姉との距離感
ウェインスフォードに連れ帰られて、早半月。歓迎歓待は有り難いが、耐えられたのは十日。今はもう、ただただ逃げたい。
喪ったと思っていた十六年を埋めたいのだと言われれば無碍にもできなかったが、カヤだった頃もそんなにべたべたしてこなかった。何をするにも家族の誰かが引っ付いてくる現状、愛情は目減りしてストレスだけが溜まっていく。
「もうそろそろ、ぶっ飛ばしたくなってきた……」
「奏様、仮にも相手はご家族にございましょう」
堪えましょう、と苦笑交じりに宥めてくれるのは近重。秀真を出てウェインスフォードに連行されるとなった時、怖かろうから他所で待っててもいいよと勧めたが頑なにお側にと主張された。以降、秀真にいる時と変わらず甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる近重は、誰よりも側にいる。
「どうして近重は一緒にいても何の抵抗もないのに、あの子たちだと面倒臭いんだろう」
「お応えし辛いことを……」
私の口からは申せませんと頬を引き攣らせて緩く頭を振られ、ふうんと相槌は打ったが本当は理由なら分かっている。
近重はただただ、奏のために尽くしてくれている。珍しく強く言われるのは大体が側を離れろとの命に逆らう時だけで、後は奏が過ごしやすいようやり易いよう、心を砕いてくれる。邪魔はしないよう、それでも寂しくないように相手をしてくれる、この絶妙の心配りがウェインスフォードには欠けている。
「距離感おかしいよね、あの子たち」
「……多少、強引なところはあられるかと」
大分控えめな表現をする近重に、鬱陶しいって言っていいんだよと思うけれど口にするのはやめておく。弟妹にしても近重にしても、奏にとっては血は繋がらないけれど家族という認識だが。会って半月、しかも奏を介してしか接していないなら互いに家族と思い合え、もっと親しめというのは酷な話だろう。
今何より切実で急務なのは、どうやってここを脱出するか、だ。束縛を愛とは思えない、何より全員ちょっと己が身を振り返れと思う。
(いや、本気で。ちょっとは鏡も見たほうがいいと思う)
辛辣にそう考えるのは、姉としての立場を揺るがせる気はないが外見年齢は気になるから。今の彼女は、見た目だけは十六歳だ。二十代から三十代の男女が、ヴィシュムで言えばまだ成人前の少女を姉と慕ってはしゃぐ姿などはっきり言って視覚に対する暴力でしかない。
古株の執事たちは奏をカヤと認めてくれているから努めてスルーしているが、カヤが死んだ後に入った執事たちは弟妹に集られている奏を見るたびにびくりと身体を震わせている。指摘すると執事たちが厳しい指導を受けるだろうから黙っているが、あれが世間一般の反応だ。
「ここ半月、家族のほとんどが揃ってる気がするけど。いつ仕事してるんだろうね」
さっさと仕事に出払ってくれたら出て行けるのにと愚痴めいてぼやくと、近重は知りたくなかった事実を口にする。
「三日に一度ほどは、新しい仕事をお受けされているようですよ。その度に、壮絶な押し付け合いを繰り広げておられますので」
「……冗談だよね」
「奏様がお望みでしたらそう致します」
「やーめーてー、変な甘やかしとかいらない、洒落でなく本気でやってんのあの人たち!?」
頭悪いんじゃないのと思わず声を尖らせると、だって仕事とかどうでもいいよねとあるまじき発言に振り返る。
有難くもまだ保存されていた自室に篭もっても一人になる時間がなさすぎて、全員一回三十分ほど部屋に帰れ。と言いつけたのが今からきっちり三十分前。一秒の狂いもなく性懲りもなく訪れてくる事態も、仕事に対するやる気のなさにも呆れ返るしかない。
とりあえずノックもしないで勝手に入室している上の双子の内、発言者のクザキを見据えて口を開く。
「仕事もしないで、どうやって生きていく気なの」
「? 金なら執事全員雇ったまま人生もう一回できるくらい、有り余ってるけど。奏は違うの」
この半月で、どうにかカヤ呼びから奏呼びに矯正した。それはいいのだが、発言内容があまりに腹立たしく知らず拳が震える。
指摘通り、奏もカヤとして残した金額なら凄まじい。一度目の人生のように平凡に穏やかに慎ましく暮らしていくだけなら、五回くらいは働かずに一生を終えられるほど持ち合わせている。家業を疎んで極力仕事を受けなかったカヤでさえそうなのだ、特に何の抵抗もなく、寧ろカヤが嫌がった分まで代わって引き受けてくれていた上の双子の貯蓄は今述べたほどあるのだろう。
(しかも家族の一人一人が、それくらい持ってるわけですよ。何なの、小さな国の国家予算なら余裕で賄えるってか!)
何年分を、などと考えてはいけない。その馬鹿みたいに法外な金額を、一家で蓄えているという事実に眩暈がするだけだ。
近重に至っては軽く頬を引き攣らせたまま、その場で固まっている。処理しきれない、したくない事態に遭遇すると人は皆そうなるものだろう。できることなら奏もそうしたい。
「っの、金持ち目セレブ科ドラ息子属め……!」
低く毒づくと双子は分からなさそうな顔をするが、近重だけは小さく何度か頷いている。理解者の存在に喜びは噛み締めるが、あんまり放っておくと詳細説明を要求されるのも経験上知っている。さらりと流すには話を変えるのが一番で、今にも口を開きそうなクザキの機先を制してそんなことよりと強引に水を向けた。
「君たちは、お客さんの到来をいつ伝える気?」
尋ねると双子は僅かに眉を上げ、近重ははっとしたように応接室がある方角に振り返った。行ってと目線で促すと大きく頷いた近重は、いそいそと部屋を出て行く。その背に軽く殺意を込めた視線を向ける双子に、小さく咳払いだけする。
むうと口を尖らせたのはクザキ、どこか皮肉に口の端を持ち上げたのはウズハ。どちらも幼い頃と変わらず拗ねた色を強くしているが、何度でも言おう、十代の可愛げな頃ならともかく四十近いおっさんの取る態度とは認めない。自分の年を考えろと口には出さず批難の眼差しを向けると、先に取り繕ったのはウズハ。
「……今、次期当主が対応してるよ。迎えにやらなくても、じきに来たんじゃないかな」
「そう思って三十分は見過ごしたよね」
「あいつ、そんなにいるの。迷惑な客だね、追い出してくる?」
「んっふ。ウズハ、クザキを連れて出て行くか黙らせるか、選ばせてあげてもいいけど」
片割れの面倒は自分で見ろと押しつけると、ウズハはにっこりしたまま無言でクザキの口を塞いだ。クザキはむぐむぐと僅かばかり抵抗する様子を見せていたが、カヤは本気でやると低くウズハに脅されて静かになっている。失礼な弟どもだ。
軽く目を据わらせて今や頑張れば父親と言っても通じる年齢になった双子を眺めていると、お待たせ致しましたと近重の声が届くのでドアに振り返る。どうぞと応えると引き開けられたドアの向こう、半月振りだが何だか懐かしい姿を見つけて知らず口許を綻ばせた。
「理人さん。思ったより早かったですね」
「えーと。どこから否定すべきかな」
明らかに苦笑する理人の言葉で、思わず目を据わらせて双子を振り返る。知らなーいとその態度だけで主張しているが到底信じられず、お仕置きのレベルを確定するためにも理人に向き直る。どうぞと視線だけで促すと、軽く頬をかいて口を開かれる。
「まず、俺が片を付けたのは奏嬢が秀真を出てから五日後で。秀真を出たのはその二日後」
「また手早く片づけましたね」
「つかなかったのは踏ん切りだけで、投げ出す覚悟さえあれば問題なかったし。時間をかけても仕方ないしね」
呼び出されるまで待ったせいで五日もかかったんだけどと少し遠い目をする理人だが、その待っている間も残務処理は進めていたのだろうと見当をつける。
(でも合わせても七日って早すぎるよね。これはあれか、私が賭けを受けた時点から用意は始めてたな……)
僅かに目を眇めると、それだけで奏が何を考えたか察したらしい理人はすいと目を泳がせた。無理を強いられたであろう相模や梁瀬を思うと哀れだが、直接自分に負担がかかったのではないから一先ず横に置いて話を聞く。
「勿論その足でヴィシュムに来たんだけど、どうしてだろうね、この屋敷に辿り着くまでに三日かかって。当主に合わせてもらうまでに二日、屋敷に通してもらうまでにまた二日。で、やっとの今日です」
もうちょっと早く再会できてたはずなんだけどねと遠い目をしてされた理人の説明に、奏は低い声でふふと笑った。後ろで双子が、びくりと身体を竦めたのが分かる。
「そこの双子。ちょっと家族全員、食堂に集めようか」
「っ、今、当主は仕事に出てるけど」
「祖母様はさっき出かけたはずだし全員はいないから、」
「いるだけ全部集めやがれ」
顔も見ないまま言いつけるともごもごと口篭もられるので、肩越しに振り返って睨むように見据える。見た目だけなら随分なおっさんになったのに、カヤだった頃と変わらない幼い仕種で腰を引かせている二人に低い声で告げる。
「姉の命令には?」
「「理不尽でも従え」」
諦めたように口を揃えた二人は、これ見よがしな溜め息をつきつつも急いで部屋を出て行く。遠く見守るように控えていた執事たちも姿を消すのは、主人が揃う食堂を整えに向かったからだろう。
最初から素直に動けばいいのにと小さくぼやいていると、理人が微妙な目を向けてきた。
「──どうやったらあの二人があそこまで従うようになるのか、聞いてもいいところかな」
「どうも何も、姉だからです」
それ以外に理由などないですがと首を捻りつつ答えると、尋ねてきた理人どころか聞いていただけの近重まで僅かの沈黙を抱え、ふっと遠い目をした。
「え、何、変なこと言った?」
「いえ、さすが奏様と感服した次第です」
「うん……、カヤさんでも奏嬢でも最強だなって」
実感したとしみじみ言い合う二人に何やら気の悪いと眉を寄せるが、それより今の内に聞かねばならないことがあったと思い出して軽く身を乗り出させて理人に近づく。
「ところで片のつけ方って具体的にどうしたか、聞いてもいいところですか」
どこかわくわくと尋ねると、理人はそんな楽しげに聞く話じゃないと思うけどなぁと苦笑はするが隠す気はなさそうなので言葉を重ねる。
「さくっと殺っちゃいました?」
「そうしないと話が進まないほど馬鹿だったんだ、って実感はしたかな」
「でもそれ、理由の大半は理人さんですからね」
「悲しいかな、それも実感したよ。けどその俺が反旗を翻したら止める誰もいなくて、楽は楽だったけど」
馬鹿と直面するのだけが苦痛だったと遠い目をする理人に、元凶がよく言うなあと思わず片眉を上げた。
秀真で最強を誇る剣は、表向きはどこまでも将軍に忠実だった。実際には考えることを放棄して凶器に努めていただけだが、将軍が増長する大きな理由にはなった。将軍に逆らえばすぐにも剣が振り下ろされる、それは確かな恐怖として反対分子を潰しただろうから。その馬鹿を指摘もせずただ黙々と従っていた理人は、ある意味一番罪深い。
「反旗を翻すなら前もって準備をしておかないと、他人様が迷惑ですよ」
「他人と言うと俺があの人に振り回されてる間、見ない振りしてたような連中のことかな。なら、ざまあみろだね」
あまりにいい笑顔で言い放った理人に、奏も貼りつけた笑顔で凍りつく。ちくりと刺したはずが棍棒で打ち返された気分だ、他人様の地雷は慎重に踏み抜くべきだった。
「奏嬢に迷惑がかかるなら自重もしたけど、他に困りそうな何人かは連れ出したし。後は残った連中がどうにかしたらいい話だよね」
「……まあ、やって出てきたものは今更どうしようもないですしね」
一番のつけを支払わされるのが今将軍ならそれもいいんじゃないかなと、現実逃避も兼ねて見なかったことにする。
「でもそこまで思い切ったなら、本気で殺しておいたほうが後腐れはなかったでしょうに」
「確かに、剣を引いた瞬間から後悔したけどね。けど新しい将軍が立つまで待機なんてしてたら、奏嬢はどこに行ったか分からなくなるだろうと思って」
本懐を遂げなかった元凶だとちらりと恨めしさの乗る視線で射られた奏は、あらあらと笑って頬に手を当てた。
「世界中捜しても見つけ出す、くらい格好のいいことを仰ればよろしいのにー」
「その手間も惜しんで側にいたいんですよ、俺は」
届く範囲にある手を逃す意味が分からないと小さく頭を振られ、揶揄する気だった奏は直球で返されてぐっと言葉に詰まった。助けを求めるように視線を巡らせるが、近重は従者の分を弁えて聞いていませんとばかりに顔を逸らしている。侍女の鑑か! と、褒めたいのか謗りたいのかよく分からない突っ込みを胸中に収めたなら、自分を助くる者は自分しかいないという現状。
逃げるか消えるか、実のところ選択の余地はない解決策を実行に移す直前。
「奏様、ご家族が食堂にてお待ちです」
そろそろ痺れを切らして誰かが呼びに来られそうですが、と遠慮がちに部屋の出入り口で見覚えのある執事がそっと声をかけてくれたのをいいことに、奏は急いで立ち上がった。
「ではちょっと、家族会議と参りましょうかね」
我ながらわざとらしい明るい声で歩き出すと、仕方ないとばかりに理人が後ろで小さく息を吐く。
「まあ、あんまり性急に詰める気はないけど」
時間はあることだしと自分に言い聞かせるような独語を背中に聞いて、奏はそうかなあと前を歩きながら軽く天井に視線を向けた。
(二回の享年を考えれば今年一杯が今世の限界値、みたいな気はするけど)
だとするとあんまり時間はないですねと心中に皮肉めいて呟いたが、口にするのはやめておいた。今度こそ覆したいのも然ることながら、奏に限らず誰しも明日は何が起きるか分からない。そんないつ起きるとも知れない不穏をわざわざちらつかせるなんて、ただの悪趣味としか思えない。
できない覚悟を強いるよりは、突然の衝撃に嘆くほうがまだましだ。別れは誰にも平等に、唐突にやってくるものだから。




