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もっちり令嬢と幸福な呪い

 スヴェロワという王国に公爵家の長男と婚約している辺境伯令嬢がおりました。名前はエステル・ハンゼルカ。私のことです。

 婚約といっても、華やかな経緯はありません。いわゆる、人質です。

 いまいち国交が安定しないお隣の国、チェルキアと接するタハト山脈の麓を守るハンゼルカ辺境伯家に生まれた娘は、王都の貴族に嫁入りする決まりなのです。

 大昔からの決まりですし、実家の寝返りを防ぎ、世の中の平穏を保つためなら、仕方がありません。有り体に言えば、世界平和のための尊い犠牲です。

 私も例に漏れず、王家の血を引くメイズリーク公爵家への嫁入りが決められました。


 忘れもしない、十歳の誕生日。王命により、私は親元から離され、公爵家の別邸に移されました。緑の屋根にレンガの壁、窓枠には木彫りの飾りがついた素敵な館で、使用人もたくさんいましたが、家族はいません。まったくとんだ誕生祝いがあったものです。


 寂しさのあまり、私は人目も憚らず、眠っている間以外、ほとんどの時間を涙を流す事に費やしました。四六時中目を真っ赤に腫らしておりましたので、使用人達からは裏で子ウサギと呼ばれていたようです。お着替えの時も、ご飯を食べる時も、お勉強の時間も、トイレの中でも泣きっぱなしでしたので、使用人達が呆れてしまうのも仕方がありません。


 メイズリーク家の方々は何も私が憎くて親から引き離したわけではありませんので、たいそうお困りになったようです。どうにか私の機嫌を取ろうと、彼らはまず婚約者殿──ルカーシュ様に花束を持って来させました。


 ルカーシュ様は、それはもう美しい方でした。濡羽色の髪は絹にも劣らず、大きな瞳は春先の若葉のような萌黄色。スッと通った鼻筋に、形が良い厚めの唇。国一番の画家が自分の思う美少年を描いたとしても、彼には決して敵わないでしょう。

 歳が三つ上なので、十歳の私にはとても大人びて見えました。実際、歳の割に落ち着いている方なのですが。


 そのような方がわざわざ足を運んでくださったのに、にっくき私の両目は涙の栓を失くしたまま、ほたほたと水漏れする蛇口のように涙を零しつづけました。

 ルカーシュ様はびっくりして、それからおずおずと私の頭を撫でてくださいました。


「寂しいの?」


 私は大きく頷きます。


「帰りたい?」


 これには首を横に振ります。『王都から逃げ帰ったりなんかしたら大変な事になる』と昔からきつく言い聞かされて育ったので、子供なりに、自分の役割を嫌々ながら分かっていたのです。ここで頷くわけにはいきませんでした。


 ルカーシュ様は私に花束を手渡すと、真っ白なハンカチまでおまけにくださいました。本当は貸したつもりだったのかもしれませんが、私がそのハンカチで鼻をかんでしまったので「それ、あげるよ」と言わざるを得なかったのでしょう。それでもやっぱり、涙は止まりませんでした。


 花束作戦に失敗したメイズリーク家はその後もドレスを贈ってくださったり、お人形をくださったりしましたが、てんで効果がないどころか、食事も喉を通らなくなりました。彼らは相当焦ったようです。料理人に命じて、なんでも良いから何か食べてもらえるようにと、王都のありとあらゆる名物料理を用意させました。


 料理人の人生を賭けた(何しろ失敗すれば職を失いますので)苦労とプライドの結晶である料理が美味しかったのか、お優しいルカーシュ様が毎日朝食と夕飯をご一緒してくださったからなのか、おそらく両方でしょう。私はしっかりご飯を食べるようになりました。ええ、本当にもう、しっかりと。その結果──私はワガママ令嬢ならぬ、ワガママ体型になっておりました。


 これはこれでショックなものです。ルカーシュ様がお美しい分、隣に並ぶと、私は自分が別の生物になったように思えるのでした。……何に見えるかは、あえて口に出しませんが。

 分かっています。ようは食べなければいいのですが、食べるのをやめようとするとルカーシュ様や使用人たちが心配しますし──ああ、これは言い訳ですね。私は単に、美食の虜になってしまったのです。




 そうこうして八年が経ち、色んな意味で立派に育った私にアダムチーク侯爵夫人の主催するサロンへの招待状が届きました。ついに社交界デビューの時がやって来てしまったのです。


 後悔後先立たず。私は鏡に映る自分を見て、重いため息を漏らしました。ため息の分身体がしぼみ、息を吸って元通りになる様は、まるで風船を見ているようです。

 特注のコルセットをつけて、ミモザの刺繍があしらわれた素敵なドレスに身を包んでも、身体のいろんな部分が気になっておめかしを素直に楽しむことができません。

 とってつけたように明るく可愛らしい色合いのドレスより、いっそクマの着ぐるみでも着た方が様になるような気もします。


「……情けないですね」


 自分が単なる人質だということは分かっていますが、仮にもルカーシュ様の婚約者。隣に立って釣り合いが取れる姿でなくてはならないのに、今の私が彼の隣に並べば、失笑を買うに決まっています。もっと早く現実と向き合うべきでした。

 最近街中では婚約破棄を叩きつけられる小説が流行っているようで、実際にトンチンカンな騒動も起こっているとか。

 

 もし、サロンで何か失敗でもして愛想を尽かされてしまったら、私も──


 悪い想像が止まらず、お腹の中がキリキリちくちくします。

 ……言われずとも分かっています。本当にそんなことになったら国の一大事です。ルカーシュ様は責任感が強く、聡明な方でいらっしゃるので、万どころか、億が一にも婚約破棄なんて事はありえないのですが。


 ──でも、もしかしたら、素敵な誰かと恋に落ちてしまうかも。


 私と並べば、他の御令嬢方が花のように見えることでしょう。

 たとえば、流行りのドレスが似合う、腰がキュッとくびれた、ほっそりとした首の、儚げな、あるいは艶やかなひと。もしも、そんな方と比べられてしまったら……?

 針でも飲み込んだような心地がして、たまらずぎゅっと胸を押さえましたが、もっちりとした弾力が現実を突きつけるだけでした。


「エステル様、ルカーシュ様がお迎えにいらっしゃいました」


 落ち込んでいる間に、時間が来てしまったようです。私は今から絞首台に立つ罪人よろしく項垂れ、部屋を出ると、足枷でもついているかのように重い足取りでエントランスホールへ向かいます。


 螺旋階段の下で待ってくださっていたルカーシュ様はヒールの音に気づいて顔を上げると、ふんわりと花開くように微笑み、私を待ち構えるように両手を広げました。


「ステラ」


 彼はいつも、私をそうお呼びになります。


「今日は一段と可愛らしいね」


 ルカーシュ様の“可愛らしい”の基準はロマンス小説のようなロマンチックなものとは大きくズレがあることをこの八年で学んでおりましたので、私は「ありがとうございます」と曖昧に笑うにとどめました。


 ルカーシュ様は女神様も頬を染めて恥じらうほどの麗しい青年に成長しましたが、どういうわけか、少し変わった趣味をお持ちなのです。

 ぬいぐるみの蒐集家を自称し、特にぽむんとした丸っこいクマを好んで集め、さらには、ご自身でお作りになるほどの愛好家でいらっしゃいます。

 私もいくつかいただきましたが、年を経るたびに腕を上げ、今では職人顔負けの腕前です。私よりも刺繍がお上手と知った日の夜は、悔しくて少し泣きました。


「さぁ、おいで」


 私がいまだに実家を恋しがる寂しがりやとでも思っておいでなのか、ルカーシュ様は会うたびに私を安心させるように抱きしめます。まるで、本当の家族みたいに。

 昔はとても嬉しかったのに、今は少し、惨めな気分になります。「私はお年頃のレディなんですよ」と胸を張って言えたら、どんなに良いでしょう! ……ぬいぐるみ枠を脱する努力を怠った私に、そんな権利は無いのですが。

 だからと言って拒む理由もありませんので、私は大人しく彼の両腕に収まります。いえ、収まりきれていないのですが、ともかく身を委ねます。


「大丈夫。きっと楽しいよ。今日のために、ダンスもたくさん練習しただろう?」


 ──ダンス。顔を強張らせた私をルカーシュ様は見逃しませんでした。


「大丈夫、大丈夫。君は充分、上手な方だ。何しろ、僕の足を一度も踏んだことがない」


 足を踏んで怪我でもさせては末代まで語り継がれる大恥になることは必至ですので、集中力を限界まで研ぎ澄ませる必要があっただけのことです。

 ルカーシュ様は私の必死の努力に気づいていなかったのでしょう。呑気な笑顔で「大丈夫、大丈夫」と軽い調子で繰り返し、大丈夫の大安売り。ぷるぷるとプディングのように震える私の肩を抱き、朗らかな笑い声を響かせながら、私を自動車へ連行(エスコート)するのでした。




 私が心の中でどんなに時が止まる事を願っても、無駄な事。自動車はガスを吐き、軽快なエンジン音を上げながら王都の郊外へ進みます。

 やがて車輪は煙突や窓がいくつもある、白い壁に灰色の屋根の上品さと絢爛さが見事に調和した大邸宅の前で止まりました。ここが、アダムチーク侯爵夫人の邸宅です。別名をクラーラ邸ともいいます。

 クラーラというのは侯爵夫人のお名前です。彼女は国王陛下の実の妹君であらせられ、嫁入りの際、陛下よりこの屋敷が贈られたそうです。

 よほど愛されていらっしゃるのでしょう。彼女は今も時折王宮に顔を出し、その聡明さを活かして陛下のお力になっているのだとか。


「どうぞ」


 運転手が自動車のドアを開けます。それを恨めしく思いながら、私はルカーシュ様の手を取って車を降りました。上機嫌に私の帽子を直すルカーシュ様を直視できず、足元に敷き詰められた白い砂利に目を落とし、ついでにぐりっと踏みつけました。


「クラーラ邸へようこそ」


 一列に並んだ使用人たちが会釈をし、品のいいラベンダー色のドレスに身を包んだ女性が前に進み出ます。

 ブルネットの髪にきりりとした眉、私の母よりも歳が上でしょうに、若々しい輝きを放つ鳶色の瞳が、いかにも今時の意志を持った女性らしい強さを窺わせる魅力的な女性です。


「アダムチーク侯爵夫人」


「お久しぶりですわね、ルカーシュ様。ようこそいらっしゃいました」


 ルカーシュ様と握手する侯爵夫人に一礼すると、彼女は同じように私に手を差し出しました。


「貴女がハンゼルカ辺境伯のお嬢様ですわね?」


「ええ。エステルとお呼びください。お会いできて光栄です、夫人」


 握手すると、侯爵夫人はそのまま私の手を両手で包みこみました。


「さぁ、こちらへいらして。今日は特別な方をお招きしているの。ぜひ紹介させてくださいな」


 夫人は私と腕を組み、並んで屋敷の中へ入ります。


「エスコート役を奪われてしまいましたね」


 ルカーシュ様が一歩後ろで苦笑すると、彼女は彼を振り返って可笑しそうに笑いました。


「あら。それは、それは。悪い事をしてしまいましたわ」


 口ではそう言いながら、アダムチーク侯爵夫人はこれ見よがしに私の腕をぎゅっと抱きます。結局、私をルカーシュ様に返すことはありませんでした。



 さて。この日のクラーラ邸には、多くの貴族が集っていた。

 アダムチーク侯爵夫人は顔が広く、定期的にさまざまな会を開くが、今日は第二王子が招かれていることもあって特に参加者が多かった。皆、出世の機会は見逃せないという事だろう。

 おかげで屋敷の使用人たちはてんてこ舞いだった。屋敷中をあっちへこっちへ行ったり来たりの大忙し。貴い御方がお見えになるので、今日は少しの失敗も許されない。誰もが目の前の仕事に集中していた。


 ──それが、仇となった。

 

 目まぐるしく働く使用人たちの目が届かない隅の方で、ひっそりと、大広間の様子を観察する者が、いる。

 誰の目にも留まらないように無難な色の無難なあつらえのドレスに身を包み、たまにそれとなく周囲の笑いに合わせて微笑み、空気のように溶け込んでいる。


 しかし一つだけ、おかしな点があった。彼女は片手に小瓶を握り込んでいた。手のひらに収まるほどの小さな小瓶なので、気づく者はいない。


 ふいに、広間の入り口のあたりが騒がしくなる。屋敷の主人が客を連れて戻ってきたのだ。

 唇を歪めると、彼女は蛇のように密やかに、獲物に向かった──



 異変に気付いたのは、どうやら私だけのようでした。微かですが、ホールの中に魔法の気配がするのです。

 魔法とは、超自然的な要素をあれやこれや掛け合わせ、現実を捻じ曲げる技のことをいいます。

 この常識を塗り替える冒涜的な力を察知できるのは、自然の力が色濃く残った、ごく僅かな地域の一族だけ。つまりは田舎者のみです。

 言わずもがな、私もその田舎っぺでありましたので、肌をピリピリと痺れさせる気配を察知し、息を呑みました。


 ──何者かが、よからぬことを企てている。


 すぐにルカーシュ様に助けを求めようとしましたが、彼は紳士方に連れられ、いつの間にか離れた場所にいらっしゃいました。

 そこに助けを求めに行こうとすれば、きっと人目を引くでしょう。何しろこの()()ですし、私の存在感は誰もが無視できないものです。下手な動きはできません。


 アダムチーク侯爵夫人は大事なお客様をお連れするとおっしゃって、どこかへ行ってしまわれました。使用人たちも思うように捕まえられません。


 身動きが取れずオロオロしているうちに、侯爵夫人が戻っていらっしゃいました。

 彼女をエスコートしているのは、陽の光を集めたような金の髪の紳士です。ルカーシュ様ほどではありませんが、なかなかの美男子です。

 彼らが広間に足を踏み入れるや否や、周囲の方々の目の色が変わりました。広間は囁き声に満たされ、楽師の奏でる音楽がぴたりと止まります。


「皆様、私の会のためにテオドール殿下がいらしてくださいましたよ」


 テオドール殿下と言えば、スヴェロワの第二王子殿下です。本当なら私も舞い上がって然るべきところでしょうが、そんな場合ではありませんでした。


「皆、今日は私も客の一人だ。気にせず楽しむように」


 気さくに微笑む王子に向かって狙い澄ましたように魔法の気配が近づいていきます。下手人の狙いは、間違いなくテオドール殿下でしょう。

 ドッと体から冷や汗が吹き出します。いてもたってもいられず、私は周囲の人々を押しのけて前に出ました。

 魔法の気配の大元は一人の女性です。片手が不自然に握られていて、怪しさ満点です。

 彼女は握った手を胸の前に掲げ、小瓶のようなものの栓を抜きました。

 もう一刻の猶予もありません。私は一目散に駆け出そうとして──慣れない華奢なヒールのせいで蹴躓(けつまづ)きました。


「どぅわッ!」


 しかし私も必死でしたので、勢いを殺さず、そのまま不審者に向かって倒れ込んでやりました。


「でぇえーい!」


 私の渾身の体当たりは見事に炸裂し、彼女の手から小瓶が離れ、空中を一回転し、中身がひっくりかえります。

 ピンクの液体が飛び散る様が妙にゆっくりと感じました。

 禍々しい気配を放つ液体を避ける俊敏(しゅんびん)さはありませんでしたので、私はその怪しい薬を頭から被ってしまいました。


「ステラ!!」


 ルカーシュ様の叫ぶ声が聞こえましたが、私はそれどころではありません。目の前に光の粒が舞い、磨き上げられた固い床が雲の上のように感じます。


「まぁ、大変! エステル様、お怪我は?」


「私のことより……その……女性……くせものです……」


 指差した女性を使用人たちが取り押さえます。それをぼうっと見つめている間に、頭の中がクリームのようにどろりと溶けていきます。


 ……わたしはなにを、していたんでしたっけ?


「離れてしまって本当にすまなかった。大丈夫か?」


 ルカーシュ様が私に駆け寄って助け起こしてくださいますが、足元がおぼつきません。


「何があったんだ?」


 とろりとした頭のまま、私はうまく考えをまとめられずにいました。なんだか妙に幸せで、何もかもが輝いて見えます。


「……ステラ?」


「まほーです」


 かろうじて私がそう言うと、ルカーシュ様と侯爵夫人と王子様は何かを察したのか、サッと青ざめました。

 侯爵夫人は使用人に何事かを命じ、赤い液体の入ったグラスを用意させると、私の口に流しこみました。これはおそらく、解呪薬でしょう。効き始めるのに、どのくらいかかるか……


「苦しくないか? ステラ」


「……はい」


 テオドール殿下が私の前に跪き、ふくふくした手をとりました。ぼんやりしていたので、わたしはされるがままになります。


「ルカの連れということは、其方がエステル嬢だな?」


「……はい」


 ああ、ふわふわする。


「身を挺して私を庇った忠誠心に感謝を。ハンゼルカ家には私の力が及ぶ限りの礼を尽くそう」


「……はい」


 よくわかりませんが、とにかくほめられているのでしょう。うれしくなって、わたしはにへらとわらいました。

 ほめられちゃった、ほめられちゃった!


「こーえーです、でんか」


「其方個人にも礼がしたい。望みはあるか?」


 うれしさでうきうきしてきたわたしは、いますぐおどりだしたいきぶんでした。


「わたしとおどってください、でんか」


 テオドールでんかはパチパチとまばたきします。


「い、いや、体は大丈夫なのか? 何かしらの魔法を受けたのだろう?」


「へーきでーす」


「いや、」


「へーきったらへーきらもの!」


 でんかはこまりはてたようにルカーシュさまをみあげます。


「……かまわないか?」


「まぁ、踊るくらいでしたら。社交界では通常、色々な方と踊るものでございますし、僕も理解ある伴侶を目指しておりますので、ええ、ええ、どうぞ、どうぞ」


「目が据わっているぞルカ!」


 ルカーシュさまはニッコリとわらい、がくしにむかっててをふります。かれらはあわててがっきをかまえると、なんだかたのしいきょくをえんそうしはじめました。


「わたし、ほんとはおどるのすきなんです!」


 くるくる、くるくる、わたしとテオドールさまはホールのまんなかでかれいにターンをきめます。


「そ、そうか」


「でも、おおきなぬいぐるみがおどっても、おかしいだけだとおもって、おどりたくないっておもってたんです。でも、なんだかどーでもよくなって!」


 テオドールさまはなんだかむずかしいかおになりました。きょくのとちゅうなのに、かれはぴたりとうごきをとめます。


「やはり、其方への褒美はまた改めて聞くべきだと思う」


 おうじさまはおもいためいきをついて、だれかにむかっててまねきしました。わたしはそれを、ぽけーっとみつめます。


「可愛がるだけではなく、きちんと話し合え」


 だれかとだれかがおはなししてる。それがだれか、もうわたしにはみわけがつきませんでした。めのまえがまっしろになって、みるくのうみに、なげこまれたかのよう──



「出家したい……」


 私は芋虫の如く自室のベッドの上でお布団に包まり、しくしくと泣きじゃくります。これこそ生き恥です。今すぐ自分を消すことができるなら、今ならなんだってやれるでしょう。


 ホールで意識を失った私は、気づけば部屋着に着替えて自分の部屋に寝かされていました。(きっと使用人たちが頑張って着せ替えてくれたのでしょう)

 正気に戻った私は自分のやらかした事を思い出してもんどり打ちました。魔法にかかっていたとは言え、人前で、事もあろうに第二王子を巻き込んで踊り狂うなんて、恥晒しにも程があります。

 ずっとそばについていてくださったお優しいルカーシュ様の顔を見るのが辛くて、彼を部屋の外に追い出し、それから小一時間、こうして泣き続けている次第です。


「ステラ、何度も言うけど、出家だけは絶対に許さないからね」


 ルカーシュ様です。彼は追い出されてからもずっと部屋の外に居座って、私が部屋を脱走して修道院へ駆け込まないか見張っているのです。


「みんな、君の勇気に感服していたよ。あの場で魔法の気配に気づけたのは君だけだった。さすが辺境伯の娘だ、って」


 私が返事をしないでいると、ルカーシュ様は軽く扉を叩きました。


「お願いだから、ここを開けて。君の顔を見て話をしたい」


「……」


「君が自分を恥ずかしいと言うなら、僕も自分を恥じるよ。大事な婚約者のそばを離れて、守ってやれなかったのだから。君が出家するなら、僕もついていこうかな」


 そう言われてしまっては、無視し続けることなんてできません。私はシーツを被ったまま恐る恐るベッドから降りて、扉の前に立ちます。


「……貴方が出家したら、みんな困ります」


「君が出家したら、僕が困る。君と一緒にごはんを食べるのが、僕の限られた癒しなんだ。君と一緒に食べるご飯はちゃんと味がする。だからどこにもいかないで」


「お料理の味は私がいなくたって変わりませんよ」


「変わるさ。君だって、僕がいるから食べるようになってくれたんだろう?」


「ご実家で食べればよろしいでしょう?」


「実家では僕も、食事は一人だから」


 初めて耳にしたお話でしたので、私は目を丸くして、思わず扉を開けてしまいました。

 眉を下げて笑うルカーシュ様を見た途端、私は考える間もなく彼に抱きついていました。


「どこにも行きませんから、そんな顔をなさらないで」


「ありがとう」


 シーツを被ったままだったので、傍から見るとひどく間抜けに見えたことでしょう。ロマンチックさなんて欠片もありません。

 それでもルカーシュ様は私を抱きしめ返してくださいました。とても暖かくて、この安らぎを少しでも彼に与えられていればいいなと、私は心からそう願いました。


 ルカーシュ様はシーツを私から取り上げると、ぽいっと床に放りました。そのまま私の手を引いて、部屋の長椅子に座らせ、彼も私の隣に腰掛けます。


「君は本当に、恥ずべきどころか、誇りに思っていい事をしたんだよ」


 いつもにこやかなルカーシュ様が珍しく真剣な面持ちでいらっしゃるので、私は「そんな、大した事では」と言いそうになるのをぐっと堪えて、神妙に頷きました。


「あの魔法薬は“全てを肯定する”効果があった。今回はすぐに解呪薬を飲ませる事ができたおかげで、多少効果が緩和されたのか、君の頭がゆるふわになる程度で済んだけれど……本来の奴らの計画では、王子に全肯定の魔法をかけて、特殊な書類に署名させるつもりだったらしい」


「その書類とは……?」


「詳しいことは言えないけれど、軍の機密書類だ。君が邪魔しなければ、今頃黒幕は意気揚々と戦争の準備を始めていただろうね」


 ざぁっと音を立てて血の気が引きました。もしもそうなっていたら、その最前線に立つ羽目になったのは私の家族でしょう。


「なんてことを……」


「ね? 君はとても多くの人を救ったんだ」


 ルカーシュ様は私の頭をわしゃわしゃと撫でた後、両頬を掌でぺしりと挟みました。


「だからと言って、無茶したことは許しませんからね。大いに反省しなさい」


「ふぁい」


 私が大人しく頷くと、ルカーシュ様は多分笑おうとなさったんでしょう。──けれど、うまく笑えていなくて。美しい顔がくしゃりと歪みます。


「君が無事で、本当によかった」


 新緑の色をした瞳が見る間に潤んで、一粒、宝石のような涙がこぼれました。あんまり綺麗だったので、指で掬うように拭うと、彼は私の手首を掴んで、指先に口付けました。


「もっと自分を大事にして。もっと自分を愛して」


「それは……」


 返す言葉が思いつかず、私は口を閉ざします。


「君が君自身を好きじゃないことに、もっと早く向き合っていればよかった」


 ルカーシュ様は真っ直ぐに私の目を見つめました。居心地の悪さを感じて身を引こうとしましたが、彼は手を離そうとしませんでした。


「僕はずっと、君を大事に思っているよ。泣くほど寂しいのに、帰りたいと言わなかった君を今でも尊敬しているし、誰よりも愛おしいと思う。君がいくら、僕達が不釣り合いだと思っていても」


 私は言葉を失って、目を見開きました。私の考えていたことは筒抜けだったようです。なんだかひどく恥ずかしくなって、私は顔を逸らそうとしましたが──


「僕を見て」


「はい」


 そうは問屋が卸しませんでした。


「僕はどんな君でも好きだけど、君にもちゃんと、自分を好きでいてほしいよ。いくら『かわいいね』って言ってもわかってもらえないのは悲しい」


「きちんと理解しているつもりですが……」


「本当に?」


 ルカーシュ様は咎めるような目をして顔を近づけます。しっかりと頷いて、その視線を正面から受け止めていると。


「こういう意味なんだけどね」


 ──唇に柔らかいものが触れました。

 あの魔法の薬を浴びた時のような、暴力的な幸福感と温もりとが長々と続き、酸欠のせいか羞恥心のせいか、耐えきれなくなった私は頭から湯気を発して、もう一度ひっくり返りましたとさ。



 その後私が一念発起して自分を変えたのか、彼に愛されるままの私でいたのか、それは些末なことです。どちらにせよ、私は素敵な公爵夫人になったのですから。

ハッピーなキッスで終わりたかったので書きました!!

おんなのこはみーーーーーーーーんなかわいーーーーーーんじゃーーーーーーい!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] ハッピーなキスエンドと後書きに賛同してます。 おんなのこはみんなかわいいから! [一言] 短編だからこそ、無駄なくかわゆく、かっこいいぞ婚約者!でハッピーエンドバンザイ!
[一言] きゃわいい(*´ω`*) 女の子はみんな可愛い! 婚約者を心から愛で、クマさんぬいぐるみ作れちゃうルカーシュ様も最高だし、「きちんと話し合え」とアドバイスする殿下も素敵~。 素敵なお話ありが…
2021/08/18 20:55 退会済み
管理
[良い点] もっちり令嬢さいこぉーーーー!! [一言] 将来的にどうなるわかりませんが、物語の中でぽっちゃり→ダイエットしてスッキリスリムの美少女に!という展開がなくて嬉しかったです。 女の子はみん…
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