第九話:仕掛け合い
「勝手にいなくなっちまったからけっこう探したんだぜ。ホント焦らすなよな……ってなんだ、それ?」
後ろから地下へ向かったはずの、気だるげそうなヤツの声が聞こえる。思わず振り返ると、そこには私服を着た三八が、懐中電灯を片手に立っていた。ちゃんとボーダー柄のTシャツと短パンの姿をしている。雰囲気も先ほどの鬼気迫ったものとは違って、飄々としたいつもの感じだ。僕の手にあるヘッドフォンが気になっているみたいで、ライトをこちらに向け怪訝な表情を浮かべている。
「それってなんかの部品か。どこで拾ったんだ?」
「え、拾ったもなにも三八が渡してきた物じゃん」
「は? オレが渡した? つまらない冗談はよせって。オレはそんな物知らないっての」
またしてもだ、まったく会話が噛み合わない。つい先ほどまであった出来事のはずなのに、おそろしく言い分がすれ違っている気がした。
これも一芝居のうちかと思い、すこし声を荒らげ追及しようとする。
「そっちこそからかうのはいい加減、大概にしてくれない? いちいち制服姿に着替えてまで脅かしたかったんでしょ」
初めのうち三八は懐疑的な面持ちで軽くあしらおうとする態度を見せていたものの、制服のことを話すとみるみるうちに顔色を変えて、うろたえた。血の気が引いたとはいかないまでも余裕そうだった面構えを引きつらせているふうに見える。
しばしの静寂のあと、それを打ち破るかのようにポツリとヤツは小声でつぶやいた。
「どうして……イッサはなんでオレが制服を着替えで持ってきているのを知っているんだ?」
「なんでもどうしても、そりゃ自分の前に制服姿でザッパが現れたからだって」
「それは、いやソイツは――たぶんオレじゃない」
その一言は僕の頭から尻尾の先まで、全身の毛を逆立たせるのに十分な威力を持っていた。
いったいぜんたいなにが起きたっていうんだ? 数分前の三八との一連のやり取りは生きている存在とのそれだったはずなのに。あれが幽霊とでもいうのか。手のひらは温かかったし、ちゃんと肉体として触れ合った感覚がいまだ残っている。けど思い返せば思い返すほど言動の不可解さが異常に映ったというのも事実といえば事実に思えた。つまりこの廃病院には三八が二人いて、それで、……どういうことなんだ?
「ぷッ、ヒヒヒ……なーんてな」
考えに行き詰まっていた僕へと、不意に小馬鹿にするようなヘラヘラ声が投げかけられる。正面に目を戻すと、ヤツはしてやったりとばかりにほくそ笑んでいた。まさか、まさか……。
「全部ドッキリでしたと言ったら、イッサはどうする?」
「うっ、嘘だよね ??? まさかここまで仕掛けに騙されていたってなったら自分、恥ずかしくて死んじゃいそうになるんだけど……」
「それがな~。ありがたいことにみごと引っかかってくれちゃって、こちらとしては大助かりってなわけさ」
「――――」
かまされた、再度してやられてしまった。おそらくこの廃病院の探検自体そもそも大がかりなドッキリだったというのが実態なのだろう。すべては放課後にこの誘いを断らなかった自分への報いなのかもしれない。よくよく考えてみれば三八のことだ。廃病院の噂だってその場即興での出まかせで、僕へ先入観を持たせるため仕組んだ罠みたいなものだったに違いない。それでみずからはぐれたフリをして、制服に着替えて一階に待機し僕を待ち構えていた。あとは思わせぶりなデタラメを一方的に言い放ち混乱させ、こんなヘッドフォンという小道具まで用意して退場したあと、たまたま探していて見つけたふうを装うためまた私服に着替え直したというのがことのあらましであるはずだ。
ロケーションの空気に呑まれて直感が鈍っていたという事実はあるものの、こんな小芝居に操られてしまったという現実が悔しくて仕方なかった。ああ、なんたる絶望。ここまでくると己の情けなさでロクに怒りを覚えることはなく、ただひたすらに悲しい。もはや恥ずかしさで紅潮するどころか真っ白に萎びきってその場にかがみ込んだ。
「そ……そんなあからさまにメソメソ落ち込むなよ ?! 一応、これはある意味サプライズでもあったんだって !!」
ここまで落としておいていまさらフォローするつもりなのか。ミジンコみたいなプライドをけちょんけちょんにへし折った張本人のくせして、生意気だ。
「ほ、ほら。そのヘッドフォン……みたいなの。よく似合ってんぞ? 流石オレが悩んだだけあるな」
ヤツは僕の手に握られていたそれを取り、首にかけてみせた。確かにサイズ感はぴったりですぐに身体の一部としてなじんだ錯覚さえする。
そういえばプレゼントだっていっていたような。サプライズってもしや、これを渡すためにあんな回りくどいことを仕掛けたとでもいうのか?
「このヘッドフォン、自分にくれるの?」
「ああくれるさくれるとも! 幼なじみとはいえ日頃の感謝を伝えなきゃなーって思ってさ、特注でカッコいいのをメーカーにオーダーメイドして作ってもらったんだぜ! イッサに合うようにな」
「ふーんそこまで計画していたんだ。じゃあさ――さっきずっと大好きだったって言ったのも日頃の感謝のうちってこと?」
その何気なく発した一言に反応して三八は唐突に凍りついた。調子こいてベラベラ喋っていたままの状態で石になったかのごとく、突如として固まってしまったのだ。客観的に見るとどうやらなにかしらにショックを受けたと思われる。もっともなにが原因なのかは皆目見当もつかないのだけれど。
ややあって――なぜかヤツは顔を赤らめモジモジしながら僕に尋ねてきた。
「お……オレっていつの間にそんなこと、言っていたっけ?」
「うん。すごくいい顔で大好きだった、って笑っていたよ?」
「ッ…… !!」
なんだか様子がおかしい。根っから余裕綽々だと思っていた三八が急に挙動不審になったというか、あからさまに恥ずかしそうな素振りを見せている。どうしたのか尋ね返そうとするのを遮ろうとしてか、落ち着きのない早口で噛みながらまくし立ててきた。
「あ、あれだかんな !! けっしてそういうその、その……とどのつまりいかがわしい“アレ”じゃなくて !!!! いわゆる世間でいうところのなんやらかんやらというか……ああ、アレだ! いわゆる親愛なる友人に向けての“好き”って言葉であってそれ以外のただれたカンケーとかそういうのとか望んでいるなんてことあるわけないから……、とにかく !! 誤解すんなよ !!」
「誤解もなにもザッパから言い出したことじゃんか」
「うるせぇ言ってくれるな !! オラ、とっとと行くぞコノヤロー !!!!」
「うわッ……ちょっと引きずんないでってば !!」
ヤツは僕のワイシャツの後ろ襟をふんづかみ階段を上がろうとする。真意がわからないのに納得する説明も与えてくれないまま場所を移してたまるかと必死に抵抗するもアホの馬鹿力は想像以上で、たちまちのうちに僕は引き上げられてしまう。
このままどこへと向かうつもりなんだろうか。わけのわからない状況には変わりないものの三八の豹変具合がなんだか面白くって仕方がなくて、もっともっといじってやりたいという気持ちが沸々と湧き始めていた。
ステンドグラスはよく光を通す。この部屋を彩るそれもまた例外でない。最上階の理事長室とかつては呼ばれていた書斎のような空間は、半ば荒廃の気配を見せながらも夕暮れの陽光が照って、どこか神秘的な風情を醸し出していた。
ヤツは奥の棚を物色しているみたいで、僕は机に腰かけそれを見守っている。
「お宝とか機密資料とかあると思ったんだが、つまらない本しか置かれてねーな」
「たぶん以前侵入した人らへんが全部持っていったんじゃない?」
「けーつまんねぇの。――それはそうと、存外マシな場所だろ?」
「うん。この建物の中で一番明るいところだね」
枯れ果てた観葉植物には、人の手が入ることのないまま約数年の歳月が経過したことを示す独特の侘しさがあった。この廃病院が経営されていた昔ありし日の面影は、ほんのすこしだけこの場所に保たれている。それがなおさら、時間の流れの残酷さをまざまざと見せつけているかのように思わせた。
…………。
現在僕の頭には、ある一つの邪な考えがある。もしこのタイミングで絶交を切り出したら三八はどんな表情を見せるだろうか。これは好奇心に駆られたある種の衝動だ。いや――魔が差しているという表現が今は正しいのかもしれない。先ほどのリアクションといい、ヤツにも脇が甘い部分があることは確かだった。それがいまだにどこなのかはわからないものの、縁を切ると言い出すだけでだいぶ揺さぶりをかけることができるのは想像に難くない。なにせ僕に執着しているのはあちらのほうなのだから。今日だけで二度三度も仕掛けてきた相手にこちらが一矢を報いたとて、たいした罪にはならないはずだ。ここは一度ギャフンといわせる必要があるし、実際そうしてやりたい気持ちが僕の中で滾っていた。いったんお灸を据えてやれば多少は無茶苦茶な行動を改めて自重する可能性だってあるに違いない。よし、ここはズバッとキッパリ言ってやろう。
ぶちまかす決心を固めた僕は奥の棚を漁っている三八に声をかけようとして、あれっと気がついた。また知らないうちにいなくなっている。下を向いて企みを巡らすあいだに移動したんだろうか。まったく神出鬼没なヤツだなと思って正面を見回すも姿は見つからない。どこに行ったのか感覚を研ぎ澄ますと後方から気配がする。身をよじって振り向こうとした刹那――いきなりその気配の主に抱きつかれた。
「うわっ――ちょ」
「フー、フー……」
ヤツが僕の耳元へと息を吹きかけてくる。温かい……というよりもはや熱い。三八の匂いがふわっと鼻先に漂いなんだかとても懐かしい気分にさせられる。突然の出来事に僕はといえば思考停止して、されるがまま呆然とハグを受け入れてしまった。
三八ってこんなにホカホカしていたんだ。男同士で恥ずかしいはずなのに、なぜだかすごく落ち着いている自分がいる。このまま眠ってしまってもいいぐらい心地良くて、でも――。
「暑い……暑苦しいってば !!」
流石の熱さに堪えかねて、体をひねりやっこさんを払いのけた。
季節は夏だ。冷房なんて通っていない廃墟はただでさえ蒸し暑い空気が充満しているのに、毛むくじゃら同士が抱き合うだなんて自殺行為でしかない。熱中症になったらどうするんだ。
ふり払った勢いで三八は床に尻餅をついた。反射的に突き飛ばしてしまったことを謝るため駆け寄ると、頬を赤く染めトロンとした瞳でこちらを見つめている。荒い呼吸といい脱水症状が頭をよぎり、大丈夫か声をかけようとしたところで僕は押し倒された。
なにがなんだかわからないなか視線を眼前に戻す。ヤツとの距離はほとんどゼロに等しい。
気迫に圧され二重の意味で身動きが取れずただじっと見上げていると、三八は照れ臭そうに視線を逸らしこうつぶやいた。
「オレさ……もう、我慢できない」
「我慢できないって大丈夫なの?」
「全然大丈夫さ。……なあ。キスしても、いいか?」
「えっ」
キスって……僕と?
思考がまるで追いつかない。むしろ理解を拒もうとする僕すらいるような気がする。
いつの間にガッチリと腕を握られ逃げられやしないこのシチュエーション。拒否する権利がとうに与えられていないのは明白だ。――どうすればいいんだろうか。
僕たち二人だけの最上階。そこにこだまするのは、静かに息をする放心した一匹の黒猫と、肩で息をする飢えた一匹の白い狼の、非線形同期の呼吸音だけだった。




