第十七話:404号室
「あの、もうかなり歩いているのですけど……アオイさんのお宅ってどこにあるのですか?」
そろそろチャイムが夕方を知らせる時刻に差しかかろうとしている。
夏の日暮れは思ったより早く、一日中遊んでコンガリとすっかり毛焼けした小学生の集団が僕たち四人を追い越してゆく。
「今日はたくさん歩いて大変だったよね、あともうちょっとだから安心して」
普段こんな複数の公共交通機関を利用する経験のない僕と三八はすでに疲労の色を隠せないでいた。行きで使った路線をひたすら折り返し、空港の第一ターミナルから畔渡まで戻ってきたはいいものの、有料特急ですこし仮眠をとったぐらいでほとんど休憩を挟んでいない。
体からくる疲れ以上に、都内の喧騒にもまれ精神的に人疲れしたというほうが、今は正しいのかもしれなかった。
「着いたよ、ここが私のおうち!」
駅東口から十分程度歩いたくらいか、アオイさんはとある建物の前で足を止める。獣人二匹は第三の獣人と一人の女性に率いられ、いつの間にか人込みを抜けてお世辞にもキレイだとは言い難いアパートがそこかしこに乱立する地帯へとたどり着いていた。
怪しいテナントが入居する雑居ビルのひしめく線路沿いは、人間の女性が一人暮らしをするのに適しているとはとうてい思えない。ヤツも僕とほとんど同じ印象を受けたみたいで、外観からして複雑に入り組んだ建築をしばし見上げながら、本当にアオイさんはここで住んでいるのだろうか、というようなあからさまに釈然としない面持ちを浮かべていた。
「……なんか、ずいぶんと妙ちくりんなとこに住んでいるんだな」
「そうかな? 逆にこういう場所じゃなきゃ安心して暮らせないんだ――それじゃ入るよ?」
雰囲気からして奇怪な建物の群れを目の当たりにし困惑する僕たち二人とは裏腹に、余市とアオイさんはさも日常であるみたいにごく自然な素振りでエントランスへ吸い込まれていく。僕と三八は互いの不安と疑念を濃くした瞳を見合わせてからこの先になにが待ち受けていても対応できるようひときわ注意を強くして、やけに古めかしいガラス造りのドアに手をかけた。
内部は複数の棟が歪な形で接続されており、増改築がされた学校でもないのに階段を上下して渡り廊下をいくつか経由することが移動の主たる手段のようだ。
エレベーターは設けられておらず、当たり前のごとく物件の住民と思わしき人物とすれ違うことはなかった。獣っ子一人とて見かけない進行は整然としない密集住宅という環境とやけにミスマッチして、かえってもの寂しさを訴えてくる。
「お、あったあった。この部屋に戻るのも久しぶりだなー」
アパートの最奥部と思しき地帯に入り込んだくらいでふたたびアオイさんは立ち止まった。キャリーバッグを代わりに持っている余市と距離をおきながらついてきた僕たちもそれに続き歩みを止める。
“404”なる番号が割り振られた空間。僕ら一行は空港から移動してやっと最後の目的地に到着できたみたいだ。
しかしなにかおかしい、直感がそう訴えかけてきた。
通常ならば404号室というのはここ日本においては忌み嫌われる数字ということもあって403号室と405号室に挟まれ欠番になっていることも多いと聞いた覚えがある。雑居ビルなどでは例外として存在するのだろうか?
そんなことに僕が脳ミソを回転させているあいだにアオイさんはポケットから鍵を取り出し解錠して、ドアノブを回しゆっくり扉を開く。仄暗い入り口から内部をうかがい知ろうとするのは無理に近く、感覚を研ぎ澄ましても現時点では特に怪しいものを捉えることはなかった。
「さ、遠慮しないで入って入って! 余市は荷物を玄関に置いてもらって大丈夫だよ」
「ああ。わかった」
…………、考えすぎか。とりあえず入らないことにはなんらわからないままの状況なので、アオイさんを先頭に荷物を抱えた余市、相変わらず納得ならぬような顔を浮かべている三八、憶測だけの疑心暗鬼に駆られる僕の順で、もはやオカルティックな先入観しかない404号室へと足を踏み入れた。
「お、お邪魔しまーす……」
「……邪魔するぜ」
見わたすかぎりの伽藍堂。そうとしか表現しようのないワンルームが眼前に広がっている。
否、ガランどころか物がなに一つ置かれていない。エアコンがなければ照明もなく、トイレがなければ洗面台もなかった。採光用なのか唯一窓だけがポツンと存在しており、カーテンはなく静かに西日を取り込み部屋の中をオレンジに染め上げている。夏の蒸した熱気が充満してひどく暑苦しい。
「なんだか、まるで引越し先の内見にきたみたいな気分です」
あまりに生活感の“せ”の字もないスペースに呆然として、思わず心の声が漏れた。ドラマなどで観た既視感のあるありきたりなシーンが、おもむろに脳内で再生される。
「確かにこんな、なにもない部屋を見ればそう感じるほうが普通だよね。一朔くんはアパートに住んでいるの? それともマンション?」
「いえ……田舎暮らしなので一軒家です」
「へー、田舎も楽しそうでいいな?。……ちょっと待っててね」
そういうとアオイさんは部屋の中央へスタスタと移動して、唐突に中指をパチンと鳴らしたかと思えばなにやらボソボソとこなれた調子でつぶやき始める。
「海のキュウリ、かすかなゴロゴロ、すばらしい岩、歯痛で悩むうぐいす――」
??? 呪文なのか合言葉なのか――これといって規則性の見出せない単語の羅列が詠唱されてゆく。
ゴゴゴゴ ガチャガチャ シュルルルン!
それはものの数秒にして起こった。
まず、窓がどこからともなく降りてきたカーテンによって覆い隠される。つぎにさっきまでワンルームだった部屋がミシミシと音を立てて、面積が増大し始めた。とたんに床や壁や天井から家具一式が飛び出し、お風呂場や台所がみるみるうちに形成されていく。トドメとばかりに照明とエアコンと換気扇のスイッチが稼働し、一連の変動はピタリと収まった。
なんということでしょう。誰か引っ越してくる前のような空室、それはまたたく間に様相を改めモダンな空気の漂う1LDKへと変化したのだった。
「はいはーい、お待たせしました!」
…………。
(いやいやいや、絶対おかしいでしょ)
心の中でのツッコミが追いつかない。某劇的ビフォーなんとかじゃないんだから、というかたった指パッチンの一つと呪文か合言葉で空間全体が変わるだなんてアニメかCGの世界だ。
まさしく魔法にかけられたかのようにさえ錯覚するけど、確かに僕たちは現実にいる。現実には魔法は存在しない、だとしたらこれはいったいなんなんだ? 急に心細くなって横に立つヤツの様子をチラッとうかがう。
「……は?」
いつもならいけしゃあしゃあとしている三八も、いましがた目撃してしまった一部始終への反応に困っているみたいだった。そりゃ当然のリアクションだ。
僕だって一中学生なりにこれまで得てきた知識を総動員してなにが起きたのか分析を試みてはいるものの、手がかりがつかめないうえアオイさんと余市がさながら普通のことであるかのように平常を保っている様がひどくおそろしいと感じられた。
ただもしこれが科学による現象と仮定したなら、一般が知り得る範疇を大きく超えたものだという予感がする。アストラル・アークマトンの技術の一部を持ち帰ってこの部屋に施したシナリオが真っ先に浮かんだ。
「一朔くんと三八くん……大丈夫?」
けど大丈夫なわけがない。――しかも、往々にして不可解なことは連続して起こるものだ。
「お嬢様」
へ?
一人白熱した頭に、突如氷水をぶっかけられる。余市の攻撃的な低音の響きとは異なった、紳士然とした優しい声色だ。ダイニングキッチンからする。今度はなんなのだろう?
「お帰りなさいませ、お嬢様。ご無沙汰しております、お変わりありませんか」
「セバスちゃーん! お久しぶり、元気していた?」
「ええ。しばらく眠っていましたので電力があり余っております」
くぐもって聞こえるけど声質は明らかに人間の男性を感じさせるものだった。電力……なるワードより察するに電気会社の方か。でもやたら親しげというか、 “せばすちゃん”とは。
「紹介するね。これが私の執事、セバスちゃんだよ?」
キッチンにいる人影が僕らの前に歩み寄り、その姿を現す。
「骨躙様と人行潟様のお二方、僭越ながらお初にお目にかかります。私――長年アオイ様の執事を務めさせていただいております“セバスちゃん”と申します。……余市様とはご学友でいらっしゃるようですね、ようこそいらっしゃいました」
もはや偏見を地でいっているとしか考えられない腰の低さとみごとに着こなされた執事服。右側に装着された片眼鏡がよく似合う白髪の老人が、特有のポーズで深々とおじぎをする。
ああようやくマトモな人が出てきてくれたと安心したのも束の間、一点だけおかしなことに気がついてしまった。
「ええと……アオイさん。セバスちゃんさんは、どうして透けているのですか?」
そう。おかしななネーミングに気を取られる以前に、理解の及ばない事象は目の前ですでにありありと示されていた。人間の老紳士の体を貫通して、向こうがはっきりと見える。そんでもって――浮いていた。
「あーそれはね~、セバスちゃんは執事でも立体ホログラムの執事なんだ。面白いでしょ!」
アオイさんはなんら問題がなさそうなふるまいでどこか得意げに答える。立体ホログラム。
空中に光を照射してそこにあたかも物体が実在するみたいに演出することのできる技術だと聞いた覚えがある。しかしそれを再現するためにはスクリーンとなる対象が必要となるけれど近くにディスプレイはおろか光源と思しきものは見当たらなかった。なによりこのホログラムは、明確に意思を持って応対しているようにしか考えられない。いくらオーバーテクノロジーとはいえど、現代技術でここまでの芸当は不可能なのではないだろうか。率直に自分の想像力の限界を認める他なかった。
「それじゃセバスちゃん、アイスティー四人分をよろしくね!」
「かしこまりました。おおせのとおりに」
家具やその他諸々が埋め込まれた、広さの可変する一室。本物の人間と思われる行動をとる立体映像、しかも映像のはずが平然と現実の物体に干渉している。……もうお腹いっぱいだ。
「おい、ここなんか絶対やべぇって」
ずっと沈黙を貫いていたヤツが僕へコソコソと耳打ちをしてくる。見れば表情からして動揺を隠せていなかった。僕も、はたからすればそう変わりない顔をしているに違いない。正直なところ廃病院の一件が今となってはかわいく思えるほどの恐怖をこの身に味わいつつあった。
かなりマズい状態だ。なんとかしなければ。
「ねぇ三八。一つ提案があるんだけど」
僕も同じく余市やアオイさんたちに聞かれまいと、声を押し殺して話す。
「なんだ? イッサ」
「隙をついて逃げよう。確実ではないかもしれない、でもなんとか逃げ切れるはず」
余市とアオイさんは荷ほどきやお土産などに夢中で幸いにも僕たちには目を向けていない。セバスちゃんなる執事はキッチンにいて作業を行っているため視界には入っていないはずだ。
三八は了解したことを言葉にはせずに、アイコンタクトで伝えてくる。一人だけで抜け出すのは難しい、しかし僕とヤツは理不尽な爆発から生還したバディでもあった。やってやろう。
そんな、目は口ほどに物を言うを繰り返しているときだった。
突然大勢が階段を駆け上がるような足音が下階のほうよりけたたましく響いてくる。さっきといいなんなのだろうと、表面上の緊張を保っていた僕らは水を差されてしまう。
「来たわね」
アオイさんは確信したと同時にウンザリしているような口ぶりをした。とっくに警戒態勢へ入っている余市とは対照的にオロオロ戸惑う僕ら二人を見てハッとなにか勘づいたみたいだ。
「あれ、余市。もしかして一朔くんと三八くんにまだ“あのこと”を話していなかったの?」
あのこと。
ふと、用心棒のくだりがここにきていっさい言及されていない事実に気がついてしまった。
「ああすまない。すっかり忘れていた」
「もー、肝心なこと忘れちゃ困るよ?」
余市はどうやら伝えるべきことを忘れていたみたいだ。一方のアオイさんはといえばとてもあっけらかんとした様子で視線を送る。次なる一言に、僕たちは頭をぶん殴られたのだった。
「私、実は国際指名手配されている賞金首なんだ」
「「……はぁ !?」」




