表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
4/42

道端の邂逅

 ここ数日、静寂理人しじまあやひとはどんどんと不快を募らせていた。将軍の我儘に振り回されるのはいつもの話だ、適当に受け流す術はとうに身につけた。だから原因はそれではない。探ろうと思えばすっと消える、そのくせ一日中付け回してくる気配。最初は気のせいかと思ったほど微かな違和感だったが、さすがに数日も続くと誰かに追跡されているのは嫌でも分かる。ただ捕まえるに至らないのは、相手が明らかに理人より隠形に長けているから。


(俺に捕まえられないものを、木っ端役人に命じてもな……)


 暇そうな連中を総動員したところで、そもそも探すべき気配を感じ取ることもできないのは想像に難くない。説明する労力を考えただけで眩暈がする、却下。


(人探しなら隠密が得意とするところだけど)


 捕らえろと命じただけで諒解して動く隠密なら、後は待つだけ。楽でいい。ただ隠密は将軍の直属部隊であり、理人の一存では動かせないのが問題だ。将軍に話を通すとなると煩く喚かれる、使えない部下に一から説明するより面倒臭い、却下。


 誰かを使うのを諦めるなら、理人が仕事を休んで本気で捕まえにかかるしか手段は残っていないけれど。


(せっかくの休みに、何が悲しくてそんな面倒を……)


 ただでさえ理人に許された休みは、月に二日しかない。それとても将軍の気紛れで呼び出される率が高く、いかに面倒事を片付けてから休むかに心血を注いでいるというのに。その休みの日に手間なだけの人探しなんて、考えただけでも気が滅入る。


(駄目だ。休みにそんなことをするくらいなら、いっそ仕事にしたほうがまだましだっ)


 自分に降りかかる面倒を比較したなら、将軍を巻き込んだ時に生じるそれが一番慣れていて受け流しやすいという結論に達する。いっそ理人でなく将軍が付け回されていることにすれば、捕まえるのは職務の内になる。またぞろ将軍は煩いだろうが、あしらいながらも大人数に指揮を出すだけで済むはずだ。


 ああそうだ、それがいい、そうしようとようやく晴れやかを装った自棄気味な心境で思考を放棄し、明日の休みは何もなかった顔でゆっくりしようと決意して帰路を辿っていると門前で相模春朗太さがみはるろうたの姿を見つけた。

 理人が帰る時間など日によってまちまちなのに、あの乳兄弟はいつも律義に出迎えてくれている。ただ今日に限ってはこちらに背を向けており、僅かに尖った声が聞こえてくる。


「お館様はお忙しくていらっしゃる、お会いする時間などない。帰れ」

「ですが明日はやっとのお休みで、もう帰って来られるでしょう。夕餉までの僅かの時間で構いませんから、どうかお取次を」

「っ、どこでそれを」


 基本的に、理人の休みは仕事が片付き次第という不規則なものだ。今回も明日を休みにしたが決めたのは登城した後で、春朗太にさえ上手くいけば明日になる程度の予定しか伝えていない。見知らぬ誰かが知っていていい情報ではない。


 警戒を露にした春朗太の影に隠れて見えない相手の声は、まるで少女のように甲高い。まだ元服前の子供なのではないかと見当をつけつつ眉を顰めると、ぞわりと冷たい手に首の後ろを撫でられた気がした。咄嗟に剣の柄に手をかけたが一瞬で消えたその気配は、向かい合っている春朗太でも気づいていない。ただ理人をここ数日付け回していたのは自分だと教えるためだけに明らかにされたのであり、見なかった振りをして踵を返すわけにもいかなくなった。


 切りかかるにはまだ距離がある、そもそもこういう手合いは剣を向けられれば躊躇なく動くだろう。手近な相手を人質に取るどころか始末さえしかねない、ここで信頼できる春朗太を喪うわけにはいかないなら剣から手を離して声をかけるしかない。


「春朗太」


 相手を牽制すべく乳兄弟の名を呼べば、はっとした様子で慌てて振り返ってくる春朗太は今まで彼の存在に気づいていなかったようだ。だがその影から少し顔を覗かせた相手は悪戯っぽい笑みを浮かべ、軽く目を瞠った理人を面白そうに眺めてくる。


 秀真まほろではよく見る、黒髪に黒い瞳。日焼けを知らないような白い肌、着ている物や立ち姿などから静寂ほどではないにしても名家の出だと見当がつく。しかし声から少女のようだとは思ったが、まさか髪上げもしていない本当の少女がそこにいようとは。


 少し前まで、ある年齢を過ぎた男女が顔を合わせるなど家族以外には有り得ないとされていた。女性は家にあるものであり、夫以外の男と会うのは不実とされていたからだ。さすがに祖父の代にはあまりに非現代的として女性も働きに出るようになり、最近では城でも登用されるようになってきた。とはいえ職を得た女性以外はやはり家に籠もっているものであり、良家の子女が供もつけずに出歩くのは今でも非常識に近く珍しいことと言える。


 理人も近寄りながらかける言葉を探しあぐねていると、剣が届く一歩手前で少女が優雅に頭を下げたのを見て足を止めた。


「不躾な訪問は幾重にもお詫び致します。雪代藤間ゆきしろとうまが一女、かなでと申します。どうしても静寂の御当主に申し上げたき議があり、無礼とは存じつつも罷り越した次第にございます」


 何卒ご拝謁を賜れますようと希われるところを見れば、しっかりした教育が施されているのが分かる。それでもこれはあまりに異様な事態であり、本来ならばすぐにも雪代藤間を呼び出して詰問すべきところだ。


(だが雪代に子は多いが、その名に聞き覚えはない)


 普通であれば誰に何人の子がいるなど知る由もないことだが、理人は幼い頃から静寂を継ぐと目されていた直系の長子だ。年の釣り合いが取れると思われる娘は、これまでに片っ端から紹介された。御三家の一である静寂と縁を繋ぎたいと思えば、娘を嫁がせるのが一番だからだろう。十九にもなってまだ室を迎えていないせいで、未だに多くの女性の釣り書きが送られてくる。雪代はあまりに子の数が多くて抜けが生じたのかもしれないが、それにしても一切耳にしたことがないというのもおかしな話だった。


(髪上げ前ということは、十二三か。この前それとなく持ち出された娘の年は十にも満たなかったはず、何故その前にこの少女が持ち上がらなかった?)


 未だ個人より家という単位が強く政略結婚は当たり前、十歳前後の年の差は驚くような事態ではないが、一夫一婦が推奨されるようになってからは余計に年の近い相手から紹介するのが常となっている。仮に幼いほうから紹介するにしても上の娘は不出来だから等の言い訳が添えられる、そこで存在くらいは明るみに出るはずなのに。


「母御は何方か」

よし姫、と聞き及んでおりますが、生憎と見えたことはございません」

『雪代に嫁がれた善姫と言えば、駿河の令嬢では』


 少女には聞こえないように唇だけで伝えてきた春朗太に、理人も軽く眉を上げた。


「善姫はお子を宿したまま亡くなられたと聞いたが」

「何方がどのように聞いておられるかは私には分かりません。ですが私はこうして存在しておりますし、乳母がよく嘆いた中に名を聞いただけです」


 真偽の程も分かりかねますと馬鹿正直に答えられ、春朗太は胡散臭い物を見るような目で少女に振り返る。こんな場合は何かしら証拠の品でも取り出し、滔々と哀れな身の上でも語って取り入ろうとするものではなかろうか。聞かれたから答えたけど知ったことかと言わんばかりの態度はあまりに不遜で、けれど理人には気に入る答えだった。


「門前で立ち話というのも、体面の悪い話だな。奏嬢は甘い物はお好きか」

「女には甘い物を与えておけばいいという発想はあまりに安直ですが、歓迎しますっ」


 安直万歳と顔の側で手を組んで目を輝かせる少女に春朗太は今にも怒鳴りそうに口を開きかけるが、笑いを噛み殺し損ねた理人はそれを制して屋敷に招き入れる。少し遅れて弾んだ足取りでついてくる彼女は子供めいて嬉しそうで、殺気にも似た気配を放った相手と同一人物とは思えない。


(探す手間は省けたし、話し合いを望むのはこっちもだ)


 正直なところ、理人でも探すのが一苦労な相手が話し合いではなく殺害を目的としたなら、自分の身以外は守れる気がしない。狙いが理人だったなら多少隙を衝かれたところで対応する自信はあるが、他の誰かであれば理人の手が届く頃には終わっている可能性が高い。


(守る側は始終気を張ってないといけないけど、攻める側は好きなように動けるからな)


 護衛対象は、何もないのに付き纏われるのを厭って一人になりたがるものだ。どれだけ理人が説得しようと将軍がひらりと手を揺らして下がれと言われれば下がるしかなく、その間に暗殺を実行されるのは想像に難くない。まんまと成功されれば将軍の代替わりだけで事は済むが、辛うじて間に合おうものならより面倒な事態になる予感がする。


(怪我が酷ければ責められるだろうし、何より再びの暗殺を恐れて盾を手放せなくなられても面倒臭い……)


 未遂に終わってもうっかり自分が成功させたくなるだろう未来が容易に想像でき、げんなりする。そもそも未遂か成功なら成功を望むものの、理人としては将軍の死を積極的に望んでいるわけではない。代替わりなど言うだけなら簡単だが、本人がいない状態だと引き継ぎのほとんどを理人が取り仕切る羽目になるのも目に見えている。そんな面倒を抱え込みたいはずがない、存命中の代替わりでさえ理人が引退した後にしてほしいくらいだ。


 故についさっきまで正体不明の追跡者が自ら出てきてくれたなら、力尽くで捕らえるよりも話し合うほうが面倒は少ない。何を望んでいるのか知れれば殺し合う以外の解決法があるかもしれない、金で解決できるなら何より早くて有り難い。


「成る程、物臭による合理主義」


 それもまたありですねと面白そうな感想に、理人はふと思考の海から戻って視線を落とした。悪戯っぽい光を躍らせた瞳は黒だと思っていたが紺青だったのかと発見しつつ、後ろをついてきていたはずの少女が目の色が分かるほど近くにいる事実に軽く眉を上げる。とりあえず何か発言する前に声に出していたかと春朗太を窺えば、驚いた顔で無言のまま首を振っている。理人の視線でようやく彼女が移動したことにも気づいたのだろう、厄介な相手だと内心に溜め息をつきながら言葉を探す。


「奏嬢。人の顔色を読んで察しをつけることに否やはないが、それを当人に教えるのは得策ではないのでは?」

「小娘として侮られるより警戒すべき交渉相手として認識されたい時以外は、そうでしょうね」


 その助言も親切すぎませんかとにっこりと笑う少女に、理人は小さく苦笑する。春朗太はお館様ともどかしげに呼びかけてくるが、気分を害するどころかどうにも憎めないのだから仕方ない。結果、軽く手を上げて制するのは春朗太のほうで、少女には辿り着いた客待の間に入るよう促す。


「春朗太、茶の用意を」

「あ、どうぞお構いなくー」


 言葉こそ遠慮しているようだが美味しいお菓子と目を輝かせている少女に、春朗太は苦々しい顔をする。それでも理人の頼みを断れるはずがなく浅く一礼して踵を返したのを見て、少女はくすくすと笑いながら先に部屋に足を踏み入れた。


「修業は足らずとも可愛らしい従者ですね」

「君に可愛いと言われるようでは、あいつも本当に修行が足りない」


 鍛錬のやり直しだなと感想を呟きながら理人も部屋に入り、上座につく。少女はどうするかと眺めていれば部屋の最奥、右端まで下がり、裾を払ってそこに座ると両手をついて頭を下げ、そのまま動かない。身分が上の者が声をかけるまで頭を上げないのは基本だが、今まで散々好き勝手振る舞ってきたとは思えない姿だ。


「そんな遠くにいられても、声も届かないんじゃないかな」

「お願いする身としましては、まずは礼儀を弁えるべきかと」

「散々付け回して俺の予定を調べ上げた挙句、一人で乗り込んでくる非常識を晒しておいて? 今更だろう」

「いやん、とげとげ」


 そういうの女性受けが悪いですよと、からかうように頭と語尾を上げた少女に理人も苦笑を深めて自分と向き合う近くの畳を指した。音もなく立ち上がって静かに示された距離まで近寄り、そこから一歩下がって座り直す様子に裳着も迎えていない少女が誰に習ったのかと感心する。


「雪代はよほど君が可愛いようだな。その年で完璧な教育を施すとは、誰が側仕えに?」

「お褒めに預かり恐縮ですが、独学です。そもそもあの人は、私の存在も知らないと思います」


 何しろ母のお腹にいる間に死んだわけですしと肩を竦める少女に、理人は軽く目を瞠る。そこに茶菓子までちゃんと用意して戻ってきた春朗太は、少女の座った場所を見てきっと目を吊り上げた。


「理人様! 相手は得体の知れない人間です、もう少し警戒心を!」


 お持ちくださいと語気を強める春朗太を一瞥し、理人も僅かに目を眇めた。


「俺が後れを取ると?」

「っ、」


 そもそも客と距離を取るのは、切りかかられても助かるための手段だ。従者が間に入ったり、剣を取って返り討ちするための時間稼ぎ。だから客は主人が示した距離より少し下がり、敵意がないと示すのが礼儀となっている。今少女がいるのは理人に一息で切り込むには少しばかり遠く、それで後れを取るのは彼の腕を疑うことに他ならない。


 自分の失言に気づいて赤面した春朗太が、申し訳ありませんと膝を突きかけた時。


「っ、あ!!」


 いきなり大きな声を上げられ、さすがに驚いて声の主たる少女に目を向ける。失敗したと激しく顔を顰めたのは一瞬、春朗太が目を向けた頃には穏やかな笑みに転換していて、何事かと咎められると困ったように頬に手を当てて軽く首を傾げた。


「申し訳ありません、今後ろに猫が通ったような気がして」


 驚きましたと楚々と笑う姿に、春朗太は疑いを覚えていないらしい。道端が? と不審そうにしながらも理人の後ろを窺い、通りかかったはずもない彼の飼い猫を探している。理人は、気のせいだったようですね、お騒がせ致しましたと頭を下げる少女から目が離せない。


 自分の直感を信じるべきか否か、それが問題だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ