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古いノート

作者: ユリア

古いノートを開いた。人に語られることがなかった想いが綴られていた。

 ここに記されている事は、二十年間、何冊ものノートに綴られた日記の一頁である。

 特筆すべき事柄は、私のこれまでの日記から…、ということをしなくても、それぞれのお互いの心の中に、文字よりも、はっきり、記されている。消しゴムでは消えない生活の記録と心のひだが、より鮮明に浮かんで来ようというものである。過ぎたことを忘れるということは、うそである、だから、ここに記されてある事は、特筆すべき事柄というよりも、いわば何でもない私達の日常の心の足跡である(私はそう思いたい)。

 二十年もの間、涙とともに、ここまで、子どものためと、只それだけを思い、生きて来た。私の生活の記録も、残すところあと僅かとなり、来春は、この日記を私の心と共に永久に葬りたい。


  ~~~

某月某日

 午前中、昨日の洗濯の残りを済ませ、布団づくりのため、ミシンを踏む。午後、我慢が出来ずに横になる。目を閉じると、暗い底知れぬ沼の中に引き込まれるような不安と、その不安の中にこのまま死ねたらどんなに・・・と思う安らぎがあった。夕方、少し元気になったので、子どもたちのお薬を取りに行く。


某月某日

 朝早く、花火の音で目が覚める。

 相変わらず、重苦しい気持ち。今日は、旧のお節句なので、菖蒲湯をたて、子どもたちと入る。子どもたちは大喜び、子ども達の無邪気な様子を見ていると、ふと胸のつかえが取れたような錯覚を覚える。今日の空のように私の気持ちも暗く、重苦しい。


某月某日

 食欲がない、鏡に向かうと痩せていくのが目に見える。

 十一時、時計の針のみが、私の神経を苛立たせる。今夜もまた、夜更けてからの帰りか。今夜のように、わびしく虚ろな日は、数えきれないほどあった。三日にあげずという言葉があるが、正にその通りで、おそらく、これからも・・・。でも、子ども達がもう少し大きくなるまで、その日まで、がんばらなければ。深い悲しみに閉ざされた私の心は、例え一緒にいても永久に開くことはないであろう。いくら努力しても、砂地に水をまく様に何も残りはしないということを、十数年たった今、痛切に感じる。


某月某日

 生きているのが辛い。

 体が何かに引き込まれるような感じ。長男のセーターを仕上げなければ。

 夕方、Tさんの奥さんからの電話。


某月某日

 生きるっていう事は、一体どういうことなのだろうか。

 人それぞれに生を受けて死ぬまでには、勿論その人の力ではどうにもならない運命というものがあるのだろうが、しかし、私には私の考えがある。勿論、この考えも生まれた時から持っていたものではなく、結婚して十幾年かを経て、到達した人生観かもしれない。そしてまた、私自身、どうにもならない自分の運命というものに、強いレジスタンスを感じている。


 人間は幸せになるためにこの世に生まれてきたのではないのか。

 人は、年を経る毎に、淋しさをより深く感じるものだが、その淋しさも、自分一人のものとして悩むことはないのである。お互いに話し合い、理解しようとする前向きの心と、互いにいたわり合い、信じ合うやさしさが夫婦として、ごくあたり前の事なのに・・・。そして、そうする事が、夫婦としてのほんとうの姿ではあるまいか。

 しかし人は、自分の惨めな敗北の姿を見出したくないために、自分のほんとうの姿を見失うことがしばしばある、そして、おぼろげながらそうと意識はしていてもなお、その不安定な束の間の幸せに不本意ながら甘んじている。

 私自身、長い長い暗闇の中で、きっと夜は明けるのだからという期待と忍耐、そして甘い夢を持ち続けた来た姿は、今にして思えば、私自身を引き裂いてしまいたいほどの、やり切れない自己嫌悪にかられる。

 幸いにして、私には子供がいる、二人とも可愛い。子どもは、私の心の最大の珠玉である。


某月某日

 私も数えて三十九才。そんなに、たくさんの年数を過ごして来たのかと、ふと首をかしげたくなる。

 二十そこそこで結婚という意味の重大さも分らぬまま、まるで他人がお嫁入りする様な乾いた気持ちで、ぎこちなく座っていたあの日がなつかしい。

 主人とは八才もちがうのだから、一緒に生活するようになったら、うんと甘えてやろう、また兄のように何でもやさしく教えて貰おう、不安と、何となくこみあげて来る甘い感傷の中で、私は、色々と楽しい夢を描き続けたものだった。

 そして、その時々を私は懸命に歩いた。今でも、私は私なりに力一杯生きて来た自分の姿に後悔はしていない。色々な事があった。私の若い頃の甘酸っぱい夢は、次々とこわされていった。生きるという事が心からおっくうになってしまった時もある。でも、そんな時、二人の子どもが私を支えてくれた、そして父もいた。また私には、それをはね返すだけの若さがあった。

 子どもたちは私の心の起伏には関係なくどんどん大きくなり、長男はもう来春に、私から離れて行く。子ども達が目に見えて成長していくのに、私達は此の二十年間に、何を見つけ、また何を自分たちのものにしたのだろうか。こんなに精一杯悲しいまでの努力をしても、いつも振り出しに引き戻される此の気持ちは、何と説明し、また何と言って自分を御すれば良いのだ。

 夕飯の支度をしていると、近所の子どもの声が、『赤いお月様だ』と言っている、ふと、窓越しに覗いてみると、ほんとに夕焼けを丸くした様な月が私を見下ろしていた。もの心つく頃から、祈りにも似た様な憧憬の気持ちでしか月を見たことがない私は、今でもその気持ちに変わりはない。

 月天心という言葉があるが、もの静かで煌々と照る月の神秘さが私達にもあったら。


某月某日

 豪快な雨が時折降り、思い出したように庭石を叩いている。夏も終わり、庭の緑が雨に洗われて、一層、活き活きと私に迫ってくる。しかし、夏の日のあの爽快な雨の日と違い、初秋の雨の何とわびしい事よ。来年の今頃は、私は、今よりも幸せな、豊かな気持ちでこの雨を見ているのだろうか。

 痩せる程考えに考えて得たものは、これからの人生はだれの犠牲にもならない、私自身を、そして心を大切にして、私自身のために生きるという事である。私のことは、子ども達が一番よく知っていてくれている。いづれ子ども達が社会人になり、私の年代になれば、きっとわかってくれる事柄である。勇気を持たなければ。


 喪服を作ることにした。私の心に、あるけじめをつけたかったからである。そもそも喪服とは、人の不幸の折に着るものであるが、でも私は、自分のためにこの喪服を着たい。そして、必ず、もう一度、私自身のために生き返る。

 若い頃、あの冷たい手術台に横たわった時のあの惨めでやり切れない気持ちは誰にも分からないであろう。あそこまで私を追いつめたもの一体何なのか、主人は、一度でも考えたことがあるのだろうか。

 

  ~~~


 『鏡』


鏡は私の心

はたちを過ぎてから、人の世の煩わしさに幾度も打ちひしがれた

暗い底知れぬ冷たい海の底を彷徨い続ける私

その顔は海の藻にも似て青くもの悲しく

鏡は何も言ってくれない

でも、私は今、不死鳥のように海の底から飛び立とうとしている

涙も枯れ果て、ふと見上げた私の心に

身を投げたくなるような素晴らしい青空のある事を、鏡はおしえて呉れた

虚像ではない乙女の頃のような私が、ほんとうの私が鏡の中にいる

「勇気を出しなさい」

「幸せになるんですよ」と、

鏡は、そっとささやく



ノートを閉じると、過去に戻れるのなら彷徨い続けた鏡の中の乙女の心を僅かでも癒すことはできなかったのかという思いが残った。

(例えば、youtubeの Song From A Secret Garden youtube.com/watch?v=jR1gerSNTYk)

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