4、未熟
「アリシア?」
少し不思議そうに、けれどとても優しくもう一度、呼ばれた。
でも、どうしても振り向く事ができなかった。
どんな顔をして会えば良いの?
どんな話をすれば良い?
今は何を話して良いのか分からない。
もっと気持ちを落ち着けて、気持ちをどっかに置いて来てから会うつもりだったのに。
もしかしたら酷い事を言ってしまうかもしれない。
私は背中を向けながら、視線を落とすしかできなかった。
少しして、小さな息を吐くのが聞こえた。
草原を踏みしめる音が聞こえる。ゆっくり近づく足音に、どうして良いか分からず何も出来ずにいた。
転移したって、きっとすぐ見つかる。
彼は……クリードは私よりも全てにおいて優れているから……。
「アリシア、泣いているの?」
声がかけられると同時に、ふわりと緩く後ろから抱きしめられた。
抱きしめられた手で優しく頭を撫でられる。
私が小さい頃、落ち込んでいる時にしてくれたのと変わらない手つきだ。何の色欲もない優しい手だ。
「泣いてないよ」
何とか言葉を口にする。頬をつたう何かが、クリードの服にシミをつくった。
「……そうか」
クリードはそう言った後は何も言わずに、ただ頭を撫でてくれた。
私の胸を苦しくさせる人なのに、何故か今は少しずつ落ち着いて来ている。
「よく、国外に出れたね? みんな反対したでしょう?」
今の王族は3人しかいない。結界を維持できる人が3人しかいないのに、その1人が国外へ出る許可なんて普通は下りない。
「ふっ。国の一大事だからね? ちょっと揉めたけど許可は下りたよ。まぁ仰々しい護衛はいっぱいだけどね?」
私達の邪魔をしない為か護衛は見える範囲にはいない。けれど気配は感じるので沢山いるのはわかる。
……ダグラスもいる。護衛は確かに充分すぎる。
クリードは防御魔法の類を展開しているのか、景色が少し揺らいでいる。たぶん外からは見えないのだろう。
「ふふふ。そっか。私のせいでごめんね?
私はいつもみんなに迷惑かけてるのね」
「心配した」
そう言ってクリードは抱きしめる手が強くなった。
相変わらず、頭を撫でる優しい手は変わらない。
私はいつも迷惑をかけてばかり。小さい頃もそうだ。
私は3人に比べて落ちこぼれだったから、幼馴染の3人の様にはなれず、いつも上手くいかなかった。
3人の前では隠していたけど、王宮の心無い人達から、よく比べられ、蔑まれていた。そして隠れて泣いた。
隠れていたはずなのにいつも見つけて、慰めてくれたのはクリードだった。私はこの手が大好きだった。
けれどあの頃とは違い、今は少し骨張った硬い大きな手をしてる。
時の流れを感じていた。
もう私達は大人になってしまった。
今のままではいけないのだ。
「心配かけてごめん。私なりに考えて出した結論なの。だから聞き入れて欲しい」
何を……とは言わない。クリードには伝わっているはずだから、直接言葉に出すともっと何かが溢れてしまいそうだった。
「……アリシアはいつもそうだね。すぐ1人で思い詰めて決めてしまう。私はそんなに頼りないかな?」
少し弱気な声と共に、更に強く抱きしめられた。
いつもの雰囲気とは違うクリードに驚いた。
こんな弱気な姿を私に見せてくれるのは初めてだった。
クリードは唯一の王子であるが、それに驕る事なく周囲の期待を一心に背負って来た。そしていつも軽々とこなしている様に見せている。
けれど、周囲には見せない様にして、その裏でクリードが必死に全ての事をこなしていたのを私は知っている。
努力を隠していたのだ。
クリードは天才では無い。秀才だ。
今のクリードは弛まぬ努力によって勝ち得た物だ。
次世代の王族はクリードしかいない。
弱みを見せれば足元を掬われる。
とても不安定な立場……。
それでも、クリードはいつも余裕のある笑みで論破し、判断を下す。
次世代の王として相応しい姿をいつも見せていた。
陰で頑張っているのは知っていたけど5つ下の私には、見せたく無いのか、今までこんな姿見せた事なかった。
今日が初めてだった。
こんな姿を見せていたのは、ダグラスと……ローザだけだったのだ。私では、力不足だった。
こんな時にその姿を見せるなんて反則だ。私の気持ちが揺らいでしまう。私にだって出来るんじゃ無いかと……クリードを支えれるんじゃ無いかと夢見てしまう。
けれど、私には無理なのだ。私には魔力量だけ。
侯爵家の令嬢としては及第点でも、将来の王妃としては足りないのだ。教養も、マナーも立ち振る舞いも全て足りない。
今の王政はとても不安定なのだ。王族が3人しかいないので、国内不安が広がっている。結界がなくなる不安は、少し前の奴隷制度を知っている人たちにとっては計り知れない。それなら結界が消える前に世界を掌握してしまおうと思う過激派が出て来てしまった。
穏健派と過激派……日々攻防が続く中で、少しのミスも許されないだろう。
きっと私はミスをしてしまう。私の一言で、クリードの足を引っ張ってしまう。そう思うだけで私は耐えられない。
クリードを支えられる人が王妃に必要なのだ。……ローザみたいな。
クリードと政治の話を論破し合えるのもローザしかいない。2人で難しい話をしている所を見たこともある。
ローザは王妃として、お互いに切磋琢磨し、クリードを支え、一緒に歩んで行ける人だ。
それは私じゃ無い。私には出来ない。私は王妃に相応しくない。
「そうじゃ無い。……私が駄目なの」
「俺がそばに居て欲しいと願っても?」
「私じゃ支えられない」
「支えてくれるよ。アリシアがそばに居てくれるだけで頑張れる」
「私は足を引っ張るから……」
「俺がフォローするし、その分巻き返すから大丈夫だよ」
「ふふ。否定はしないのね。まぁ足を引っ張るのは事実なんだけど。
私が嫌なの……クリードに迷惑かけてばかりだと辛くなる」
「……アリシアに辛い思いはさせたく無いな」
「……意地悪な言い方でごめん」
「……うん」
お互いがぽつぽつと話す。
一言は短いけれど、相手がどう思うかもよくわかる。
どう返すかもわかってしまう。
私はクリードが諦めてくれる嫌な言い方をした。
こう言えば、そう言葉が返ってくるのはわかっていたのに、何故かポロポロ涙が零れ落ちた。
クリードは、グッと力を入れて無理矢理私の向きを変えた。本来ならお互い向き合っていて顔が見えるはずなのに私の目には涙が浮かんで全てがぼやけて見えた。
クリードの艶のある金髪も、いつも優しく見つめてくれる翠緑の瞳も、優しさの中にあるキリリと理知的な顔も何も見えない。
クリードは今一体どんな顔をしてるのだろう?
私は涙を落とす為に瞼を閉じた。
唇に何か柔らかいものが触れる。
びっくりして目を開けた時には驚くほど近い場所にクリードの顔があった。
クリードの頭を撫でていた手が頬を撫で、もう一度キスされた。
私は初めての事だったので、只々驚いて固まる事しかできなかった。
頬を撫でた手が首をつたう。
クリードは今までに見た事もない顔をしていた。
怒りや悲しみ、焦り……どこか嬉しそうな色んな気持ちがごちゃ混ぜになった様な複雑な顔だった。
それに……熱を帯びた目で私をみている事に更に驚いた。
こんなクリード……私は知らない。
クリードの見たことのない姿に、私は不安になった。少し怖くもなった。涙もいつの間にか止まっていた。
私の変化に気付いたのか、クリードは少し目を見開いた後、哀しそうな目をして微笑んだ。手がするりと下げられる。もう熱さはなくなっていた。