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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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後見依頼の攻防

 何の説明もないのに受け入れが早すぎると噛みつかれたが、理人あやひとにはその発言こそが疑問だった。


(カヤさんがそこにいるのに、他に何が必要だ?)


 会った頃より幼いせいで本人だとの認識が遅れたが、どこか懐かしく、慕わしく、彼女だと確信を得る前から絆されていた理由は思い当たってみれば当然だ。彼を颯爽と助け、さっさと見捨てて行った、カヤ・ウェインスフォード。連なるものも思い起こすものも、それだけで特別になるほど理人にとっては絶対として刻まれているのだから。


 その彼女本人が目の前にいる。理人にできる手助けがあってそれを目当てに訪ねてくれたなら、大人しく秀真まほろに戻って家督を継いだ甲斐もある。あれから十数年も経っているのに時間が逆行したように見た目が幼くなっていようと、聞いた名前が違っていようと関係ない。そもそも女の名前は幾つもあると既に聞いているのに、拘るほうがどうかしている。理人からすれば、未だに飼い主ではないと主張されるほうが問題だ。


「お姉さんは、君の将来がとても心配です」


 唸るようなその台詞は、確かあの時にも聞いた。確信が深まる言動にただただ見惚れていると、複雑な顔をした彼女がそろりと視線を戻してきて理人を眺めてくる。どうかしただろうかと首を傾げ、まだ茶を勧めもしていない事実にはっとした。


「申し訳ありません、お茶をどうぞ。菓子は足りますか、よろしければ好みの物を揃え、」

「なくていい。……とりあえず落ち着きたいので頂きます」

「お口に合うといいんですが」


 そわそわと様子を窺っていると、茶碗を持ち上げて両手で支えた彼女は何だか憐れむようにこちらを見てくる。持て成しに不備があったかと別の提案を口にしかけた時、そうじゃなくてと小さく頭を振って諦めたように茶を啜られる。秀真に生まれたのでなければ作法も味も馴染みがないはずなのに完璧な所作で飲んだ彼女は茶碗の端を指で拭って懐紙で拭いながら、溜め息交じりに口を開く。


「ここまで来てカヤだのカヤじゃないだのと問答をするのも面倒臭いので、横に置いておきますけど。今の私は雪代奏で、そちらは主家の当主だってことを忘れないで頂けませんか」

「……それは、承知しておりますが」


 確かに茶を飲んで落ち着いたのか、奏を名乗っていた時のような言葉遣いに戻って尖らされた声にいまいち理解に及ばないまま曖昧に返事をすると、じろりと睨まれる。


「承知してませんよね? 裳着前の家臣の娘に対して敬語を使う馬鹿がどこにいるのか、という話をしているんですが」

「そ、れはですがカヤさんに対して、」

「かーなーで。と申します」


 何度名乗らされるのかと不快も露に繰り返され、理人もしたい反論を呑む。


 人払いをしている今ならば対面する理人の胸一つなので問題ないが、主家の当主と家臣の娘として考えればこの状況は問題しかない。理人に対しては正気や当主としての資質を疑われることはあっても面と向かって指摘できるほど剛毅な者はない、けれど主を顎で使う少女は問答無用で即処刑対象だ。彼女を危険に晒すなどとんでもない、どうするべきかと深刻に考える。


「カヤさん、俺に代わって静寂しじまの当主に、」

「死んでも断る」


 頬を引き攣らせて食い気味に拒絶されたが、自分が負うべき責任を押しつける形になるのも申し訳ないし尤もかと引き下がる。


「では手っ取り早く静寂より上を目指しますか」

「御三家の一より上って将軍しかないと思うけど!?」

「厳密に言うと帝のほうが上ですが、帝は血筋で継承されている上に実権はありませんから将軍のほうがお勧めです。追いやったら自動的になれますよ」


 面談の取りつけは任せてくださいと笑顔で請け負う理人に、彼女は怒鳴りたげに口を開いたけれど必死にそれを呑み込んで、口許を引き攣らせつつもにこりと笑いかけてきた。


「ろくでもない提案しかできないなら、黙って私に従いなさい。さっきまでの喋り方に戻さないと二度と君の前には現れない」


 低く抑えた声でどこまでも本気が滲んだ命令に、思わず姿勢を正して大きく何度も頷いた。生涯の恩人に対して敬語で話せない抵抗よりも、会えなくなる恐怖が先に立つ。くっと顎を引いて真っ直ぐに見据えると、あまり信用はされてなさそうだが少しだけ息をつかれたのが分かる。


「カヤさ……、奏、嬢」


 呼び難さに躊躇いつつもどうにか口を開くと彼女はカヤの面影が色濃い奏に戻って、まるで何事もなかったかのように返事をする。やり難いと僅かに身動ぎしたが、とりあえず彼女がここに来た目的を明らかにしたくて水を向ける。


「色々と話が逸れた……けど、俺に何か用事だったの、では」


 敬語の排除、敬語の排除と自分に言い聞かせるせいで途切れがちになるが、少し目を眇められたものの一応及第点ではあったのだろう、精進しろとのお言葉もなく左様ですと頷かれた。


「先ほども申し上げましたが、残念ながら私の存在は雪代藤間(とうま)に認識されていないようでして」

「確かに。数が多すぎて聞き流しているのもあるだろうけど、元服と裳着前に子の紹介はされるのに奏嬢の話は一切聞いたことがない」


 だからこそ騙りなのではないかと春朗太が警戒したわけだが、もはや理人にとってそこは問題ではない。いっそ本当に騙りであれば今までの暮らし振りを不安に思わずに済む、ただ父であるはずの存在に認識されないまま生きてきたのが事実だとすれば?


 現在どんな暮らしをしているのかは非常に気になって、慎重に彼女を窺う。


「話の腰を折るようだけど、その状態で奏嬢はどうやって暮らしてきたのか……聞いてもいいところかな」

「西の離れが一応生まれた場所らしいので、そこで寝起きはしてます。乳母が通って来なくなって十二年、見事に誰も寄りつかないから本宅にちょいちょい忍び込んでは色々と失敬して細々と」


 これも何番目かの姉のですねと面白そうに着ている服を示しながら答えられ、ははと乾いた笑いが漏れた。我ながら低くて硬い声に彼女が不審そうにするのは分かるが、湧き出る怒りを止められそうにない。


「申し訳ありませんがしばらくここでお待ちください、今すぐ雪代の首を取ってきます」

「別にやりたいなら止めませんけど、その口調になられたということは私との決別宣言ということですね」


 では私もこれで失礼しますとあっさり立ち上がろうとする彼女にはっと我に返り、慌てて引き止める。


「ちがっ、今のは頭に血が上ってうっかり、……努力するからそれだけは待って!」

「早めに慣れてもらわないと、こっちも命がかかってるんですからね」


 お願いしますよと冷たく目を眇められ、ごめんと謝罪しながら座り直してくれるように促して自分も何とか息を整える。それでもやはり殺意に似た怒りは時間を置いても薄れそうになく、納得がいかないままも彼女を見つめた。


「奏嬢なら、自力で雪代をどうにかすることはできたよね? それをしなかったってことは、まだ何か役に立つってことかな」

「今までもこれからも、特に役立たせる用途は見出せませんね。ただ他人様の家で必要物資の補給は心苦しいだけで」


 ですので勝手に処分されるのは困りますとあまり真剣みもなく言い添えられ、感情に由来する拒否ではないのならと代替え案を出す。


「奏嬢がちゃんと暮らしていけるだけの状況を整えたら、雪代は処分しても問題はないってことかな」

「どうあっても処分したいならお好きにどうぞ、としか言えませんけど。私が当主を継いで整えたなんて言われるのは却下です」

「対外的に成人するまで待ってた、わけじゃないみたいだね」

「裳着の儀を終えたところで十三歳の少女が当主とか、誰がついてくるんですか」


 非現実的なと肩を竦められるが、彼女ならやってのけそうな気もする。仮に躓いたとしても静寂が後見としてつくなら有無を言わさず従わせることは可能だ、そうしてくれると有り難いのにと考えてしまうものの当主の座が面倒なのは重々承知している身としては是非と迫るのも躊躇われる。

 彼女が面倒を感じず生活を整えられる方法、と思い巡らせていると、そこで当初の話に戻りたいんですがと呆れたような声が届いてはたと思い出す。そういえば彼女が会いに来てくれたのは静寂当主に何か話があったからで、それを聞くのが最重要事項だったと反省して向き直る。


「ごめん、どうぞ」

「お話しした通り、雪代の家で裳着の儀を執り行ってもらえそうにないので可能であれば静寂の当主にお願い、」

「本当に!?」


 彼女の言葉を遮ったという意識もすっ飛ぶほど、願ってもない申し出に知らず顔が輝く。


 本来、裳着にしろ元服にしろ子供の披露目を兼ねているので当家の主人が行うのが当然だ。当主が早世している時は親戚筋が代わりに行うこともあるが、まったく関係のない他家が執り行うのはその子を養子に迎え入れる場合がほとんどだ。男であれば家督を継ぐための嫡子、若しくはその補佐をする実子に近い扱いとなり、女であれば代行する家の嫁として迎える。この場合は当然、理人の室として──、


「可能です、可能でなくとも可能にします、何があろうと絶対に認めさせますっ。カヤさんは安心して俺に任せて、」

「断る!!」


 我を忘れて再び迫っていたらしく、断固とした拒絶と共に顔をぐいと押し退けられた。近い離れて離してと手を引き抜くべく頑張っているのを聞いて、ぎゅうと手を握り締めていたことに気づく。反省はしても、理不尽だと眉を寄せてしまうのは仕方ないと言ってほしい。


「……カヤさんからの申し出を引き受けると言っているのに、どうして俺が断られているんですか」

「そこはかとなく嫌な予感しかしないから! とりあえず手を離しなさい、離れなさい、ついでに言葉遣い!」


 色々改めろと睨むように言いつけられ、自分の迂闊を謝罪しつつとりあえず少し離れると盛大な溜め息が聞こえる。ちらりと視線を向けると額を押さえ、大人びた様子でうんざりしている彼女の姿を見つける。分かってはいたが、やはり求婚の申し入れではなかったようだ。


 残念だ。非常に残念だと心からがっかりしていると、ちらりと視線を合わせてきた彼女が軽く目を眇めつつ問いかけてきた。


「他家に裳着の儀を頼むのは、後見をお願いする以外の意味があるんですか」

「親がいる子の儀式を他家が請け負うのは、女の子の場合だと嫁取りの意味が強いね」

「この話はなかったことに!」


 びくりと身体を竦めるようにして言い募られ、ずんと落ち込む。思わず本気で項垂れ、ぼそぼそと嘆く。


「そんなに俺の室になるのは嫌ですか……」

「秀真の結婚適齢期が低いのは知ってますけど、私は十代で誰かに嫁ぐ予定はないです。別に相手が誰だろうと関係なく」

「それは十代を過ぎれば俺にも機会はあるってこと!?」

「御三家の当主が、後七年も独り身でいられるわけがないでしょう。だからって側室制度は私には受け入れ難いので、他所をあたってください」


 お断りですときっぱり断言されたが、それは決して理人自身を否定する言葉ではない。思った以上に気持ちが浮上し、ここは彼女の退路を断つべきだと考えを転換する。


「俺は他所をあたれるとしても、困るのは奏嬢のほうじゃないかな。裳着の儀を終えないと秀真での身分証は発行されないし、雪代に挙げさせても政略結婚の駒として扱われるのは目に見えてる。それが嫌で別の後見を探してたんだよね。けど雪代を敵に回すのを覚悟で引き受けてくれる家も少ないだろうし、そのどこも室として迎えるのが前提だよ。しかも相手は嫡子と限らないし、下手をすれば俺よりずっと年を食った当主や前当主の後添えにされる可能性も高い。──それでも俺以外の誰かを探す?」


 探すと言われても、大人しく引き下がる気はこれっぽっちもない。裏からも表からも手を回して引受先をなくすつもりだ、むしろ実父である雪代にも許す気はない。面倒臭い当主の座を引き受けてせっかく手にしている権力を、こんな時に使わないでいつ使うのか。


 呆気に取られた顔をした彼女がそれでも反論を探し出すのを見て、にこりと笑みを深める。


「俺は奏嬢に無理を強いる気はないよ。カヤさんとは呼べずとも恩人であることに変わりはないし、決して敵にはならないの誓いも忘れてない。体面上、婚約という形はとることになるだろうけど婚儀は好きなだけ後に回せる。後見を務めるんだから、奏嬢が好きなように好きなことをするのを後押しするよ。条件としては悪くないと思うけど、どうかな」

「そんなの、リト少年(、、、、)に何の利益もないでしょうが!」


 馬鹿じゃないのと悲鳴紛いの声の中に、懐かしい呼び方を見つけて胸がぎりと締め上げられる。


 人の名前を縮めたり読みを変えて呼んだりする風習は、秀真にはない。だから理人のことをそう呼ぶのはカヤ以外になく、どれだけ長い間それを望んでいたか。


「俺の利益は、奏嬢、あなたの側にいられること。それに勝るものなんて他にない」


 泣きたいほどに懐かしく、愛おしい。他の誰かに──彼女自身にさえこの感情が理解できるとは思わない。してほしいとも思わない。ただ誰に否定されても貫く思いというだけだ。


 彼女はじっと理人の目を見据え、少しだけ困ったように眉根を寄せたが否定も拒絶もしないで小さく息を吐いた。まるで子供の我儘を受け入れるような諦念にも見えて、僅かに口許が緩む。


「ちょっと見ない間に、狡っからくなって……」

「伊達に御三家の当主はやってないからね」


 お褒めに預かり光栄ですと軽く頭を下げると、非常に嫌そうな顔をされる。それでもすぐに気を取り直し、威儀を正された。


「言下の脅迫が透けて見えたけど、実際に追い詰められてるのも事実です。厚かましいお願いとは承知しておりますが、何卒後見をお願い致したく存じます」

「喜んでお引き受けしよう」


 ありがとう存じますと深々と頭を下げる彼女の顔を彩っているのが苦笑だとしても、ようやく確かな繋がりを得られた理人にはどうでもいい。


 奇跡という細い糸が差し出されたなら、消えないように腐心するだけだ。

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