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第二話:廃墟にて

 玄関ホールへ侵入するなり予告なくせまってきたカビ臭さと土臭さは鼻腔をツンと刺激してきて、思わずむせ返りそうになる。光が十分に届いていないせいでやけに中は(ほの)(ぐら)く、外よりじめっとした文字どおり陰湿な空気が場を支配していた。ランプやソファーは時間が止まったそのままの状態で土汚れをかぶっているのに対し、目の前のエレベーターは電源が落ちている以前に朽ちかけだ。半開きになった隙間から底なし闇を見せつけて、おいでおいでとばかりに手招きしているかのように感じた。おどろおどろしい雰囲気に面食らった僕たちは、おのずとたがいの手をきつく握り硬直して立ちすくむ。じっとりと冷や汗をかいた肉球は、血が通っているはずなのにどこかひんやりしていてあたかも恐怖の感情をわかちあっているみたいだった。

 しばらくのあいだ立ち往生が続いたものの日が落ちていないことも含めて空間にだんだんと慣れてきて、あらかじめ用意していた二本の懐中電灯で自然にあたりを照らし始めたんだ。

 僕は手前横の廊下つき当たりにある扉を調べ、アホは上階に行くための階段を探す。管理室だと思われるその部屋は幸いにもカギが壊れ開いていて、内部では清掃用具が入ったロッカーといくつかのモニターがぶ厚いホコリに埋もれていた。奥の壁に鍵束が()るされていたので、ありがたく(ちょう)(だい)する。

 おーい、とアホの呼ぶ声がちょうど聞こえたのでそちらに向かうと、階段へ続く通路が鉄柵で封じられていた。先ほど拾った鍵束が使えないか、ガチャガチャ何回か試したところ四つ目のカギで解錠できてやった、と同調した僕たちはふたたびハイタッチをする。この先になにか――とてつもなくおそろしいものが待ちかまえているやもしれない――そんな怖いもの見たさでいっぱいな、期待とも不安ともとれる胸の高鳴りを感じつつこらえつつ、暗路をぬけ階段に足をかけ二階へと駆け上がり、さあ探検だといさんで各フロアを順に見てまわった。

 ――結論からいえば、どこもかしこも施錠されていた。当然っちゃ当然だ。使われていない部屋であれ退去後もとい事件後あけっぴろげのままだなんてずさんな管理はされていなかったのだろう。いくらもぬけの殻になってしまったとはいえ、だ。

 鍵束もこれといって役に立たなかった。管理室に置いてあったことからして点検用だったのではと推測する。まるで炭酸が抜けたコーラのごとくパンチがないこの探検において怖かった点を強いてあげるならば、入り口のフチが完全に塗り固められドアノブすら取り外された部屋がすくなからず存在していたことはそこそこ不気味だった。そこでなにが起こりどうして封印まがいに閉ざされたのか、この頃の僕らには知るよしもなかったのだけれど嫌に想像が及んで肝を冷やすかのような思いだったんだ。でも、面白くはなかった。風情(ふぜい)は十二分であったとて怪現象が発生しなければ探検の価値や意味はお化け屋敷にさえ劣る。

 そんなこんなで一通り回りきってしまった僕たちは最上階よりのびる階段に座り、わざわざ訪れた()()がないだの()れて損しただのとおもいおもいにぶつくさ悪態を吐き散らかしていた。幽霊が聞いていたとてひょっとしたら同情するかもしれない、なんて。

 そんな折だった。ふと背後のほうからカラコロン、と無機質で不自然な音がした。後ろには屋上へ向かう階段が続いているのだけれど途中で頑丈そうな(あか)()びた鉄格子がはめられており、ついでのように仰々しい錠前もぶら下がっている。どうやらなにか鳴ったのはそのさらに先のほうであるみたいだった。重い腰をあげて一か八か持っていた鍵束で総当たりに合う合わないをひたすら繰り返す。すると――十三番目のひときわ小さなカギで、崩れたようにその錠前は落っこちてしまった。

 最後最奥の意外な展開に、はやる気持ちを抑えながら僕たちは鉄の(おり)だったものをくぐる。すこし進むと目の前にとても小さなすすけたドアが、カギもなく待ちかまえていた。ドキドキワクワクを交えながら一緒にノブへ手をかけ、せーのと力任せに引っ張る。と、 (ちょう)つがいが壊れたのかバキッとドアが外れ、そのまま僕らは下敷きになった。イタタイテテと思っていたより薄い鉄のおもしからはい出る。軽く痛みにもだえながらやっとこさたどり着いた屋上には――これまで見たことのないような光景が広がっていた。

 雨雲の群れから顔を(のぞ)かせた、かなた遠く真っ赤に燃える夕焼けの空。ポツポツ光り始めた数えるのも億劫(おっくう)になるほどの、眼下に広がる街の明かり。そして――それぞれを鏡として対称に映す、一面の大きな水たまり。そう――連日毎夕の豪雨と排水管がつまっていたことにより、団地屋上の全体が水にあふれていたんだ。膝上までつかるほど深く張られた水面には、どこか学校のプールを思わせるものがあった。

 あまりに現実離れした壮観にすっかり見入ってしまっているといきなりアホに背中を押され――勢いはそのまま、あれよあれよと僕は水に()かってしまう。水道水のそれとはまた異なるニオイと、ぬるい温度を感じた。

 こうなってはもう誰も男子小学生を止められやしない。バシャバシャはしゃいでは水をかけあい、懲りもせずたがいにふたたびずぶ()れになる。外だからむろん水底に泥がたまっていて汚いけれど、すっかり興奮しきった僕らがそんなささいなことを気に留めるわけもなかった。自分たちだけの楽園や秘密基地みたいな雰囲気にあてられ、どんどん行動はエスカレートしてゆく。給水塔に登って二匹(とお)()えをかましてみたり、平べったいパラボラアンテナを浮かせてビート板に乗る要領でバランスをとってみたり。

 しまいには靴を脱ぎ捨て裸足(はだし)で隣り合った団地へ跳び移るという、まったく危険を省みない遊びをするまでにいたった。棟と棟との隙間のおよそ数メートルの幅を、助走をつけて一気に跳び越えるんだ。もちろん安全ネットなんてものはないし、しくじればすなわち“死”を意味するに他ならない。そんなスリルとさえいえない無謀さ加減すらアホと僕の調子を加速させていったんだ。しかもだんだんと余裕ができてきて、どちらがより離れた棟に移れるか競いあう流れになっていた。

 この頃には夕日はとうに沈みかけで、逢魔時(おうまがどき)の差し迫る薄闇の空模様が目に焼きついている。アホがギリギリ頭から水につっこみ下半身は半ば宙ぶらりんという、もはや着地とはいえない状態で成功して僕の番が回ってきた。おそらくここでは最も距離のある団地の一棟。ここぞとばかりに助走をもうけたって、タッチできるかさえはなはだあやしい距離だ。ビビっていては転落死するのが目に見えているし、だからといっていまさら降参するのも納得がいかなかった。

 いったん目を閉じ、落ち着いて深呼吸する。そして――まさしく清水の舞台から飛び降りるがごとき覚悟をもってして――僕は、()んだ。

 空を切っている()(なか)、やけに自分の動きがスローモーションに感じられた。いや、まわりも遅くなっている……あ。これってもしかして、俗に(そう)()(とう)といわれているあれか。

 もう、届かないや。

 一匹の黒猫は僅差で建物に触れること(かな)わず、重力に身を任せおよそ数十メートルを奈落の底へと落ちていった……かにみえた。


 ここより先はあとになってアホから聞いた話だ。

 僕が突然視界より姿を消したときてっきりどこかにふざけて隠れているのかと、初めアホは思ったらしい。けれど声をかけども返事がないし、なにより気配(けはい)がなくなっていた。そのことに気がついた(せつ)()、一気に嫌な予感が頭の内部をかけ巡ったという。すぐさまそれは確信へと変わり、夏だというのに背筋につららがつき刺さってみぞおちまで貫かれるような鋭い感覚に襲われたそうだ。夜闇の迫る(はい)(きょ)の屋上に独りきり、うまく呼吸することもできず、動くことすらままならない。自分が誘い連れてきた幼なじみが目の前でおそらく死んだと思われる状況はさぞ苦しかったろうに違いない。

 そんな折だった――とアホはのちに語る。突如として天をつんざくようなおびただしい数のケモノの断末魔が敷地全域に響きわたり、地震とは明らかに異なる強い揺れが建物を襲った。と同時に身体(からだ)の自由が利くようになって、ぐしゃぐしゃに泣きじゃくりながら階段を七つ八つ跳ばしする勢いで走り、転がり出るようにして団地を抜け出したらしい。

 ほうほうの体でところどころつまずきボロボロになりながらようやく脱出しても、とにかく(あか)りのあるところ目指し傷だらけの足を止めなかったそうだ。近くのコンビニにかけ込み要領を得ないもつれた舌で必死についさっき起きた惨劇を店員に伝えて通報され、いよいよこの件は大ごとになってくる。警察や救急どころかレスキュー隊すら駆けつけて、ほぼ確実に死んだであろう僕の捜索が始められた。ちなみにアホの親御さんがやってくる前に僕の親がズカズカ割り入っては事情を聞く警察を前に張り倒すわつかみかかって()()(ぞう)(ごん)のかぎりを浴びせるわ、とだいぶひどい仕打ちを受けたらしい。実の子を亡くしかけた親とはいえあのヒステリックさはおぞましすぎると述べるあたり、二重に三重にトラウマを植えつけられたアホも()(ほう)なりに大変だったのだろう。廃団地の周辺を囲って、地面に死体が落ちていないか探し続けるという絶望的な二時間弱が()った矢先のことだ。気がつけば雨が降り始め視界が不明瞭のなか、落下したと思われる地点の三十一メートル上付近に“なにか黒いもの”がぶら下がっていると一隊より連絡が入った。もはや葬式ムードと化していた現場はまさかと一瞬どよめいたけど、万が一のため別の一隊がハシゴ車をのばし確認する。――それは、まさしく“僕”だった。しかも見た目生きていてケガの一つしていない五体満足そうな黒猫が、夏夜のビル風にひるがえっていたのだ。その知らせを聞いたアホの反応といえば、どっと(あん)()があふれ出しなにもいえず、うつむき(うれ)し涙する他なかったらしい。ただ、一つ不可解が残った。というのもぶら下がっていた僕の有様が、それこそ実に奇妙だったらしいんだ。実際に救出してくれた隊員さん曰く、遠目に見てなにかに引っかかっていたわけでも捕まっていたわけでもなさそうなので、最初は壁にくっついているかはたまた宙に浮かんでいるか疑問に思ったという。隊員さんがハシゴ車を近づけ見上げてみると――その答えは目の前にありありと示されていた。

 僕の爪は、廃団地の一棟を途中まで大きく真っ二つに切り裂いていた。深く刻まれた亀裂の隙間に指を引っかけ、なんでもないような涼しい顔ですやすやと寝息を立て干されていたんだ。高層建築の屋上から真っ逆さまに落ちたごく普通の黒猫の少年――しかもただの小学五年生が。

 我ながらこんな話、とてもじゃないけれど信じられない。でも僕はこっぴどく叱られて日常に戻り、現に生きている。


 この一件の落着から、はや三年が経過した。

 事件以後すぐ廃団地はより厳重に全面封鎖となって、これまでのもたつきがまるで(うそ)みたいに解体工事が進んだ。跡地となって以降は幽霊沙汰なんて、今や見る影もない。それどころか現在は、新しい工事のまっただ中にある。

 ――――一筋の黒線が空を裂いて、天へと延びてゆく。それは大気圏をはるか遠くに越えて上空三万六〇〇〇〇キロメートルの静止軌道上のターミナルへと接続し、ケーブルはその先にある巨大な鉄球によって常につり合いを保ち張り詰めている。

 一般には軌道エレベーターと呼ばれる馬鹿(ばか)みたいにデカい建物。

 地表では廃団地跡を中心として巨大なプラントが建造されている真っ最中だ。ちょっと前、住民の大多数の反対を押しきり地区の三分の一が新興企業国家“アストラル・アークマトン”によって買い占められる大事件が起こった。

 ほとんどが(ばく)(だい)なお金の力によって黙らされたけれど、それでもしばらくのあいだ大人たちは(ケン)(ケン)でゴウゴウの大騒ぎだったんだ。

 不定期に試運転として稼働するエレベーターの発する低周波は、だいたい四十キロメートル離れたここからでも(かす)かに感じとることができる。その得体の知れない地響きみたいな持続音(ドローン)は、僕にはなんだか不吉なざわめきのように思えた。音波は今日もうっすら広がり、都市近郊を覆いつくしてゆく。

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