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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
29/42

決めた値段

 理人あやひとは懐から自ら認めた命令書を取り出し、不審そうにしつつもその場で固まっていた行忠に広げてみせた。


「こちら、これより発布する命令書です。既に承認印のあるものですので確認の必要はありませんが、一応のご報告まで」

「っ、いくら白紙で渡したとて儂の承認がなければ、」

「行忠様。いい加減になさいませんと、あなたの言葉のすべて、誰も信用しませんよ」


 子供ではあるまいにと目を眇める理人に、行忠はかっとなったように手を振り上げる。けれど少し離れた場所で、膝を突いただけでいつでも動ける態勢を取っている理人に実際に拳を振り下ろすことなどできない。守れと言われるまま守ってきた弊害も大きいが、理人の実力を嫌ほど知っているのも行忠だ。自分が仮に無手の理人に剣を振り下ろしてきたところで一瞬で組み伏せられると知っているのだろう。


(今なら剣を奪い取って切り伏せるくらい、やってみせるけどな)


 そこまでの発想はなくとも痛い目には遭いたくないと控えられるのなら、無駄な労力削減という意味で良しとしよう。ここまで盲目的に仕えてきた理人が反抗したと見ればすぐにも拳を振り上げる、その精神はまったくいただけないが。


「別に何も難しいことではありません、あなたの手を煩わせることもほとんどない命令です」

「……何を望んだ」

「生涯に渡る外交特権です。外国とつくにに出ても秀真まほろの外交官として身分が保証されるかわり、秀真に不利益は齎さない。──命令というよりも契約ですね」

「馬鹿を言えっ! 貴様、儂の側仕えが儂の側を離れる気か、何を考えている!?」

「私の婚約者を愚弄し続けるあなたに、心底愛想が尽きました。それでも秀真を憎んでいない証拠に、あなたの側を離れようと国は裏切りません。静寂しじまは弟に譲ります。側仕えとして引き立ててくださるか、御三家から退けるか、そのあたりはもう私には関係のない話なので次期と話してください」


 今までお世話になりましたと、形ばかり頭を下げる。正直に言えば世話をした覚えしかないが、最後くらいはと大人になったのに。理人より年上のはずの行忠は、先ほど投げ捨てた剣を拾って今度こそ抜き放った。行忠の腕ではこの距離でも大きく振りかぶらなければ理人に届かない、わざわざ顔の高さで剣先を向けてくる時点でより多くの時間を相手に与えることになるとも気づいていないのだろう。


 真面目に身を守るべく努めなかったからだと冷めた気分で考え、避ける気にもならない震えた剣先を眺める。


「許さん、認めん!! 静寂理人、お前の代替わりも儂の側から辞すことも一切認めん!! そんなことになるくらいならいっそ儂が、」

「殺しますか。将軍の側仕えになってから、ずっとあなたのために長く努めてきた、私を。その手で?」

「そうだ! それが嫌ならば儂の命をき、」


 聞けとの戯言を最後まで紡がせる気はなく、刃の峰に左手を当てて押さえつけてそのまま剣先を畳に減り込ませた。ここで剣を抜けば片がつくのは分かっていたが、おっとなーげなーい、と歌うようにからかう奏の声を聞いた気がして僅かに口許を緩めた。行忠にとっては恫喝されるよりも圧倒的優位に立った理人の薄ら笑いのほうがよほど恐ろしかったらしく、ひっと息を呑んだのがよく分かった。


「覚悟の上で抜け、と申し上げました。その上でこの暴挙、もはや言い逃れは許しません」

「っ、貴様、儂を誰だと、」

「さあ。東源とうげん行忠、以外の誰になった気でおられるのか」


 大分どうでもいい気分で聞き返すと、行忠が顔を真っ赤にして怒鳴りつけてくる。


「たかが臣下の分際で、儂を呼び捨てるとは何事か!」

「──権利の行使をする者が少ないからか、歴代将軍は何方も都合の悪い事項を都合よく頭から追い出されるようですが。御三家の総意があれば、将軍を罷免に追いやることは可能です。さて、そうなると東源の家はどこまであなたを守れるでしょうね? あなたが言われるようにたかが臣下(、、、、、)である私は御三家筆頭の静寂当主ですが、東源は初代将軍の分派の中でも下流。あなたが将軍になった今でこそ大きな顔をしていますが、御三家が揃って他家に肩入れすると聞けばあなたを守ると思いますか」


 家格の差を弁えろ。と今までは決して口にしてこなかった本音を込めて笑いかけると、行忠は頭に上らせていた血を一気に下げた。


「本気で……、言っているのか。なぁ、理人。儂はお前に目をかけてやったろう!?」

「私の休みが年に何回あるか、ご存知ですか? そこまでの献身で勤めたというのに私の婚約者はすんなりとは旅券を手に入れられず、無謀な賭けに出ました。ようやく成功して戻れば金額を吊り上げられ、持ち合わせていた解毒薬を快く提供したのに犯罪者扱い。私の前で彼女を殺すと散々喚かれ、挙句私に向けられたのは剣先。成る程、とても目をかけて頂いているようで」


 光栄の至りですと冷めた目をする理人に、行忠は大きく喉を鳴らした。


「どれも皆、本気ではない。分かるだろう知っているだろう、なぁ、理人。剣を離せ、そうしたらお前の婚約者の罪も不問にする。お前の無礼もだ。今ならまだ、なかったことにしてやろう」


 引き攣った笑顔で媚びを売る行忠は、けれど目の奥に屈辱を灯している。分かりやすすぎていっそ笑えましたと肩を竦めた奏の言葉が蘇り、まったくだね、と心中に同意して苦笑する。行忠は理人の緩んだ口許を見てほっと息を吐き、まるで許されたかのような態度で身体を起こそうとするその肩を軽くもう片手で押さえつけた。


「誰が動くことを許可しました?」

「っ、理人!!」


 名を呼ぶ声を荒らげるだけで押さえつけられたのは、理人が仮の主人としての将軍を立てるべく動いていたからだ。今となってはそんなもの、何の強制力もない。剣と行忠の肩を押さえつけたまま、理人は側で狼狽えるだけで動けずにいる小姓に視線を向けた。


「先に剣を抜いたのは将軍で、私はまだ抜刀もしていない。この後抜いたとて正当防衛だ、証言できるな」

「ふざけたことを抜かすな!! 私を傷つけて無事でいられるとでも、」

「何を生温い。首を落とせばもう文句もありますまい」


 あっても聞こえませんがと首を傾げると、行忠は空気を求めた魚が如く無意味に口を開閉する。それからようやく言葉の意味するところをを染み込ませたのか青褪め、貴様と唇を震わせる。


「っ、謀反だ! これは、これはれっきとした謀反である、誰か、早くこの血迷った馬鹿を取り押さえよ!」

「先ほど申し上げましたが、御三家の総意による首の挿げ替えは認められています。今回は乱心した将軍を取り押さえる際、不幸な事故(、、、、、)が起きるだけのこと。その後のことは適当に上手くやりますので、ご心配なく」

「不幸な事故だと!? 貴様、将軍を弑逆して無事でいられると、」


 思うのかとがなる言葉が終わる前に、理人は無造作に懐から取り出した袋を行忠の足元に放り投げた。じゃりっと重い音に行忠は視線を落とし、不審そうな顔をする。


「ここに、二百両ございます。これであなたの命を買い取ります、文句はないでしょう」

「っ、儂の命がそんな安値だと!?」

「何を今更。あなたの決めた額でしょう」


 文句は言わせませんと切り捨てると、何の話だとばかりに顔を顰める行忠を見つけて深く息を吐き出した。あれはたった数日前だというのに、もう記憶の彼方に追いやられているらしい。まったく都合のいい記憶力でと鼻を鳴らし、苛立ちを深めたらしい行忠を一瞥する。


「奏嬢が解毒薬を差し出した際、あなたが出した金額は百両でした。五百両を請求され、驚くことにあの場にいた私どもにあなたは百両ずつ請求された。私たちの命の金額はあなたに押しつけられたものですが、あなたは自身で百両、と定められたに他なりません。その倍も用意したのですから、あなたは大人しく受け取って死ななくては」


 そんな馬鹿な話があるかと行忠は顔色を失うが、言った通り決めたのは将軍その人だ。


「私たちの出した百両を返されるなら、どうにか五百両にはなりますが。いいですか、あなたは自分でその価値をたったそれだけ(、、、、、、、)と定められたのです。ですから私は、その倍額であなたの命を買いましょう。自分で値段をつけておいて、まさかそれはならぬ、などと言い出されませんように」


 薄らと笑いかけて自分の剣に手をかけると、行忠はようやく理人の本気を察して震え始める。待て、待ってくれと惨めに震えた声でそろりと手を動かす。


「お前はそこまで愚かではなかろう、なあ、理人。儂を、幼い頃から長く仕えたこの儂をその手で殺すなど有り得ぬっ」

「は。先ほど私が問いかけたそれには、応と答えられたように記憶しておりますが」


 ならば何故私がしないとお思いですかと問い返すと、違うと行忠は必死に頭を振る。


「お前があまりに婚約者を庇い立てするから腹が立っただけよ、まさか儂が本当にお前を殺すと思うか!?」

「できなかっただけで、やる気だった方がよく言いますね。──ご安心ください、私は誰かに阻まれるより早く首を落として御覧に入れます」


 お目にかけられないのが残念ですと緩く首を振ると、行忠の剣を押さえていた手を離して自分の剣を抜いた。


 もう何度、行忠の命でこれを揮ったことだろう。その最後が本人の血で濡らすことだとは皮肉なものだと、あまり感慨もなく呟く。


「お、落ち着け、理人、本気ではあるまい!? なあ、っ、何でも! 何でも望むがいい、その命令書も儂が必ず維持する、何があっても生涯に渡ってだ! 儂が将軍である間、必ず破棄したりせんっ。どうだ、それが望みであろう!?」


 見つけた切り札とばかりに殊更振り翳して見せる行忠に、理人は大きな溜め息をついた。


「発布されれば帝以外の誰も撤回できぬように、織り込み済みです。あなたを相手に、その程度の対策もしていないと思われているのなら心外です」


 ではこれでと剣先を持ち上げると、やめろと本気の悲鳴を上げられる。


「頼む、助けてくれ、何でもするっ。何でもするから……!」


 終片ついのかけを使われた時は、ここまで必死に命乞いはしていなかった。何かあれば理人が助けるという確信があったのか、奏が本気で殺すまいという油断があったのかは知らないが、相手が理人になれば途端に明日の自分を想像できなくなるのか。


 奏が聞けば、心外だ。と大いに顔を顰めただろう。確かに毒に頼ったのは殺さないようにの用心だったが、あくまでも交渉が目的だったからで慈悲や躊躇の表れではない。そんな甘いと思われると商売上がったりですけどー、と暗殺業から既に足は洗ったはずなのに猛抗議してきそうな姿なら簡単に浮かぶ。


(でも俺は、君にさせずに済んでよかったと思ってるよ)


 お互いに、真っ白で何の罪もない手をしていないのは知っている。それでもせめて惚れた女の手は、見える範囲でくらい守りたい──相手が望んでいなくても。


「……理人?」


 奏を思って知らず手を止めていると、期待したような行忠の声で我に返った。ああ、感慨に耽るには少々早かった。


「そうよ、お前に儂が殺せるはずがない。そうであろう、」

「ここまで時間があったのです、もう覚悟はついておられるでしょう。では、また、来世で」


 あるといいですねとにこりと笑うと、行忠の顔が大きく引き攣った。

 仮に次があるなら、二度と上司とは仰ぎたくない。かといって、部下に持つにも面倒そうだ。素直に、金輪際会いたくないと言うべきだったか。


 人間関係とは、かくも難しい。

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