5、損な役 sideクリード
不安そうに怯えるアリシアを見て、やってしまったと思った。
アリシアはまだ精神的に幼い。自分よりも5つも年下なのだから仕方ない。まだ成人して間もないのだから。
怖がらせない様に自分の気持ちを必死で抑える。
ずっと見せない様にして来た欲望に塗れた自分をアリシアに見せてしまった。
それほど自分は焦っていたのだろう。
もうすぐ手に入ると思っていたアリシアが、するりと手から零れ落ちて、何処かへ消えていってしまいそうだから。
俺はカリスマでも天才でも無い。堅固な鎧を身に纏って、誤魔化しているだけで中はとても弱い人間なんだ。
何も出来なくていいからアリシアさえいれば……。俺は頑張れるのに。
アリシアが精神的にも大人になるまで、後数年はかかるだろう。次世代の王妃という重積に耐えられる精神は今のアリシアには無い。
アリシアは出来ない子ではないのに。
今は自信がないが、アリシアは一度決めたらどんな努力も惜しまない強い子だ。
アリシアの気持ちさえ固められたら……俺を愛してくれたら……。
でも今はダメなんだ。俺がどんなに頑張っても、後もう少し時間がかかる。
今無理をするときっとアリシアは壊れてしまう。
それでは、なんの為に3人でアリシアを守って来たか分からない。
いくらでも待てたら……と思う。けれど、周りがそれを許さない。
もし今アリシアが逃げ出して仕舞えば、ローザが婚約者に入れ替わるだろう。
ローザが嫌いなわけでは無い。
寧ろ、長年同じ目的の為に戦った同士とも言える。
お互いがお互いをよく理解しているから、結婚すればそれぞれの心地よい距離感で勤めを果たす事は可能だろう。
もし結婚となればローザもそれで割り切っている。
ある意味、気持ちの問題で波風が立たないのは寧ろ今の王政にとっては良い事なのかもしれない。
けれど、それでも恋焦がれてしまうのはそんなにいけないことなのか?
1人の男として好きな人を全力で振り向かせたい。
そう願う事は罪なのか。
何故自分は王子として生まれたのだろうと恨んだ事もある。代わりがいれば違ったのか……。
恨んだところで何も変わらない。
折り合いをつけるしか無い。
はぁ……王子なんて損な役だ。
俺は気持ちを切り替え王子役に徹する。
「ごめんね? びっくりさせちゃって。……忘れてくれたらいいから……。
俺はアリシアが大事だから、アリシアの思う様にしたら良い。
これから旅に出るんだろう? 思う様に行っておいで?」
俺は努めて優しく振る舞う。さっきのキスも無かったことにする。俺にとっては一生の大切な思い出になったとしてもだ。自分の気持ちを出してはいけない。アリシアが本当に大事ならそうすべきだ。
息をするのを忘れてしまった様に苦しくても。
胸をナイフで刺された様に痛くても。
それでもアリシアの笑顔を……未来を守りたい。
アリシアは、最初は戸惑っていたが俺の中から欲が消えると安心したのか怯えは消えている。
その後は、俺の言葉の真意を探る様にじっと瞳を見つめて来た。アリシアのまっすぐな視線は、全てを見透かされそうで怖い時もある。
けれど、なんの汚れもない眼は欲に塗れた世界にいる俺を癒してくれた。
俺だけを見て欲しかったが、もう叶わぬ夢だ。
それなら、めいいっぱい羽ばたいて欲しい。
ならば俺は王子役でいるべきだ。
俺は、いつもの兄の様な視線でアリシアを見つめた。
決して欲は出してはいけない。
「うん……ありがとう。私は行くね」
アリシアは最初は迷っていた様だが、心が決まったのか俺をしっかり見つめ意思を示した。
「あぁ。いつでも帰っておいで。みんな待ってるから」
「うん。私も王族問題を解決できないか色んな国を回って探してみる。2人だけに負わせたりしないから」
「……そうか。無理はするなよ」
「うん。みんなに心配させない。大丈夫」
俺は笑顔で送り出す。アリシアは少し距離を空け、今度はにこりと笑っていた。
「じゃぁね!」
最後はアリシアらしい元気な声で転移した。
アリシアがいなくなった場所をぼんやりみながら海岸を見る。思いの外時間が経ったのか、もう夕日は沈んでしまった。夜空には星が輝き出す。
「良かったの?」
思っても見なかった人物の声が聞こえて思わずそちらを振り返る。やはり思った通りだった。
「ローザ……」
「ダグラスが『ローザの方が適任だ』って言うからさ? 来たんだけど、クリードはどう思う?
失恋して落ち込んでる時に、繰り上がって妻になる女の顔なんて見たくないと思わない?」
ローザは惚けた様に首を傾げて問いかけてきた。
ローザの薄い桃色の柔らかなウェーブがかかった長い髪は、年頃の令嬢の憧れだ。柔らかな翠でありながら知的さも持ち合わせている瞳は見つめられると魅了に掛かってしまうと言われる程魅力的である。女性の平均よりも少し高い背で、見事なプロポーションは彼女の努力の賜物なのだろう。
そんな同世代から圧倒的な支持のあるローザでも、私の心を動かすのは別の人物だが。
ローザの親しい人にしか見せない少し茶化した態度は、今の俺とってはありがたかった。確かにローザの方が適任か? ダグラスの采配に俺は思わず笑ってしまった。
「ふっ。確かにダグラスの深刻な顔よりは、よっぽど良いよ。ありがとう」
「あら? ほんと? なら良いんだけど……本当に良かったの? クリードならいくらでも丸めこめたでしょう?」
目を見開き本当? と驚いた様な顔で更に茶化すローザは、王宮の文官たちがみたら驚くだろう。普段の隙のない姿とは大違いだ。お手本の様な令嬢の姿は微塵もない。
良かった……とは、今は言えない。
普段の王子としての俺ならアリシアを丸め込むのは簡単だっただろう。言葉巧みに丸め込んで王子妃にアリシアを出来た。自分の思う様に出来た……けれど。
「我らが姫は、自由に空を飛び回る方が似合っているだろう?
ローザの望みでもあったはずだ」
「……そうね。私はその為に頑張って来たんだもの」
ローザは何処か遠くにいる誰かを思いながらとても優しく微笑んでいた。
「だろ?」
俺が返事をすると、ローザは笑みは崩さないが真剣な目でこちらを見返して来た。
「でも…… クリードとも付き合い長いしね。今の貴方なら何とか出来るんじゃないかと思ったり?」
「それは買い被りすぎ……俺は何も変わってないよ。皆がいなけりゃ何も出来ないさ」
「そんな事ないと思うけど……でもどうするの? 必ずアリシアを連れ帰るって言って、国外に出る許可をえたって聞いたけど?」
「そこは未来の妻と手を取り合って何とかするしかないんじゃないかな?」
「失敗なんかしない理想の王子様の初めての失敗?
ふふ。アリシアの為なら仕方ないか。我らがお姫様の為に一肌脱ぎましょう」
「助かるよ」
軽口を言い合える位は落ち着いたのか……。
まだ心の傷口は痛むが、これからやらなければ行けない事が多くある。感傷に浸ってる暇は無いだろう。
けれどその方がありがたい。
すぐに忘れるのは無理だろうが、ローザと2人で不安定な王政を固める必要がある。
アリシアが戻って来た時に、胸を張っていられる様な俺でいようと思う。
それまで少しお別れだ。