第八話:もう一人の三八
一階と二階とを結ぶ階段の踊り場に、ソイツはたたずんでいた。
手には懐中電灯を持っていないように見える。この薄暗がりのなか、驚かせようとするためだけに一人待っていたとでもいうのか。
けど、ヤツは制服姿をしていた。稲根川駅で落ち合ったときから三八はあの私服を着ていたはずだ。わざわざ着替えたのか、なんのために? 現状に混乱して固まっている僕を、無表情のまま階下のソイツは見上げている。
この奇妙極まる状況をどうにか理解しようと、すでに止まりかけの脳が回転してある一つの見解をひねり出した。この三八の正体はヤツの姿を模した幽霊であるという仮説である。
きっとこの廃病院でのさばっていた汚れた魂が、気まぐれに僕を脅かそうと同級生の風体をコピーして一階に現れたというのが概要だ。けど擬態の精度が悪いのか情報が少なかったのか私服姿をマネすることができず、仕方なく制服を着た状態で化かそうとしたのだろう。
おそらく幽霊であるゆえにライトを点けずとも暗闇には慣れていて、懐中電灯を手元に用意する必要がなかったに違いない。がしかし僕の目がそこまで節穴でなかったのが運の尽きだ。長いあいだ共に行動している幼なじみの特徴を、一番よくわかっている相手に下手くそなマネなど通用しない。お前の正体は、まるっとお見通しだ!
「……ひぃいッ ?!?!」
自分から結論を出しておいて文字どおり腰砕けになるというのはなんとも情けないことではあるのだけれど、今の僕にはそれもやむを得ない衝動だった。なぜなら当方、生まれてこの方お化けの類を見たことがない。それがとうとう見てしまった、大変なものを見てしまった。しかも幼なじみにそっくりな幽霊を。崩れるかのようにしてその場でへたり込み、懐中電灯を手から離してしまう。全身が、いわゆる金縛りにあったみたいに動かない。指先一本とて力がうまく入らないうえに腰が抜けたのか身じろぎすらままならなかった。身体をなんとかしようと僕が悪戦苦闘している最中にも制服姿の三八の幽霊はカツンカツンと階段を上がり近づいて来ようとしている。ヤバい、僕は殺されるのか。発汗機能がバカになってしまったかのごとく体が冷や汗をかいているのがわかる。どこにいるかわからない本物の三八へ助けを呼ぼうにも喉は震えず、こひゅーこひゅーと過呼吸の音を漏らすばかりだった。誰か、誰か助けて……。
いつの間にやら僕は泣いていた。唯一自由の利く瞳で正面を向くと、三八の幽霊が着ているズボンがはっきりと目に映った。ああ、頭から喰われるのか。それか取り憑かれて本当の三八もろともこの廃病院で死に絶えるのか。なんにせよ、短い生涯だったな。まだ見えぬ走馬燈を待ちながら人生の仕舞際に省みるようなことに思いを巡らせていると――おもむろにポフッと手を頭の上に置かれた。
「驚かせちゃってゴメン。久しぶりだな、イッサ」
手のひらから伝わってくるのは、まぎれもなく血の通った生き物のぬくもり。
耳元に響くものは、まごうことなき幼なじみの優しい声。
それがわかった刹那、安心から僕は声を上げて泣き出した。
「おいおい、そんな泣くなって。泣きたいのはこっちのほうなんだからさ」
「だって……ひどいよ !! いたずらにしてもあんまりがすぎるよ !!」
「そうか、イタズラか。ホントにそうだったらよかったんだけどな」
三八はそのまま屈み僕をあやすかのように頭を撫でて労わるかのように腰をさすってくる。
いつもならボディータッチに心底うんざりしていたはずなのに、このときはなぜだかひどく愛おしくてたまらなかった。
「どうだ、落ち着いたか?」
「うん。もう大丈夫」
僕らは二階の階段口で手すりに寄りかかり、二人並んで立っている。腰に力が入らなかったのも三八のおかげでどうにか元に戻った。どうしてかわからないのだけどほんのすこし違和感というか、僕が小さくなったような感じがする。いや三八のほうが大きくなったのだろうか。隣のソイツは声質が和らぎどこか垢抜けている気もした。
正面をライトで照らしていると、ふと問いただしたいことが山ほどあることを思い出す。
「あのさ、いろいろ聞きたいことがあるんだけどちょっといい?」
「いや。ちょっとそれは難しいな」
いきなりけんもほろろにつき返され、えぇっとなるけれどここは尻込みせず疑問をどんどんぶつけていこうとした。
「なんで一階にいたの?」
「教えられない」
「どうして懐中電灯も持たず暗闇で待機していたの?」
「答えられない」
ことごとく取りつく島もない返事をされ、ややむっとする。
「制服に着替えたのには、なにか理由が?」
「逆にイッサはどう考えている?」
「それは、その……」
突然質問を質問で返されて、すこしギクッとしてしまう。三八の意図しようとするところがまったく呑み込めないけれど、とりあえず想像力を働かせそれらしい返答をする。
「水が溜まっていた場所に足を取られてずぶ濡れになったから代わりとして制服に着替えた、ってのは?」
我ながら安直な返しにもっといい回答があるだろとツッコミを入れながら反応をうかがう。
「なるほど、イッサはそう考えたか。――ならそれでいい」
あたかもヌカに釘みたいな返しをされ頭に血がのぼってゆく僕を気にすることなく、三八は身をかがめリュックからある物を取り出した。いまさらライトの予備を用意するのだろうか。
「え。…………、なにそれ」
三八の手にした物はヘッドフォンだった。いや、ヘッドフォンにしては不思議な形状だ。
まるで動物の頚骨を模したかのようなヘッドバンドには、見たことのない材質が用いられていた。イヤパッドが存在しない金属製の大きな本体に片側だけメーカーを表しているであろうマーク、というより魔術的な要素を思い起こさせる紋様が刻まれている。動脈と静脈みたいな赤青の二重螺旋構造を象ったケーブルが樹脂で固められており、一方その先端には金メッキの施されたごく一般的なイヤホンジャックが取りつけられていた。
いったいどこでこんな代物を手に入れたのだろうか。ヘッドフォンという音響機器にしては素人目にもかなり特殊で、とても高価そうに見える。
「これ、さっき拾ったからイッサにやるよ」
「拾った、……ってこの廃病院で?」
「ああそうとも。きっと気に入ると思ってさ」
ここまできてようやく三八の言動がおかしいことに気がついた。幽霊でないとわかってから涙を流し心を許したものの、先ほど覚えた違和感といいコイツはなにかおかしいと確信する。
「三八。お前、なにか隠し事してない?」
そういうとヤツはギクリと不意をつかれた様子で、露骨に僕から目を逸らしごまかす素振りを見せる。ほらやっぱりだ、ウソを貫き通すにはまだまだ甘ちゃんだっての。
「見抜かれてしまったようじゃ、しょうがないな……でも――これだけは言わせてくれ」
唐突に三八は改まって姿勢を正し、表情は真剣そのものに語りかけてきた。
「オレはいつだって少なからず嘘を吐いてしまっている。けれどそれは、いつだってイッサを傷つけたくないがゆえに言葉を選んでいるからなんだ。どうか――わかってほしい」
いつかあったかのごとくやたらもったいぶってなにを話すのかと思いきや、開き直りにしか聞こえないことを口にされて拍子抜けしてしまう。なんだ。結局のところ単純にからかいたいだけなのか。若干の軽蔑を抱きつつ肩すかしを食らいつつ、こちらもなにか言い返そうとしたところでヤツは先ほどのヘッドフォンを強引に押しつけてきた。抵抗する間もないまま僕へとそれが手渡されて、三八はこう続ける。
「そのヘッドフォンはオレからの最後のプレゼントだ。形見だと思って、大切にしてくれ」
「形見ってそんなまた大袈裟な……いったい、さっきからどうしたっていうの?」
「それは、――いずれわかるさ。とにかく大事にしてくれると嬉しい」
唐突な畳みかけに整理が追いつかず混乱していると、ヤツは元いた一階へ降りようとしてか背を向け歩き出した。無意識にあとをついて行こうとするなり、手を後ろに回してまたしても制止させられる。
三八は前を向いたまま、消え入るような声でつぶやいた。
「オレはこれから地下に向かう。絶対にイッサは近づくな。そして――できるかぎりここから離れろ」
「え……、一緒に探検するんじゃないの」
「探検はもう終わりだ。いいから逃げて、生き延びるんだ」
当初計画されていたなにかもを否定されここから一人で脱出しろと一方的に促されて、僕の脳内はハテナマークがいっぱいで破裂しそうになっていた。もはやなにを聞き出すべきかさえわからない。ただ、目の前で地下へ行こうとする三八には別の目的があるように感じられた。
踊り場に差しかかったときふたたびヤツは立ち止まって、こちらを振り向く仕草をみせる。なぜだかそれを見たらもう二度と会えない気がして、ビクッと身体が反応した。
「本当の本当に最後なんだけどさ。オレ、ずっとイッサのこと大好きだった。……じゃあな」
そういい三八は僕の懐中電灯の明かりから離れ――姿を暗闇へと溶かしていった。
去り際にあったのは、大好きな表情。ニヤニヤしたいつもの顔ではなく屈託のない笑顔だ。どうして黙っていたのに知っていたんだろう。
また一人ぼっちになった僕は、見た目とはうらはらに妙に軽いヘッドフォンを握り締めて、いましがた起こったことがなんだったのかわからないまま、ずっと立ち尽くしていた。
「はー、やっとみっけた。どこに行ったかと思えばこんなところでなにしてんだよ。イッサ」




