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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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尽きた命運

 何歩か後退りしながら化け物でも見るように目を瞠って凝視してくる男に笑みを深めると、後ろからしみじみとした感想が漏れ聞こえてくる。


「やっぱりカヤだね」

「相手を馬鹿にする時が一番生き生きしてる」

「そこ! 姉の名誉を著しく貶めないっ」

「「え、褒めたのに」」


 何を言っているのかと驚きを浮かべる双子は、残念ながらこれを演技でやっているわけではないと知っている。元より暗殺を生業とする一族だ、目の前で人を害する行為を晒したところで批難に当たらないのは知っていたが何やら複雑だ。


 むうと眉を寄せていると、奏様と泣き出しそうな顔で近重が側へと駆け寄ってきた。


「御無事ですか? ご気分が悪かったり、どこか不調があられたり、」

「しないしない。命運が尽きたのはあっちだし」


 心配ならあちらをどうぞと、胸に空いた穴を塞ぎたげに必死で押さえている男を示す。近重はちらりとそちらに視線をやると激しく嫌そうに顔を顰め、止めを刺しますかと凍てた声で声をかけてくる。


「やめろ、近重。奏嬢がせっかく一撃で死なないように加減したのに、差し出口だ」


 やっていいならとっくにやってると不服そうな声で理人あやひとが諫め、近重もはっとしたように一歩下がったが。


「でもそんな状態で置いといてもしょうがないよね」

「僕が手を滑らせてあげようか」


 嬉々として武器を取り出しかねない双子に、小さくない溜め息をつく。途端にやってはいけないと理解してひゅっと態勢を戻すなら、最初からしなければいいのに懲りないことだ。


 近重もそう言いたげな顔をしたが、すぐに何かはっとしたように奏を見据えてきた。


「野暮なこととは存じますが、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「うん、何?」

「先ほどあの呪術師に動くなと命じられたと思うのですが、あれをどうやって破られたのか是非ご教授頂きたく」

「あれ、俺が貰った札だよね」


 勝手に使ったと不服げに口を挟んだクザキに、そのために持たせてたんだから問題ないでしょうと肩を竦める。はっとしたように近重が振り返り、千切れて落ちた破片を見つけたらしい。


「奏様が渡された、正式な呪符ですか」

「そう。使えない二人に渡したのは問答無用で全部跳ね返す呪符だから、ああいう雑な命令は跳ね返しやすくていいよね」

「っ、ですがあれは、真名を組み込んでの命令だったのでは……」


 恐る恐る小さく尋ねてくる近重のそれで、ごふっと後ろで大きく血を吐く音が届く。ちらりと肩越しに目をやれば、どうやら今の言葉に賛同したかったのだろう男が口からぼたぼたと血を溢している。せっかく見届けるだけの時間をと思って手加減したのに、自分で勝手に命を縮めないでほしいものだ。


 とはいえ本気で信じているらしい男の鼻を明かすのは悪くない、可愛らしく右手の人差し指を自分の口に添えてにこりと笑ってみせた。


「あらあら、ご存知ないなんて不勉強では? 古来から一つと決まってないでしょう、女の名前と」

「、猫の尻尾」


 ぽつりと溢した理人に、よく覚えてるねと小さく苦笑して鷹揚に頷く。


「まあつまり、生きた数だけ名前があっても不思議はないし。とはいえその理屈のせいで、あの男が私の名前と信じていたものでも一度は縛られたわけだけど」

「お待ちください、あの、真名の定義が……っ」


 おかしくなりませんかとおろおろと尋ねてくる近重に、そうかなと首を傾げる。


「呪術や祓魔では魂に与えられた唯一って認識だけど、名前って誰かに呼ばれて成立するものじゃない。誰かに一度でもそう呼ばれたら、もう名前だよね。カヤ・ウェインスフォードも、雪代奏も私の名前。あの男にとっては、私がファンなのは事実。でも一番繰り返されたものを真名と言うなら……私の名前はどれでもない」


 母様が呼んだ名前だけと小さく呟けば、血を吐いた男がまたごぽりと血を溢す。思い当たって呼ぼうとしたのだろうが、それができないと知っているからこそ教えたに過ぎない。もう二度と、誰も奏をそう呼ばない──呼べない。


「さて、種明かしはこの辺で。そろそろそちらの命運も尽きそうなことですし、最後の一幕と参りましょう」


 言って男の側を通り過ぎた奏は、後ろに黙して立ち尽くす大木の傍らに立った。途端に男が目に見えて狼狽し、今にも転げそうになりながら近寄って来ようとする。


「カヤの側に寄らないでくれる?」

「止め刺したくなるから動くなよ」


 刺したくなると控えるようなことを言いつつ、やる気は満々で奏から遠ざけるように蹴り飛ばしている双子が視界の端に映るが、見なかったことにしてそっと木に掌を当てた。


 洞院とういんは、まだ話すことはできたけれどその状態でも感覚はもうほとんどないと言った。面影などほとんど窺えないほど同化しているなら、もう何をしても届かないと分かっているけれど。


「自分の呪いどころか、母様の状態まで知らなかった愚かな娘でごめんなさい」


 懐かしいと呼ぶには無理がある、樹皮の感触しか伝わってこない。それでも母がよくそうしてくれたように、まだ辛うじて顔と判別できる頬に当たる場所を撫でる。慰める時、宥める時、紡ぐ言葉が間違わず伝わるように必ず身体のどこかに触れられた。記憶にある姿とはかけ離れているのに、目の前にするとそんな些細がありありと蘇る。


「恩知らずな娘ですが、今のあなたにできることがあるとすればただ一つ」


 それを望むかは分からないから私が望むままに行動しますと、呟くように告げて撫でる。


「や、め……っ」


 碌に言葉も紡げない状態だった男が、それだけはと必死に上げた声が届く。死の際で男が最後と紡ぐのは、誰の名前でもない懇願。


 それが愛すべきを救おうとの必死だとは分かるが、同情には値しない。


「心配しなくても、母様を炎にくべるような真似はしません」


 そんなことよりも、と軽く頬に手を当てて首を傾げるように男を見据える。


「私にかけられた呪いも、母様のため(、、、、、)だったならば納得します。母様には恩しかありませんから。けれどあなたには何の義理もないことですし……、返してもらいますね」


 悪しからずご了承くださいとにこりと笑いかけ、取り出したのは最後の呪符。自分で指先を傷つけて血を出すと、その指で呪符を仕上げる。


 呪い返しほど呪術師に相応しく、得意とすることは他にないだろう。母に教わった最初の術で、最後の術。ひどい娘でごめんと心中に後悔しながらも笑顔を保ち、ふっと息を吹きかけた。途端、呪符からしゅるりと煙が立った。一瞬の迷いもなく目の前の男に向かい、あっという間に包み込んだと思うと程なくしてひゅるりと風に溶けるように消えた。後に残ったのは、先ほどまでの傲慢も傲岸も纏えなくなった憐れな老人だけ。


 ひゅう、と息を吸い込んだと思うと倒れ伏し、かさかさに乾いて枯れ枝のような手を縋るように奏に──否、その後ろの大木に向けて伸ばしている。


「……何これ」

「放っておいても死にそうだったのに、すごい追い討ち」


 さすがカヤだねと感心したような声を上げる双子は放置で構わないが、男の様子を見てはっとしたように理人が窺うような眼差しを向けてくる。


「取り返した時間はどこに……」


 不安そうな尋ねで近重も同じような目を向けてくる、これを無視するわけにはいかないだろう。ただ如実に語る気はなく、後ろに立つ大木を振り返った。理人も視線を追うようにしてその木を眺め、はっとしたように呟く。


「楓──ファン」


 陽亮大陸では、楓をそう呼ぶ。奏にしても一度は自分につけられた名前ながら呼ばれるまで結びつかなかったのに、隣国とはいえ海を隔てた大陸の些細な単語まで網羅しているとは、どこまで優秀なのか。


 呆れ交じりに感心していると、理人は難しい顔で大木を睨んでから複雑そうな目を向けてきた。


「ひょっとして、呪いの根源はこの木なのかな」

「でしょうね。遠い記憶すぎて引っ張り出すのに苦労しましたけど、世界で一番美しいものの名前をやる、と言われた覚えが薄ら。ぼんやり」


 この辺に漂っているようなと頭の左側の空間を指して円を描くと、よく分からないと双子が声を揃える。


「分かるように説明しなよ」


 苛々したように爪先で地面を叩くウズハの傍らで、クザキは今にも息絶えそうな男を冷たく見下ろしている。奏の答えが気に食わないものだったなら即座に止めを刺そうとしているのはよく分かるが、話してる内にも儚くなるんじゃないかなと冷めて考える。


「有り体に言ってしまうなら、私の誕生に携わった男は無駄に呪術師としての才に溢れた古木フェチだった、と」

「もうちょっと。もうちょっと言葉を取り繕わないと聞いたこっちが居た堪れない、奏嬢……っ」


 項垂れるような理人に突っ込まれるが、残念ながら茶化しでもしないとやっていられないのが本音だ。二度ほど奪い取られた自分の時間を、まさか古木の維持のために使うような存在が実の父親なんて。


 答える代わりに肩を竦めてみせると、大きく顔を引き攣らせた近重が何やら葛藤しつつ口を開いた。


「あの、奏様。本当にその、木のためだけ、だったのでしょうか。奥方の延命のために同化させて、その維持のためだったとは……、」


 まだしも納得できそうな理由を探したのは、奏が語った事実ではあまりに憐れと思ったからだろう。


 分かる分かると、思わず他人事のように深く同意する。自分の発言ながら、古木フェチって何だ。は奏も強く疑問に思うところだ。身体の交わりを必要としない献身なんて、愛以外の何物でもないのに。その対象が意思疎通も儘ならない植物だと聞けば、一瞬で百年の恋も醒める。


「私にかけられた呪い然り、何かと同化に然り、延命の手段として本気で有効だったなら知ってる人間が手を出してるって。寿命が延びる以上の不利益があるから、ほとんど誰もやらないんじゃない」


 奏が肩を竦めて解説すると、不利益と繰り返した理人は後ろの楓の大木を眺めて僅かに眉を顰めた。


「御母堂の意識は、もう……」

「ないでしょうね。水や火と同化するのは、一瞬で済むから楽なんですよ。でも、木は最悪。じわじわと木に取り込まれ、長い年月をかけて浸食されていくから」


 浸食の言葉で、今にも尽きかけている男がぎろりと抗議するような目を向けてきた。懲りないねとウズハも声に険を含ませたが、実際に踏みつけるなどの行為には至っていない。もはやたったそれだけで絶命するくらいは心得ているからだろう。


「多分、最初の計画では私が同化対象だったんじゃないかな。幼い子供だったなら、成長する力を全部木が吸い上げられるし。その上で母様に呪いをかけて時間を奪えば、より木の寿命は延びる。でも多分、母様がそれを邪魔した──先に自分が同化することを選んだ」


 一度に何人も同化させれば、きっと木が持たない。だから呪術師は計画を変更し、奏に呪いをかけて然るべき時間になるまでを待った。最初の人生で三十年以上を無事に過ごせたのは、確実に母の愛だと今更に知る。


「母様の苦痛を長引かせると思えば親不孝だけど……、母様と思えばこそ、この木を燃やしたり切り倒したりはしない。なので、どうぞ安心してくたばって?」


 大木を仰ぎ見てから振り返り、地面に伏せたままもまだ木に向かって手を差し伸べている男を見下ろした。

 もはや奏たちなど目に入らない様子で、ただひたすら恋い慕って指先を震わせる様を見たところで何の感銘も覚えない。ただ我が子でなく、妻でもなく、物言わず佇むだけの木に最後まで縋る姿に腹立ちは抑えきれず、ぱちんと指を鳴らした。


「このまま留まることは許さない。流れ消えよ、ジンメイ」


 低い呟きを詠唱に変え、無理やりに風を起こす。奏の苛立ちそのままに突然湧いた風は渦を巻いて持ち上がり、かさかさの男の身体を巻き上げたと思うと端からざらざらと崩れていく男の身体を楓から遠ざけるようにして流れゆく。


 あまりにもあっさりと呆気なく、呪いごとかけた相手は消えていった。奪い取られた時間を取り戻しただけでも復讐としては十分だったのに、敢えて風を呼んで止めを刺した。つまりは自分の手で実父を殺めたに他ならないが、母の行く末を知った時ほどにも心は痛まない──何かしら心が晴れることもないけれど。


(でも、これで一区切り)


 足して足して足して七十年以上もかけて、ようやくまともな死を迎えられるようになったと思うと感慨深い。知らなかった犠牲も、強いられていた犠牲も、これですべてが綺麗になったわけではないけれど。


 誰かのために生かされるのではなく、自分のために死ねる。それは案外、ほっとする事実らしい。

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