元凶と知る
「ああ、やっと来たか」
待ち侘びたといった言葉で出迎えた割に、不服そうで不満げな顔をした男は理人の親世代くらいの年齢に見えた。何やら特徴的な服装は秀真では見慣れず、記憶を辿れば陽亮大陸の呪術師が着るそれではなかっただろうか。
前情報からきっとあれが奏に呪いをかけた張本人──そして実の父親なのだろう。理人にすれば即座に排除すべき対象だが、呪われた当事者たる奏はどう思っているのかとちらりと斜め前方を窺う。
(……何か、普段と変わらないような……?)
狼狽えるでもなく怒り心頭に発するでもなく、当然再会の喜びなど欠片も見えない。誰かを介して紹介された他人を前にしたような、僅かの警戒以外には関心もないようだ。
理人がそうして様子を窺う向こうでは、双子が相変わらず空気も関係性も読まないで呪術師に顔を顰めている。
「何あれ」
「誰あれ」
「ださい格好」
「正気を疑う」
笑いを取りたいのかとどうやら本気らしく首を捻っている双子に、呪術師の格好を云々するのはよろしくないのではと思っても警告は間に合わない。奏は無言のまま双子の右足と左足を蹴り飛ばし、あれは正装ですと怖い笑顔で教えている。
「呪術師の正装には意味があるの」
「「ごめんなさい」」
奏が本気で苛っとしているのは察するのか、すかさず謝罪が揃っている。けれどあれは誰だの問いを引き下げる気はないらしく、苦い顔をした男をじろじろと眺めている双子の視線を追って奏は小さく肩を竦めた。
「だから、あれがジンメイなんじゃないですかね」
見覚えもないけどとどうでもよさそうに答える奏に、ないのと思わず理人も尋ねた。ないですねと何度となく頷かれ、改めて前方に立つ男を眺める。
右肩の前で一つに結んだ長い黒髪、切れ長の一重の目、焦げ茶の瞳。起伏の少ない平坦な顔立ちは秀真や陽亮大陸によくみられる特徴だ、奏をして正装と呼んだ呪術師の格好からして陽亮大陸の出身で間違いないだろう。ただ面立ちを探っても、奏──カヤと似通ったところは見受けられない。ぱっと見た限りで実父と言い当てるのは、無理があるだろう。
ただ惹き合う血や絆めいた何かがあるのか、奏の目はじっとその男から逸らされない。
(……ん?)
奏の目は、確かにじっと一点から逸らされていない。けれど男を見ているにしては少し遠く、角度が違うと改めて視線を追う。
禁足地の結界を通り、少しばかり歩いた先に広がっていたのはだだっ広く拓けた土地だった。中央にどれだけも大きく枝を伸ばした大木が聳え、下生えは青として広がっている。ただ目につく木は中央のそれ以外になく、不自然なほどその大木がぽつんと佇んでいる。
その大木から少し離れた場所に立つ男ではなく、奏が一心に見つめているのはその奥。どんな風が吹こうともびくともしなさそうな、驚くほど太く長く枝を伸ばした楓だけ。幹の中央に少し大きな瘤があり、何かを象っていそうに思うのは錯覚だろうか。
「母様……」
ぽつりと、痛ましげな声が噛み締めた。双子も窺うように視線をやったが、少し先に立つ男以外に人影はない。
「「あれ、女なの?」」
何の気遣いもなくずばりと尋ねる双子に、思わず理人のほうが頬を引き攣らせる。けれど奏は反論する気もなさそうで、視線を揺らさない。
「懐かしいか」
問いながら、反応にも答えにも興味のなさそうな男は奏から目を離さない。まるで値踏みでもするような眼差しにむっとして理人が視線上に割って入るより早く、奏が不快げに空気を揺らしたのが分かる。
男は奏の様子に頓着した様子もなく、どこか恭しく背後の大木を振り返って慈しむように目を細めた。どちらが我が子か分からない──否、子供よりは愛すべき妻でも見るような眼差しに知らず背中に冷たいものが走った。
まさか、と理人が再び大木に目をやる直前、奏が怒気を漲らせて男を睨みつけた。
「母様なら呪い返しもできたはず。うかうかとこんな目に遭われるはずがない、……何をしたの」
「は。秀真の呪術師気取りが、本場の私に勝てるはずなかろう」
皮肉げに口許を歪めた男に殺意さえ覚えたのは、理人だけではなかったらしい。どんっと低い銃声が響いたと思った時には何本もの短剣が投げつけられていて、そのすべてが男の眉間を貫くはずだったが。面倒そうに男が視線を向けただけで致命傷を与えるはずだった何もかもが音もなく地面に落ちている。
「「は?」」
何が起きたのかと眉を顰める双子に、男は馬鹿馬鹿しそうに鼻を鳴らした。
「術も使えん、輩風情が。まさか今の児戯が、攻撃のつもりか」
「っ、」
「ウズハ、クザキ」
低い声で奏が二人を呼ぶなり、今にも攻撃を続けそうだった双子はぴたりと手を止めた。二人の性質を思えば抗議くらいはしそうだと思ったが、何故か叱られた子供みたいな風情できゅっと唇を噛んでいる。三十路の男としてはどうかと思う姿だが、確実にカヤの弟なのだと実感はする。
その姉たるは幼い見かけとは裏腹に、ぞっとするほどの殺意を湛えて初めてに近く男を見据えている。あまりに冷めた目は肉親の情など欠片も持ち合わせず、ただただ敵を見るかのようだ。
「家の子に、いらないちょっかいをかけないでもらえます?」
「は。血の縁も結べんくせに、無様な家族ごっこか」
ないものねだりも見苦しいと鼻で笑う男に、思わず理人も色めき立つ。けれど当の奏は、ぞっとするほど凄絶に笑った。
「契りに背く愚かが人の絆を笑うが愚を重ねるか」
「偽りの上に結ぶ絆があると思うか、痴れ者が」
すかさずやり返した男に、奏の纏う温度はどんどん低くなる。理人も隙を見て攻撃すべく構えるが、無防備に立つように見える男はその実、一分の隙もない。
奏は少し大きく息をして、どこか疎ましげに理人たちに視線を変えた。
「手出し無用」
攻撃の意思はおろか、僅かに動くことさえ許さない強さに思わず息を呑む。大して男は動じた様子も見せず、値踏みでもするかのような眼差しで奏を眺めている。
「相変わらず外法に手を出しているのか。ちゃんと呪術で片づけていれば、すべてこちらに流れてきたものを」
何のために暗殺一家に預けたのかと溜め息交じりに嘆いた男に、双子がぴくりと反応する。奏も僅かに眉を上げたが、すぐに理解の色を見せてぐっと眉根を寄せた。
「私の奪った命まで、糧にしたの」
「はっ。糧と呼べるほどの働きもできないで、私の役に立ったつもりか」
頭から馬鹿にしたように鼻で笑う男に、ざわりと双子の殺意が膨らむ。当然理人も参戦する気で剣に手を伸ばしたが、実際に抜く前にひゅっと息を呑んだ。
これほど静かで揺らぎのない殺意は、初めて感じた。実際に向けられているのは理人ではなく前方に立つ男だと分かっているのに、心臓に剣を突き立てられているような。僅かでも動けば死ぬと分かる、双子も同じく感じているのか微動だにしない。
(当然だ。息をするのさえ怖い……)
奏に──カヤに会って初めて、ここまでの恐怖を覚えた。
実際に凶器を向けられるのは、なんと親切なことか。実力差を自覚してもまだ打ち合い、隙を見て逃げる算段はできる。でも、これは。気づいた時には致命傷だ。息も存在も潜めて、どうにか意識を向けられないようにと努めるのが精一杯。
「ウズハ」
唐突に名を呼ばれたのは自分ではなかったが、思わず肩が反応した。当のウズハは自分の罪を必死で検索しているような面持ちで、何とか目だけをちらりと奏に向けている。当の奏はウズハに目を向けることもなく、ただ凄絶に笑って命じる。
「動くな」
声が届くなりぐっと拳を作って堪えたのが分かる、と同時に何の躊躇もなく奏がウズハに向けて六本の短剣を投げつけた。通常であれば即座に反撃に出ただろうが、動くなの厳命はウズハに生き残る本能さえ抑え込ませる。奏の八つ当たりだか憂さ晴らしだかは威力が凄まじすぎて死に至りかねないが、きっと諾として受け入れるのだろう。
けれど、怒りに駆られた時間を過ぎたなら? 奏は、弟を殺したことを後悔しないと言えるだろうか。
ぞっとした理人が動きたがらない身体を何とか動かそうとした時には、短剣はウズハに届いていた。鮮血を撒き散らして倒れるはずだったウズハは掠り傷一つなく、反動で下がりそうになったのまで何とか堪えてその場に立ち尽くしている。
何が起きたのかと咄嗟に奏を窺えば、ウズハに突き刺さるはずだった短剣六本が何かに跳ね返されたように男に向かっている。僅かに目を瞠った男は腕を横に振るう動作だけで払い落としたが、短剣の影に潜んで近づいた奏に気づくのは遅れたらしく腹に渾身の蹴りが入った。
「っぐ」
さすがに吐きそうに身体を折り曲げた男を他所に、奏は落ちている短剣を男の顔面に向けて跳ね上げた。何本かでも突き刺されば少しは留飲も下がっただろうが、さすがに相手も術を発動させたのか届く寸前で短剣が砕け散った。
ちっと小さく舌打ちした奏は、けれど一息つく間もなくいつの間にか左手に持っている長剣で切りつける。ちらりと視線で確かめればクザキの得物がない、多分に理人が短剣の行方に気を取られていた間に投げ渡したのだろう。これが姉弟の呼吸かと思うと僅かに妬けるが、奏の攻撃が防がれているのを見てはそちらのほうが気にかかる。
「っ、この親不孝者が……!」
「逆縁を強いられたのはこちらのほうだ」
我が身を呪えと冷ややかな声で吐き捨てた奏に、男は大きく舌打ちして呪符らしき紙片を何枚か取り出した。咄嗟に奏も切り捨てようとしたがいきなりの突風に身体を押し戻され、蹈鞴を踏んでいる。とはいえ反射でまだ所持していた短剣を繰り出していたらしく、男が手にしている紙片を二枚ほど引き裂いている。
「まさか、呪符がっ」
「呪符がないと何もできないんだから、まずは呪符を死守する術くらい身につけておけば?」
小憎たらしく鼻で笑う奏も可愛らしいが、決して傷つけられないと高を括っていたのだろう男は我が子の成長を喜ぶ余裕もないらしい。ぎりっと奥歯を噛み締め、今にも射殺しそうな目で愛すべきを睨めつけている。
「神聖なる呪符を何と心得る!?」
「呪いの時点で神聖とか言われても鼻で笑うけど、ただの術式を刻んだ紙」
それ以外の何だとと肩を竦める奏に、男の目が殺意に鈍く光る。まずいと理人が動く一瞬前、唐突に後ろから巻き起こった風に背を押されて蹈鞴を踏む。今度の突風は奏にとって追い風だったようで、男が手にしていた呪符がもう二枚、背後に吹き飛ばされている。もしやと視線だけ振り返れば、指先から血を滴らせた近重が先ほど奏に貰った呪符を構えている。成る程、正式な呪符にどうやって書き込めばと躊躇っていたが、自分の血を使えばいいらしい。
「素人相手に呪符を渡すとは正気か!?」
「本来は認めずとも発動できる術を札に収めた時点で、知識があれば使えるようにとの先人の知恵が呪符のはず。ならそれを使うのが正道に決まってる。ああ、それとも呪符がなければ術の一つも使えない三流は、呪符に拘るとか?」
それは気づかず御無礼をと、敵の真正面であるにも拘らず恭しく頭を垂れた奏に男の怒気が膨れ上がったと思うとまだ手にしていた最後の一枚を構え、ふっと息を吹きかけた。
「逆らうな、ファン」
重く怒りを秘めた低い声が命じ、奏の身体が小さな反応を見せた。即座にその場を退いて備えると思った彼女は何故かそれ以上の動きを見せず、先ほど自分がそうしたように腹部に蹴りを入れられてようやく短く呻いた。
「奏嬢!」
「「カヤ!」」
双子に悲鳴が如く呼びかけられても反応しない奏に、理人は咄嗟に貰った札を使って自分の速度を上げ、男の二撃目が奏を襲う前に何とか間に割り込んだ。背後に庇った奏は遅れて駆け寄った双子に任せ、男を真っ二つにする気で剣を振るうのに見えない壁のようなものに阻まれる。
これが通常の武器や防具で防がれたのなら対処のしようはあるが、この感触は違う。残念ながら理人が持つのはただの技術だ、術による防御を突破するには術で斬撃を強化するしかないが、貰った呪符は間に合わせるために使ってしまった。だが相手も散々と呪符を失った、奏に使ったのが最後の一枚だったのではと訝るように目を向ければ、男は手にした呪符を一瞥してふんと鼻を鳴らした。
「混ざり物が作ったにしては、まあ、使えるな」
これも私の血かと自己愛に満ちた気持ちの悪い発言にぞっとするが、その発言から男が使ったのは奏が作った呪符だと窺い知れる。先ほど攻撃した時にでも掏り取ったのか、双子に渡したのと同じすべてを跳ね返すと記された呪符らしい。これでは剣先を身体に減り込ませることも難しいと小さく舌打ちしたが、刃が毀れないように加減しつつも何度か攻撃を加えて双子が奏を引き離す時間を稼ぐ。
「奏様、ご無事ですか!?」
「カヤ、返事しなよっ」
「カヤ、聞こえてる?」
三人の逼迫した声が、奏の意識のなさを教える。術で強化する時間もなかったなら男の放った蹴りは奏のそれとは比べ物にならない威力しかなかったはずだが、反応しないことに理人も知らず息を詰める。
「は。無駄なことよ、もうそれは私の指示なく動かん」
最初からこうしておくべきだったと皮肉に笑った男の口許を飾る笑みは余裕に満ちていて、知らず頭に血が上り男の顔面に剣を突き立てる。けれど確かに届くより早く厚い壁に阻まれるように跳ね返され、我を失いそうなところに奏様と近重の呼びかけが耳を打ってどうにか堪える。
呪符の効力も無限には続かない、耐え切れない負荷を与え続ければ何れ剣を届かせることはできるだろう。だが今は、何より奏の様子が気にかかる。男から目を離さないままもじりじりと後退し、奏の側に戻って次の攻撃に備える。
今はきっと剣なるよりも盾たるべきだと、奥歯をぐっと噛み締めた。




