第二十三話:所長
学校の体育館くらいのだだっ広い空間に、大小さまざまな配管が縦横無尽に張り巡らされている。殺菌灯が青紫色にあやしく光る空のドラフトチャンバー複数台と、いくつかまとまりを持ち並列させられた用途不明なものの高価そうな実験器具たち。
なんの気体か得体の知れないガスボンベはラインバルブに接続されっぱなしだ。見るからに巨大な金属のコンテナの数々は山積みの状態で、ホコリをかぶってこの部屋の隅に長らく放置されているふうに思えた。天井からは無数の蛍光灯が等間隔に伸びており、常時ザーともジーとも表現できるノイズが周囲に発せられている。
吸塵仕様であると思しき白い滅菌壁が四方を取り囲んで床には頑丈な樹脂が一面装甲みたいに張り巡らされていた。
静かに稼働する空調設備が僕の鼻元へと、薬品なのか理科室のようなニオイを運んでくる。
――なるほど、いかにも実験場らしい実験場だ。
僕たち三人はヤゲンさんに先導されるまま研究所の上階を経由して、 “第一実験場”なる名前のつけられた地下室に移動を開始していた。
どうやらこの建物の構造上、一階エントランスから吹き抜け最上階である三階までを階段でのぼらないと地下専用のエレベーターにはたどり着けないみたいだ。
ヤゲンさんは三階の研究室で僕たちが来るのを待機していたようで、下の階から吹き抜けを通って話し声が聞こえてきたため、降りてみれば予想していたとおり獣三匹が揃っていて安心したという。
「地図の情報を送ったところで普通なら警戒されて来ないでしょうし、仮に興味本位で案内に従っても道に迷われるのではないかと思っていたんでお三方の姿を見られてホッとしたっす。私、あんましこの格好で外に出たくないんすよね」
「ケンタ・フラダイトってだけで好奇の目に曝されるでしょうし……、あっとごめんなさい」
「べつにいいっすよ陸斗さん、そういうのにはもう慣れっこっすから」
観音開きのドアをくぐって煌々と明るい階段を三階まで上がると、またしても仄暗いフロアが広がっていた。ただ一部屋だけが灯りが点いており、やけに目立つ。
「ん? おいヤゲン、ここが実験場じゃねぇのか」
三八がおのずと立ち止まりその部屋を指差した。
「ああ、そこは研究室っす。実験場は地下一階にあるのでまだっすよ」
「研究室と実験場ってなにが違うんだ、研究室では実験しないのか?」
ヤツはどうにも率直に浮かんだ疑問が気になるようだ。僕がそれに答えを返す。
「大学や一般における施設では、研究室は資料をまとめたり実験結果を報告や発表し合ったり休憩したりする場所だよ。だから別のもっと設備が整った専用の大きな部屋で実験を行うのが通常なんだって」
「へ~、流石はイッサ。やっぱ詳しいのな」
「一朔さん模範解答じゃないっすかー、もしや将来は研究者志望なんすか?」
「か、夏期講習で大学の先生に教えてもらっただけです……」
三八もヤゲンさんも感心した表情でこちらに目を向ける。一方陸斗の頭上には大きなハテナのマークが浮かべられていて、明らかに会話の流れをいまいち理解できていない様子でいた。……なんだか申し訳ない。
「とりあえず先に進みましょうか」
ここにきて、この棟の構造はどこか市民会館に似ているなと思った。さながら市のホールが実験場に当たる、みたいなものなのだろう。実際にエレベーターは業務用で機械や物資などの運搬に適した広さを持っている。 『重量制限:5t』というエレベーターとしてはなかなかお目にかかれない単位にビビっているといつの間にか下へと着いたようだ。ビーッ、とブザーが鳴り重々しく扉が開く。
「うぉー、メッチャひれぇな!」
エレベーターから降りて廊下突きあたりに『第一実験場』なる古びた看板をかかげるドアを開けるなり、ヤツは開口一番にそう叫んだ。放たれた声が若干はね返ってきてホワンホワンと反響する。
内部の状況に関して一つ、つけ加えておきたいことがあった。
作業台が立ち並ぶドラフト周り、つまり実験場に入って正面奥のホワイトボード前に白衣を着た人影が待ち構えている。
これまでの文脈に従うのであるならば、あれが例の“所長”なる人物なのだろうけどなにかおかしい。遠目から引いて見てもなんというか……平たくいってしまうならば、僕たちと同じくらいチンチクリンなのだ。
「所長、お待たせしちゃったっすね。お三方を無事に連れて参りましたっす」
「ああ。ご苦労だったカヲリ、実験体も当然そこにいるのだろうな?」
「ええ陸斗さんのことっすね、確かにいらっしゃいます」
「ふむ。ならばよかろう」
ヤゲンさんと“所長”と呼ばれるその人物の会話にはあからさまな上下関係が見受けられた――どこをどう捉えてもその所長が僕ら三人と同年代であるようにしかうかがえないことに、目をつむれば。
ヤツによく似たつり目と長細いマズル、そして種族特有の柄といえると橙と白と黒の毛色。他に特徴を述べると僕より半回りほど背丈が大きい、そんなキツネ獣人の少年が立っていた。
「ゴホン。えー先にカヲリより挨拶があったとは思うが、まず本日わざわざここ片南研究所へ訪れてもらい感謝を表明する。私はこの研究所の所長を務める、鳥居越那仂といった者だ」
鳥居越……聞いた覚えのない名字だ、情報通の三八ならなにか知っているだろうか。というよりも口調はやたら仰々しいのに声がまんま中学生なのが、思わぬシュールさを際立たせる。
「集まった三人――乎弥擅陸斗と骨躙一朔と人行潟三八、だな? とりあえず席に着いて私の話を聞きたまえ。カヲリ、椅子を用意しろ」
「はーい、わかりやしたっす」
人数がわかっているのならはなから準備しておけばいいのに……と思うのと同時になぜだかゾワゾワモヤモヤした不快な感覚が一列に並べられたパイプ椅子に座ろうとする身体を襲う。聞いているこっちまでが恥ずかしくなってきて、ひどく居たたまれない。
「さて、あらためて自己紹介させていただくとする――おそらく諸君は私をごく普通の中学生だと思っていることであろうが、それは表向きの話で、裏の顔は全世界を支配せんと日々画策する秘密組織と戦う正義のマッドサイエンティストなのである!」
「「「…… ???」」」
十中八九目の前で演説を高らかに行っている張本人とヤゲンさんの二人以外は、ツッコミが追いつかず困惑した面持ちを見せる他なかったに違いない。
マッドサイエンティスト。SF映画などに登場する頭のトチ狂った研究者を、一般においてそう呼ぶみたいだ。著しく常軌を逸しているという意味ではだいたい合っていなくはなさそうだけれど、あらためて僕よりちょっと背の高いだけのガキンチョに科学者が務まるわけもないと常識に則して考えた。
「そう、マッドサイエンティスト――ああなんと甘美な響きだろう? 歴史の表舞台に立たず裏で権力を牛耳る闇の枢密機関と日夜攻防に明け暮れる非日常、これこそこの私にふさわしいものだッ !!!」
「ぷっ」
ヤツはついにこらえきれなくなって思わず吹き出したみたいだ。
正直いってしまえば僕も笑いを耐えるのに精一杯だった。なんとなく覚えのあるこの感じ、これは世間でいうところの――。
「な、なにをいきなり笑うんだ貴様 !! 人が立派に説明している場面で、それはあんまりではないか !!」
「ひひっ、確かにこりゃご立派なこった。ナリキとやら……お前たぶん重度の中二病だろ?」
露骨に図星を突かれたのか那仂はうぐっ、と顔つきがやや渋くなる。そこへ泣きっ面に蜂とばかりにヤゲンさんが追加の情報をおぎなう。
「所長ダメじゃないっすか。お三方と同じ学校の一つ年上の先輩で、不登校であられることもしっかりおっしゃらなくちゃ」
「うるさい、カヲリも余計な一言がすぎるぞ !!」
「はっはー、すいやせんすいやせん」
一つ年上ってことは那仂は中学三年生……中三で中二病とは、これ如何に。
たぶん《《はしか》》みたいに成長したあとでこじらせた結果、こんなことになってしまったのだと推察する。語り口からしてそうとうな重症であることは納得したけど、だからといってスマホをハッキングしてああもごたいそうなトラップを仕掛ける行動にはなにか理由があるはずだ。
「私の身の上のことはもう十分であろうに、まったく。諸君には明確な用があって呼び出した事実を忘れないでいただきたいものだ」
気を取り直すためか那仂は白衣の襟を整え、ふぅーっとため息をつく。
「“用”……というのはいったいなんのことでしょうか」
ここまで沈黙を貫いていた陸斗が真剣な口ぶりで問いかける。それに対しキツネ獣人の少年はあたかもモルモットを見るかのような目つきで、ニンヤリといやらしい笑みをわざとらしく作って、こう答えた。
「乎弥擅陸斗、君にはこれからとある実験に参加してもらおう。カヲリが独自のルートで入手した情報でわかったことだが、 “ある”不可解な事件に巻き込まれていると聞いた。しかも、それによれば中月市の警察署で一騒動起こしたそうじゃないか」
「 !! どうしてそのことを知っているのですか? それに、実験って僕にいったいなにをするおつもりで……」
「ああ安心してくれたまえ。――実験ならすでに始まっているさ」
「え、それってどういう……うぅ ?!」
突如として陸斗がうつむき、頭を抱え苦しみ出す。僕と三八は慌てて駆け寄るけど、どうも容態が奇妙だ。うめき声をあげこちらの呼びかけに応えず必死に耳のつけ根を押さえていた。
「おいテメェ、リクトになにしやがった !!」
「そうたいしたことはしていない、彼の“能力”に関する研究のためだ。――そろそろ頃合いだろうか」
三八は那仂につかみかかって問い詰めるけれど、自分のことはお構いなしになにか期待して待っているみたいだ。 “警察署で一騒動”、と“頃合い”……いったいなにが起こるんだ?
「く……来るッ !!!!」
陸斗の体がひときわ強く震えたかと思えば、僕の視界がおもむろに歪み始めた。しばらくのあいだ眩暈が継続すると黒いモヤと思しきものがどこからともなくやってきて密集し、照明にギリギリ届くほどの人型を成して一気に離散する。
とてつもないデカさの落ち武者、そんな亡霊のごとき“なにか”がここに現れたのだった。




