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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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正式な作法と、折られた腰

秀真まほろとうちゃーく」


 うんと伸びをして言わずもがなな確認をした奏は、さてそれではと首だけで後ろを振り返った。


「どうしてここにこの面々が揃ってるのか、誰か説明してみる?」


 声に本気で嫌そうな色が乗るのは、仕方ないと言ってほしい。何しろ彼女が側にと望んだのは、近重一人だけだ。なのにその近重を押し退けそうに揃っている、理人あやひとと上の双子の存在が納得いかない。


「ついてこないでって言ったし、行く先を調べるなって言ったよね」

「だからついて行かなかったじゃないか。でも二回目からもそうするとは言ってない」

「二回目って何」

「カヤの仕事を手伝うのは前からだよ、不思議なことじゃないよね」

「これ、仕事じゃないんですけど」

「仕事じゃないなら尚更、家族が一緒に過ごして問題ない」


 だからよし、とこんな時ばかり息を合わせる双子に目が据わる。とはいえ既にこの場にいるものを、無理やり帰らせるのにかかる労力を思うとげんなりするのも事実。祖母か母に連絡すれば強制連行という意味では手っ取り早いかもしれないが、そうすると今度は家族が勢揃いしそうだ。それは是非とも避けたい。


「でも家族内で誰が面倒臭いって、この双子がダントツなんですけど」

「とはいえここにご家族が揃われると、倍掛けになるのでは」

「倍で済むかなぁ」

「ならば、やはりこのお二人で留まったことを喜んでおかれたほうがよろしいかと存じます」


 なってしまったものは仕方がありませんと真顔で宥めてくる近重に、そうなんだけどさーと遣る瀬無い溜め息をつく。その後ろで双子が俄かに殺気立っているが、実行できるほど愚かでないと知っているなら無視するのが一番だ。


「何なの、あの無礼者。殺しちゃっていいの」

「うちの執事がこの態度なら、とっくに殺してるけど」

「ウェインスフォードの執事でなく、奏嬢専属の侍女です」


 すべての免罪符である事柄を重々しく告げる理人に、双子も吐きたいあれこれを噛み殺すのが分かる。ウェインスフォードの、年長者には逆らうなの精神が心から有り難い。


(見た目で言えば最年少だけど。実力で言っても、今やもう双子のほうが上回ってるしなあ。初撃を凌ぎさえすれば、まだ助けられる余地はあるだろうけど)


 そうだ、そのためにも用意してたんだったと思い出した奏はごそごそと一枚の呪符を取り出して近重に渡した。


「はい、近重。万が一の時は、これを使って」

「ですが、既に呪符なら頂いて……、奏様!?」


 素っ頓狂な声で慌てて呼ばれ、はいはいと気安く応える。この反応は想定内だ、はくはくと空気を求めた魚みたいに口だけ動かした近重が立ち直るのに、もう深呼吸二回分ほど必要なのも分かっている。

 きっちりその時間の後、近重が奏様ともう一度今度はしっかりした声で呼んで詰め寄ってくる。


「なりません、これ、この呪符は正式に認められたものではございませんか! 近重に下賜くださるのであれば、簡易の呪符で問題ありません!」

「それだとこの先、ちょっと困る事態になりそうだと思うので。まだ何枚かあるから、それは近重が使って」


 因みに近重に拒否権はありませんと宣言すると、眉を下げてますます困った顔をされるが今回ばかりは譲れない。双子は何を貰ったのかと興味深そうに近衛の後ろから手許を覗き込み、俺にはと図々しく尋ねてくる。


「ないです。そもそも呪符の使い方なんて、君らは知らないじゃない」

「教えてくれたらいいよ」

「教えて、くれたらいいよ」

「秀真の表音文字を極めてから出直してこい」


 すぐに使えない人間にはあげないと宣言し、用意していたもう一枚を理人に差し出す。


「理人さんもどうぞ」

「近重の反応からして凄い物らしいけど……、奏嬢が自分のために使ったほうがいいんじゃないかな」


 俺なら自分の身くらい守れるよと心配そうに遠慮されるので、ほほうと目を眇める。


「なら君は、今ここで私が隠形を使ったとして呪符もなく看破できるの?」


 やれるものならやってみるがいいと殊更偉そうに尋ねると、理人もぐっと言葉に詰まっている。貴重な物を自分に使わせたくないと二人ともが思っているのは分かるが、困るならそもそもあげないってと肩を竦める。


「奏として自力で動けるようになって、裳着までの間はひたすら暇だったの。その間に十枚くらいは用意してるから、二枚くらいあげても平気の判断です」


 なので遠慮なく受け取ってと勧めると、双子がまだあるならと懲りずに手を出してくる。


「だから。秀真の表音文字が読めなかったら意味がない呪符を、君らに渡してどうなるの」

「使い切った後に渡せるよう持っておくため」

「使える奴が持ってるって、ばれた時の念のため」

「……ぐうの音も出ん正論だね、ちくしょう」


 そういうことなら渡さざるを得まいと、一枚ずつを差し出すが受け取られる前に注意と指を突きつける。


「本気で馬鹿ほど繊細なので、僅かでも汚れたり曲がったりした時点で効力は半減以下します。よって赤ん坊より慎重に扱って」

「……赤ん坊よりは分からないけど、銃弾ほど丁寧に扱う」

「業物くらいには丁重に扱う」


 よく分からないと言われる基準こそが分からないが、まあよしそんな感じでと頷く。ただ繊細だと告げた割には無造作に片づけている気はしないでもないが、あれはもう簡略化の呪符と思おうとすっぱり諦める。人間、何事も諦めが肝要だ。


 ただ価値を知っている二人は容易に片づけられないでそれこそ戸惑っているのを見て、多少のことは大丈夫だからと請け負う。


「双子はああ言いつけないと本気で破りかねないから言っただけで、──だからって気を抜かない、そこ! それは姉の命と同義と思え」


 乱雑に扱ったら二度と家に戻りませんと後ろの双子にすかさず言いつけた後、君らは聞かなくてよろしいと二人に言い添える。


「正式な呪符は書いてその場で使う、ができない物だから。正式に認めた時点で、ある程度の保全効果も持ってるし」

「「それはどのくらい?」」

「赤子くらいと言いました。慎重に扱わないと死ぬと思いなさい」

「どうして俺たちとそいつらで扱いが違うのさ」

「君らはそのくらい言っても、まだ雑に扱うからだ。とりあえずもう注意事項は述べたんだから、別物の説明をしてると思って聞き流しなさい」


 君らの口出しでこれ以上説明が進まないとぶち切れそうよ? と笑顔で言いつけると、双子はわざとらしく同じ動作で口を塞いで一歩下がる。それでよし、大人しくしてなさいと再び言いつけて呪符の説明に戻る。


「価値を知って丁寧に扱ってくれるなら、よほどのことがない限りは大丈夫だから」

「どれだけ大変な作法か具体的には知らないけど、十年ほどで十枚しか認められない呪符を貰うのは大分怖いんだけど」

「知った身で頂くのは辛いです、重いです……っ」


 片づけることさえ畏れ多いと震える手で呪符を正に仰ぎ持っている近重に、大袈裟なと苦笑する。はいはいと無言のまま挙手してくる双子に、努力は買おうと仕方なく目を向ける。


「発言を許可します」

「「正式な作法って?」」


 どれだけ手間がかかるのかと興味本位で尋ねてくる双子に、姉の苦労をとくと知れという気分で説明する。


「まず、年の最初に昇った満月の月光を含ませた水、生まれたばかりの猫の尾から梳いた毛で作った筆、まじない士が自ら指を突いて流した血をご用意ください。条件を外すとそれだけで簡略化と同じ効果しか得られませんので、ご注意を」

「年の最初限定とか、その時点で今からは無理だよね」

「因みに秀真旧暦の新年なので、ヴィシュムの新暦だと一か月ほど狂うのでお気をつけ」

「ただの猫の毛じゃ駄目なの」

「生まれたて限定。尻尾限定。種類や性別は問いませんが、雄の三毛は最高。効果倍増のお墨付き」


 なので呪い士は猫飼いが多いのですと拳を作ると、愛玩や使役じゃなくて抜け毛獲得のためなんだと理人が苦笑する。その言われ方は身も蓋もないが、悲しいかな紛うことなき事実だ。


「確かヴィシュムの魔女は、黒猫が相棒だったよね。あれも実用性かな」

「祓魔が呪いの対抗手段だったように、神聖術の対抗手段が魔法ですからね。神聖の源たるトゥーンの教えでは黒と四つ足を不浄とするので、魔女はそれを連れてるんだと思います。その証拠に、地域が違うと黒い狼だったり三つ頭の黒犬だったりするので」

「うちは二頭ふたがしらの狼で翼があって尾は蛇だよ」

合成獣キマイラだよね、もはや」


 かつて彼女が呟いた単語を覚えていると教えて双子が口を挟むと、何故か理人と近重は驚いた顔をしている。どこに驚愕の余地があったろうと首を傾げると、魔女の血筋なのですかとまたしても引っ繰り返った声で近重に問われる。


「あれ、ウェインスフォードって結構有名だと思ったんだけど」

「そう……、言われると薄ら記憶に掠るものがないでもないような? けど今はもう、世界的暗殺者として名を馳せてるから」

「馬鹿なの? 魔女が暗殺は基本だろ」

「毒殺から始まった暗殺術だけど。何を今更」

「始まったと言いながら毒を極めたの、今の家族だと私くらいだけどね」


 皆様直接的な技術に走りがちでと悩ましく息を吐くと、そのほうが早いと双子が声を揃える。確かに否やはないのだが。


 様式美が、歴史の重みがとしたい反論は多々あれど、その長い歴史を実際に経て簡略化されてきたのだから直系には伝わらなくても仕方ないのだろうか。伝統が廃れるわけですよと嘆きたくなるが、このやり取りも長く続けてきたからこそ諦めて息を吐く。


「つまり奏嬢は現在、呪い士で魔女ってこと?」

「厳密に言うとどっちも正式じゃないので、呪い士の直弟子で魔女の技術継承者です」

「変な拘り」

「今やどっちも廃れてるんだから、名乗ったらいいのに」

「どっちも廃れてるって言うな直系!」


 頑張らねばならないのは君たちですよと指を突きつけると双子は面倒そうに肩を竦め、


「「それは後継に任せる」」


 自分には関係ないとすぱりと切り捨てられ、溜め息は尽きない。言っても詮無いことに時間を割くのも馬鹿らしく、話題を変えるべく思考の切り替えに努めようとしてふと思い至る。


「何でこんな話になったっけ。確か、正式な呪符の認め方が偉い面倒臭いって話じゃなかった?」

「ごめん、俺のせいか。魔女の猫を持ち出したから」

「そうでした。呪い士の猫の実用性ですね。新年なんて一年待ったら次がありますけど、生まれたての猫ばっかりは。飼ってないと、どうしようもないですからね」

「そういえば、かつては呪い士御用達の道具屋もいたと聞きましたが」


 違いましたかと近重が確認してくるので、いたけどもと遠い目をして思い出す。


「あまりに偽物を量産しやがるので、時の呪い士がぷちっとやったらしいよ」


 他の道具を揃えても、たった一つの偽物で台無しになる。それが如何に呪い士の心を折るか知らない馬鹿が多すぎたのでしょうねと、しみじみ噛み締める。


「道具を全部揃えたとしても、次は認める場所と時間にもまた制限があるわけですよ。認める前の清めも時間がかかるし、墨を磨る間は息をするな、どの年はこの方角に息を吐くな、集中するべく何日若しくは何の刻まで眠るな等々、等々! 思い出すだけで切れたくなる条件をどうにか何とかこなしたと思って認めた呪符が、簡略化した物と同じ威力しか出なかった時にどこかに不備があったー!! って発覚するわけです。全部見直して可能性は筆しかない。ってなった時の呪い士の怒りたるや」

「……全滅させるね、それは」

「でしょう。偽物許すまじ、殲滅すべし。ですよ」


 今回お渡ししたのはその凄まじい労力の末の産物ですと双子に振り返っにっこりと笑いかけると、呪符を片付けた辺りに手を当てて少しばかり真面目な顔をされる。


「銃撃戦真っ只中で最後の銃弾くらいには丁寧に扱う」

「ゲインの刀匠が遺した大業物くらいには丁重に扱う」

「大変よろしい」


 慎重度合いが上がったねと頷き、尚更返したいとぷるぷるしている近重に小さく笑って軽く肩を叩いた。


「とりあえず、近重はそれで自分の身を守ってくれたらいいのです。誰に攻撃されようと、初撃を凌げば私たちの誰かが助けるから」

「それ、僕も「俺も入ってるの?」」

「ついてくるのを許すのは、近重を守ることが第一条件で絶対条件です」


 できないなら帰れと笑顔で言いつけると、双子はむうと黙り込むが踵は返さない。四十近いおっさんの拗ね顔など、いくら顔がよくても見ていたいものではないので早々と視線を逸らす。

 逸らした先で目が合った理人は、念のためなら受け取っておくと苦笑して呪符を片付けた。物分かりがいいのはいいことだ。


「それより、この先の目的地は決まってるのかな。秀真とはいえ天領だと、俺は案内できないけど」

「天領なら私の庭ですよ、寧ろご案内はお任せあれ」

「カヤの頃に行方知れずになった期間もないのに、どうして庭なのさ」

「俺たちの知らないところで、秀真に来られたのかい」


 不思議なことを言うと首を捻る双子に僅かに眉を上げ、そこの朴念仁どもと鼻先に指を突きつける。


「女の過去に詮索無用。今までの人生で学ばなかったのか、君ら」

「他人ならそうするけど」

「カヤだと別だよ」


 知っていないと気が済まないと素直に傲慢を発揮する双子に、二の句を継げない。がんがんと音までしそうな頭痛を覚えて額に手を当て、身体ごと顔と意識を逸らした。見なければ存在までなくなればいいのに。


「奏様、今ですか。今が使い時ですか」


 ぶっ飛ばしますかとあげたばかりの呪符を双子に向けかねない近重に、多分無駄に終わるから別の機会に取っておいてと宥めて深い溜め息で諦める。双子との付き合い方を思い出してきた、上手く聞き流せ。それがすべて。


「まあ、ばっきばきに折られたのは話の腰だけじゃなくて私の心もですが。引っかかってると先に進めないので、無視して進めます」

「俺も何となく理解してきた。じゃあ改めて、目的地は?」

「それは勿論、お墓参り」


 現在を知るには手っ取り早く、過去を手繰ればいい。知りたいことも、知りたくないことも、きっとそこに埋もれている。

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