第十六話:デカルタ経由シマトラ直行便
エンペリオンとは米才駅の北口近くにポツンと建っている、ここらへんではなかなか珍しい老舗の純喫茶である。コウテイペンギンの気さくなオーナーが、夏場には一リットルジョッキいっぱいに満たした名物、通称“皇帝アイスコーヒー”をふるまうことで知られており、地元のみならず駅の利用者である通勤客や通学する学生を中心にこの店は愛されていた。
一時期は前代の主人が病に倒れ店の存続が危ぶまれる事態に直面したそうだけれど、そこへ遠くに出稼ぎへ行っていた長男が戻ってきてお店の経営を引き継ぎ閉店の難を逃れた、という逸話があるらしい。
学生にも比較的良心的な価格設定のメニューが多く純喫茶なる営業形態に似つかわしくない食べ物の持ち込み可という看板の掲示もあってか、学校帰りの高校生たちがコーヒーを楽しみながら仲間内で勉強会を催す光景がたまに見受けられるそうだ。
「皇帝コーヒー三人前です。氷が溶けない冷たいうちにどうぞ」
「ああ、ありがとう」
「…………」
「…………」
多くの客が店内で賑やかしているのに対し、僕らはここに来てまだいっさい話していない。店のひときわ奥まったところにある三人の席に、店主さんがドデカい器になみなみと注がれたアイスコーヒーを三つ持ってきた。テーブルの中央には僕が今朝作ったお弁当の食パン六切れが置かれている。
「おや、この食パンに挟まれたバナナ・スプレッドは君たちが作ったのかい? きっとここのコーヒーとは抜群に合うと思うよ。それじゃごゆっくり――」
そういってペンギン獣人の店主はふたたび厨房へと戻っていった。
おもむろにレッサーパンダ獣人がジョッキを持ち上げ、アイスコーヒーをガブ飲みし出す。半分ほど空けたくらいで器を下ろし、プハーと大きく息をつく。
(いや居酒屋の生ビールじゃないんだから……)
「やはりここのコーヒーは格別だな。二人は飲まないのか?」
高校棟の屋上で強襲をしかけてきたときとは打って変わり、やたらと気さくな態度で僕らに話しかけてきた。
「あのー、自分たちはアイスコーヒーを飲みに来たわけではないのですが」
「そういえば一朔の肩にぶら下がっている“それ”はなんだ。なにかの機械か?」
「ええと……これは一応ヘッドフォンですね」
「ほほう。よく似合っているじゃないか。音楽を聴きながらコーヒーを嗜むのも、なかなか悪くはないぞ」
向かい側に座る余市と名乗ったその人物はしきりにコーヒーを勧めてくる。
バナナ・スプレッドを挟んだ食パンを対称点とし反対の場所に設置された古いロングシートに腰かける三八はいまだ機嫌が悪そうにふて腐れていて、その隣に着席している僕はあたかも借りてきた猫みたいな気分で受け答えをしていた。
「いまさらだが敬語で話さずとも構わない。俺は二人と違うクラスに所属する同学年の者だ。訳あって登校拒否の身分で、学校にはほとんど通っていない」
「登校拒否?」
僕もジョッキを持ってコーヒーを口にする。ほどよい苦味とかすかな酸味が、冷たい液体を通して口いっぱいに広がり、喉元を通ると心地よい爽やかさが身体の中で渦を巻く。
「ああ。教師から手に負えない問題児と見なされているから不良という表現が正しいかもな」
同じ学年ということは百歩譲ったとて他のクラスに問題児と揶揄されるような同級生がいたことに違和感を覚えずにはいられなかった。僕たちの世代の学年は合計百人にも満たないのでクラスは三つしか存在しない。そういった狭い環境にいるため、その手の噂はいくら日陰者といえど、人伝に耳へ入らないほうがおかしいってものだ。
バンカラ姿といい、もしかして腫れ物扱いを受けているのだろうか。
「“不良”って単語で思い出したぜ――おい、ヨイチとやら。広山んところの高校のゴロツキどもに単身中学生が乗り込んで全員を病院送りにしたって話を聞いたことがあるんだが……、まさかテメェが?」
今までまったく会話に参加しようとする気配をみせずにいた三八が、思いついたかのようにとんでもないことを口走る。僕が内容をうまく呑み込めずにいる様子を気にも留めず、余市は自然とそれを返した。
「なんだ、知っていたのか――それなら話が早い。俺はそういった“不良”であるということを一朔と三八にはまずわかってもらいたかったので助かる」
目の前で平然とコーヒーを口にしバナナ・スプレッドが挟まれた食パンの一切れを手に取る身長百五十センチメートルもなかろう中学生が、高校生の集団を一人で相手取ってボコボコに打ちのめす……尋常じゃない。なるほど。腫れ物ではなく話題に挙げる行為そのもの自体が、一種のタブーということなのだろう。あの物言わずとも見つめるだけで獣一匹ぐらいは簡単に戦慄させる視線の主ということにも、ここにきてようやく合点が至った。
けどそれと同じくして、また一つの疑問が浮かんでくる。
「しかしそれだけ強いというのに、自分たちにいったいなんの用があるっていうのですか?」
「だから敬語はいいと言っているだろう。――では本題に入ろうか」
「あっ、すみ……申し訳ない」
「それで良い」
余市はその返答に満足したみたいで、懐に手を突っ込むと二枚の写真を取り出した。
「なんだソレ」
長椅子にもたれていた三八が身を起こしテーブルに置かれた写真を覗き込む。それにつられ僕も目を落とし、なにが写っているのか確認しようとする。
一枚目は病院と思しき建物が炎上して今にも崩れ落ちそうな有様が撮影されたものだった。
(あれ、なぜだかこの景色には見覚えがあるぞ)
続いて二枚目には僕らの学校のものと同じ夏服を着た黒猫の獣人と、これまた見覚えのある私服を着た白い狼の獣人が、談笑しながら一緒に夕闇の道を歩いている姿が刷られていた。
……すごくイヤな予感がする。
「もはや確かめるまでもないが、先日の稲根川付近での爆破事件――あれは二人がしでかしたことだろう?」
僕と三八はゆっくり互いの青くなった顔を見合わせた。なんということか。せっかく回り道したのに目撃者がいたなんて。それどころか写真まで撮られているとは想像だにしなかった。
「ちょ……ちょっと待てよ !!」
ヤツはいろいろとツッコミたいのか、かなり焦った様子で手をかかげ意見を述べんとする。
「なんだ? これだけ状況証拠が揃ってなおまだ自らが起こしたことを認めないというのか」
「いやそうじゃなくて、こんな写真いつ撮ったんだよ !! 少なくともオレはテメェの姿なんざ見かけた覚えはねーぞ !?」
三八のいうとおりだ。一枚目はまだわかるとして、もう一枚のほうを撮るためにはそうとうタイミングを見計らいシャッターを切らなければならないことは容易に想像できる。くわえてあたかも爆発の関係者がはなから僕たちであることをわかっていたみたいな構図で撮っている事実に、怪しさを一抹も覚えないほうが難しいことであるかのように感じられた。
「不思議ではないことをなにもそう大袈裟に言うのか……あの廃病院の近くに、俺の住む家がある。あの日は自作したカメラの性能を確かめるため被写体を探していたところ遠くで爆発音がして、しばらく茂みに身を隠していたらこのあたりでは見かけたことのない顔が通ったものだからたまたま撮影させてもらったというだけの話だ」
余市はひどく面倒くさそうに、写真の背景をくどくど説明する。
「となると廃墟の写真はどうやって?」
「それは音を聞きつけた野次馬どもが集まってきたとき、俺もなにが爆発したのか気になって確認した際に撮った。これで十分か?」
「……なるほど」
いや、全然なるほどじゃない。自作のカメラといいスニーキングじみた行動といい、余市は三八とはまた違うベクトルで変人なのだと納得する。今はヤツが一方的に険悪な姿勢を取っているけれどなにかしらのキッカケで二人が打ち解けることがあるならば、トンでもないことをしでかす可能性を考えてしまう自分がいた。
「とにもかくにも、これですこしはこちらの言い分に耳を貸す気にはなったか?」
「まあ……とりあえず脅されている事実は承知した」
「抵抗しようとも警察に突き出すという考えはこちらに毛頭ない。俺は、あいつらにとっては鼻つまみ者だからな」
僕と三八は現在、いわゆる弱みを握られている状況にある。余市の言ったことにはかならず従わなければならない。しかし話しぶりより察するに、犯罪などの悪行に巻き込むつもりではなさそうな気がした。
「で――結局オレらはテメェなんざになにすればいいんだっての。いい加減じれってぇんだ、ヨイチよ」
ヤツは依然として結論の見えない会話に辛抱ならないのか悪態をつきコーヒーを口に運ぶ。
三八の態度をよそに余市は変わらず淡々とした調子で話の本題へ入ろうとしているようだ。
「ああ。簡単にいえば――そうだな、二人には用心棒をしてもらいたい」
「えっ」
「は?」
よ、用心棒 ???
まったく予想だにしていなかった内容なのか、バナナ・スプレッドを挟んだ食パンの一切れを取ろうとするヤツの手が止まる。
「用心棒って、時代劇なんかで出てくる見張り役とか守り役とかそういう……」
「そのとおり。一朔と三八には“とある人物”の護衛を頼みたいということだ」
「はー? なんでオレたちがわざわざSPごっこをやらなきゃならねぇんだよ」
僕は憶測の域を超えた余市の唐突な発言に、ただただ呆然とせずにはいられなかった。
「ごっこではない。これはれっきとした依頼だ」
「ではどうしてそれほど重要な仕事を、見ず知らずの自分たちに?」
普通の考え方をするならば自分で守るなり大人に頼むなり業者へ任せるなりと、僕らを使うこと以外を選ぶはずだ。
「一つは比較的言うことを聞いてもらえる人物に任せたいこと。もう一つは爆発から生還するだけの力量があること。それらを理由に、二人を選ばせてもらった」
「はぁ……」
爆発から逃れられたのがただのマグレだったとは、とても言えなかった。どうやら向こうは本気で僕たちに頼み事をしているみたいだ。要人の護衛なんて、はたして一般的な中学生二人に務まる役柄なんだろうか。
「否応もないことはおそらくとうに理解していると思うが、一朔と三八――どうか引き受けてくれはしないか」
やや声のトーンを低くし、余市は僕たち二人に問いかけてきた。はなから断るという選択肢は存在していない。そんなくせしておいて真剣そのものな口ぶりは、逆におちょくられているかのようで若干ムッとしてしまう自分がいる。ここまで拒む権利がない現状を忌々しく感じるのは初めてだった。
「…………、わかった。やるだけやってみることに、させてもらう」
「承知した。三八はどうだ?」
目に見えて虫唾が走った表情で余市を睨めつけヤツは不意にそっぽを向き苦々しく答える。
「テメェのことなんざクソほども思っちゃいねぇけどよ、イッサが行くのならオレも行くさ」
「そうか。――ならそうするといい」
反対側にある席の余裕そうな返しに三八はケッと吐き捨てるふうな仕草で応じ、それ以上はなにも話さなかった。
「さてと。約束が成立したことだし、この店より移動するぞ」
「え、どこへ?」
「とある人物と午後三時に待ち合わせをしている。その場所へ三人でこれから向かわなくてはならない」
余市は空になったジョッキをテーブルの隅に寄せ、立ち上がりカバンを背負う。僕は慌ててコーヒーを飲み干し、残りのバナナ・スプレッドを食べてゴミを一ヵ所にまとめた。
「とりあえず駅へと向かう。そこからは俺が案内するから二人とも着いてこい。――ご主人、会計をお願いする」
肝心の行き先はどうやらまだ教えてくれないようだ。こちらがお願いしたわけでもないのに余市は三人分の会計を済ませ、早くも店をあとにしようとしている。
「三八、ほら行くよ」
ロングシートに座ったままいまだ虫の居場所が悪そうに押し黙っているヤツの肩を叩いた。そしたら文句タラタラそうな目をこちらへよこし、噛み殺すように一言だけ発する。
「イッサ。オレあいつのことちょーキライ。大っキライ」
「ぶつくさ言うのも大概にしてよ、自分も正直よくわからないっての」
嫌気ムンムンな三八を引きずりエンペリオンから出て、外で待機する余市と合流した。
背後よりありがとうございましたー、と店主の威勢のいい声が響いてくる。それがなんだか現状にてんてこ舞いな自分には癪に障るみたいで、やり場のないモヤモヤを懐に抱えたまま僕は出発した。
ザワザワ ザワザワ
空港を訪れるのはおそらく今回が人生で初めての経験だ。こんなとっぴな機会に巻き添えを食らい来ることになるだなんて、思ってもみなかった。目の前を多様な種族の獣人がひっきりなしに行き交い、どこか落ち着かない独特の緊張感を感じさせてくる。昼下がりの慌ただしい第一ターミナルに、僕たち一行は手持ち無沙汰に突っ立っていた。
米才駅からここまでたどり着くには複数の路線を乗り継ぐ必要がある。まずは特急を使って一気に終点の沼堤まで出て、つぎに都内を楕円状に結ぶ上手線に三十分ほど揺られて真反対に位置する黒松町へと向かう。そこから沿岸を走行するモノレールに乗り換えて、ようやっと空港ターミナル駅に到着する。
所要時間は二時間、かかった交通費は千七百円ほど。中学生にはけっして安くない金額だ。
僕は片道だけでお小遣いの大枚を叩いてしまった事実に、半ばショックを隠せないでいる。
ヤツはそれ以前に長い時間電車に閉じ込められじっとしていることにそうとう堪えたのか、着いた直後はかなりやつれているふうに見えた。
一方で余市だけはやけに機嫌が良さげというか、これから空港に降りてくるであろう人物と会うことを心待ちにしている様子でいる。それほど気分がいいのなら最初からどこへ行くのかくらい教えてくれてもいいのではと思うのと同時に、もしかすると待ち合わせしているとある人物とは、親しいもしくはそうとう懇ろな間柄なのではないかという憶測が頭をよぎった。
ピンポンパンポーン
時刻が午後三時を回ったことを通達する時報が鳴る。それとほぼ同じタイミングで国際線の到着ゲートをくぐる人影が現れた。人間の女性だ。珍しい。少なくとも米才では純粋な人間族を見かけたことがなかった。白のワンピースにカンカン帽をかぶって、三つあみを編んだ髪型をしている。顔立ちから察するにここ日本の人だろうか。まるでどこかの女優さんのようで、雰囲気がすごく華やかだ。
僕がその女性に思わず見惚れていると、はたとあることに気がついた。余市も女性のことを遠く見ている。否、完全に視線を合わせていた。まさかあの日本人女性がその“とある人物”なのか? いやいや、そんなことあるわけ……あれ。こちらに駆けてきている?
ベージュのハイヒールを鳴らしキャリーバッグを引きながら、明らかにその女性はこちらを認識しているようだった。僕があれやこれやと考えを巡らせているあいだにも距離はどんどん縮まってゆく。
もはや目前に迫ったそのとき、女性はガバッと帽子を脱ぎ捨て余市を持ち上げ抱き締めた。
「ただいま?、会いたかったよ余市ー!」
「お帰り。アオイ」
その女性は人目もはばからず頭をヨシヨシしたりほっぺを撫で回したり、まるでぬいぐるみを扱う少女のごとくはしゃいで余市をわちゃわちゃ好き放題している。三八を背負い投げしたあのレッサーパンダ獣人のくせして猛獣みたいな余市を、だ。
余市も余市でいっさいの無抵抗無反応を貫いているのだから驚く他ない。
目の前で起こっている光景が信じられないのはヤツも同じようで、マズルをあんぐりとさせ事の成り行く先を見守るしかできなかった。
ひとしきり濃厚なスキンシップが終わったあと、今度は僕と三八に女性は目を移してくる。
「もしかしてこの子たちが、余市の選んだ用心棒なのね?」
「そうだ。一人は腕利きの、もう一人は血の気が多いのを選んでおいた」
え。腕利きは三八として血の気が多いほうって僕のこと?
そんなツッコミをする隙を与えんとばかりにその女性は正面へやってきて、僕ら二人のことを交互に覗き込んできた。なんだろう……まさしくお姉さんってイメージのとてもいいニオイがする。獣人とは構造の異なる瞳がすごくクリクリとしていて、そんなに見つめられると胸がドキドキしてしまう。
「はじめまして。私はアオイ、シマトラ島の大学に在籍している大学生です。君たちはなんて名前なのかな?」
おしとやかに女性は自身をそう名乗る。これはひょっとして自己紹介する流れか――よし。
「え、えっと。じ、自分は骨躙一朔といいます……よ、余市くんと同じ学校に通っている、ど、同期です」
あまりにキラキラしたオーラに気圧され、声が上ずりどもってしまい死ぬほど恥ずかしい。
「へー、一朔くんってお名前なんだね。そのヘッドフォン、とーってもイケててカッコいいと思うよ! 隣のオオカミくんも、よければ名前を教えてくれないかな?」
ヤツは珍しく迫力に押されているのか、やや間をおいて口ごもりながらボソッとつぶやく。
「……オレは人行潟三八。イッサとは幼なじみで親友だ。余市のことは今日初めて知った」
「ふーん、三八くんっていうんだ。数字がお名前……なのかな? 余市とは仲良くしてくれると嬉しいな!」
三八は相変わらずあらぬ方を向いて、我ここにあらずを決め込んでいた。そりゃ恥ずかしいとは思うけど、いくらなんでも初対面の人を前にしてそれはないだろうに。
「それじゃ一朔くんと三八くん、これからよろしくね?……ってそいやぁ !!!」
唐突にアオイさんは僕たち二人を胸元に抱き寄せると、先ほど余市にやっていたかのようにいろんな箇所を手当たりしだいに撫で始めた。人間には毛皮という概念が存在しないのが災いしてか、毛並みの向きなどお構いなしにいじくり回されゾワゾワとする。そしておっぱい――おっぱいが顔に当たっている!
「ちょ……アオイっていうヤツ、変なところ触っているんじゃねーよ !!」
「あのアオイさん、そのッ……アレが、アレが当たっているのですが ?!!」
「へぇー、一朔くんはふこふこしていて三八くんはサラサラしているんだ?。毛色といい毛質といいまるで正反対でかわいくて面白いね、二人とも」
ようやく解放されて嵐にでも遭ったかのごとく全身が毛羽立った僕と三八を見てキャハハハとおかしそうに笑うアオイさん。
――てっきり天真爛漫な人とばかり思っていたけれど、たぶん見た目とは裏腹にその実体は凶悪な小悪魔なのかもしれない。毛並みを整え直すのに、僕たちはいくぶんか時間を要した。
「あの……先ほどアオイさんはたしかシマトラ島の大学に通っていらっしゃるとおっしゃっていましたよね。もしかしてそれって、アストラル・アークマトンが近年設立した高等教育機関のことですか?」
「お、せいか?い。一朔くんはけっこうそういうことに詳しいんだねー。今は飛び級で二年生のラストティーンだよ!」
アオイさんはふわふわとした調子で僕からの質問にそう返す。ヤツも余市もなにも話そうとしないので、仕方なくさっき引っかかっていた疑問の数々を聞いてみることでどうにかこの場をつないでいる。
「となりますと専攻は?」
「まだ決まったわけじゃないけど、今のところは宇宙工学コースが第一志望かな? やっぱり企業国家のお膝元だけあって、宇宙開発を学びたいんだ?」
「うわぁ……アオイさんってめちゃめちゃ頭いいんですね」
「そんなことないよ! みんなと同じ十代なんだからそんなに気を遣わなくても大丈夫だよ」
企業国家アストラル・アークマトンの本拠地はシマトラ島に存在する、というよりはむしろ島一つがまるごとアストラル・アークマトン社の敷地となっている。
十数年前、元々シマトラ島に存在していた政府に対し突如としてクーデターが起こり内戦が勃発した際に、国連総会の決議によって白羽の矢が立ったのが当時より世界中で圧倒的シェアを占めていたアストラル・アークマトンの前身だった。どこの国からもいっさいの政治的制約を受け付けないアナキズムを主張する無政府企業が企業国家として領土を持つことに主要国は注目を集めたそうで、それとタイミングを同じくしてシマトラ島に世界初の軌道エレベーターが建設されることになったというのが歴史的背景のあらましだ。ちなみに現在ここ日本で建造が進められている軌道エレベーターは、世界で七番目にあたるらしい。
今でも宇宙工学と生体制御の分野のメッカとして、多くの選抜された留学生や研究者が島を訪れ最先端の科学技術に触れようとしている。
「ではアオイさんは夏休みで日本に帰国されたのですか?」
「そそ、せっかくの夏季休講だし余市に会いに戻ってきたんだ。他に用事がたくさんあるけど一朔くんと三八くんに出会えて嬉しいな~、そうだ! よければ二人ともおうちに来ない?」
「ええそんな……アオイさんのご自宅にお邪魔してもよろしいのですか? お二方にご迷惑でなければいいのですが……」
「全然問題ないよ! ね、余市?」
アオイさんは余市のほうを向く。心なしか余市もなんだか楽しげに目を細めていた。
「そうだな。せっかく二人には用心棒になってもらったのだから、もてなす義理があるというものだろう」
「よしじゃあ決まり! それじゃ我が家にご案内するから着いてきてね?」
僕ら一行にアオイさんが加わり、第一ターミナルから移動しようとする。
ふと、三八が浮かない面持ちをしていることに気がついた。なにか思うがところあるのか、心配になって思わず声をかける。まだ余市との悶着をこじらせているのだったなら今のうちに解消しておきたい。
「ザッパ、なにか心配事でもあるの?」
「――ああ。なんでこうも胡散臭いヤツらばっかなのかなってさ、つい」
ヤツの言葉に共鳴して、無意識に抑圧していた猜疑がドッと胸の内にあふれ出してくる。
今の今に至るまでこの状況に呑まれ楽しんでいた己自身が、ひどくおそろしく思えて仕方がなかったのだった。




