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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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子供の認識

 雪代奏が、静寂理人しじまあやひとを後見人として裳着の儀を終えてから三年。雪代家から出る話もあったが、面倒臭いので結構です。と取り付く島もなく断った奏のせいで離れのあった場所に新たな家屋が建てられる羽目になった。これも面倒臭いんですけどとじとりとした目つきで抗議はしたが、即座に静寂に嫁ぐのとどちらがよかったかなと笑顔で脅迫されて黙らざるを得なかった。


 あの頃の可愛らしい少年は、とっくにこの世にないらしい。よくぞここまでふてぶてしく育ったものだ。


「むしろもう、雪代藤間(とうま)が軽く哀れになったからね……」

「奏嬢を娘とできた幸運な男の、何が哀れなのか分からないけど」


 何の処分もしてないよと不服げな顔をする理人に、奏はじろりと眇めた目を向けた。この三年で砕けた話口調もようやく慣れてきたようだが、理人のカヤ奏至上主義という残念思考は未だ矯正されていない。


 裳着を終えて名目上は成人したとはいえ、予定外なことに未だ旅券も手に入れられない程度には未成年扱いをされている奏は、はっきり言って暇を持て余している。御三家の婚約者といういらない付加価値をつけられたせいで仕事にも就けず、堂々と親の脛を齧っては花嫁修業と称して静寂家でだらだらと過ごす怠惰な日々が日常化している。しかし登城して将軍の側に仕えるのが仕事であるはずの理人が、ちょいちょい奏の側で寛いでいるのは如何なものか。


「言いたいことは多々あれど、君はあれか、暇なのか」


 被後見人の自覚はあるが、後見人があまりに愚かな発言をした時はついうっかり口調が崩れてしまう。これを年上とも婚約者とも主とも思いたくないという意思の表れだが、諫めるべき理人は嬉しそうなのが解し難い。他に人目がない時しかしないよう気をつけているが、いい加減に誰か突っ込めばいいのにと無茶を考える。

 自分で言うのは、最初の半月で諦めた。言っても聞かない猫の躾は、飼い主に任せる。


 反抗的な猫は奏の言葉を聞いて心外だとばかりに軽く目を瞠ると、深く皺を刻むように眉を寄せ、


「毎日奏嬢と過ごせているわけでもないのに、暇……?」


 どこがと聞き返してきそうな様子に、言いたいあれこれをぐっと呑み込む。通じない相手に何を言ったところで、徒に疲れるだけだ。無駄な努力はしないに限る。もうここにいる存在さえ見なかったことにして、旅券発行を速めてもらう方法でも考えたほうが有意義だろう。


 さてどうするべきかと思索に耽る直前、まるで無視されるのを阻止するように理人が問いかけてきた。


「それにしても、奏嬢はいつまであれを生かしておくつもりなのか聞いてもいいかな」

「いきなり物騒を口走りますね、あれって何ですか」


 確かにカヤは暗殺者だった、奏としてはそれを生業にしようとは思わないが自分の身を守るためなら仕事でなくとも相手を殺すことに躊躇はしない。ただ幸いにして今のところそこまで切羽詰まった危険は感じていない、誰も殺す予定はないですがと眉を顰めるしかないが、理人は不思議なものを見るように片眉を上げてこちらを見てくる。


「雪代藤間の話をしてたよね?」

「いや、そんなどうして分からないのか分からない、みたいな顔で言われても……。あの哀れな存在をどこまで嫌ってるんですか」

「さっきも聞いたけど、哀れ。哀れ? あれが、どこが?」


 不愉快そうに聞き返してくる理人の心理状態が、そのまま雪代藤間への同情に繋がる。冷静に考えれば理解できそうなものなのに、どれだけ嫌悪を募らせているのだろうか。


「あの人は私を認識してないんですから、理人さんがよしの娘だって突然私を連れて行っても信じてませんよ」

「そもそも奏嬢を認識してない時点で万死に値するよね」

「両親の関係性に下手に嘴を突っ込んで、毒も砂も吐きたくないからそこは別にどうでもいいんですけど」

「? ごめん、それはどういう……?」


 関わりたくないと頭を振る奏に理解できないと顔に書きつけて語尾を上げられ、深い溜め息をついた。


「拾われっ子の貰われっ子の実感としては、親は案外簡単に子供を捨てられるものです。まあ、自分にとって無価値な物を抱えて生きる必要性はないですしね。お金も時間もかかるし、子育てって簡単じゃないですから」


 本気で大変ですからと実感を込める奏に、理人が何かしら聞きたそうにしたのには気づいたが見なかった顔で続ける。


「けど簡単にできるとしても、普通は捨てないんですよ。何故ならそこに愛がありますから」

「そこまでは分かる、かな」

「さて、問題です。この場合、愛はどこにかかるでしょう」

「、え? 子供に、だと思ったけど違うのかな」

「母親は多くの場合がそうでしょうね、身に起こる変化で嫌でも実感しますから。けど父親は、自分の身の内で育つわけじゃないですからね」


 聞いただけで父性の発生は難しいでしょうと肩を竦めると、理人は難しそうな顔をする。反論したいのか納得できないのかは分からないが、その顔のままやはりどこか不服そうに尋ねてくる。


「確かに男は実際に宿せはしないけど、伴侶の体内で育つ子供と一緒に父性も育つんじゃないのかな」

「それが理想ですよね。でも女性は、種がどうあれ自分の中で育つ命ですから確実に我が子だと認識します。よほど望まず得た子でもない限り、子供の成長と共に母性も育っていくものです。中にはそれこそが気持ち悪くて無理だって人もいますけど、大体はそうです」

「今怖いことをさらっと言ったよ!? 種はどうあれって!」


 母性が育たないよりも、種云々のほうが気にかかるらしい。考えたくないと頭を抱えそうになる理人に、この夢想家めの感想は心中に留めて話を続ける。


「けど男性にとって、実感が薄いのは事実でしょう? 伴侶が子を宿せば自分の子と思いはするでしょうけど、それには伴侶への信頼や愛が必要ですから。それでは、ここで再びの質問です。その愛は、どこにかかってますか」

「──今の流れだと伴侶、だね」

「ですね。つまり女性は子供に、男性は伴侶に愛があって初めて親子関係が成立する。故に、父性は生まれ落ちた子供の成長と共に育まれる。というのが私の持論(暴論)です」


 あくまで個人の感想なので万人に通用するとは思っていませんがと断りを入れると、理人はようやく納得したように何度か頷いた。


「つまり雪代藤間の認識を追及するのは奏嬢に対してではなく、義姫に対する愛から云々することになってしたくないと」

「そうです。そもそも存在を知らない子供に対して父性が芽生えないのも当然ですし、私としては今の父親はああいう人間。という理解だけで十分です」


 ここまではいいですかと確認すると、納得はできないけど理解はしたと複雑な顔で頷かれる。


「で、話を戻しますが。そんな認識してない子供をあの人が引き取った理由は、何だと思いますか」

「……あー。自分の子供なんだから指摘された以上は認知した、くらいに俺は考えてたけど。ひょっとして俺が言ったから、引き取らざるを得なかったとか」

「それはそうですよ。身に覚えがなくても、主がお前の子だなって連れてきたら引き取れの命令に等しいですから。あの人から見れば静寂とどうにか家格の釣り合いが取れて、子供が多くて今更一人増えても他人が納得しやすい臣下として選ばれた、くらいにしか思ってませんよ。でも逆に言えばこれで静寂に恩が売れる、出世が約束されたと思ってたのに当の理人さんは明らかに冷遇しかしないし、何が起きたのか理解不能。ってところでしょう」


 だから哀れだと言ったんですと説明すると、理人はようやく理解できたのか額を押さえて短く唸った。


「根本から間違ってた……。ごめん、今すぐ一から説明し直して自分の愚かを身に沁みさせてくる」


 奏といる時は少し離して置いている剣を取って立ち上がりかけている理人に、ちょっと待てこらと思わずまた口調が乱れる。


「人の話をちゃんと聞いてた? 私は現状の改善なんて求めてないから、座りなさい!」

「……申し訳ありません……」


 がっと怒鳴りつけると、理人はいつもしゅんとした様子で座り直し、軽く項垂れる。いつまでも出会った頃の少年然とした態度に頭痛を覚えつつ、ゆっくりと息を整えて理人を睨むように見据える。


「私が理人さんを訪ねたのは身分証が欲しかったからで、それがなければ別にあの家で認識されずとも不自由はなかったんです。親に認めてほしくて努力するような可愛げは生憎と持ち合わせていません、期せずして状況も改善されたんだから文句もないです。理人さんが個人的にされるあれこれに口出しをする気はないですけど、そこに私を絡めないでください」

「でも奏嬢を介して知った事情なんだから、絡めないのはもう記憶を削る以外に無理かなぁ」


 奏嬢を忘れたくないからできたとしてもやりたくないしと断言する理人に、奏はいつもながら複雑な顔をしつつもそっと息を吐く。


「私の与り知らないところで何をされようと、理人さんの勝手でしょう。そんなことより、今日ここに伺った理由をお話ししてもいいですか」


 本題にも入っていないのに勝手に切り上げられては堪らないと苦情を呈すと、何度か目を瞬かせた理人は諒解したように笑みを広げた。


「ごめん、そうだね。奏嬢といられる時間にすることじゃなかった」


 後で適当にやっておくと言い添えられたのは聞かなかった顔をして、そんなことよりと軽く畳を叩く。


「私の旅券はいつになったら発行されるのか、調べてくださいましたか」

「あ、うん。あー、それかー……」


 それなー、と額を押さえて視線を逸らす理人に、奏は冷たく目を眇める。裳着を終えて最初に問いかけた時から変わらない煮え切らない態度に、いい加減ぷちっとどこかが切れそうだ。


「男性の成人に準じて十五歳から、と言われて二年は大人しく待ちましたよね? なのに十六になった今でもまだ許可が下りないって、どういうことですか。御三家の理人さんに任せておくのが一番話が早いって相模さんも梁瀬やなせさんも言うから任せたのに、どうして一番やってほしいことだけぐすぐずと後回しになってるのか説明してもらえますか」

「後回しにはしてないよ、俺にしても君の希望が最優先だとは思ってる!」

「けど?」


 どうせ続くのだろう接続詞を先取りすると、身を乗り出して主張していた理人はあからさまに視線を揺らして座り直す。


 よし、もうやってしまおう。と軽く殺意を滾らせると、待ってごめん言い訳させてと察した理人が蒼褪めまでして押し留めるように両手をこちらに向けてきた。つまらない理由なら張り倒す、と決めて見据えると、理人がゆっくりと息を整えて決死の覚悟といった顔つきで向き合ってくる。


「将軍が、奏嬢に興味を抱いてるんだ」

「…………」


 真剣な顔でそれだけを告げる理人にしばらく言葉を待った奏は、続けられそうにない空気に明らかに顔を顰めた。


「え、それだけ?」

「それだけって、え、……俺、結構重大発表をしたよね?」

「将軍が興味を持ったからって、何なんですか」


 真面目に聞いたのにと機嫌を傾ける奏に、理人は何度か口を開閉させたが言葉を探しきれなかったかのようにがくりと項垂れた。


「そうか、奏嬢はあれの性質の悪さを知らないのか……」

「あまりいい噂は聞かないですけど、自分の主に結構な言い草ですね」

「俺だって好きに決めていいなら、あれを主とは仰ぎたくないよ」

「そこまで言いますか」


 逆に興味が湧くと好奇心を刺激されていると、本気で洒落にならないからと疲れたように頭を振られる。


「長く仕えてようやくある程度の操作はできるようになったけど、それでも俺は臣下だし逆らいきれるものじゃないから。奏嬢に対して何を要求するか、見当もつかなくて」


 俺や雪代に無茶を言ってくる分には構わないんだけどと不快げに顔を顰める理人に、奏は相変わらず庇護下に入れられていると実感して居心地悪く身動ぎする。


 正直なところ、雪代奏として生きてはいるが前二回の記憶が大きすぎて素直な十六歳ではいられない。後見人を頼んだ身でありながら理人はどこまでも年下にしか思えないし、世界で最高峰の暗殺技術を備えた自分が誰かに後れを取ることも少ない。むしろ道端の猫からお隣の猫くらいには昇格した理人を守るのは義務だろうかと飼い主に近い責任感が芽生えつつあるのに、その猫がこちらを守るべく狂暴な野犬に向かって威嚇している姿を見るような複雑な心境だ。


(くすぐったいというか、居た堪れないというか。……子供が背伸びしているようにしか見えないって言うと失礼か)


 理人も既に二十二歳になったはずだが、カヤの享年にも達していないと思えばまだまだ若造もいいところだ。適当に距離を置いてくれるのが理想だが、この懐かれようでは儚い望みだろう。

 とりあえず自分の力で改善できそうにない事実から目を背け、何とかなりそうな現実に目を向ける。


「因みに将軍の無茶というと、具体的にどんな感じになりそうですか」

「どう、かな。とりあえずすごく悪趣味だから、他人の大事なものは取り上げようとするね」


 嫌そうな顔で答えた理人に、大丈夫かこの国と心から心配したくなる。上が救いようのない馬鹿でも、下がそれなりに有能なら何とか国としての形態は保てるだろうが。その有能な臣下たちが挙って見捨てたくなるほどの馬鹿をされれば、国は崩壊の一途を辿るのではなかろうか。


「国の滅亡に備えて逃亡準備は進めておいたほうがいいですか」

「本音を言うとお勧めしたい。むしろ俺も一緒に逃げたい。けど一応そうならないように尽力するから、最終手段にしておいて」

「最終手段なら、別に依頼されれば首くらい取ってきますよ」


 高いですけどと指でお金を示す形を作って見せれば、理人は一瞬呆けた顔をしてからふはっと息を吐くように笑い出した。


「さすが、頼もしい限りです。でも俺もあなたに頼るしかなかった幼い頃とは違うので、最悪の時は自分でやります。積年の恨みも晴らせるでしょうし」


 目許を和らげてゆっくりと頭を振った理人は、どうやら奏がカヤの頃から生業を好んでいなかったと察しているらしい。ただ理人にしても殺生を厭っているはずなのに、どこまで彼は甘やかすつもりだろう。

 とはいえそれを指摘するのも野暮なので、口調が戻っているの指摘も避けて肩を竦めた。


「まあ、一国の指導者だとかなりの金額になりますから。自分でやったほうが節約にはなりますね」

「参考のために金額は聞いておいていいかな」

「んふ。第一条件は旅券。何を置いても旅券。まずは旅券を持って来い。って話ですが?」

「……だよねー」


 もう偽造でもいいですけど! と軽く声を荒らげると、ヴィシュムとは事情が違うのでと遠い目をされる。

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