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第十五話:その中二、凶暴につき

 キーンコーンカーンコーン

「それではこのプリントの続きは後日やることにします。本日は暑いなかお疲れさまでした」

「「「ありがとうございましたぁ」」」

 午前中だけの夏期講習が終わった。講師が黒板を消す間もなく多くの生徒がカバンを持って教室より出ていこうと荷物をまとめている。皆部活に急いでいるのか早く帰りたいのだろう。

 それは僕もやまやまなのだけれど外はとてつもなく暑いうえに、(さん)(ぱち)をほっといて帰るのはなんだか申し訳ない気がしてならなかった。

 所在なく講習中に配布されたプリントをまとめ内容をそれとなく見返すなど、いつもならば絶対しない真面目っぽいフリをする。今は自分からヤツと顔を合わす勇気がない。授業の内容を頭に(たた)き込もうとする気持ちと今朝のいざこざへの後ろめたさとあのレッサーパンダ獣人についての疑問とが、三つとも内心をぐるぐる回転している状態だった。

 ――そんなこんなで頭を悩ませているあいだに、背後に誰か立っている。ここは覚悟を決めゆっくりと振り向く。

「よ、よォ。……イッサ」

「なんだ。ざ、三八(ザッパ)じゃんか」

 ヤツが指定カバンを持ってぎこちない表情を浮かべ立っていた。やっこさんに対し表向きは平静を保っているみたいに見えるかもしれないけれど、実際はカチコチに緊張している自分がいる。一限目の休み時間、裏拳をかましたことを必死に謝り倒したもののまったく口を利いてくれなかった。向こうは怒り心頭というよりもなぜだかバツが悪そうな素振りで、おそろしく気まずい数分間を目も合わせられぬまま浪費してしまったものだから、二限目は罪悪感と後悔にまみれロクに授業を聞く気にもなれなかった、というのがことのあらましだ。

 そんな脳ミソが()()した状況で講師に指されでもしたらどうしようかとやたらビクビクしていたのがつい先ほどまでのことだった。

「な……なあ。今日の授業、けっこう面白かったよな?」

「へ? あっ、あー……うん」

 この夏期講習は外部より特別講師を招いて中学生の学問への興味や関心を育むのが目的の、私立ならではの選択参加型イベントだ。教科ごとに有名予備校の講師や大学教授などが興味を引くような専門分野の講義を展開するということもあり、確かに僕は去年よりこういった企画を楽しみにしていた。クラス関係なく科目ごとに少人数が割り振られ、主要五教科を二周するというコマ割りのカリキュラムが設定されている。

 僕の場合、今日の前半は国語を後半は理科を受けた。一方ヤツは二限目が数学だったので、さっきまでの()てついた空気を解かすことができるわけもなく、別々に移動したことになる。その流れで僕がいる元の教室に戻ってきてくれたので、やっと三八が謝罪を受け入れてくれたのかと期待していたところに普段はあまりしないような授業に関する話題を切り出されたものだから、困惑するのも無理はないというものだろう。

 とどのつまり、相手の意図したいところがまったく読めないでいた。

「そっちのクラスってなにやったんだ?」

「え。パウリの排他律やLUMOとかHOMOとか、原子と化学結合に関するいろいろかな」

「お、オレは三角比の定義からイッキにネイピア数やオイラーの公式なんかを説明された」

「……へー」

 いったいなんだこの話の進まなさは。そもそもコイツとはこういった勉強の話をするような仲ではない。そっちだってわかっているくせに、なんであえて不慣れな話題をこのタイミングで持ちかけてきたのか理解に苦しむ。

 いや、わかる。気持ちはわかる。十中八九休み時間に無視を決めこんだことへ多少なりともヤツなりの良心の()(しゃく)があって、それについて弁解しておきたいのだと察する。

 しかしいきなり謝罪から入るのも性に合わず、まずは前置きで講義の話題から入ろうとした結果失敗してしまったという次第に違いない。いつもならコミュニケーション(きょう)(しゃ)のはずが、なぜ僕の前となるとこうも挙動が怪しくなるのか。これはヤツの奇妙な一面でもあった。

 こうなっては仕方がない、こちらから切り出すか。

「あのさ――」

「ゴメン !!!!」

 三八はすさまじい勢いで突如ほとんど真直角に(こうべ)を垂れた。あまりの加速度と大きな声に、思わず身をすくめる。前触れなくなんなんだまったく。いつの間にか教室に他の生徒がいなくなっていたことが唯一の救いだ。

「オレ、公然の場所なのにそのままイッサにキスしようと迫っちゃった……本当に恥ずかしい思いをさせちゃって申し訳ない。もうこれ以上イヤなこと絶対にしないから……どうか許してほしい」

 涙まじりの震える声で三八はボソボソとつぶやいた。いつもの(ひょう)(ひょう)とした雰囲気はどこへ行ってしまったのやら、真剣そのものな態度になんだか一種のデジャヴを感じる。

「えぇ……いや確かに集会所だったけど、あれはそういう意味での裏拳じゃなくて」

「でもイッサが止めてくれなかったら……オレ、もしかしなくともヤバかったかもしれない」

 涙に()れた目頭をぬぐい、しょぼくれた顔をこちらに向けた。声が今にも消え入りそうだ。

「やばかった、ってキスをねだってきたのが?」

「違う、もっと先のことだ。えっと、そのー、つまり……」

 一転して今度は顔を赤らめてモジモジとしている。思えば最近、こんな表情をしょっちゅう見ている気がした。というか“先”っていったいなんのことだ ??? そうとう言及しにくい内容なのだとは、だいたい推測できる。

「言葉にするのが難しいのならべつに話さなくてもいいよ、ザッパの尻尾をもてあそんだ自分が悪いんだし」

「いいや。言い出しっぺのオレが一番悪い。裏拳を食らうくらい、当然の報いさ」

「だったらなんで、休み時間はなにも話してくれなかったの?」

「……オレのやったことを思い返すと恥ずかしすぎて、言い訳をする勇気もなかったんだ」

 なんというか。

 すごくかわいいな、コイツ。それが率直な一つの感想だった。

 僕はおもむろに席を立って、正面から向かい合う。目のまわりと(ほほ)と耳の、真っ白な毛皮がほんのりと赤くなっている。

「オレ親友失格だよな。幼なじみとこんなことしちゃって、迷惑かけてサイテーで――えっ」

 僕は三八を抱きしめた。存在を肯定するかのように、ただひたすらに抱きしめた。しばらくそのままになってふと抱き返されてから、彼の耳元に向かい一言と二言と言葉を紡ぎ始める。

「裏拳は痛かった?」

「……うん。スゲー痛かった」

「そっか、ごめんね。僕のほうこそ謝らなければいけなかったのに、先にしてもらっちゃって申し訳ないな。面目ないよ」

「顔は合わせらんなくともこうして抱き合えているじゃねぇか。変なの」

 三八のこわばりが徐々にほどけてゆく。互いの胸の鼓動は高鳴りをひそめ、落ち着いた同調を刻み始める。

「ねぇザッパ。自分のこと親友失格だっていったでしょ。そんなこと、二度と言わないでよ」

「イッサは……お前は、あんなことされてイヤじゃねぇのか」

「ううん、僕はザッパとずっといられるならどんなことにでも付き合うよ。君が好きなことを一緒にやって乗り越えて、常にあらゆるものを共有していきたい」

「お前ってさ、ほんっとモノ好きだよな。…………、いいさ。オレのほうこそよろしくさせていただこうかな」

 抱きしめる力が強くなった。まるで僕たち二人が一つになってゆくような、そんな感覚だ。

「イッサ。あらためてオレは、お前のことが好きだ」

「うん――ザッパ。僕もあらためて君のことが好き」

「お前は本当にこの“好き”の意味がわかっているのかよ?」

「べつに好きに大きいも小さいもないでしょ。いつになろうとこの“好き”は変わらないよ」

 彼は朗らかに笑った。僕もつられて自然とほほ笑む。

「確かに、イッサの言うとおりかもしれないな――」

 僕らだけの教室。僕たち二人きりの時間。放課のなかそれは静かにたたえて、またたく間に過ぎ去っていった。

「…………」



「そんじゃ湿ったれた空気ともおさらばして、昼メシ()いに向かうかぁ」

 僕は椅子を逆にして座り、後ろの机に寄りかかる三八をこの目に捉えている。

「ん? ここで食べるんじゃないの」

「こんな教室で食べるなんて殺風景もいいところだっての。どうせなら屋上に行かねーか?」

「えーっと……屋上ってたしか開放されていないような」

 近年では物騒な事件が相次いでいるという事実もあって、校舎の屋上へは原則立ち入り禁止となっているはずだ。ここでそういった(うわさ)(たぐい)は意外にも耳にした覚えがなかったけれど、おそらく周辺の学校の流れを()んで通常であれば用務員以外は鍵がないと入れないことぐらい容易に予想できた。

「それがどうにもオレが聞いたところによれば、整備の関係で高校棟だけは限定的に開かれているんだと。工事の関係者たちも昼休憩でお留守にしているだろうし、今がちょうどチャンスなんだとさ」

「けどなおさら一般の生徒は立ち入っちゃいけないんじゃ。というか死ぬほど暑いだろうし」

「んなささいなルール気にしていられる場合かっての。むしろいつもはめったに忍び込めないんだからこんな貴重な機会、みすみす見逃すわけにはいかねぇぜ」

 ああもう。これじゃまるで(はい)(きょ)探検のノリそのまんまじゃないか。あれだけこっぴどい目に遭ったのも構わず自分から探検にはもう懲りたと宣言したにもかかわらず、肝心である中身はなんら変わっちゃいないのだと僕は思い知らされる。まあ今回は廃墟を選んでいないあたり、そこだけは成長しているのかもしれないけれど。

「……わかった。自分も一緒に行くよ」

「おっしゃーおっしゃー決まりだな!」

 ヤツは僕の返事に満足したみたいで、ニヤッといたずらな笑みを浮かべる。カバンを背負い僕にわざとらしく片手を差し出してきた。白毛に浮かんだ黒い肉球と黒毛に埋もれたピンクの肉球が触れ合って重なる。

「んじゃ案内しやすぜ、ダンナ」

「ちょっと。自分はザッパの旦那になった覚えはないよ」

「へへ。――そういう生真面目なところも大好きなのさ」

 その言葉に僕はなんだか照れ臭くなりながら、引っ張られるがまま教室をあとにした。



 高校棟の最上階を右奥に突きあたり大きなプロジェクターが設置された視聴覚室兼自習室の前に来ると、この階では唯一の登り階段が屋上へと伸びている。下の階から響いてくる物音は僕ら以外誰一人とていない空間の(せき)(ばく)を、ひときわ深めているかのように感じられた。階段を二人でスタスタ上がっていくと徐々に冷気から離れ、夏のにおいが濃くなり鼻腔をくすぐってくるのがわかる。

 あっけなく入り口の扉の前に着いてしまった。聞き及んでいたとおり施錠が外されていて、普段であればけっしてお目にかかれない未踏の領域があけっぴろげになって待ち構えている。

 境界をくぐり最初に襲いかかってきた“それ”に、僕たちは二匹仲良く(そろ)って声をあげた。

「「うわッ、ペンキ(くさ) !!」」

 三八は耐えられないのか鼻先を両手で隠し、僕も嘔吐(えず)きそうになるのを必死でこらえる。

 屋上の床石はその一面がネズミ色の塗料でコーティングされており、それが(しゃく)(ねつ)の外気で揮発したのかそこら中にむせ返りそうな刺激臭が充満していた。これじゃ昼ご飯も食べられたものではない。

「なるほどなぁ、工事ってそういうことだったのか」

 ヤツは塗料が乾燥していることを十分に確認してから、内部へ足を踏み入れた。僕はそれを追って鉄柵に遮られた景色を眺めようと隣に立つ。

 学校の近くに高い建物はないため見晴らしは絶好で、およそ数十キロ先まで視界が届いた。遠い遠いはるか向こう側で軌道エレベーターが陽炎(かげろう)に揺らぎ、ケーブルが青天井を貫いている様が見て取れる。今三八が住んでいる街、かつて僕が住んでいた街――。

「…………」

  !!

 この物言わぬ視線、朝に感じたものとまんま同じだ。ハッと気がつき、あのバンカラもどきが屋上のどこかにひそんでいないか、あたりを見回し急いで探す。

「ん、どうした?」

 ヤツが気のゆるんだ鼻声を漏らした。僕はそれどころではない。あのおそろしく鋭くて穿(うが)つみたいな瞳、暑いはずなのに思い出すだけで寒気がする。どこだ――いったい、何者なんだ。

「…………」

 ! いた。今朝方に目撃したままの姿で、給水タンクの影の中にそいつはたたずんでいた。

 今回は毛頭隠れるつもりはない様子で、そのレッサーパンダ獣人はこちらが存在を認識したことに気がついたのかゆっくりと影の中からはい寄ってきた。よく見れば下駄を履いており、バンカラ調の黒づくめに白と茶の毛色が映えている。そしてギラギラと照りつけてくる太陽に劣らぬ、肌を刺すかのごとくすさまじい眼光。

「ざ、ザッパ。あれ――今日の朝、集会所で見ていた(やつ)

 僕が震えを我慢してどうにか指差したほうを向いて、三八はギョッとした素振りを見せる。どうも朝の一連の出来事といい、僕だけがこの言い知れぬ視線を感知できているようだ。

 レッサーパンダ獣人は完全に()の当たるところまで出てきて、僕たちが動揺している動向を変わらず静観していた。

「あぁん? なに見てんだテメェ」

 唐突にヤツが大見得を切り、バンカラ姿につかみかかろうとする。すぐさま嫌な予感がして制止しようとするまでもなく、事は一瞬にして決着がついた。

「見せもんじゃねぇぞ、とっとと……ぐはッ !?」

 レッサーパンダ獣人の胸ぐらをつかんだ三八が宙に浮く。否――持ち上げられたと表現したほうが正しい。それは、あまりにみごとな背負い投げだった。受け身を取らせる隙すら与えず()()固めに入る一連の所作が美しくて、思わず見入ってしまう。

 ヤツの抵抗する声にハッと我に返ったとき、時間の進みが平常に戻った。

「なにすんだこのチビ !! 離せっていってんだろが !!」

「ザッパ !!!!」

 慌てて三八のもとへ助けに駆け寄ろうとする。けれどそれをさせまいとしてか、もう一つの“声”に今度は立ち止まらざるを得なかった。

(ほね)(にじり)(いっ)()(にん)(ぎょう)(がた)三八……名前は違っていないか?」

 ドスの利いた低音。そうとしか表しようのない野太い声が、僕に向かって投げかけられる。全身がゾワゾワとして毛が逆立つのを感じた。無意識に警戒の態勢に入る。

「落ち着け、一朔そして三八。こちらに従えば悪いようにはしない」

 レッサーパンダ獣人は明らかにヤツより小さい体型をしていた。しかし、発せられる一言の響きがとてつもなく重く、まるでのしかかられるかのような感覚に(さいな)まれる。

「――ええ。いかにも、その名前ですが」

「イッサ !! ソイツの話に耳を貸すな !!」

 喉元にナイフをあてがわれている気分だ。おそらく、こうなっては僕たちに拒否権はないに等しいのだろう。返事によってはコイツがなにをしてくるのか予測できないのがなおのこと、おそろしくて仕方がない。

「なるほど。べつに俺は危害を加えにきたつもりではないことを、まず理解してもらいたい。一朔と三八……二人にぜひとも請け負ってほしい〝頼み事〟がある。ここではなんだから場所を移そう」

「わかりました、――あなたの名は?」

 三八がいまだ拘束から逃れようともがき暴れている。そんな状況にもお構いなしに、平然と涼しい顔をして一度(しゅん)(じゅん)するかのような素振りを見せてから、その声色をいちだんと低くしレッサーパンダ獣人は答えた。


「姓は(つつ)()(くら)。名は()(いち)。以後、お見知りおきを」

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