ってからだと、ズルズルと日数だけが過ぎていくだろう。


 自称、剛腕沙希マネのコネ(圧力)で真奈美の家に集まり話し合うことは決めれた。

 真奈美は弟君がいるのでなかなか家を空けられない。私と黒石君はともに一人っ子。自然と真奈美の家に決まっただけなんだよね。

 部屋が狭いからと最後まで拒否していた真奈美。多数決2対1(黒石君は場の空気を読んで)の結果に真奈美も渋々了承してくれた。まぁ半泣きだったけど。



 そうそう。黒石君の話をするね。

 彼はなんとか私達、いや私の執拗な勧誘から逃げる気だったみたい。ただ事情を聞いてしまった以上は最後まで付き合ってもらう。私の方には諦めんぞって強い覚悟があったからね。


 黒石君の唯一の盲点は自分が暇だったこと。暇って表現は失礼だよね。けど実際、夏休みにスケジュールがないのは、どこのクラス探しても私達だけだった。

 これは百年に一度あるかないかの奇跡だと思う。そして、その証拠をリストにまとめて黒石君に突きつけた。秋山君、北海道旅行。鈴木さん、キャンプ。伊東君、合宿……って感じのリストをね。

 と同時に真奈美がいかに荒んだ日常を送っているか、ちょっと誇張して伝えた。


 黒石君はあまりにも断る理由が見つからず、顔がひきつってた。

 私は黒石君に対して、ジャンケン的な相性が良いのかもしれない。正確には天敵だね。私が悪者っぽくなるから却下だけど。


 それにしてもリストを作るとかそういう力を、どうして試験に活かせないんだろうか。

 ……考えるだけ不毛だと思ってやめた。





 夏休みが始まった。学生達は湧いてくる胸の高揚を隠しきれない。その気持ちは、じりじりする日射しや、ゆらめく空気とはまるで正反対の清々しい物を感じるから不思議だ──



 俺は、目と口を丸々と開けた母親の顔を目の前にしている。

「言ってなかったっけ?」

「聞いてないわよ。雄に彼女が出来たなんて」

「いや、ただのクラスメートだってば。夏休み入る前に言ったでしょ? 友達三人で遊ぶ計画を立てたいからって。それで、相談するのに水村さんの家に集まることになったってさ」

「二人とも女の子なんでしょ? どっちが本命?」

 隠し事をしない。我が家唯一のルール。と言うかウチの母は、この手の話は平気で突っ込んでくる。要注意人物だ。集まりがウチでなくて良かった……。

「ト・モ・ダ・チ。もう茶化すなら行くよ」

「応援してる。頑張ってね~」だから、違うって。


 そんな母を置いてマンションを出る。結局集まりは夏休みにずれ込んだが、まだ7月。焦ることはない。


 って、なんだコレ。いつもの俺はどこへ行ったのやら。

 今年も早めに宿題を終わらせ、残った休みは漫画を読み耽ることに専念するつもりだった。


 夏休みでも気は抜けない。プールに行こうなどと誘ってくる友達。二学期を待たずにお土産話を聞かせてくる友達。そんな障害をいくつも乗り越えて初めて、何事もない平坦な夏休みが過ごせるのだ。


 そう、フラットだ。起伏のない生活。上がると言うことは、下がることもある。

 喜んだ後に奈落の底に落とされた時の恐怖……。俺が小中学校で学んだことだ。

 なにがあったかは、聞かないことをお薦めする。なんだそんなこと、と言われるのも癪だし。


 ああ、いつの間に俺の心の防護壁は破壊されたのか。

 解き放たれた心は、夏の上昇気流に乗って上へ下へと翻弄されてしまうのだろうか。

 そんなふわふわする感覚味わいたくない。



「行くのやめるか」


 ため息混じりに呟きながら、両手をズボンのポケットへ突っ込んだ。


 くしゃり。


 ポケットの中の物に手が触れて、自分が入れたのがなんだったか思い出した。きれいに折り畳まれた小さな紙。俺が無造作にポケットへ押し込んだから、少し癖がついてしまった。

 もらった時の状態に戻すため、紙のよれを直しながらそっと抜き出す。


 拡げた紙には手書きで詳細な地図が丁寧に記されていた。書いた者の人柄がうかがえる。


「私んち、慣れてないと辿り着けない場所にあるから」と彼女は行っていたっけ。


 地図には、まるで迷路ゲームの正解図のように、最寄り駅からの最短の道のりが赤ペンで引いてある。

「ぐるぐる蛇みたいな道で、行き止まりばっか。ほんと迷路みたいな町だな」

 いくつかの間違えやすい難所まで書かれていた。

「やっぱり迎えに来てもらえばよかったな」



 最初、水村さんが俺の家まで迎えに来る予定だった。一人じゃ辿り着けないからって。でもウチの母親に接触させるのは危険と判断し、丁重に断った。

 もし今日、俺が行かなかったら、心配して加藤さんがやって来るだろう。水村さんの比じゃない危険度。加藤さんなら、ウチの母親に根掘り葉掘り聞かれても平然となんでも答えそうだ。


 自宅に帰りかけていた歩みは止まり、足は自然と水村さんの家に向かった。





 狭い部屋。古びたアパート。お世辞にもきれいとは言えない空間。もし、この部屋に五人も六人もお客さんが訪ねてきたらどうしよう──



 女友達も呼べない部屋。

 唯一、遊びに来てもいいのは沙希だけだ。沙希でさえ慣れるのに時間がかかった。もちろん慣れるのに時間が必要だったのは私の方。


 本当に恥ずかしい。


 居間の真ん中には小さな四角いちゃぶ台がいつも置いてある。皆でちゃぶ台を囲めば、隙間がなくなり部屋の奥へは通れない。それぐらい狭い。

 壁も相応に汚い。部屋の掃除はちゃんとしているよ。古いとなぜか汚ならしく見えてしまう。幸い、春先に壁紙を張り替えていたことが救いだろう。


 真っ先に訪ねて来たのは沙希だった。当然だろう。もう目をつぶってでも家にこれると豪語していたし。

「おっじゃま~」

「いらっしゃい」

 もう私からしたら家族同然。沙希も電話台と壁の隙間に立て掛けてある座布団を当たり前のように引っ張り出して座る。

「沙希お姉ちゃん、いらっしゃーい」

 弟がおぼつかない足取りでやって来た。麦茶の入ったグラスを乗せたおぼんを持っているからだ。

「爽太君、おじゃましますぅ」


「はい、どうぞ。ひえひえーだよ」そっとちゃぶ台に置いたグラスを沙希の方へ差し出す。

「ほんとだ。冷え冷えー」ニカニカしながらグラスに口をつける。


「ん?そういえば黒くんまだ~?」グラスの中の氷をからから言わせながら、沙希が聞いてきた。

「沙希より早く来れないよー」

「でも、もう来るっしょ。道に迷ってるかも知れないから、電話かけてみる?」

 パンパンに膨らんだショルダーバッグから携帯を取り出す。


 実は私は携帯電話を持っていない。まぁ必要ないからいいんだけど、二人が持っていると聞くと少し寂しい。


「携帯の番号知ってるの?」

「な訳ないじゃん。家電だけー。なに? ドキッとした?」

「違うよ~。だってさ、黒石君から電話のことすっごい念を押されたじゃん」

 私達二人は黒石君の自宅の電話番号を教えてもらっていた。ただ本当の本当に非常事態の時にしか、電話をかけてはいけないといわれていた。つまり連絡はつかないに等しい。


「でもさ。今頃、道の途中で迷ってるとしたら、どうしよう」

「真奈美の書いた地図渡してんでしょ?」

「うん……。ああ、田中さんちの角、曲がれたかな? あそこ地図見てても間違いやすいから……」


「やっぱり私見てくる!」


 爽太と沙希を部屋に残し、アパートを飛び出した。

「転ぶなよ~?」沙希の声がかすかに聞こえた。


 爽太は沙希が見ていてくれるから大丈夫。それより黒石君を探さなきゃ。


 私は田中さんちの前まで走り続けた。


 息切れしながらも走りきれた。毎朝、小学校から高校までダッシュしていた成果か。沙希の言う自主トレもあながち間違ってなかったな。

 膝に手をつき、呼吸を整えながらも辺りを見渡す。


 まだ来てない? それともすれ違いで変な道に入っちゃったかな……?


「おぅーい」遠くの方で誰かが手を振りながら向かって来る。

「黒石君……」まだ呼吸が荒い。

「こんな所までお出迎え?」

「田中さんちの角、曲がり間違えるとなかなか戻って来れなくなるから」

「いやぁー。今までも何ヵ所か危ない場所あったけど、この地図のおかげで大丈夫だったよ。伊能忠敬も真っ青って感じ?」


 黒石君の笑顔を見るのは初めてだった。


 笑顔を見たせいか、地図を誉められたせいなのかは分からないが、私はとても嬉しかった。

 自分が今どんな顔をしているか想像出来ないが、きっと私も笑っていたと思う。



 帰りはゆっくりと歩いてきた。家に着くと沙希が寝そべりながら、煎餅をつまんでいた。しかもテレビを観ながらだ。

 まるでオバサン? 本当に女子高生か疑わしくなってきた。

 いくらなんでもくつろぎすぎだ。黒石君も来ると言うことを忘れてるのか。


「おっかえり~」声に恥じらいの欠片もない。

 とりあえず沙希の脇を抱え強制起動させた。今度は大人しく正座している。


「い、いらっしゃーい…」デジャウ゛。

 おぼんには私と黒石君の分であろう、麦茶入りのグラスが二つ並んでいた。

「おじゃまします。君が水村さんの弟くん? 一瞬、からくり人形と見間違えたよ。茶運び人形って言ってね……」

「???」

 爽太は黒石君の言葉を理解出来ないでいる。


 自分の弟をおちょくられているのになぜか嫌な感じがしない。最初に会った頃の黒石君のイメージとは大分変わってきた。

 なんというか、これが本来の黒石君で、学校で会っている黒石君は別人なのかも知れない。本当の彼は冗談いったり、笑ったりする普通の男の子なんだ。

 教室ではあんなに目立たなかったのに。もちろん人のこと言えないけど。



「落ち着いた所で会議を始めましょうか」

 我が家のように落ち着いていたのは沙希だけ──と言いたいが、水を差したくないのでグッと堪えた。


「今日の議題は『真奈美の夏休み思い出作り計画』についてです」

「はい、議長!」

「はい、真奈美くん」

「この期に及んでなんですが、私個人の為に、沙希や黒石君を巻き込んで良いのかと……」

「遠慮するなよ。友達じゃん?」沙希……。


「俺もいいと思うよ。なんか流れで参加することにはなったけど、色々と加藤さんから事情を聞いたから。だから、今ここにいる」

 色々と事情を聞いた──の辺りで、沙希が微かに動揺していた。また尾ひれはひれつけて話したな。あとでこってり絞っておこう。


「二人ともありがとう」うまく言えないけど嬉しい。


「で、結局なにをするの? 俺達が出来ることに制限がかなりあるよね? 水村さんちは弟くんがいるから、遠出や泊まりが駄目なんだよな」

「はい……なんだか無理言ってすみません」姉。

「僕のせいですみません」弟。


 沈黙。


「そこで秘密兵器の登場だ」沙希がパンパンに詰まったショルダーバッグを掲げる。

 ドサドサ。ちゃぶ台はチラシで埋め尽くされた。

「頑張って集めてきたよぉーッ」

「なにコレ?」と私。

「真奈美が市内ならいいっていうから、夏っぽい催しもののチラシとか、お店の割引券がついたチラシとか。その他諸々かき集めてきたって訳。いやぁ重い重い」

「これ全部行くわけないよね?」びびる黒石君。

「もちろん行く……と言いたいけど、金銭的に無理だね」年中金欠の沙希がいう。

「じゃあ、この中から水村さんが好きなものを絞っていこう」

「私は普段行かない所ばかりだから、どこ行っても楽しそう」


 100枚くらいあったチラシ達も、現実を考え3つに絞られた。

「祭に市民プール、オープン予定のカラオケ屋か。無難な所に落ち着いたね。この『あおばさい』って凄いの?」

 チラシを指差しながら黒石君が聞いてきた。

「え? 黒君知らないの?」

「沙希、黒石君は中学まで別の町に住んでたってこないだ聞いたばかりじゃん」

「え? だっけ?」

「黒石君ね、碧葉祭のチラシは毎年凄い派手なんだけど、実際は地元の人しか知らないような地味~なお祭りなの」

「そうそう。写真じゃあ打ち上げ花火がどっかんどっかん花咲いてるけど、まず花火がない」

「嘘? 詐欺じゃん!」

「地元の人達はみんな知ってるけど、お祭りコレしかないから文句いわず楽しむみたい」

「あと、左下の写真。美人の踊り子さん軍団も来ない」

「まじで……」

「だよねー。地元のお婆ちゃん集団は踊ってたりするけど」



 そのあとも、色々話が盛り上って楽しかった。そろそろ日が暮れてきたということで、今日はお開きとした。


「ただいま」


 みんなが玄関を出ようという時。まさかのタイミングでお父さんが帰ってきた。今日は土曜日だから忙しいはずなのに。

 お母さんは気を利かせ、ファミレス辺りで暇を潰してくれている。


 挨拶もそこそこに私達は部屋に引き返す。でないと人がすれ違えないぐらい狭い玄関と廊下だからだ。


 忘れていたこの家のこと。顔から恥ずかしさが噴き出している。


 居間に5人。これで満員電車並とは。


「では、失礼」お父さんが早々に寝室に引っ込む。名案だ。


「じゃあ俺達帰るわ。またな」

「んじゃあね~」

 二人は思い出したかのように玄関を出る。我が家は一旦入ったら出られない呪いがかかっていると思われたかもしれない。


 二人のあとを追って玄関を出た。


「大通りまで送ってく」

「大丈夫だよ。きた道、戻るだけだし。この地図もある」

「私も駅まで一緒だしね。お父さんせっかく早く帰ってきたんだから、そばにいてあげなよ」

「分かった。今日はありがと。それじゃ気をつけて帰ってね」


 二人は見えなくなるまで手を振ってくれた。私もずっと振り返した。西日の影で顔はよく見えなかったけど、二人とも笑っていた気がした。





 真っ青な空にもくもくと浮かぶ入道雲。遠くの山の緑が鮮やかに広がっていた──



 窓辺には風鈴を吊るしている。風が吹かないので鳴らない鈴だ。

 音を聞けば涼しくなるかなと思って、しおりみたいな所を掴んで振ってみる。うるさいだけで暑い。結局、扇風機の前に戻る。



 碧葉祭当日。どしゃ降りの雨で、せっかくのお祭りも中止となった。


「打ち上げ花火楽しみにしてたのにな」とお兄ちゃんは冗談を言っていた。


「あぁん。私は真奈美の浴衣姿を楽しみにしてたのにぃ」と言った沙希お姉ちゃんの一言を、僕のお姉ちゃんは真剣に気持ち悪がっていた。


 あの日、お姉ちゃんが浴衣を名残惜しそうにタンスにしまっていたのを思い出した。


 真夏の市民プールはいつも大繁盛していた。繁盛しすぎてお姉ちゃん達はプールに入ることが出来なかった。

 去年までは閑散としてたのに。客引きの割引券つきチラシが災いした──といって沙希お姉ちゃんは頭を抱えていた。


 お姉ちゃんは体型を気にしながら水着をタンスにしまっていた。なんだか逆にほっとしていたように見えた。


 駅前にオープンしたカラオケ屋さんは休業中。

 突貫工事で、雨漏りがどうたらこうたらで、業者とトラブってるとかなんとか──って雄兄ちゃんが教えてくれた。大人の世界は不思議でいっぱいだ。

「チラシの割引券、期限切れちゃうじゃーん」とか言う沙希お姉ちゃんは子供みたいで可笑しかった。


 僕のお姉ちゃんはと言うと、今も毎晩お風呂の中でボイストレーニングを欠かさずしている。音痴を気にしているみたい。そんなことないのになぁ。



 そして今、僕は夏休みの絵日記を書いている。


 ──8月24日、月ようび。晴れ。

 僕は今日もとなり町にある、おじいちゃんとおばあちゃんの家にいます。夏休みもあと一週間になって、やっとお父さんとお母さんはお休みがとれたからです。

 お姉ちゃんはと言うと、お友だちのさきお姉ちゃんとゆうお兄ちゃんと遊びに行ってます。

 お姉ちゃんたちはいっぱい夏休みの計画を立てたけど、ひとつも叶いませんでした。なのに、毎日とっても楽しそうです。

 今日だってどこかに行くあてもないのに、お弁当を持ってでかけて行きました。みんなと食べるお弁当は最高においしいそうです。


 僕は夏休みがもう終わりでとても悲しいです。海や山とかに行きたかったです。

 どこにも行けないのでせんぷうきの前にずっといたら、お母さんにおこられました。お姉ちゃんみたいに外で遊んで来なさいって。


 お姉ちゃんは夏休みが終わるというのに、悲しくないみたいです。最近お姉ちゃんはけいたい電話を買ってもらったからだと思います。生まれて初めて持った自分のけいたい電話には、さきお姉ちゃんとゆうお兄ちゃんのけいたい番号が入っているらしいです。

 でも、電話したりメールしたりはしないのに、嬉しいそうです。大人ってふしぎ。


 お姉ちゃんはぼくに「二学期が早く来ないかな」って言いました。ぼくには意味がぜんぜん分かりませんでした。


ぼくはお姉ちゃんに「早く夏休み来ないかな」って聞いたら、「私もそう思う」って言って笑っていました。──


 おしまい。

 最後まで読んでくれてありがとう……!

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[良い点] そうたくんかわゆい(*´∇`*) [気になる点] 英語の成績が心配でござる(;´д`)
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