017:魔王はイケメンの頬ずりに耐えられない
017:魔王はイケメンの頬ずりに耐えられない
SIDE フェニックス
翌朝、夜明け前の「陽だまりベーカリー」は、まだ薄暗いにもかかわらず、すでに活気に満ちていた。
パン窯から焼きあがったばかりのパンの香ばしい匂いが、僕の仮初の宿(犬小屋、トイレ横)にも漂ってくる。
僕は寝床から這い出し、ひよこボディを揺らしながらパン工房へと向かった。
ゲオルグはすでに額に汗を浮かべ、屈強な腕で巨大な生地をこねている。
その横では、マリアは手際よく具材を準備し、ミーシャは素早い手つきでパンを成形していた。
彼女の猫耳が時折ぴくりと動き、集中している証だ。
ユーリは居なかった、多分まだ寝ているのだろう。
そしてリーナは、竈から出したパンを一生懸命仕分けていた。
まだ、日も登り切らないくらい早いのに、働き者の家族だなぁ、と僕は感心する。
「おっ、ぴよ!起きたのか!」
ゲオルグが僕に気づき、巨大なパン生地をこねながら豪快に笑った。
僕は彼らの邪魔にならないように、工房の一角に陣取って、焼きあがったばかりのパンの匂いを堪能した。
考えてみれば、僕は結構長い人生ならぬ不死鳥生を生きているが、オープン前のパン屋に入るのは初めてかもしれない。
忙しく動き回る職人達、パン焼き竈から立ち込める焼きたてのパンの香り、僕は一日が始まる前のワクワクとした、この慌ただしくも心地よい朝の雰囲気に身を浸していた。
その時、パン屋の扉が開く音がした。
まだオープン前だというのに、だれか客が来たらしい。
「おはようございます!焼き立てのパンをいくつかいただけますか?」
どこか色気を感じる若い男の声だ。
その声を聞いた瞬間、リーナの顔が華やいで、飛ぶような勢いで店のカウンターへ駆け出した。
僕は面白くなりそうなので、慌ててリーナを追いかける。
店舗側につくとそこには、まだ半分も陳列されていないパンを前に、どれを選ぼうかと眉間に皺を寄せながら考える背が高い男と、カウンター越しにその姿をうっとりと眺めるリーナがいた。
その男は柔らかな皺ひとつない生成りのシャツに、落ち着いた色の細身のパンツを穿いていた。
その端正な顔立ちとすらりとした立ち姿は、とても絵になる美しさだ。
「おはようございます、ユリウス隊長!ちょうど今、新しいパンが窯から出たところなんです!すぐにお持ちしますね!」
リーナの元気な言葉に僕は目の前の男がユリウスだと認識した。
ユリウスと言う男は、僕の秘密の調査でリーナの憧れの人物だとわかっていた。
なるほどこんな朝早い時間にリーナと接触していたんだな、道理でその存在をつかめなかったわけだ。
「おはよう、リーナちゃん。いつものクリームパンと今日は出張なんで、途中で摘めるパンが欲しいんだ。」
ユリウスは、にこやかにリーナに返事をした。
「はい!!ちょうど『ふみふみ熟成ニャンドラゴラのグラタンパン』が窯から出そうなんです。すぐにお持ちしますね!!」
リーナは音すら置き去る勢いで工房へ飛んでいく、これが恋する乙女の力なのか!
もしかしたら、このユリウスからお願いしてもらえれば、リーナのクローゼットの件、秒で了承をもらえるかもしれない。
よし、ここは一つ、大人の交渉術というやつを見せてやろう。
僕はトコトコとユリウスの足元まで歩いて行って挨拶をすることにした。
ユリウスは僕の姿を見た瞬間、カッと目を見開き、体を震わせて固まってしまった。
「ひよこ?いや、子犬くらいあるぞ?なんでここに?」
ユリウスは僕を見て、信じられないという感じで口を手で押さえながら驚いている。
驚かれてはいるが敵意は感じないな、これは良い関係を築いて、あわよくばリーナにクローゼットの件で力添えをお願いできるかもしれない。
「はじめまして、ユリウス!僕の名前はフェニックス!昨日からリーナのパートナーになった者だ、よろしく頼むよ。」
そう言って僕は、名刺代わりに黄色いひよこのストラップを差し出した。
これは、僕がたまにビラ配りのアルバイトをしている雑貨屋の店長からもらった黄色いフェルト生地で作った僕お手製の特製ストラップだ!
ちなみに中身は捨てられそうになったクッションから抜いた綿を使用している。
原価はほぼゼロ!
名刺代わりの品として最高のコストパフォーマンスだ!!
これを受け取ってもらい、既成事実を作ってから「実は寝床の件で…」と切り出せば、リーナの憧れの彼からの助言としてクローゼット行きが決まるはず! 完璧な作戦だ!
僕が来るべき輝かしい栄光の未来に思いを馳せていると、ユリウスは見開いた瞳を限界まで大きくして驚いていた。
「ひよこがしゃべった!?」
そうしてその端麗な着こなしが崩れるのも厭わずに地面に膝をつき、出来るだけ僕と視線を合わせようと最後には肘までついて恐る恐る僕の差し出したストラップを受け取ってくれた。
「これは……君が?」
「いかにも。鍵とかにつけとくと良いよ、黄色で目立つから失くしにくくなる。魔王である僕が一針一針、夜なべして丹精込めて縫い上げた逸品だよ」
僕が胸を張ると、ユリウスはプルプルと震えだした。
ユリウスはストラップを両手で包み込むと、まるで聖遺物を拝領した信徒のように額に押し当て、恍惚のため息を漏らした。
「あぁ…こんな良い物をもらえるなんて、今日僕は死んでしまうのかもしれない…」
ユリウスはストラップを受け取ると、恍惚ともとれるため息を漏らしながら、それを大事そうに胸ポケットにしまう。
よし!受け取ったね!賄賂は成功だ! さあ、交渉のテーブルにつこうか!
そう思った瞬間だった。
ユリウスの両手が、震えながら僕の体を包み込むように掬い上げ彼の目線の高さまで持ち上げる。
「温かい、重い、かわいい」
語彙がなんか少ないぞ?
なんかとろんとした目が怖いんですけど、さっきまでの理知的な瞳はどこ行った?
「ほ、頬ずりしても良いかな?」
断ろうとも思ったが、今後の関係性を考えると拒否感を理性で蓋をして、ここは我慢の選択肢をとる。
「お、おう。その代わり、後で頼みが……」
そういって後悔した、少し鼻息を荒くしたイケメンが頬を赤らめながらゆっくりと顔を寄せてきたのだ。
「お、おふぅ!この柔らかな温かさ、信じられない……」
ユリウスが頬ずりするたびに僕のプライドが削られていく。
「この柔毛の質感…!まるで朝霧に濡れた極上のシルク…いや、天使の羽毛か…!」
ユリウスは頬擦りのどさくさに紛れて僕の羽毛に鼻をうずめて、フゴフゴと豚が鼻で匂いを嗅ぐように僕の体臭を堪能しはじめた。
「ああ……この温もり、この香り……! 僕の乾いた魂に、生命の鼓動が直接流れ込んでくるようだ……。尊い……あまりにも尊い……!」
詩的で、情熱的で、そして決定的に気持ち悪い賛辞が、僕の耳元で囁かれ続ける。
その端正な顔は紅潮し、瞳は完全にイッてしまっている。
もし僕が人間なら全身が鳥肌で覆われていただろう。これもクローゼットへの試練の一つ……そう言い聞かせ、僕は屈辱に耐えた。
「何をしているんですか?」
流石の僕の忍耐でも、あと一回の頬ずりで、蹴りを入れて逃げてやろうかと思ってたら、工房からお盆にパンを積んだリーナが信じられないといった雰囲気でこちらを眺めていた。
ピタッと止まるユリウス。 これ幸いと僕はユリウスの手から逃れ、リーナのレッグビューティー80点のふくらはぎの裏側へ全速力で飛んでいく。
あぁ、なんて頼もしいふくらはぎだ!レッグビューティーは上方修正で85点にしておこう!
「あははは……」
締まらない笑い声でごまかそうとしても、その端正な顔には、普段の冷静さからは想像もつかないほど、動揺の色が浮かんでいた。
Liner Notes
■Track 17:アイテム紹介(Item Introduction)
【分類 / Category】
[14:特殊食材・薬草]
【名称 / Name】
ニャンドラゴラ(Nyandragora)
【詳細分類 / Sub-Category】
ナス科ソラナム属・霊性変異種
【生息地 / Habitat】
怨念にまみれ非業の死を遂げた雄猫の体液が染み込んだ、湿った土地。
【外見 / Appearance】
猫の形をした奇妙な根菜。個体によってポーズが違う。
【概要 / Overview】
マンドラゴラの亜種とされる希少な魔植物。
引き抜く際に「ニャー」と、何とも言えない悲しげな鳴き声を上げるのが特徴。
この声を聞いた「猫派」の人間は、言いようのないやるせなさと虚無感に襲われ、半日ほどテンションが著しく低下(鬱状態)するという精神攻撃を受けるため、収穫には「犬派」の人材か、専用の聴覚遮断補装具が必須となる。
【調理・加工法 / Preparation】
何もしないままではアクが強く、泥のような苦みがあり食用には適さない。
美味しく食べるための唯一の加工法は、「雌猫に『ふみふみ(前足で交互に踏む行為)』をさせること」である。
ふみふみが長ければ長いほど、雄猫の怨念を浄化し、濃厚な甘みとコクへと変質させるのである。
美猫であればあるほど味に深みが出ると言われている、猫獣人でもそれは変わらないが、彼女たちはあまりやりたがらない。
【特記事項 / Secret Note】
陽だまりベーカリーでの取り扱い:隣のエルフの薬草屋から不定期に仕入れている。
ふみふみ熟成させたニャンドラゴラを使ったパンは、店頭に並ぶと秒で完売する幻の人気商品となっている。
Tags: #ニャンドラゴラ #ふみふみ熟成 #早朝のパン屋の舞台裏 #ユリウス隊長陥落 #最強コスパの黄色いストラップ




