第七話:いざ廃病院へ
「ここが、目的の場所?」
「おうそのとおり。いわゆる廃病院ってやつだ」
僕たちは現在、フェンスに囲まれたずっと先の廃墟を見ている。十一階建てか、林を抜けてこんなに立派な建物が待ち構えているだなんて予想だにしなかった。総合病院だったみたいで敷地面積も広いように感じる。
「聞くところによりゃ、なんでも怪しい治験を秘密裏に行っていたとか隠蔽沙汰が多数あったとか、とにかく経営していた当時から悪い噂が流れていたんだと。廃業したのも八年くらいも昔だってよ」
「ふぅん、けっこう古いんだ。そういうネタって毎回どこで手に入れているの?」
「お。いい質問だな、ちょっと待ってろ」
そういい三八はナビ代わりとして持っていたスマホをわざとらしく見せびらかす。ネットで仕入れた知識とでもアピールしたいのだろうか。
「実は廃墟マニアが集まる電子掲示板があるんだ。今はだいぶ下火だけどそれでも活きのいい情報は、いつもここに通って入手しているのさ」
煌々と輝く画面には『廃墟好きが集まるスレ その 51』のタイトルに延々と続く書き込みがびっしりと表示されている。ネットの掲示板にはあまりいい印象を持っていなかったけれど、確かにこれは面白そうに思えた。
「へー、こういうのがあるんだ。三八もなんか書き込むの?」
「いや~オレはもっぱらロム専かな。前に調子乗って議論に入ったら、話が高度すぎて着いていけなくてさ」
「“ろむせん”ってなんのことかサッパリだけど、大変そうなのは伝わったよ……」
三八はスマホを顔の前に戻し、機嫌が良さそうに鼻歌しながら指先でスクロールする。
「そんでなんでこの廃病院を選んだかってことなんだが、どうにも地下がヤバいらしいんだ」
「地下?」
「ああ。まあ病院だから霊安室や解剖室があるだろうな」
霊安室、解剖室。……単語だけでイヤでも頭に“死体”のイメージが浮かぶ。あれか、例のごとく今年も心霊的な曰くのある廃墟巡りになるのか。いくらなんでも懲りなさすぎだろう。
「おおっと、そんな表情するなって。今回は幽霊を探しに行くわけじゃないぜ」
「え。他になにかあるの?」
「話は最後まで聞けよ。ここからが重要なんだ」
「はぁ……」
てっきりアホのことだから去年の夏と同じく肝試しに誘ってきたとばかり思っていた。けどあらためて考えてみるとその場合であれば通常夜間に行うのが恒例なので、あえてこの時間帯を選んだという背景にも理由があるのだと推測してみる。三八の目的はなんなのだろうか。
「最近の書き込みで一つ気になる記述が目に入った。 “地下から謎の異音がする”――と」
「それってあからさまに怪現象じゃん」
「待て待て。どうにもその異音というのがなにか機械の作動音っぽくってな」
「えっ」
いきなり予期していなかった言葉が飛び出してくると人は案外簡単に驚くものだ。いかにもオカルトめいたスポットに“機械”なる不似合いな物体があるかもしれないというケースは、初めて聞く。
「たぶん変電装置が発する稼働音なんかじゃないの、ほら病院だしさ」
思わずもっともらしい方便が口から飛び出してきて、茶を濁そうとした。
「んなわけあるか。とっくのとうの昔にここは放棄されているんだぜ、今は電気なんざ通っていやしないだろ」
「あー……そりゃそっか。でも、いったいなにが動いているんだろう?」
僕のその一言にヤツはこちらへ目を向け、ニッと牙を見せ不敵に笑いかける。
「今日はそれを、確かめに行くってわけさ」
琥珀色をしたオオカミの瞳はあふれんばかりの好奇心にメラメラと燃え、たゆたっていた。
コイツは本気だ。それがヒシヒシと伝わってくる。小学生の、無邪気に遊んでいたあの頃を思い出す。
「地下に行こうとした投稿主は、侵入したのが深夜だったこともあって逃げ帰ったんだとさ。おおよそ怖気づいておちおちしていられなくなったんだろうな。けどオレらは二人で、しかもまだ明るい」
「つまり日が落ちる前に謎の機械の正体を暴いてやろう……ってこと?」
「そうさそうだ! なんせこういうのは早い者勝ちだかんな、ぼんやりしてらんねぇ」
ああ――やっぱり三八はすこし背が高くなっただけで中身は子供のままなんだと納得する。
その事実が僕にとっては変わらないことへの安心なのか、変わらないがゆえの失望なのか、よくわからなかった。
「軽く作戦を話すとまずこのフェンスを越えて内側に入る。廃病院を取り囲むように有刺鉄線があるから気をつけろ」
「うわ、ホントだ」
相当の高さがあるフェンスの上で、ぐるぐる巻きに張り巡らされたトゲトゲの鉄線が侵入者を拒絶している。訳アリの施設だったという悪名も本当みたいだ。
「つぎに病棟右側にある割られた窓からロープを使って、二階へと侵入する。表玄関は完全に封鎖されていて入れない」
「ちょっと。自分にロープを登れるほどの力はないよ」
「安心しとけ、オレが先にロープを渡してイッサを引っ張り上げるから待っていろ」
普段はふざけているとしか思えないのにこういうとき頼もしいのは、なんかズルいと思う。
「病棟に無事忍び込めたら二階から順に最上階を見て回る。一階と地下は最後にとっておく」
「デザートじゃないんだから……先に目的を果たしてから上階に登ってゆくのがいいんじゃ」
「それだとせっかくの探検が台無しになっちまうじゃねぇか。いい加減イッサも物事の醍醐味なるものをわかれって」
そんな醍醐味がわかるのは三八一匹だけで十分な気がした。この作戦といいだいぶマニアに毒されているのがわかる。確実に片足はつっ込んでいるみたいだ。
「そんじゃ一通り説明も終わったことだし――日が暮れる前にさっさと行きますかッ」
「あっ、えぇ……ま、待ってってば !!」
三八は突然ピョンッと空中に身を浮かせたかと思えば、スケボーを片手に抱えたままで軽々ヒョイッと一回転して有刺鉄線を跳び越えた。スタンと着地してフェンス越しに僕が来るのを待っている。
ザッ
「ほら。早く来いよ」
「わ、わかっているって……」
わたわたと焦りながら網目に手足をかけ、なんとかまたごうとする。トゲトゲに触れるまいと気を取られていたらバランスを崩し、足を滑らして背中からドスッと地面に落っこちた。
「――イッサってそんな運動オンチだったか? ネコ獣人なのに背中から落ちるって、フツーないだろ」
「いてて……ザッパの運動神経が良すぎるだけだと思う」
幸い、背負っていた指定カバンの中身がクッション代わりとなって今回は打ち身にならずに済んだ。おそらく教科書は無事じゃないだろうけど、身を起こし三八のあとに続く。
「まだ明るいけど、やっぱ出るのかな」
「ん、なにが出るって?」
林から離れるにつれ、さっきまでやかましかった虫の鳴き声もだんだんと遠ざかってゆく。
「その……、廃病院だからお化けとか」
「少なくともイッサと一緒のときは見たことがないな、一応」
(なんでこんな含みのある言い方するんだコイツ)
そういえば三八に霊感があるのか聞いたことはおそらくなかった。いや、かなり前に聞いた覚えがあったかもしれない。でも忘れてしまったようなそうでないような。もしそもそも霊感があるのならばオカルトに興味を持つこと自体ありえないだろう。たんなる怖いもの好きか、はたまた廃墟マニア見習いか、それとも――。
「おし、ここから入り込むぞ」
目の前の足がふとその動きを止めたので視線を正面に戻せば、ヤツはリュックから太い縄を取り出していた。よくよく見ると先端に鉤爪みたいなものがついていて、忍者かよとツッコミを入れたくなる衝動をこらえる。
「……それ、自作なの?」
「いいや? テレビ通販で売っていたから面白そうで買ってみたんだ。品質保証ってので案外丈夫なんだと」
「よく親に反対されなかったね……」
「まあな。おーらよっと!」
三八は縄の先っぽを勢いよく回転させ、弾みをつけ投げ込んだ。見上げれば二階の割られた窓に鉤爪は吸い込まれていき、どこかに引っかかったのかカコンと奇妙に響いた。やっこさんは縄を手繰り寄せ、どうやら手応えを確認しているみたいだ。
「よしうまくいった。先、登るわ」
そういうと三八はリュックにスケボーを入れ、縄をつたいスルスル二階に上がっていった。昔から木登りや登り棒の類が得意だった印象があったけど、衰え知らずとはまさにこのことかと、一匹呆然としてしまう。
「おーい、着いたぜ着いたぜ」
上からの声にハッと我に返り、縄の端を両手で握って返事する。
「ロープつかんだよ。上げられそう?」
「おーっし、任せとけ。引っ張るぞー」
縄が引き上げられると同時に靴が徐々に地面を離れ始めた。背伸びの状態がしばらく続き、僕の体はとうとう宙ぶらりんとなる。しだいに上階へと近づいてきて、窓縁までたどり着く。どうにか建物に入ろうと足をかけゆっくりふんばると、やっとこさ立ち入ることに成功した。
ヤツは、三八は無事だろうか。床に散らばったガラス片が踏まれてパキパキと音を立てる。
「へぇ……、へぇ……」
僕が降り立った部屋は六つほどベッドが並ぶ一般の病室だった。その奥で――オオカミ獣人が一匹、縄を持ち苦しそうに息を切らしてヘタっている。三八だ。
(やっぱ無理してたんじゃ)
背中をさするため近寄ろうとすると手でちょっと待ったと制止させられる。息が整ったのか一呼吸おいてから話し出そうとする動作をとり、口を開く。
「へへ、イッサって想像より重いのな……油断していた。手間を取らせちゃったらゴメンな」
「いいやむしろありがとう。たぶん、重いのはカバンのせいもあるかもしれないや」
「あーどうりでやけにキツかったわけだ。ちゃんと持って帰っておけよ、まったく」
いつかのように、僕らは疲労困憊して互いに笑い合う他なかった。
古びたマットレスからは独特の臭いがして、放棄されていてもなおここは病院だったのだと認識させられる。けど身構えていたよりずっとマトモらしい雰囲気で、拍子抜けとはいかないまでもどこか安心したのは確かなようだった。
「そんじゃ小休憩も挟んだことだし、探検開始といきますか」
縄を八の字巻きに畳んでリュックサックにしまい、換わりにやっこさんはいかにも高そうな懐中電灯を二つ取り出しよこしてくる。
「これって……ホームセンターなんかで見かけるめっちゃ明るいやつか」
「そうとも、装備に抜かりは禁物だからな。絶対に失くしたりすんなよ?」
「い、言われなくてもこんな大きいもの落とさないって」
「さて。どうだか」
病室を抜け廊下に出ると外の明かりがほとんど届いておらず、湿っぽさと仄暗さが空間全体にはびこっていた。早速、支給されたすごい懐中電灯の出番のようだ。ボタンを押しライトを点けると、暗闇が逃げていくかのように一直線の光の筋が照射される。
「うおっ。明るいってよりはもはや眩しいね」
「ややオーバースペックだったかもな。それはさておき、私の知人の体験談なのですが……」
「ちょっ、洒落になんないくらい怖いからやめてよ !!」
三八は自分の顔をライトで下から照らし出し、どこぞの怪談師みたいなモノマネを始めた。顔の輪郭における陰影がモロに浮かび上がって、一瞬だけなら新手の妖怪かと見間違える獣人続出待ったなしだと思う。
二人で病室を照らしながら廊下を慎重に歩き、病院にはありがちな長椅子と旧型のテレビが設置されたナースステーションと思しき広めのスペースに突き当たった。もののみごとに窓口のガラスがカチ割られている。中をよく覗いてみれば散乱したファイルが砂汚れでぐずぐずになっていたり棚がやたらめったら倒されていたりと、ひどい有様だ。前に侵入したという人の仕業か、もしくは不良が暴れた形跡か。
「ねぇ、これ……ってあれ?」
振り返るといつの間にもう一つの光が消えていた。いや違う、ヤツの気配がここよりいなくなっているのがわかる。つまるところ僕たちは、はぐれてしまったのだろう。…………。
(勘弁してよ)
必死に聞き耳を立てて、三八がどこにいるのか探し出そうとする。これじゃ迷子だ、半べそをかく年頃でもないけれど場所が場所なだけあって心拍が早まるのを感じた。どこだ、どこに行ったんだ。
タタッ
僕は耳にその微かな振動を捉えた。明らかに生き物が発する音、しかも野良ネズミなどではなく人型の生物が小走りしたような音だ。鳴った方向へと懐中電灯を片手に走り、急行する。階段の入り口前まできて、ようやくあれっと僕は立ち止まった。
おかしい、階下に人の気配がある。三八は上階から順番に回るつもりだと先ほど言っていたはずだ。じゃあいったい誰が? ヤツは気が変わったのか?
おそるおそる階段の下に懐中電灯を向けときどき三八の名前を呼び反応があるか確かめる。
コツコツ
ふと、足音がした。音を立てる主がこちらに上がろうとしているのがわかる。きっと三八が脅かそうとしているだけだと信じていても、なぜこうも心臓がバクバクといっているのか。
とうとう階段の踊り場に、人影が姿を現す。
「あっ……!」
その正体は制服を着た三八、そのものなのだった。




