ない、という事実
天領の外れにある小さな墓地に赴いた奏は、懐かしい記憶を刺激されて僅かに目を眇めた。長い間訪れることがなくても忘れていない証拠に、足が自然とそちらに向かう。
規則正しく建てられている墓石の間を通り抜け、墓地の東端に悠然と立つ欅の側。墓石にしては小さな石がぽつりと建つ、その前にしゃがみ込む。
「ただいま、母様」
返事を期待しない独り言に、緩く風が髪を嬲っていく。ただの自然現象にそれでも意味を持たせそうですよと心中に苦く笑い、しゃがんだままぼんやりと眼前の石を眺める。これまでの報告をするには、観客が多すぎる。感傷に浸るという感覚を察しようとしない双子は、早々と邪魔をすべく口を挟んでくる。
「誰の母親?」
「ただいまって何さ」
「奏様のご兄弟であられようとも、あまりに野暮が過ぎるようでしたら排除致しますが」
「は? お前にできると思うの」
「身の程は弁えたほうがいいけど」
「勿論、されるのは奏様にございます」
私はしがない従者の身、主の代弁をするくらいが関の山にございますとにこりと笑ってみせる近重に、双子も口惜しげに口を噤んでいる。私の侍女マジ優秀と心中に褒め称え、こんな感じで元気にはやっていますよと短く報告はする。そうして立ち上がると、奏様と気遣ったように近重が声をかけてくる。
「今しばらくでしたら、理人様がご兄弟のお相手も務められましょう。もう少しゆっくりされては如何ですか」
「……するよ。するけどね。奏嬢のためならするんだけど、何かこう釈然としない……」
ここは自主的に排除に努めておくべきだったのかなと振り返る理人に、双子もやるなら相手になるけどと受けて立ちそうになっている。理人の場合は気遣いとしても、双子はただの負けず嫌いと対抗心だ。墓地で大暴れされては他人様に顔向けできない、安らかな眠りを妨げたくてのお参りではないなら引き上げるのが無難だろう。
「いいよ、母様の眠りを妨げられたら犯人はぷちっとやりたくなるし。他人様にそんな思いを抱かせたくもないしね」
「母様って何か知らないけど、誰が眠ってるのさ」
「そこ、何もないよね」
理人から視線を逸らさないままも口を挟んでくる双子に、奏もさすがに苦笑する。
「ヴィシュムと違って、秀真は火葬ですのでね」
ご遺体という意味では何もないねと肩を竦めると、ようやく理人から目を離した双子が不思議そうに奏を見てくる。
「それくらい知ってる。そうじゃなくて」
「遺骨も遺灰も何もないよね、って話だよ」
分かってて来たんじゃないのと首を傾げられ、奏も思わず時間を止める。それからそろりと振り返り、今まで眺めていた墓石を見下ろす。
「何もない?」
「ないよ。その下には何も埋まってない」
「遺体の代わりにって埋めてる何かもない。その木の根が伸びてるだけ」
自信を持って断言する双子の言葉を、疑う気はない。無神経な発言で神経を逆撫でしてくることはあっても、双子が悪意を持って彼女に嘘をつくことはない。それに腐っても魔女の末裔だ、そういった感覚に優れていても不思議ない。
最初の母親が死んだ時の記憶は、既に遠い。確か二十代の時だったと、
「……え?」
知らず、小さく声が洩れる。五十年も前の話だ、生まれ変わるたびに余計に記憶があやふやになっていてもおかしくない。
「違う」
違う。生まれ変わっているのではないとの指摘を受けて、ここに来たのではないか。長い年月で記憶が不確かになるのは認める、自分の身に起きたことながら知らないことも多い。だが秀真で育った人間にとって、呪い士にとって、誕生日よりも命日のほうが重要なのは変わらない。覚えている。
それなのに、母の命日を忘れることがあろうか。最初の人生ではたった一人の家族だった、母であり師でもある存在と死に別れた年も月日も忘れるなんてどうかしている。
「でも、母様は死んだ」
「そうなの、ですか?」
不思議そうに聞き返してきたのは近重で、勢いよく振り返るとびくりと身体を竦められる。けれど無言のままの問いかけを察し、祖母も知りませんでしたと恐る恐る告げる。
「これまでちゃんとお話したことはありませんでしたが、私の祖母は最後の呪い士に弟子入りしておりました。勿論、呪い士を名乗るほどにも極められてはおりません。祓魔師として帝にお仕えするのが精々でございました」
「帝に仕えられる時点で凄い人だったんじゃないのかな、それ」
思わずといった様子で理人が口を挟むと、近重は不思議なことを聞いたとばかりに小首を傾げた。
「最後の呪い士に師事していてその程度も出来ぬようなら、首を括ったほうがよろしいかと存じます」
「……ごめん、余計なこと言って」
触れてはならないところだったと反省する理人に、近重はそっと息を吐いて罵詈雑言を呑むと改めて奏に視線を合わせてきた。
「その祖母が生前申しておりました、最後の呪い士は行方知れずになられた、と。遺体を盗まれたりすることを考えて、何年か伏せられることは有り得ると思ったそうです。ですが、結局祖母が亡くなる日までいつ亡くなられたのかという話は一切聞かなかったと」
「そいつに知らせなかっただけなんじゃないの」
「弟子だからって知らせる必要はないよね」
「素人は黙らっしゃい」
頭が痛くなると額を押さえて諫めると、双子もむっとしつつ口を噤む。理人は、少し考えるように視線を上げて小さく首を傾げた。
「確か呪い士は死後数年で祀らないと祟るって話だったっけ」
「実は詳しいですね、理人さん」
「天領で暮らしたことはないから、知識だけね。あの人、いつ天領を攻めるって言い出すか分からなかったし、とりあえず攻略法は先に見つけておくべきかなって調べただけだし」
何故か照れたように説明され、奏も思わず頬を引き攣らせる。
「知りたくなかった裏事情……。とりあえず聞いた以上は、折を見て帝に密告しますよ」
「奏嬢がしなくても、何なら俺がやっておくけど。祓魔師の誰かに情報を流せば耳に入るよね」
「そんな面倒なことしなくても、俺が殺して来てもいいよ」
「周辺全部殺そうか」
誰か知らないけどと恐ろしい提案をしてくる双子に、やらない! と声を荒らげる。止めておかないと手当たり次第に殺しに行きかねないのは、経験で知っている。ここでそんなことをされては堪らない。
「秀真のお家事情はそっとしておきなさい、お金にもならないの動かなくてよしっ」
「でもカヤ──奏は気に入ってないんだよね」
「別に数十人殺すくらい、ただ働きの内にも入らないけど」
「入ります、十分すぎる過剰労働ですっ。しなくていいって言ったら、しなくていいの!」
絶対命令と指を突きつけると、ぶーぶーと不満を表されるがここまで言えば取り消しを口にしない限りは実行されない。ああ恐ろしいと身体を震わせた奏は、じっとこちらを見てくる近重と目を合わせてゆっくりと息を吐いた。
「いつから」
「先日の王のお言葉で確かになりましたが、最初から薄々とは。私の祖母は、陣明の名を賜りました。あまり好まれなかった絵姿も一枚所持しておりましたので、お会いした時にそうではないかと」
「……姿なんて、今と最初じゃ全然似つかない、」
似つかないのではないかの問いかけは、途中で消える。ルウェンの指摘を受けるまで、ずっと生まれ変わったのだと思っていた。けれどこれが呪いであったなら、わざわざ奏に転生を繰り返させる意味が分からない。だが、生きた時間を吸い上げられていると思えば相手の目的はぼんやりとながら窺える。誰か、若しくは自分の延命、だろう。
奏の時間を三十年分吸い上げて、尽きかけている誰かに注ぐ。そうすると奏の時間は一まで戻り、誰かの命は二十から三十ほど永らえる。やり方こそ知らないが、確かそんな術があったはずだ。カヤの呪いが発動したのが最初より早かったのは、無理な延命のせいで受け取り手の身体が弱るなどして効果が薄れたからではないか。
(ますます以て、奏の命はそろそろ尽きそう……)
色々準備を整えねばと覚悟を新たにしつつ、姿についての疑問も自分の中に答えを見つける。自分の姿を変えて見せる呪符、それが鏡を見る自分にも適用されたのだろう。カヤの時も奏の時も、自力で動けるようになると真っ先に簡易の呪符を認めた。中でも姿変えや現身はいつでも発動できるように常備していた、どうやらそれが自分にまで有効だったらしい。
(違うって知ってるとすぐに見破れるはずなんだけど、生まれ変わったなら姿は変わってて不思議ないと思ってたから効果が続いてたのか。問答無用すぎる)
自分の有能さが怖いと自棄気味に考え、ふと思い当たった事実に双子を振り返った。
「因みに君らには、カヤはどんな姿に見えてた?」
「黒髪、紺の目。……他に挙げられる特徴はないよ」
「カヤは怖いくらい暗殺者向きに、特徴ないからね」
あまりに端的な説明に反対側に首を傾げ、理人を窺う。
「顔立ちとして二人と同じに見えてたかは分からないけど、俺もカヤさんはその色で認識してる。ただ秀真出身に思えなかったのは、肌が白いからだね」
言われてみれば理人も近重も、秀真出身らしく肌は白というより黄味を帯びている。確か最初の人生でもそんな肌色だったが、カヤとして見た自分の肌は確かに白く、双子が言うように平凡極まりない容姿だったと思い出す。
「ただ奏嬢は、カヤさんとは色見以外は似てないって最初は思ったけど。裳着の話を終えたくらいから、カヤさんと重なったかな」
「今は俺にもカヤに見えるよ」
「銀行で会って以降、違って見えたのってカメラ越しだけだけど」
理人に続けて説明してくれる双子の言葉で、呪符の効力が凄まじいと改めて思い知る。
彼ら三人にとって、奏が仮の姿でカヤが本来の姿として認識しているのだろう。奏ではないという認識で姿変えの効果を破った、けれど最初に見た姿がカヤだったからそれが姿を変える前の容姿として見えるようだ。因みに彼女が今鏡を見たら、奏でもカヤでもなく最初の姿にしか見えないのだろう。
認識の違いによって見える姿まで変わるなんて、柔軟にも程がある。
「私の書いた呪符、ちょっと優秀過ぎない?」
「奏様が秀でておいでですので、当然の結果かと存じます」
何故か自慢げに近重が胸を張るのに苦笑し、近重にはどう見えてるのと水を向ける。
「私は初めてお目にかかった時から、最後の呪い士とよく似た色とお顔立ちに見えました。多分に祖母から譲り受けた石が、祓魔の力を帯びていたのでございましょう」
少々ではありますが私も使えますのでと控えめに主張され、成る程と頷く。呪符の影響を受けないなら、一度も変わって見えなくても不思議はない。
「本当の私を知るのは、近重だけってことか」
「光栄に存じます」
「どういう意味? 俺のほうが知ってるけど」
「たかが十数年のぽっと出に言われたくないよね」
「今の流れで反論できる気合が凄いというか」
苦笑する理人の言葉に大いに同意するが、そろそろ現実逃避をしている場合ではない。指摘を受けて、考えられる事態は一つ。望ましくない現実が待っていそうだが、確認しないと始まらない。
(鬼が出るか、蛇が出るか)
事実はいつだって優しくない。それでも受け入れるためには、知るしかない。




