第六話:道中
ガッシャーン!
「ヒャーハッハッハッ !!!」
おかしくて仕方がないような狂った笑い声を、ヤツは身をよじるようにあげている。全身を打ったのか痛い。ひたすら痛くて飛んでいた意識が醒めた。脳みそがぐわんぐわん揺れうずく感覚と、俗にいわれる頭上でお星さまがキラキラ光る現象が同時に襲ってくる。視界がまるでままならない、僕はどこまで突き飛ばされたのだろう。悲鳴をあげる背中の筋肉に力を込め、いったん目を閉じ仰向けの姿勢から起き上がろうとした。
パサッ。顔になにか当たってこすれる音がする。おもむろに瞳を開くと、眼前にはピンぼけした緑色の葉っぱがあった。どうやら僕は植え込みに頭から落っこちたみたいだ。打撲ぎみでしびれうまく動かない腕を使いどうにか抜け出す。すり傷はたいしたことがなさそうなものの打ち身のせいで体はガッタガタだ。体勢を変えようとするたびに鋭い痛みが走って、変な声をあげそうになった。三八はどこだ。なんでこっちに突っ込んできたんだろうか。やっとのこと立ち上がって、その姿を探す。
「…………」
先ほどまで笑い転げていたような様子と一変して無表情のまま虚空を見上げ、仰向けのまま固まっているアホが道路を挟み反対側にいた。三八は打ちどころが悪くてその場から動けないんじゃないかと考え、無理してフラフラと駆け寄る。
「ねぇ三八、しっかりしてよ」
「なあ――さ」
僕には一瞥くれず、何事もなかったように三八はすくっと上半身を起こして続けた。
「イッサにぶつかったら面白いと思ったんだけど、存外つまらなくて痛いだけだったわ」
そのセリフの意味を呑み込むのにはやや時間を要したものの、すぐさまマグマみたいな怒りが己の中でフツフツと煮えたぎってゆくのを感じた。野郎は目の前で平然として頭をポリポリかいている。
「でさ、廃墟のこ――」
「……てめぇ」
気がつけば僕は、痛むのも気にせず三八の胸ぐらをつかんでいた。当の本人はかなり驚いたのか、ひどく呆然としている。これ以上は手が出ないように必死に感情をコントロールして、なにをいうべきなのか言葉に迷う。
「お前さっき追突したのもふざけ半分でだったわけ? そろそろいい加減にしてくれない?」
「もしかして怒って」
「見ればわかんだろ」
ここで初めてヤツは申し訳なさそうな表情をして目線をそらした。尻尾を丸めているのは、僕が無意識のうちに威嚇のポーズをとっているからなのか。耳を伏せ牙を剥き低くうなり声をあげる小さな黒猫は迫力に欠けていても、その怒気は十分に相手へと伝わることだろう。
三八は自己弁護じみた申し立てを、ポツリとつぶやいた。
「イッサなら、大丈夫だと思ったんだよ」
「なにが大丈夫だっての」
根拠に乏しい言い逃れはこりごりだ。もし車が走ってきたらどうするつもりだったんだ、とこれ以上の釈明を許さんとばかりに追及しようとしたところで――ヤツは悪びれることなく、次なる言い訳を重ねてきた。
「廃団地から落ちたときだってなんだかんだ助かっただろ。……だから、こんぐらい平気だと思ってさ」
これが的確さを欠いた言い分なのはわかっている。もちろん、誰が聞いたってそうであると感じるはずだ。けれどなぜか、毒気を抜かれてしまいなにも言い返せない自分がいた。
スタッと身を翻しヤツに覆いかぶさるのをやめ、植え込みに放りっぱなしにしていたカバンを拾いに背を向ける。
「おーい、怒ってんのか怒ってないのかハッキリしろよー」
「うるさい、どうでもよくなったってだけ。早く案内して」
やはり三八の前で怒ると、どうしてかいつも辛抱ならない。強い西日が照りつける道路には人影はほとんどなく、また車もまったく通っていなかった。人っ子一人とていないはずなのにどうにも恥ずかしい理由は、現在の僕にはわからない。ただあらためて三八と縁を切りたいと強く思ったのも、また事実のようだった。
「――でさソイツったら教室中にワックスぶち撒けちゃって、教師に怒られてやんの」
「ふーん。いわゆるドジっ子ってやつか」
「しかも教師のほうも足元が不注意で、ズルッとすっ転んで全身ワックスまみれってわけ」
「……さぞかし落とすのが大変だったろうね」
どうでもいい他クラスでの出来事をくっちゃべりながら、駅からかれこれ三十分ほど僕らは歩き続けていた。そんな遠くないぞといわれていたものの、図書室にカバンの中に詰め込んだ教科書類を置いていくのを忘れていたせいで地味にキツい道のりになりつつある。そんな一方ヤツはといえばコーンポタージュ色と白のボーダーのTシャツと黒短パンに、リュックサックを背負い手にはさっきのスケボーとスマホとかなり身軽そうだ。なんでスケボーなんか持ってきたのか尋ねると、本人曰く
「そりゃあ、イッサをびっくりさせたかったから」
と臆面なくいうのだから救いようがない。これから廃墟に挑むのに軽装備なのは少なからず心配なポイントでもあった。まあ、制服姿のままついてきた僕がいえたものではないのだけど。
あたりの風景はポツポツと住宅が立ち並ぶところから木々が生い茂る小さな林へとその様相を変えつつあった。しばらくして『関係者以外立入禁止』と定番の九文字が書かれた朽ちかけの標識と虎柄のロープで道が通せんぼされていたものの気には留めず、くぐるなりまたぐなりして先へ急ぐ。
「そういえば」
ふと、あのときのことが思い起こされる。三八はナビの画面から目を離しこちらを見てきた。
「廃団地に忍び込んだときにもこんな感じで立ち入り禁止の看板があったよね。ここみたいにロープじゃなくてバリケードでふさがれていたけどさ」
「お、懐かしいな。あんときのオレたちってヤンチャ盛りだったよなー」
「……ここでそれいう? そもそもこれからやろうとしていること自体がヤンチャの極みだと思うんだけど」
真夏の林の中はかまびすしい虫の声がこだまし、かえって風の通り抜ける音だけが耳に残る。
三八が家から拝借してきたという虫除けスプレーで体全体を徹底的にガードしているため、蚊やアブが寄ってくる心配はない。森林特有のにおいが、舗装が荒れ始めた道なりにつれ濃くなってくる。
「しっかし、イッサが屋上に行こうと言い出したときはホント驚いたぜ」
「うん? どういうこと?」
廃団地の屋上でのバカ騒ぎが脳裏で再生された。そして、その果てに落ちてしまったことも。
「だって普通のタマならあんな禍々しい鉄柵があるとわかった時点でソッコー尻尾巻いて帰るだろーに。大きな札付きの朱塗りだなんて、見てくれからしてなんかしらそこに“いる”ことくらいわかんと思うんだけどな」
(お札なんてあったっけ)
屋上に行ったまでの記憶を今一度振り返ってみる。僕の中では鉄格子は赤く錆びていた覚えしかない。そのことを三八に伝えようとする前に――僕はいきなり冷や水を浴びせられた。
「しかもオレが尻込みしているのも気にせずにイッサはお札をビリビリに破り捨ててどデカい錠前も爪おっ立てて壊しちまうもんだから、こいつ相変わらずやべぇんだって思ったもんよ」
「…………、え」
お札を破り捨てる? 錠前を素手で壊す ???
明らかに僕の体験した内容と三八が体験した内容のあいだに、齟齬が生じていた。あまりのことに足を止め、ヤツを問いただそうとする。
「あのさ、自分の中では十三番目のカギで錠前が壊れたことになっているんだけど……」
「いやー? 覚えているかぎりだとそもそも十三の数が割り振られたカギなんて、欠番だった記憶しかないな」
「――――」
おかしい。なんでこうも食い違うのか。僕の記憶が間違っているのかはたまた三八の記憶が間違っているのか、それは現時点ではわからない。
ただ得体の知れないなにか異変が起きたことは確かみたいだ。
「そう深刻なツラで悩んでいてもラチが明かないぜ。三年前のことだから覚え違いがあっても無理はないって」
「わかっているけど、でも……」
「さあさあ、もうちょっとでお目当ての廃墟に着くぞ。覚悟はできてるかー?」
「ああもう、ちょっと待ってよ !!」
三八は歩みをサクサクと進めて、置いてけぼりになるまいと僕は走った。廃団地での一件と今回の廃墟探検はまったく関係がないのに、記憶の齟齬について変に想像が及んでしまい勝手に心細くなる。夕刻のはじまりを告げるふとしたひぐらしの鳴く声が、どこか嫌味ったらしく残響をもたらしてきた。




