002:魔王は小さなミスを咎めない
002:魔王は小さなミスを咎めない
SIDE フェニックス
世界同士をつなぐ門から出た瞬間、まず僕の耳を打ったのは、完璧なまでの『静寂』だった。
僕の魔界で絶えず響いていた鬨の声、マグマの煮えたぎる音、そして部下たちの雄叫び……それら全ての音が、まるで分厚い壁に遮られたかのようにプツリと途絶えた。
同時に、肌を撫でる空気も変わる。
あの熱気と硫黄の匂いを含んだ空気じゃない。
ここは、どこまでも冷たく、澄み切っていて……まるで巨大な霊廟の中にでも足を踏み入れたみたいだ。
ああ、間違いない。ザガンの領域だ。
そして、目の前には、音という音が死滅した『常闇の森』の、その最深部へ続く暗い道がぽっかりと口を開けるようにつづいていた。
その道は、寸分の狂いもなく磨き上げられた、黒曜石の石畳だ。
深く暗い森の中だというのに、道の上には落ち葉一つ、土くれ一つ落ちていない。
まるで周囲の木々や霧そのものが、この完璧な道を『汚すこと』を恐れて避けているかのようだった。
美しすぎるが故に、あらゆる生命を拒絶している。
まさにザガンの趣味そのものの道だね。
ここには「音」という概念が存在しないかのようだ。
風の音も、虫の声も、獣の気配も、何一つない。
この「完璧すぎる静寂」は、生命に対する明確な拒絶だ。
もし人間の魂がここにあれば、自分の心臓の音や血液が流れる音すらも「不純物」として消し去ろうとするこの森の圧に耐えられず、数分で発狂するだろうね。
時間感覚すら麻痺し始めた頃、ふと、目の前の霧が左右に「割れた」ように見えた。
いや、霧が晴れたんじゃない。
あまりにも巨大な『黒』が、霧を押しのけてそこに出現したんだ。
それは『門』だった。
大地から生える『深淵の玄武岩』を、寸分の狂いもなくくり抜いて作られた、天まで届きそうなほどの巨大な城門。
僕がその完璧に切り出された入り口に降り立つと、そこには二人の大悪魔が、まるで石像のように静かに控えていた。 ザガンに仕える腹心たちだ。
一人は、いかにも物腰柔らかな老紳士といった風情の執事。
その完璧に整えられた衣服には、一分の乱れもない。
「お久しぶりです、フェニックス様。主が最上階のギャラリーにてお待ちです」
そう言って彼は、胸に手を当てて深く頭を下げた。
その背筋は定規で引いたように真っ直ぐで、お辞儀の角度は分度器で測ったかのように正確無比な45度だった。
もう一人は、『生きた水銀』の侍女だった。
彼女は完璧な女性のシルエットを保っていたが、その実体は液体金属のようで、表面は鏡のように滑らかに揺らめいている。
顔にあたる部分には何も無い。
彼女もまた流れるような動作で、音もなく完璧なお辞儀をした。
僕は手土産を二人に渡しながら挨拶をする。
その時だった。
完璧な静寂を切り裂くように、足元の石畳の影から何かが噴き出した。
「ギャアアアアアッ!! 見つけたぞォォォ! 不死鳥の血だッ!!」
影から飛び出したのは、全身が刃物のような棘に覆われた『吸血の影獣』だ。
ザガンの結界のほころびから侵入したのか、あるいは僕の魔力に引かれて正気を失ったのか。
その怪物は、涎を撒き散らしながら、僕の喉元めがけて一直線に飛びかかってきた。
「その血を啜れば、俺も不死身に……ッ!!」
「やれやれ、またこの手のファンか」
僕は溜息をつき、指パッチン一つで黒焼きにしてやろうと右手を上げた。
だが、僕が魔法を発動するよりも、それは遥かに速かった。
――ヒュンッ。
風を切る音すら、しなかったかもしれない。
老紳士の執事が、ほんのわずかに手袋をはめた左手を振った。
たったそれだけの動作で、空中にいた怪物の体が、サイの目状に解体されて弾け飛んだのだ。
「この庭の害虫は徹底的に潰したはずなのに、まだ残っていましたか。……まったく、これだから下等生物の掃除は骨が折れる。 その浅ましいしぶとさだけは一級品ですが、美しくありませんね」
執事は冷徹に吐き捨て、ハンカチで手袋の汚れを拭おうとした。
だが、次の瞬間、彼の動きが凍りついた。
「……あ」
解体された怪物の破片の一つが、運悪く僕の方へ飛んでいたのだ。
即座に水銀のメイドが盾となって防いだが、彼女が弾いた飛沫のごく一滴……本当に針の先ほどの赤い点が、僕の白いコートの襟元に付着していた。
執事の顔色が、蝋人形のように蒼白になった。
その目は、まるで世界の終わりを見たかのように見開かれている。
「も……申し訳、ございません……ッ!!」
執事は悲鳴のような声を上げると、懐から磨き上げられた白銀の短剣を取り出し、迷うことなく自分の喉元に突き立てようとした。
それに呼応し、水銀の侍女が流れるような仕草で自らの腕を鋭利な刃へと変質させ、介錯のために無音で振り上げる。
「高貴なる御身に、このような下等生物の汚らわしい体液を浴びせてしまうとは……! この失態、万死に値します! 直ちに我が首を刎ねて、その鮮血をもってコートを美しい深紅に染め直させていただきますッ!!」
僕は慌てて、自害しようとする彼の手首を掴んで止めた。
ただの事故だし、気を付けないと分からない位の小さな飛沫だったし、そもそも返り血なんて僕の魔界で襲ってくる部下をシバいてたらドラム缶レベルで浴びてるんだよね。
なのにこの執事は、たった一滴の汚れで、自分の命をゴミのように捨てようとしている。
「アハハ! 汚れ一つで命を投げ出そうとするなんて、君の職務に対する気概は相変わらず素晴らしいね。 君のような素晴らしい部下がいて、僕はザガンが本当に本当に本当に羨ましいよ。 でも、そんな君に死なれたら、僕はこの城に来るたびに『優秀な執事を殺した薄情魔王』として、君の主人から恨まれてしまう」
僕は執事が握りしめた短剣をそっと押し下げ、ウィンクしてみせた。
「僕と友人の仲を裂きたくないなら、その命は美味しい紅茶を淹れるために取っておいてくれないかな?」
僕の言葉に、執事は一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、ほんのわずかに口の端を動かした。
そして深く、これまで以上に恭しく頭を下げた。
「……寛大なるお言葉、痛み入ります。こちらへどうぞ」
完璧な主従関係!
スマートな対応!
何より、執事の瞳には、一点の曇りもない敬意が宿っていた。
まるで美術館で至高の芸術品を前にした時のように、あるいは敬虔な信徒が神像を仰ぐように。
僕という存在そのものを尊び、その視線だけで僕の格を高めてくれるような、心地よい「崇拝」の眼差しだ。
これだよこれ!!
こういうのをやりたいんだよ!!
それに比べて僕んとこの大悪魔どもときたら!!
あいつらの視線ときたら、まるで視線だけで僕の服を脱がしてくるかのような、ねっとりとした湿度があるんだ!
いや、実際に見てるのは裸じゃない。
「肉質」だ!
僕が玉座の足を組み変えるたびに、あいつらの視線が僕の太ももに集中する。
そして荒い息遣いと共に囁くんだ。
「あのモモ(ふともも)……いい締まり具合ですわ。噛みごたえがありそうで、ゾクゾクしますわ……」
「さすがフェニックス様だ、今日もセセリ(首筋)ラインがそそられるぜ!手羽先の間接部分すら神々しい、どんな軟骨が詰まってるんだろう?」
「あのボンジリ(お尻)が私を狂わせる、タレまみれにしてむしゃぶりてぇ!」
「フェニックスのハツ(心臓)は私の物。異論は認めない。」
会話の内容は完全に場末の居酒屋のそれなんだけど、目が本気の「捕食者」だからタチが悪い!
純粋な食欲は、時として性欲よりも卑猥なんだよ!
Liner Notes
■Track 02
【分類】
[[3]:世界観設定] > [[33]:魔導・技術理論]
【日本語名称 / English Name】
世界構造と多元魔界論 / World Structure & Multiverse of Isekai
【概要 / Overview】
「魔界」を単一の空間ではなく、無数に存在する独立した異世界の総称として定義する理論。
この概念においては、人間界(地球)やフェニックスの故郷である「楽園」も、広義には魔界という巨大な集合体の一端(あるいは兄弟世界)として扱われる。
【特性・スペック / Properties & Data】
・世界の接触と位相(Gate Theory)
通常、異なる世界同士は干渉不能だが、位相のズレによって極めて短い時間だけ「穴」が開くことがある。
大悪魔以上の魔力を持つ者は、この穴を人為的に固定し、安定した通路としての『門』を作成できる。
・大悪魔の定義(Greater Demon)
魔界の住人の中でも突出した魔力を有する個体群。
多くの場合、その世界を支配する「魔王」や「神」に仕える要職(執事長など)を担っている。
・世界の重なり(Layered Worlds)
通常、世界同士は互いに干渉できないが、世界が重なり合った部分(位相のズレ)に極めて短い間だけ「穴」が開閉することがある 。
・門 (Gate)
大悪魔以上の強大な魔力を持つ者は、前述の自然発生する「穴」を人為的に操作・固定し、世界を行き来するための『門』を作成することができる 。
フェニックスとザガンの世界を繋ぐ移動も、この構造を利用したものである。
【特記事項 / Secret Note】
魔界の管理社会においては、稀に「力と地位が一致しない」という奇妙な逆転現象が起こる。
例えば、かつて一世を風靡した古い宗教の主神や、滅びた世界の元魔王などが、隠居や趣味のために身分を偽り、一般市民や平の部下としてしれっと紛れ込んでいるケースが確認されている。
彼らは総じて「世俗の面倒事」を嫌い、強大すぎる力を隠してしれっと日々の生活を楽しんでいるという。
Tags: #多元魔界論 #境界の開閉 #門 #大悪魔 #隠れ強キャラ注意




