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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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猫も食わない

「ここから出るには十分でも、他国に通用するほど精度の高い物は秀真まほろの闇業界ではちょっと」

「秀真の職人って、腕がいいので評判ですよね?」

「それを燻らせる意味が分からなかったから、俺が側付きになった時点でほとんど城で囲い込んだんだよね……」

「国としては正しいけど、もうちょっと遅く!!」


 せめて私の役に立たせてからと畳を強く叩いて主張すると、申し訳ないと顔を逸らしつつ謝罪される。


 個人的には余計なことをと責め立てたいが、国として正しい判断を責めるのも筋違いだろう。とりあえず正規の職人に偽造を頼むのは、奏の信条に反する。裏のことは裏でやれ、真っ当に生きている人間を勝手な都合で引き摺り込むな、と口を酸っぱくして双子にも教育してきた。人生が変わったとはいえ、自分がそれを曲げるわけにはいかない。


 しかし役に立たないと分かっている偽造に手を染めるのも馬鹿馬鹿しい、正規の手段で手に入れる方法を考えれば理人あやひとに頼る現状が続くだけ。と身分証の時と同じような堂々巡りに思わず頭を抱え、役に立てなくてごめんとどこかほっとしたように謝罪を重ねる理人に半ば投げ遣りな気分で覚悟を決める。


「多少の無茶なら受けて立ちますから、直接将軍に会わせてください」

「っえ!?」

「一国の将軍が相手だろうと私もヴィシュムの闇とまで言われた身です、踏んできた修羅場の数が違います。三十にも満たない若造が、どれだけぎゃあぎゃあ騒いだところで凌げますから。会う段取りはつけてもらえますよね」

「それ、は、」


 できるともできないとも言いたくなさそうな顔で逡巡した理人は、屈辱と言わんばかりに顔を歪めて俯いた。


「ごめん、白状する」

「まだ何か隠してたんですか!?」


 甘やかすのは後ろ暗いことを隠すためかといきり立つ奏に、ごめんと子供が悪戯の言い訳をするみたいに開き直り気味に謝罪を投げられる。その謝罪は挑戦と受け取ったとぱきりと指を鳴らすと、違うごめん聞いてと慌てて降参とばかりに両手を向けられる。犬がお腹を見せるなら絆されて撫でもするが、ごつごつした野郎の掌などいっそ切りつけてやろうかと思う。


 静かな奏の殺意を感じ取ったのかびくりと身体を竦めた理人は、それでも手を隠すではなく情けなく眉を下げながら口を開いた。


「さっきも言ったよね。将軍は他人の大事なものは取り上げようとする、って」

「聞きましたけど。今のところ私に取り上げられそうなほど大事なものは少ないですし、何なら雪代藤間(とうま)が大事で仕方ないって思い込ませるくらいできますよ」


 それなら何をされたところで困らないとあっさり父親を売る算段をつけたのに、理人は複雑な顔をして小さく頭を振った。


「将軍が興味を持ってるのは、俺の婚約者である君なんだ」

「……はあ」


 何かまた不思議なことを言い出したぞという気分で適当な相槌を打ったのは、どうやら理人は隠したいようだが自分の評判なら既に嫌ほど聞き及んでいるからだ。


 三年前、いきなり静寂しじま当主の婚約者として知れ渡った雪代奏は親でさえよく素性を知らない存在だ。最初こそどうやって射止めたのか、雪代もとんだ隠し玉を持っていたものだと妬みややっかみが飛び交っていたが、今はそれも沈静化している。何しろこの三年、婚約したまま事態が動いていないからだ。


 秀真における女性の結婚適齢期は、十二から十五くらいとされている。それから二十歳くらいまでに子を三人ほど儲けるのが一般的な流れで、他国での知識がある奏からすれば女性の身体を何と心得ると一年ほど説教をしたい事態ではあるが、残念ながら長く続く悪習はなかなか改善されない。おかげで婚約したまま適齢期をとっくに過ぎた奏は欠陥品なのではないかと専らの噂だ。


 正直に言えば結婚に至らない理由を片方に求めるのは理不尽だと思うが、片や御三家の当主、片や臣下の十何番目の子となれば前者を嘲るほど剛の者は少ない。結果、論い易い標的として奏に対する口さがない流言には事欠かない状況だ。そんな明らかに関わるだけ時間の無駄とされる女に将軍が興味を持つことはないと思うのだが、理人は何を言っているのだろう。


「外れを掴まされて可哀想だから代わりを紹介しようって話になっているなら、受ければいいでしょうに」

「今の流れで何をどうしたらそうなるのか、聞いていいかなっ」


 あんまり変なことを言うと怒るよと本気で怒気を見せる理人に、彼の地雷がどこにあるのか分からないと心中に肩を竦める。とりあえず将軍から代わりを紹介されているのではないらしいと理解はしたが、話の筋が分からなくて首を捻ると疲れ切ったように深い溜め息をつかれた。


 今のはちょっと、失礼な深さではなかったろうか。


「まっっっっったく理解してくれてないみたいだけど、あの人は俺が奏嬢を大事にしてるのを知ってる、って言ったんだよ。それを踏まえてあの人の悪癖を思い出してくれるかな」

「ひょっとして、理人さんへの嫌がらせに私を取り上げようとしているって言ってますか」

「そう言ってるよ、最初から」


 だから会わせたくないんだと不愉快そうに顔を顰めた理人に、それでも奏の抱く感想は「はあ」だ。


「いいんじゃないですか、別に。私としては旅券が発行されたらヴィシュムに渡る気ですし、理人さんとしては将軍に婚約者を献上したって恩に着せてこの先やり易くなるなら万々歳じゃないですか」

「献上って、」

「仮に将軍が毒に免疫があろうと、毒や香に関しては家族の中でも私が一番得手としたところです。幻覚剤や催眠香でこっちに都合よく記憶を改竄するのは可能ですし、旅券さえ手に入れたら死んだことにして逃げ出せます。あ、本気で死亡届を受理しないように、そこは上手くやってくださいね」


 そしたら後はもうお互いの人生を生き直しましょうと笑顔で提案すると、理人が酷薄な様子で目を細めた。


 これはどうやら、盛大に地雷を踏み抜いたらしい。しかも四つくらい纏めて。足を退ける退けないに関わらず爆発する予感に、何を間違えた!? と自分の言動を振り返りながら急いで避難場所を探す間にも一つ目が破裂する。


「へえ。カヤさんにとってはそれが最適解ですか。そうですね、旅券だけがすべてですからね」


 静かな声で、薄らと笑みさえ貼りつけて語尾を上げられ、奏は言いたいあれこれを呑み込んでにこりと笑った。必殺笑って誤魔化せは、理人を相手には結構な確率で効く。効かないのはよほど回避不能に怒らせた時だけだ──今のように。


 空気の変わらない理人に、冷たい汗が背中を伝う。


「別に構いませんよ、それがカヤさんの望みでしたら、ええ、叶えます。どうせ俺はあなたに拾われただけで飼われてもいませんし、ただの後見人であって婚約も偽装ですからね? 戸籍の手配やら雪代への根回しやら、俺が好きでやったことを押しつける気はありません。そもそもカヤさんにはどうでもいい話ですからね」

「そ、こまでは、さすがに私も思ってないというか、」

「そうですか? では、どのように思っておられるのかを拝聴しても? でもきっと無駄でしょうね、深遠なあなたのお考えは浅慮な俺には到底及びもつかないのでしょうし、聞いたところで納得できない理屈を並べられても承知できるかどうか……、ああ、そうでした。あなたにとって俺の意思など関係ないんでしたね。ではどうぞ、お好きに。ご自由に」


 二つ、三つとどうやら自分の発言で連鎖的に爆発している様子だが、それを突っ込めば新たな地雷まで作動しそうだ。これが双子だったら相手にしていられないと踵を返したところで問題はないのだが、生憎と理人は奏の後見人だ。怒らせたままで将軍に会う手筈を整えてくれるとは思えないし、何よりこの三年で随分と手間をかけさせた自覚はある。何が理由か分からないものの、怒らせた以上は放置して帰るわけにはいかない。


(でも、どこ!? どこが気に障ったの、この子にとっても有意義な提案だったよね!?)


 幼い頃の恩を着せて面倒を押しつけてくる被後見人から解放され、且つ将軍の弱みも握れる話だったはず。奏が危険な目に遭うのを嫌っている節はあったが回避できると説明もした、何の心置きもなく差し出してくれて構わないのだがどこが悪かったのか。


 疑問は尽きないが、奏が理人を蔑ろにしていると感じている部分は理解した。そういうわけではないのだよと、そこから切り崩すしかないだろう。


「聞いて、リト少年。気を悪くしたなら謝罪する、ごめん。旅券がほしくて逸りすぎたね、でも君の意見や感情を聞かないって話ではなくて。ただ私にはカヤとして培った経験と技術があるし、将軍がどれだけ優秀な駒を揃えてても全部を排除して勝てるかなって思っただけ。だって、君は私の敵にはならないでくれるんでしょう?」


 そしたら全部始末すればいいだけだから簡単だよねとそろそろと言い訳を綴ると、何故か理人の怒りが一旦ぴたりと止まった気がした。またしてもどこに反応されたのかよく分からないが、敵じゃないよの表明を続けるべきと判じて畳みかける。


「君が協力してくれるのを前提とした計画だったけど、相談もなしに進めたら気を悪くするよね。けど今のは一案を口にしただけで、絶対にそうすると決めたわけでもないから。何か実行する前に伝える気ではいたけど、言わないで通じるはずなかったよね。そこは謝る。ただ守ろうとしてくれてるのは分かるけど、あんまり過保護にされても困る。後見を頼んでおいて言うことじゃないだろうけど誰かに庇護されないと生きていけないほど弱くはないし、危険から遠ざかるために目的を果たせないのは困る」


 いいと念を押すように確認すると、どうにか落ち着いたらしい理人は目を合わせて一つ頷くと頭を下げてきた。


「申し訳ありません、頭に血が上っていました」


 神妙に謝罪する理人に奏も頷き、仕切り直しましょうと言葉遣いを改めて威儀を正した。理人も頭を上げて一度大きく呼吸をし、座り直した。


「将軍の無茶がどんなものになるか、理人さんもまだ確実なことは言えないんですよね? ただ理人さんの思う最悪が、私を召し上げられるという想定でいいですか」

「考えたくもないくらいには最悪だね」

「そうなってもさっきみたいな手は打てると思って話を進めましたけど、でも実際にはあまり現実的じゃないですよね。確か、将軍の正室は静寂以外の御三家の姫じゃなかったですか」


 この数年で学んだことを記憶の内から引っ張り出すと、途中でまた不快そうに目を細めていた理人も思い出したように肯定する。


清閑しずかあや姫だ。彼女が正室となって家に並ぶ勢いだね」

「なら私を召し上げて側室にするとなると御三家の内、二家が黙ってませんよね。将軍がどちらからも恨みを買うか、静寂と清閑で争いが起きるか、どちらにしても秀真分断の危機でしょう。そうなったらいくら政には口を出さない帝でも、伝家の宝刀として罷免権を振り翳せますよね」


 今まで一度も発動されたことのない権利だが、秀真の主は紛うことなく帝だ。国の安寧を祈り神事に重きを置くため、政の権利を将軍に貸し出しているだけ。将軍は言わば帝の権威を笠に着ているだけ、それを本人に取り上げられれば只人どころかただの無能だ。民が納得する平穏に努めるならある程度の馬鹿は長い目で見逃してくれるとしても、単なる臣下への嫌がらせで国を二分とするとなれば帝も黙っているはずがない。

 少なくとも彼女が天領にあった頃、帝は真摯に神に仕え民を憂う国主だった。さすがに代替わりはしているだろうが、次代にも国主としての心構えがあると信じたい。


 聞かせられない期待に頼るところのある説明ではあったが、理人は何度か納得したように頷いた。


「……考えれば、清閑は二代前に宮様をお迎えしている。帝のお血筋を蔑ろにするのは将軍にも自殺行為か……」

「私を理人さんから取り上げるにしても、別の室を迎えろとか婚約を解消しろとか命じるくらいが関の山ですよ。私は旅券が手に入ればいいので、どう対処するかは理人さんの一存に任せます」


 やりたいようにお好きにどうぞと肩を竦めると、理人は複雑な顔で首の後ろをかいた。


「色々と言いたいこともあるけど、奏嬢が言わんとするところは理解した。それにいざとなったら将軍の首を挿げ替えればいいだけと思えばやりようはあるし……、分かった、お目通りが叶うように申し入れておく」

「こっちも色々どうかと思う言葉が聞こえましたけど、聞かなかったことにしておきます。とりあえず時間も遅くなりましたし、今日のところはこれで失礼しますね」

「、まだそんな時間じゃ、」


 ないと引き止めかけた理人の声が終わる前に、こちらに向かってくる押さえた足音が聞こえる。思わずといった様子で眉を顰めた理人が視線を向けると、部屋の様子が窺えるように開けられた障子戸の影に誰かが膝を突いたのが分かる。


「お寛ぎのところを誠に申し訳ありません、お館様に将軍より即刻登城せよと使者が来られているのですが……」


 如何致しましょうと尋ねる形を取ってはいるが、早く対応してほしいとの悲鳴に他ならない。どれだけ主大事の相模であろうと、まさか将軍の使者を追い返すわけにはいかないのだから当然だ。


 お仕事ですよと奏がちらりと理人に目をやると、苦虫を噛み潰したような顔をした理人は聞こえよがしな溜め息をついてしばらく待たせろと吐き捨てて向き直ってきた。


「君は色々とお見通しだね」

「種のある千里眼にございますれば」

「種は認めちゃうんだ」


 えへんと胸を張った奏にようやく笑った理人は、仕方なさそうに小さく息を吐いて立ち上がった。


「ごめん、また送っていけなくて。春朗太に送らせる」

「お心遣い、痛み入ります」


 ゆっくりと頭を下げると理人は僅かに目を細め、行ってくると部屋を出て行く。ここは奏の家ではないし、帰りを待つわけでもないのだが、望まれている台詞が分かるのに口を噤んでいるのも野暮だろう。


 名残を惜しむ猫と思えば、可愛いものだ。


「行ってらっしゃいませ。お勤めに励まれますよう」


 可愛らしい婚約者めいた言葉を選べば、はっとしたように振り返った理人は合わせた目をふらりと逃げさせて赤い顔を隠すようにすぐ背を向けて足早に出て行った。自分が望んだくせにあそこまで照れられると、こちらも反応に困る。


「……申し訳ありません、一先ずお館様のお支度を手伝ってまた声をかけさせて頂きます」

「あ、どうぞごゆっくり」


 急ぎませんのでとにこりと笑ってみせた奏に、恐る恐る声をかけてきた相模は砂を吐きそうな顔をしたまま複雑そうに一礼して理人を追いかける。しまった、人目があったんだったと自分の行動を反省する。


「でもほら、お隣の猫でも甘えてこられたら愛着も湧くっていうか。……ねぇ?」


 自己弁護でもするように呟きながら同意を求めるのは、実は部屋の片隅でずっと丸くなって寝ていた道端。煩そうに片目を開いてこちらを確認した茶虎の猫は、なう、と短く鳴いて顔を逸らすようにまた丸まった。


 犬も食わないのは夫婦喧嘩、では猫も食わないのは何だろう?

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