第二十二話:ケンタ・フラダイト
黒髪に覆われたネコの耳、木の枝みたいな牡ジカの角、自在に動く無機質な尻尾。
一見すると後ろで髪を束ねているロングヘアの人間の“女性”……であると思われる目の前の人型実体は、一般の常識では考えられない複数の別種族が持つ特徴をその身に宿している。
いや、なんなら“女性”と表現することさえ危うかった。一般的な人間の女性――たとえばアオイさん――と比べてみても身長は二回り三回りほど大きく、ゆうに百八十センチメートル後半は超えていると推定される。またやや中性的な声質や喉元の小さな出っ張りから察するに男性としての要素を兼ね備えている事実も見かけのうえでは確かみたいだ。
獣人と人間の境界に生きるもの。オスとメスの中間に立つ人類。
……ただ一つ心当たりがある。自分の中で思い当たった単語を選んで、慎重に口へと運ぶ。
「あなたはもしかしてケンタ・フラダイト……、ですか?」
半人半獣雌雄同体――通称“ケンタ・フラダイト”とは人間と獣人が子供をなした際、非常に低い確率で産まれてくることがある突然変異体の一種を指す言葉だ。
通常であれば人間と獣人の子は大半が獣人で人間はごく少数というのが原則なのだけれど、その例外中の例外として生まれ出てきた、性別も種族もまぜこぜな個体がそう呼ばれている。
ほとんどの場合は出産直後すぐ衰弱して助からないものの、稀に生命力の高さから子供まで成長するケースがひそかに確認されているらしい。
しかしその人間とも獣人とも男とも女とも捉えられない不可解な見た目が災いしてか現代に至るまでは不吉の予兆だの神々への供物だのと、世界中で迫害の対象にされていた。ようやくここ数年で正しい知識と情報が周知されることにより誤解や偏見が解けつつある。
しかし、ただでさえ絶滅を危惧されている人間族に輪をかけて人口が少ないせいもあってか怪異やら都市伝説やらと事実無根な噂の尾ひれに関し枚挙にいとまがない存在でもあった。
現にその実在は本の中だけで知っていたけれど、こうして目の当たりにするのは初めてだ。
ただ本で得た知識と食い違う部分としては“女性”には二種族以上の、サソリや魚の意匠を汲んだと考えられる尻尾を含めれば、三種族の形質が顕れていることが挙げられる。
人間は人間だけで単一の種族として完結している。一方獣人はいわゆるキメラを作れない。
そのため本に書いてある内容が本当のことだとすれば“女性”のようなケンタ・フラダイトはけっしてあり得ないことになる。
とすればこの“女性”の正体とはいったい、何者なのだろうか? たんなるコスプレという線も脳裏をかすめた。
「ぷぷっ」
“女性”は吹き出し笑いをこらえようとしてかプルプルと体を震わせる。
「な、なにがそんなにおかしいんだよ。このちぐはぐキメラ野郎 !!」
「だ、だってお三方があんまりにも私を注視してこられるもんでして……すんませんヒヒヒ」
三八の暴言を意にも介さず白衣の袖を顔の位置に持ってきて楽しそうにケラケラケラと笑うその“女性”。外見の複雑さ珍妙さに対して意外にもおどけてみせた態度が、僕たちのあいだに張り巡らされている緊張感を不信へと変えていく。
(でもこの人から表立った敵意は感じられない……とすれば、あの声の主は誰なんだろうか)
「ああすいやせん、すっかり名乗るのを忘れていたっすね。そちらは――陸斗さんと一朔さんと三八さんでお間違えないっすか?」
え。どうして“女性”は僕たち三人の名前を把握しているんだ? 陸斗はまだしも僕とヤツについて向こう側が知っていることに、違和感を覚えずにはいられない。
「なぜ僕らの名前がわかるのか――ってきっと驚いてらっしゃるんじゃないっすかね。簡単な話っすよ、スマホがまだハッキングされたままの状態のマイクからお三方の会話を盗聴させてもらったんす。いやァわざわざこんな僻地までご足労いただいて、こちらとしてもありがたいかぎりっすわ」
「…………」
なんてことだ、心を読まれてしまった。
それにくだけた口調からは想像できないほど説得力のある物言いだ。……現在もハッキングされているのだろうか。慌ててポケットから借りっぱなしにしていたスマホを取り出し、陸斗へ押しつけるようにして返す。
「一朔さん ?! 確かにそれは僕のですけどこのタイミングで手渡されるのは、ちょっと……」
「あはは、ハッキング諸々はもう切ってあるんでご安心くださいっす。さて一朔さんのご明察どおり私はこの片南研究所でただ一人研究員をやらせていただいているケンタ・フラダイトの薬研卍の薫という者っす。所長からお三方の詳しい情報はうかがっているので、そちら側の自己紹介はけっこうっすよ~」
や、やげん……万寺? 頭で漢字がうまく変換できない。それより“女性”が話した、所長という人物の存在がどうにも気になる。この事件の黒幕の正体とは、もしかしてその“所長”なのではないか。
「あ、あの……カオリさん? カオルさん? ヤゲンさん ?? マンジさん ??? その所長という方はどこにいらっしゃるんですか?」
判然としない“女性”の名前を無理やり口にしようと、陸斗は何度か言い直し問いかける。
「やっぱややこしいっすよね、この名前。カオリでもカオルでもないんで適当にヤゲンとでもいってやればたぶん問題ないっすよ。ちょーど所長よりお三方を実験場に案内しろとのお達しがきているので、私のあとについてきてくださいっす。準備はよろしいっすかー?」
「準備もなにも、オレらはここに来んの初めてだからなんもわかんねーよ……」
実験場――ってことは、やはりこの場所は研究施設に違いないのだろう。所長と研究員一人だけで構成される機関という事実に妙な引っかかりを感じることへこの際目をつむるとして、ヤゲンさんと呼べばいいらしい“女性”がどことなく狂言回しのうまい人物である事実はよく理解できた。
となればますます役職で名前のあがっている所長というがどんな人物なのか、まったく予想できない。これほど手の内がわからない研究員を従えたポストに就く所長ともあろう重役が、一中学生に対してはた迷惑極まる方法でコンタクトを取ってくるとはとうてい思えなかった。
ヤゲンさんもそうなのだけど、この研究所は明らかになにか重大な秘密を隠しているような予感がする。
…………。
「うわ !?」
下を向き考えにふけって静止した視界に突然腕が現れた。反射的にのけぞり床石にペタンと尻もちをつく。いつの間に真正面にヤゲンさんが立っていた。右手を前に差し出した体勢で、ちょうど僕を見下ろすかのようにたたずんでいる。
そのとき――僕は、見逃さなかった。肩からぶら下げているヘッドフォンに目線を向けて、驚愕としか言い表せない面持ちをしたヤゲンさんを。
けどその表情は一瞬で元に戻り、いたって飄々とした様子で僕へ問いかけてくる。
「一朔さん、そのヘッドフォンはどこで手に入れたんっすか」
ふるまいは自然に見えたものの、腹に一物を抱えている様子が、その声色から察知できた。
ヤゲンさんはこのヘッドフォンについて、なにか重要な情報を握っているのか? どう返答するべきかとても悩む。
「えっと……すこし前にザッパと廃墟を探検したときに見つけたものでして。そのー、似合いますかね」
「――なるほど。そのヘッドフォン、大切にしておくといいっすよ」
意味ありげにそう述べたヤゲンさんの瞳は、かすかに薄揺らいでいた。一つ用が済んだかのようにくるりと体を回転させ三八と陸斗が心配そうな顔をして待っている方へと足を向ける。
「ちょいと時間かけてしまったっすね、所長が首を長くしていると思うんで行きましょっか」
ヤゲンさんの背中に寂しそうなものを感じたのは、僕だけだったのだろうか。




