第十二話:帰り道
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が続いている。かれこれ二十数分ぐらいか。お互いに目も合わせられぬまま、なにか切り出そうにも言い出せぬまま。僕と三八はとっくに沈んだ太陽を背にして、空の色が橙から藍に移り変わってゆくなかを、ずっと歩いていた。
夜が近づいてきている。駅に着く頃にはあたりも暗くなっているだろうか。遠回りすることをあえて選んだ分、やっこさんと別れるまでの時間はだいぶ遅くなっていた。
窓から外へ飛び出したあと、僕らは病棟を取り囲むように生えていた木々にしがみつくことで命からがら難を逃れた。正直生きている心地がしなかったものの、地面に降り立ち見上げてみれば建物が黒煙を立てながら炎上していることがわかり、強行突破の判断が正しかったのを確信したと同時にロボットの爆発に巻き込まれずに済んだと、心底安心したものだ。
けれどここまで逃げれば安全という保証はどこにも存在しなかった。こんな様子じゃ崩落も時間の問題だろう。この敷地から早く抜け出そうと三八に話しかけようとして隣を見てみればヤツはスマホをいじくっていた。こんなときになにやっているんだと尋ねたところ、どうやら裏道を探しているらしい。聞けば、おそらく廃病院の近隣の住民は何かが爆発したことに気がついて通報しているはずだから、表の道に出てしまうと消防とすれ違って怪しまれるおそれがあるという。したがってここは抜け道を使い迂回できれば少なくとも関係者として認識されることはない――と考えたとのことだ。その発想には一理あった。確かにロボットを壊したのが僕であることはまぎれもない事実なのだけれど、先に向こうが直々に危害を加えてきたうえにわざと爆発させたわけでもないので、この件で警察の取り調べを受けるなんて遠慮願いたい。三八の提案に乗っかる形で廃病院をあとにすることを決断した。
去り際にふと、後ろを振り向く。炎はすでに廃墟全体まで回っており、ここからであってもその熱を感じ取ることができた。……あのロボットは本当に、いったいなんだったのだろう?
ここに立っていても当然答えなど出るわけもなく、ヤツに促されるままに僕は先を急いだ。
そうして――現在に至る。いろんなことに巻き込まれ動き回ってドッと疲れたという以前に元気を使い果たし、喋ることさえままならないというのが実状なのかもしれない。
率直にいえばとっとと家に帰って布団で眠ってしまいたい気分だったのだ。
やっと林を抜けて公道に出たあたりで、おもむろに三八は手をかかげた。なんだろうと注目するのを待っていたとばかりに、視線も合わせずヤツは語り始める。
「なあ。こう、空気が重たいとオレって性格の持ち主は我慢ならないんだ。せーのって合図で今思っていること互いにをぶちまけるぞ」
「ああ……うん、わかった」
どうにもやっこさんはこの長い沈黙に堪えかねたみたいだ。話したいことが山ほどあるのは僕とて同じだった。今日体験した出来事をあれこれと思い起こす。そのなかで一番インパクトに残っていた、あることを口にしてみようと心に決めた。三八は腕をふり下ろし、合図を出す仕草を見せる。
「いいか? いくぞ、せーの――!」
「謎のロボットの正体!」 「……キスすんのも悪くなかっただろ」
「「え」」
予想していたものとはまったく異なる返しに、僕たちは思わず足を止めて同じタイミングで顔を見合わせた。互いのどことなく真剣な表情がおかしくて仕方がなくって――誰ともなしにぷふっと吹き出し始める。
「なんだ、三八がなに言うかと思えばそんなことって……ひひっ」
「イッサこそ倒しちまった相手さんにいまさらなにを……へへへ」
いつの間にやら変な緊張はどっかへとふっ飛んで行ってしまった。なにか一語発するたびにゲラゲラと笑いがこみ上げてきて、腹をよじらせつつどツボに入りつつそぞろに歩く。駅まであとちょっとなのが惜しいくらいだ。
「ロボットを倒してすぐ開いた穴に落ちそうになってさー、ホント自分ってドジだなーって」
「そりゃー災難だったな。結局ロボットはどっから来たんだ?」
「ええとね。建物が地下までミルフィーユの断面みたいにくり抜かれていて、まさにデザートの気分だったよ」
「おーこわこわ。そりゃあ甘いもんでも安易に食べられねぇや。やっぱオレの直感もバカにはならねぇぜ」
夜の虫たちが大合唱を奏で始めようとしている。若干おかしなテンションのまま、つぎなる話題を振ってみることにした。
「で――なんで自分にキスなんかしてきたの?」
「なっ ?! よりにもよってそれを聞きにくるかよ……」
「聞かれるもなにも、言い出しっぺはそっちでしょ?」
「あー。まあ……そうだな」
三八はすこし考える素振りを見せながら尻尾を大きくぶんぶん振ってモジモジとしている。先ほどあった一連のキスシーンの記憶がよみがえってきて、心なしかヤツがふたたびかわいく思えてきた。
「もちろんイッサならわかると思うんだけど、オレってオオカミじゃん?」
「そんなの当たり前だよ。昔からの付き合いだし絶対にイヌではないのはわかっているって」
オオカミ獣人を“イヌ”と呼ぶのがタブーにあたることくらいネコである僕も知っている。
「へへ、あんがとな。オオカミって生き物はひときわ鼻が利くんだ。 “ニオイ”がオレたち種族の社会性を作るといっても過言じゃない」
「ふーん。なんだかザッパらしからぬ真面目な話だこと」
「オレがたまには真面目なこといっちゃ悪いか? ――おらしょっと」
そういうと僕を抱き寄せうなじの部分をクンクン嗅ぎ始めた。廃病院の最上階でひとしきり慣れたのでもう驚かない。
「もう、……暑いってば」
「そう――このイッサの匂いが、オレは大好きでたまらないんだ」
「それがオオカミのシャカイセーとやらとなにか関係があるの?」
三八は僕を解放してちょっぴり恥ずかしそうな、けれど朗らかな笑みを浮かべた。
「オレたちのあいだでは仲のいい者同士で匂いを分かち合うのが親愛の証なんだ。ほらさ、親友じゃ物足りないって言っただろ?」
「あ、確かにそんなことつぶやいていたかも。最後のほうはよく聞き取れなかったけど」
「あっ……あれは気にしなくていいんだ !! オレが本当に言いたいことはさ、イッサを匂いを共有することでより特別な関係だということをアピールしたいってわけだ」
「親友以上の特別な関係ね……男同士なのに、なんか変なの」
安直かつ率直がすぎる感想にヤツはガックシと来たみたいで、尻尾が明らかに気力を失くし垂れ下がっている。シュンと萎びてしまった様子に思わずフォローせねばと言葉をつないだ。
「あー……、その。変っていうのはここでは悪い意味じゃなくて不思議だなーくらいの気持ちだからさ、そんな見るからに落ち込まないでよ。まるで一方的な悪口をザッパに言ったみたいじゃんか」
「いいや。強引にキスをねだったオレが悪いんだ……ホント嫌な思いさせちゃってゴメンな」
「キスが嫌だったなんて、自分は一度も言っていないよ?」
「えっ」
言葉の一つ一つに合わせてコロコロと表情を面白いように変化させる三八。子供かよと内心ツッコミを入れたくなる。
「あらためて言わせてもらうけど、ザッパとのキスはすごく楽しかった。舌を交わらせることが本当に親友を越えるために必要なことなのかよくわからないけど……またやってもいい――ってうわッ !?」
僕が話している最中なのにもかかわらず、頬にポフッとマズルが重なってきた。ふわっとヤツの匂いが漂い、カンテラに火が灯されたように心のなかで優しい暖かさが広がってゆく。
「イッサ、お前ってやっぱ最高だ。大好きだ!」
「くすぐったいし暑いってさっきから言っているじゃんか……まったく」
やや強引に払いのけてから、遠くでサイレンがウーウーこだましていることに気がついた。
はたと我に返った僕と三八はできるかぎりそれを耳にするまいとしてか、足を動かすことに集中する。
「なんか鳴っているね」
「おおよそ消防だろうな。いつにも増して行動が遅いっての」
「自分たち、捕まっちゃうのかな?」
「さあ。あんなこと誰も信じないし、誰にもバレりゃしないって」
テクテク歩を進めていると頭の後ろで腕を組んだ姿勢のままヤツはポツリと一言漏らした。
「イッサ。オレはこの件で一つ、学んだことがある」
「どうしたの、ザッパ。突然あらたまっちゃってさ」
「いや……もう廃墟探検するのに懲りたってことさ」
その発言に三八のほうへ目をやると、斜め上の空を見ていた。なにを考えているのだろう。
「今回はたまたまイッサがいてくれてオレも壁に投げ飛ばされるだけで済んだけど、本来なら殺されていてもおかしくはなかったと思う。廃病院の地下に、あんなデカブツが居座っているなんて前もって知れるわけもねーし、想定できてなかったオレがバカだったって話だ」
「まあ、探検の帰りにいうのもあれだけれど廃墟ってそもそもが危ない場所だからね」
「それに――」
今度はすこしうな垂れた様子を見せ、ヤツは続けざまに言葉を紡ぐ。
「オレはもうこれ以上、イッサを危険な目に遭わせたくないんだ」
やっこさんらしからぬ一言にはやけに感情がこめられていてすこしドキッと揺らいでしまいそうな自分がいた。慌ててなにか返そうと必死に頭を働かせ、適当な表現を取捨選択する。
ええと、ええと……。
「ね、ネコの手にかかればあんなのどうってことないにゃん! 大丈夫!」
なぜこんな言い回しがいきなり出てきたのか僕自身さっぱりわからない。口にした張本人の自分からしてなにいってんだコイツと容赦のない非難が浴びせられる。
「イッサも案外、面白いこというようになったな」
「えっ、あぁ……ありがとう?」
「どういたしまして。人の目が気にならないぐらいがちょうどいいんじゃねぇの」
駅はとうに目前で、車通りや人の往来もそこそこに見かけるようになっていた。みずからの軽はずみな行いを素直に悔い、大変いたたまれなくなって赤面を両の手で覆い隠す。
「……お見苦しいところをお見せいたしました」
「べつに気にしちゃいない、むしろ日常に戻った感じがして安心したさ」
ヤツからすればこんなやり取りが日常なのかと疑問に思ったものの、若干気がまぎれたことは確かだった。
「はぁー、いつもザッパには敵わないや」
「――いつか、オレをその爪でバラバラに引き裂いてくれよな」
へ? いましがたなにかとんでもないことが聞こえた気がする。
「なんか言った?」
「いいやなんも――ほれ、駅に着いたぞ」
「あ、うん。案内ご苦労さまでした……」
僕たちは駅に入って、何事もなかったかのように違う電車に乗ってそのまま別れた。
車内は相変わらず人もまばらでシートに深く腰をかける余裕もある。家に着く頃には八時を回っているだろう、特に門限で怒られる心配はなさそうだ。
どうせ終点の米才駅で降りるのだから眠ってしまって問題はないのだけれど、やけに神経がヒリついてここでは落ち着くことなどできないふうに思えて仕方がなかった。
それと同時に三八と縁を切るという考えが抜け落ちてゆくのを、頭のどこかで感じていた。
「ぷはー」
夏の風呂あがりほど気持ちの良いものはない。日中にかいた汗をさっぱり流しぬるめのお湯が張られた浴槽にザブンと浸かれば、一日の疲れもほど良く落ちるというものだ。
大きめのタオルで水気を拭き取りある程度毛並みを整え、あとは乾燥を夜風に任せゆったりと時間をすごすことが最近の日課となっている。
「おや一朔、お風呂あがりかい?」
半裸でリビングに行くと三毛猫の祖母が安楽椅子に座り扇風機の風を受けていた。僕も風を浴びようと首を振る扇風機の前にしゃがんで恒例行事のごとくあー、と声を出す。
「あ゛ー、へ゛ん゛な゛こ゛え゛~」
「あまり行儀のよくないことはよしなさい、一朔」
「いいじゃんか。おばあちゃんこそ冷えすぎないよう気をつけなよ」
テレビに放映されたくだらないバラエティー番組が、エンディングへと差しかかろうとしていた。スタッフロールが流れる頃合いを見計らい祖母はリモコンのボタンを押しチャンネルを変更してしまう。
「ああちょっと、ドラマ観たかったのに」
「最近のドラマは頭が悪くなる。本当ならテレビだって見せたくないのさ」
「そんなこといってまた。芸能人が好きなんでしょ、おばあちゃんばっかりズルいってば」
「わたしゃもう脳が弱っているからなに見ても構わんのよ。一朔は自分の頭を大切にね」
気遣われているのかただテレビを独占したいだけなのか、チャンネルはローカルテレビ局のものへと移った。時刻はまもなく九時になろうとしている。
「そういやお父さんとお母さん、まだ帰ってこないの?」
「今日は十一時に帰ると聞いた。仕事が片づかなくて残業するなんて、まったく情けない」
両親への嫌味を聞きゲンナリするのもほどほどに画面は夜のニュースへ入ろうとしていた。
『九時です。ニュースをお伝えします』
キリン獣人のアナウンサーが、滑舌の良い声で話し始める。いつもみたいに取り上げられる最初の話題を待っていると――映し出されたポップと読み上げられた内容に目と耳を疑った。
『今日午後六時半頃、広山市付近の元医療施設で起きた火災の消火活動に伴い身元不明の遺体が見つかりました。祭瑞県警によりますと、遺体は未成年のオオカミ獣人のものと断定され、死後それほど時間が経っていないとのことです』
「あらやだ。怖い事件もあったものだね」
映像は廃病院が煙を上げている姿を報道ヘリが撮影しているものに切り替わる。
『遺体は損傷が激しく、身元特定のため調査が進められています。現場の田中さ――』
プツン
「ちょっと一朔なにするん……、――どうしたんだい。そんな青い顔して」
耐えきれない。これ以上は見たくも聞きたくもない。僕は反射的にリモコンを手に取って、強制的にテレビのスイッチを切った。
祖母はただらぬ様子を察したのか、心配そうにこちらを見つめている。
「ゴメンおばあちゃん。気分悪いから部屋に戻るね」
「あ、ああ……おやすみなさい」
極力普段どおりふるまったつもりだったものの、はたから見たら僕の顔はかなりヒクついていたに違いない。ふらふらぐわんぐわんする頭を抱え、自室までの廊下ですべてを回想する。
制服姿の三八、話が噛み合わない一連の流れ、入れ違いに登場した私服姿のアイツ、地下に眠っていた謎の巨大ロボット。――わけがわからない。あの廃病院でいったい、なにが起きたんだ? 身元のわからないオオカミ獣人の死体はいったい誰なんだ? あの場所に三八は二人いたのか? 帰り際に挨拶を交わしたアイツは……はたして本物なのか? 考えても考えても結論は出てくれやしない。
もはやショートした脳ミソを使う気にもなれずに、ドアを開けて敷かれた布団に気絶寸前の意識を横たわらせる。ふと、手にカチャ……と触れるものがあった。ヘッドフォンだ。本人かどうかすらわからない三八に形見といわれ手渡された、あのヘッドフォンだ。
耳に当ててみても当然、あのときみたいに変な声なんて聞こえない。そういえば帰ってから畳に置きっぱなしで、実際どんな音が鳴るのか試していなかった。持ち運び用として常に携帯していた音楽プレイヤーのスイムマンにイヤホンジャックをつないでみる。
今宵流すアルバムは、DCMレーベルのサキソフォンとピアノのデュエット。
“Kyrie”の名を冠したトラックが再生されると、とたんに耳へと渋い響きが広がって音楽が満ちてゆく。ああ――やっぱりジャズはいい。ささくれていた心が元に戻り、思考の流れが収斂して地に足が着いた。――だからといって諸々が片づくわけではないのだけれど。
今日あった出来事は、おそらく一生忘れられそうにないと思う。いやむしろ今日こそが今後起こり得るなにか、大きな物語の幕開けなのかもしれない。
未来予想みたいな大層なことじゃない、ただ直観がそう囁いているだけだ。だったら僕は、明日を生きてみよう。いましがた訪れようとしている日々が、爪を許したことでどう変化するのか、この眼に焼きつけたい。
夏休みはまだ始まったばかりだ。これから“何”が待っているのだろう?
そんなことに想いを馳せながら、今日のところはゆっくりと瞳を閉じることにした。耳元で鳴る、心地よい序曲と共に……。
こうして、僕らの夏が始まった。




