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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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 ようやく念願の旅券を手に入れた奏が、何の後腐れもなさそうな顔で秀真まほろを出たのは昨日。上の双子が攻めてくるなんて切り札を持ち出されては、逆らうに逆らえなかった。秀真のことは嫌いではないと聞いた後なら尚更、更地になるまで潰せばいいとは言いかねたからだ。


(そもそも東は将軍の権威が強いとはいえ、秀真は帝が治められる国だからな)


 馬鹿な将軍のせいで国ごと潰してしまうのはさすがに申し訳ない、かといって姉のために暴走するウェインスフォードの凶器を身体を張って止めるほどの愛国心はない。秀真消滅を避けたいならば、双子が入国する前に止める以外の選択肢がなかった。


 因みに納得はいかないままもどうにか自分の心に折り合いをつけて空港まで送って行けば、図ったように双子が到着したところだった。正に間一髪で止められたことを喜ぶべきか、堪え性のなさを指摘すべきかどちらが正解だったのだろう。


 とりあえず奏は目を据わらせ、ついてきたら帰らないって言いませんでしたかねと語尾を上げていたが。ついてきたわけではなく、思い立って立ち寄ったのだと双子は声を揃えて主張していた。曰く、自家用機が奏を下ろして戻ってきた、それに乗って訪れたのだからついてきたわけではない、らしい。


 奏としてもしたい反論もできる反論もあったのだろうが、言っても無駄だと諦めて受け入れていた。多分に自家用機で出国するなら実費は払わずに済む、という計算が大きかった気はするが、一緒に出て行くなら双子の暴走は招かずに済むのも一因ではあっただろう。


 そんな感じでご機嫌な双子を引き連れた奏が国を離れたため、一刻も早く秀真を出ねばと理人あやひとも急いで将軍との面会を求めた。奏を連れて来いと矢のような催促を受けていたので、さっさと要望が通ったのはいいことだろう。


「肝心のあの娘はどうした!?」


 会うなり怒鳴りつけてくる行忠に、どうやら本気で命を売ってもらったことの意味に気づいてないのだなと遠い目をして考える。


 甘やかしすぎたんですよと、二度目の交渉を終えて引き上げる道中で奏にちくりと刺されたことを思い出す。理人からすれば甘やかしているのではなく、一応上司に当たる人間を教育する義理はないと自分に楽な道を取っただけなのだが。

 言われるままはいはいと守り、兆しが見えれば先手を打って守り、面倒臭いから報告もしないで守ってきた。自分で考える力を伸ばさないからと呆れた顔で頭を振られた、あの時は自分の子供じゃないのにそこまで面倒を見たくないと反論したかったが、今なら仰る通りでしたと反省したい。


「一つお尋ね致しますが、彼女を呼んで何をなさるおつもりですか」

「正気か、貴様。あれは儂を殺そうとしたんだぞ、こともあろうにこの儂を!! 即座に引き摺り出して目の前で首を落とせ!!」


 脇息を薙ぎ払って怒鳴りつけてくる行忠に、理人は堪える気もなく深い溜め息をついた。これはもう駄目だ。


「それが一国を統べる将軍のお言葉ですか、情けない」

「っ、は? 理人、貴様、今何と言った……っ」

「戯言をほざくな。と申し上げましたが。聞こえませんでしたか」


 丁寧に言い直すと顔を真っ赤にして立ち上がった行忠は、察して半身を退けた小姓の手から剣を取って目の前に構えた。辛うじて鯉口を切られてはいないが、今にも引き抜きそうな勢いだ。理人は冷めた目でそれを眺め、軽く目を細めた。


「この場で切られるほどの罪を犯した覚えはございません、我が身を守るべく対応致しますのでそこはお覚悟された上で抜かれますよう」


 いつでも抜けるように自分の剣に手をやりつつ低く警告すると、行忠はふざけるなと激昂する。


「貴様、その不敬をして罪がないとよくほざいたな!?」

「先に私の婚約者を愚弄し、処刑とまで口にされたはそちらです。静寂しじま当主として、私には家の者を守る義務がございます」

「あの女はまだ静寂ではない、仮にそうだとすれば貴様の一門にも累が及ぶと覚悟した発言か!?」

「彼女を妻にと望んだのは私自身です。その時より私にとっては、誰より守るべき存在。その愛すべきが謂れ無き罪に問われるとするならば、全力で守るが筋にございましょう」


 それに先に抜くのも私ではありませんと、行忠の手許から目を離さないまま淡々と説明する。行忠はしばらく何か言いたげに口を開けて呆けた後、持っていた剣を畳に叩きつけて馬鹿を言うな!! と怒鳴りつけてくる。


「謂れ無き、だと!? 貴様は自分に毒を盛られたことまで忘れたかっ。あの女はこの儂を! 殺そうとした重罪犯であろうがっ」

「お言葉ではございますが、証左はどこにございます」

「証左も何も、あの女が自分でそう言ったではないか!!」


 貴様も聞いたであろうと語尾を上げられるが、生憎と気を失った振りをしている間のことなので知らないことになっている。ただ何度も行忠にがなられたので、彼女が自分でそう言った、は伝聞で知っている。

 けれど。


「奏嬢がそう言ったと請け負う人が複数おられる以上、それは事実として。実際にそれをしたという証左がない、と申し上げているのですが」

「な、にを……、言っている?」


 自白したのだぞと顔を顰める行忠に、言うのはただにございましょうと理人は軽く肩を竦める。


「彼女としては、約束を果たして手に入るはずだった旅券を取り上げられそうな状況でした。手っ取り早く約束を叶えてもらうには、少々偽悪ぶって脅したほうが早いという計算がされても不思議ありません」


 そもそも約束が守られていればそんな事態にはならなかったはずだと突き刺すが、行忠に反省した色はなくあれとても何かしら悪辣な手を使ったのであろうと吐き捨てる。ぴくりと眉を上げた理人に気づく様子もなく、そもそも信用ならん女だと思ったのだと忌々しそうに語る行忠に剣を抜きたい衝動を必死に噛み殺す。


 そもそも奏がどんな手段で金を掻き集めたにしろ、行忠が無茶を課したのが原因なのだからそれを咎める筋合いはない。寧ろあの日数であの金額を要求するなど、犯罪に手を染めろと唆したも同然だ。幸いにして奏が用意したのは自分カヤの遺産であり、何ら後ろ暗いところのない真っ当な金だったが。仮に表には出せない金だったとしても、知らない顔で受け取れば済んだ話だ。


(挙句、まだふんだくれそうだって土壇場になって金額を吊り上げた人間の台詞か? その強欲が怒りを買ったくらい、考えなくても分かるところだろう)


 最初から無茶で無理な条件だった、それを果たして帰ってきてまだ認めないと言われて笑顔で受け入れる人間などいるはずがない。最初の時点で暴れずに受け入れられたのがどれだけ奇跡に近い確率だったのか、そこから理解していなかったなんて。


「それでは行忠様にお尋ねしますが、ヴィシュムに赴いていた十日間、彼女はずっと私の側にいました。戻ってからは離れて雪代の屋敷にありましたが、大金を持ったままでは怖いからと全額を預かっていたのは私です。この状態で、彼女はどうやって終片ついのかけを手に入れられたのですか?」

「っ、お前にしても四六時中べったりと張りついていたわけではあるまいっ。どこぞで手に入れる機会はあったはずだっ」

「一度も訪れたことのない外国とつくにで、正規の手段では手に入らないと分かり切っている終片を。私が目を離したとすれば精々四半刻にも満たない短時間で捜し出し、購入し、隠し持ち、持ち込んだのですか。秀真どころか雪代の屋敷からもほぼ出歩いたことのなかった私の婚約者殿は、それはそれは優秀なのですね」


 カヤの記憶があると知らない者からすれば、奏はただの箱入り娘だ。行忠との交渉時に貨幣価値さえ碌に分かっていないと露呈した、稼ぐ手段に賭け事を持ってくるしかないと宣うたほどの世間知らず。毒物を手に入れるには相応の伝手と金額が必要になる、それらを持ち合わせないと分かり切っている少女が一体どうやったのかと頭から馬鹿にして聞き返すと、行忠も言葉に詰まる。

 けれどすぐに立ち直り、憎々しげに睨みつけながら怒鳴りつけてくる。


「儂を害そうとする者は多い、秀真に戻ってからそれらと接触して上手く手に入れたのであろうよ!」

「では、仮にそうして入手できたのだとしましょう。では、彼女はいつそれを香炉に仕込めたのです? 私と共に城に上がる前から、この部屋で既に香は焚かれていたではありませんか。行忠様と対面して以降、彼女は香炉に近づいていませんが」

「っ、城の誰かと結託して先渡ししていたこともあろうっ」

「それでは行忠様を害そうとしたのはその者であって、彼女ではありますまい」

「毒と知って渡した時点で、あの女の罪に決まっておろうが!!」


 寝言をほざくなとばかりに噛みついてくる行忠に、まだ理解に及んでいないのかと深い溜め息を隠しもせずに吐いた理人は仕方なく詳細に説明する。


「それを誰が証明できるのか、と先ほどから申し上げているのですが。彼女が城の誰かと接触したなら真っ先に私が把握しています、婚約した時から雪代の屋敷を出入りする者は私がすべて管理しているのですから。私が気づかないまま終片を入手するのも、それを誰かに託して城に届けることも限りなく不可能に近い。それでも誰かが彼女から香を受け取ったと言うならば、それが彼女を、引いては私を陥れる罠ではないとどうして断言できるのです。そもそも外から持ち込まれた香を、検めもせず使用したのは誰ですか。火をつける時に気づかなかった者の落ち度、若しくは悪意はなかったことにされるのですか。それこそ言葉だけでしかない彼女の自白を除いて考えれば、終片は別の誰かが仕込んだと思うほうが自然でしょう」


 腹立ち紛れに捲し立てたが、実際のところは秀真で手に入り易い毒を聞かれ、終片かなと教えたのは理人。シュウヘンなら持っていたはず、と貸し金庫に取りに戻ったのは奏。それを行忠が使う香に仕込んだのは延広で、火をつけたのは事情を一切知らない小姓の誰か。それがこの一連の騒動の真相だ。


 ただ今並べた理人の言葉に嘘はない、彼が加担していないのを前提にするなら奏に犯行が無理なのも事実だし、その場合は他の可能性もあると示唆しているだけだ。突きつけられる証拠でもあれば話は別だが、奏も延広もその点に関して抜かりはない。つまり行忠たちが捏造する以外に有り得ず、ならば理人は堂々と証拠を見せろと詰め寄るだけでいい。


「っ、貴様、自分もあの毒で殺されかけたのにまだあの女を庇うなど、正気か!?」

「──行忠様がお示しになれない、確たる証拠がある事実は一つ。雪代奏が持ち合わせていた解毒薬によって、あの場の全員が救われたことです。あなたは、奏嬢によって命を救われた。その覆しようのない事実の前で、まだ彼女を愚弄しますか」


 いい加減にしろと怒気を漲らせて低く聞き返すと、一瞬は怯んだ行忠はけれどすぐに思い直すように頭を振った。


「自分が毒を仕込んだのでなければ、なぜあの場に解毒薬を持ち合わせていた!? それで儂を救ったと言うが、あの女、それと引き換えに色々と分捕っていったではないかっ」

「彼女が解毒薬を持ち歩いていたのは、あなた以上に毒を盛られるのが日常だったからです。毒見を連れているわけでもなく、すべて自分で対処しなければならなかった、故にあらゆる解毒薬を常に持ち歩いているのです。それに分捕ったと言われますが、旅券も私への白紙の命令書も、用意した金額と引き換えに得るべき物だったはず。それに合わせて用意した金額も引き上げたのは素直に旅券を渡されないあなたに対する不満の表れですが、結局のところあなたは何も損をしていないではありませんか」


 出した金をそのまま引っ込められただけ、自分が懐を痛めて自らの命を買い取ったのではない。何をして分捕ったというのかと目を据わらせる理人に、行忠は屁理屈を並べるなと近くに転がっていた脇息を改めて蹴飛ばしつつ怒鳴りつけてくる。


「屁理屈はどうでもいい、さっさとあの女を儂の前に引き摺り出せ!!」


 今すぐにと目を血走らせて命令してくる行忠に、もはや溜め息も出ない。最後になってここまで失望させてくれる、これはある意味親切なのだろう。


 正直言って、理人にはこんなところでぐずぐずと馬鹿に絡まれている暇はない。本来なら空白を埋めた命令書を発布して、その足で秀真を出てもいいくらいに急いでいる。それをわざわざこうして対面で絡まれているのは、お仕着せではあったが確かに主として仰いでいた期間に僅かばかりの義理を感じたから。脅したり騙し討ちをしないでもすんなり話を進めてくれたなら、国を出ても一応の主として戴いても構わないと考えていたのに──。


 今やもう、これを主としていた過去の時間さえ恥ずかしい。


「分かりました、もう結構です」


 いいからもう黙れ。を比較的まろやかに伝えると、行忠は何故か勝ち誇ったように笑った。何だろう、この馬鹿。と冷めた目で眺め、ひょっとして理人がまた我を曲げたと思われているのだと気づいて激しく顔を顰める。そこでようやく不審げな顔をした行忠をもはや諫める気にもなれず、ただ用件だけを伝えるべく意識を切り替える。


 最初からそうしておけばいいのに、と冷やかす奏の声なら聞こえた気がして、そうだねと心中にだけ同意する。分かっていてもできなかったのは、まだ微かな希望があったからだろう。それさえ見失えば、何の躊躇も感じない。


 柵を断つに必要なのは根気ではなく、ただ失望だけだ。

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