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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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急ぐ理由

「あー、面倒臭かった……!」


 城を辞して理人あやひとに案内されるまま静寂しじま邸に身を寄せたのは、わざわざ命を買い戻させてあげたにも拘らずまだ喧嘩を売る気満々の将軍が雪代に手を回しているだろうと予測がついたから。


 静寂にしても引き渡せの命令はとっくに出ているだろうが、当主たる理人が無視を決め込むなら家人が勝手に突き出せない。じきに近衛が乗り出してくる見当はついたが、それも理人の許可なく邸内までは踏み込めない。将軍が直々に乗り込んでくるなら話は別だろうが、あれだけ脅した後に奏と対面するほどの度胸を持ち合わせているとは思えないので、奏にとって今は静寂邸が唯一の居場所と言っても過言ではない。


 本来であれば大人しく息を潜めているのが追われる者のあり方なのかもしれないが、生憎と奏に追われている自覚はない。旅券を手に入れたからすぐにも出て行ける、そのための事前準備を任せた近重と合流するのに一時立ち寄った、程度の認識だ。

 おかげで奏は理人の自室に通されるや否や、声を潜めるでもなく伸びをしながらそう吐き捨てた。


「お疲れ様にございました」


 親身になって労ってくれる近重は、勝手知ったる他人の家で奏が好んでいる茶をそっと差し出してくれる。ありがとうとそれを受け取った奏は、先日買ってきてちびちびと食べ進めているチョコレートをお茶請けにようやく一息つく。


 暗殺なら事はもっと簡単に済んだのだが、実に一刻以上も馬鹿なやり取りに費やすことになった。理人の雑な死んだ振りでもばれなかったのはいいことだが、いっそ先から主張されていた通り、最初から裏切りを発覚させておけばもっと早く済んだのだろうか。


(いやいや、馬鹿を見限りたい気持ちは分かるけど。ただ私が出て行くからって理由だけなら、理人さんが秀真まほろを出る意味がそもそもないわけですよ)


 後でやっぱりやめたと言い出すためにも、理人は奏にいいように利用されただけ、という立場を貫かなくては。


「多分にお気遣い頂いてるのは分かるんだけど、仮にも御三家の当主が裳着から数年の女の子にいいように振り回されたってだけで結構な醜聞だからね?」


 自分で企んで婚約者ごと逃げたほうがよっぽど聞こえはいいからと横から突っ込まれ、奏は部屋の主にじとりとした目を向ける。


「いい加減、顔色から勝手に思考を読み取って会話をしてくるの、やめてもらえませんか」

「そう言う奏嬢も、割とやるよね」

「私の場合は、何を考えてるか分かってるからするなよっていう牽制を込めてわざとなので、いいんです」

「俺もそうだろうなって認識は、」

「都合の悪い事実は隠蔽しろと本能が囁くので却下です」

「……そっか」


 却下されちゃうのかと苦笑気味に繰り返されるが、当然それも見ない振りだ。弟たちなら声を大にして抗議してくるところだろうが、姉には絶対服従! のやり取りをしないで納得を得られるのは手間が省けていいことだ。

 血の繋がりによる絶対性もなく、世間的に見て力ないただの小娘に言い負かされて従っている婚約者(仮)、という表現が頭を過ると何やらそわりとするが、自分が受ける評価でないならやはり見ない振りをするべきか。


「まあ精神的に疲れは溜まったものの、無事に旅券は手に入ったし、出したお金は丸ごと返ってきたのですべてよーし!」

「では、そろそろ出立なさいますか」


 万端整えた荷物をちらりと一瞥して笑顔で勧めてくる近重に、ちょっと待ったと理人が慌てて制止してくる。この邪魔者めとでも言いたげな目で近重が目を細めているが、気にした様子もない理人は身を乗り出すようにして問い詰めてくる。


「まさか、今すぐ出て行くわけじゃないよね!?」

「旅券を手に入れた今、一刻も早く秀真を出ないと命の危機だなー、という認識はございますが」

「ここにいれば俺が守るから」

「守るという意味では、別に自分の身くらい守れるわけですが。そもそも私がいつまでもここにいたら、何のために死んだ振りしてたか分からないでしょうに」


 面倒臭い交渉のすべてが無駄になると顔を顰めると、理人も一瞬ぐっと言葉に詰まる。


「けど、」

「白紙の命令書を有効にするのにも、時間がかかるんでしょう? それをここでは待ってられませんし、行く先はもう伝えましたよね。理人さんまで国を出ちゃう必要性は感じませんけど、ついてこられる分には止めませんから。ただ身辺は綺麗にしてきてください」


 カヤの遺産を手に入れたら、申し訳ないがもう庇護は必要ない。悲しいかな、世の中は大体のことがお金で解決するからだ。そこに自衛のための武力と殺すことを厭わない精神まで備えてしまったら、もはや怖いものはない。


(まあ、唯一怖かったウェインスフォードは何故か全面受け入れという謎の解決をみたしね……)


 そんなわけで怖い物をなくしてしまった奏としては、実のところ秀真に戻ってくる必要性もほとんどなかった。ウェインスフォードと極力関わらない、を前提にしていたから雪代奏としての身分証を欲していたわけだが、それを手に入れる過程で和解してしまったらそのまま行方を晦ますほうが色々と便利だった。


 ただ側に理人がべったりと張りついていたし、秀真には近重を残していたから一度は戻るべきと足を向けたに過ぎない。そうして戻ったなら今後のため、何の後ろ暗さもない身分証も手に入れておこうか、と思ったからこそあの馬鹿げたやり取りを試みたのだが。正直、理人への恩がなければ旅券の発行を渋られた時点で、交渉も何もなく将軍の首を刎ねていたところだ。


「奏嬢が望むなら、やってもよかったのに。そのほうが俺も後々、動きやすかっただろうし」

「確かにあの交渉中、何度かやってしまえと本能が囁きましたけど。旅券と白紙の命令書を手に入れられるなら、ちょっとは我慢しろの理性の声が勝ったので」


 そんな苦労を重ねて手にした白紙の命令書は、使いようによっては最強の武器だ。御三家の一たる静寂家から当主を奪い去ると思うと申し訳なさはあるが、奏が強要したのではなく本人が望んだのだから仕方ない。それを正当化して尚且つ追手もかからないように、理人ならうまく命令書を使えるだろう。が。


「あの将軍のことだから、後から取り消しの命令とか平気な顔して出してきそうですけど。その辺は大丈夫ですか?」

「やりそうと言うか、やるからね。確実に。ただ嫌でもあの人の行動は読めるから、対策は考えてるよ」


 にこりと決して目は笑ってないまま笑う理人に、奏も苦笑するしかない。たった二回しか会ってない奏でさえここまでうんざりしてるくらいだ、これを長年続けてきた理人の恨みたるや骨髄にまで沁みていることだろう。


「自分の愚かが原因で一番の懐刀に裏切られるって、分かって……ないんでしょうねぇ」

「分かってやられたらもう不要宣告と一緒だし、こっちも心置きなく後ろ足で泥かけるけどね」

「──不要宣告されてないのに、かける気満々に見えますけど」

「はは。だからせめて正面からかける予定だよ」


 正々堂々だよねと嘯く理人に、奏は軽く遠い目をして乾いた声で笑った。強く止め立てするほど将軍に義理も感じないなら、理人の気が済むまでお好きにどうぞ、としか言いようがない。これを機に積年の鬱憤を晴らせるなら、いいことなんだろう。多分。


「ただ私は別に秀真が憎いわけではないので、後始末は綺麗にしてくださいね」

「……そう、だね、俺も秀真が嫌いなわけじゃないか……」


 大分投げ遣りな忠告ではあったが、思った以上に理人に刺さったらしい。無謀を止められたなら何よりだが、指摘されなければ気づかないほど目が眩む恨みを買っている将軍というのも如何なものか。


 関わりたくない見たくないとついと視線を逸らした奏に、近重が物言いたげな目を向けてくる。


「そうでした、そろそろ行かないと」

「っ、お待ちください。今こちらにも城から多くの人出が、」


 今すぐに出て行かれるのはお待ちください、と止めてくるのは相模。主人の意を汲んで引き止めたいだけでなく、事実を述べているのは邸を取り囲んでいる多くの気配からも分かるのだが。


「これだけの人数がいるからこそ、紛れて出て行けるのでもう行きたいんですけど」

「それはどういう、」


 戸惑ったように相模が聞き返しかけるのを、理人が軽く手で制して小さくない溜め息をついた。


 さすがにこのところ呪符を乱発してきた、姿を紛らわせる方法は改めて聞くまでもないのだろう。それでも心配だと口ほどに物を言う目を向けられるが、だってあなた、とこちらも声なく反論する。私を誰だとお思いで?


(カヤですよ。天下のウェインスフォードですよ。お嬢さん一人守って国を出るくらい、寧ろ姿なんか隠さなくても容易いわ)


 そこまでの自負があってなお呪符を使うのは、近重に万が一があっては嫌だから。後は避けられる戦闘は避けたいという、物臭を発揮しただけだ。

 理人はするなと言った側から顔色だけで心情を読み取り、そこに関しては心配してないけどと苦い声を出す。


「静寂家にいてくれる限り誰にも手出しも口出しはさせないし、三日後には将軍と交渉を終えるって約束するから。それまで待っててくれないかな」


 秀真を出るのは止めないからと真摯に訴えられ、軽く顎先に手を当てる。


 奏としては、特に逆らう理由はない。将軍に面と向かって喧嘩を売ったから早めに出たほうがいいかなという認識はあるが、それは出て行かなければならない絶対的な理由にはなり得ない。ここ数年、便宜を図ってくれた理人が後三日と限定的に望むなら受け入れてもいいところなのだが、問題は奏ではなくカヤにある。


「私は別にそうしても構わないんですけど、そろそろ行動しないと馬鹿が乗り込んでくる予感がひしひしとしています。そうなった場合、責任は取りませんがそれでもよければ」


 ただ三日ももつかなあと真顔で首を傾げると、理人は一瞬凍りついて頬を引き攣らせた。 


「──それはあれかな、聞きたくないけど察しがつく“上の双子”とかだったりするのかな……?」

「あらびっくり。この短い付き合いでよくお分かりで」


 わざとらしく目を瞠って驚いてみせれば、分からいでかとばかりに理人が苦り切った顔を片手で覆う。


 どうやらあの双子のシスコンぶりは、当事者でなくとも引くらしい。言っておくが、当事者だと一層引く。好意に付け込んで時折便利に使っていたから強くは言えないが、いつだったか君らは幾つになったらお姉ちゃん離れをするのかな? の何の気ない問いかけに、聞かれている意味が分かりませんと二人揃ってきょとんと見返された時は、背筋にひゅっと冷たいものが走った。以降、二度と聞いてはならない禁句と封印して触らないようにしている。


(大丈夫、あれは好意。家族愛。重っ苦しいけど理解はできる、多分。受け入れたくなくてもそっと見守ることはできる……多分!)


 よし大丈夫、二人の異常性には気づいてない、触れてない、これからも力一杯全力でなかったことにする! と自分に言い聞かせ、本当に可愛い弟たちだからーと人も殴り殺せそうな強度の棒読みで笑う。


「姉の役に立つべく生きることに全力を注ぐ頭のおかし……、──孝行心に溢れた弟たちのことだから、あんまり動きがないと何かお手伝いできますかって夜中の小人さんレベルでやっか……──いじらしい親切心を発揮して乗り込んでくるでしょうね。挙句、私が将軍と敵対したって認識をしたなら最後、少なくとも城は全壊すると思います」


 そこで止まればいいですねと他人事のように笑うと、側にいた近重が不安そうに眉根を寄せている。相模にしても似たり寄ったりの反応で、これが世間様の評価ですよと心中で双子に警告する。


「人様の家族を厄介扱いしたくないけど、そこはかとなく面倒臭い……っ」

「ねー。私も常々そう思ってました」


 まさか今生でまで同じ思いを抱こうとは、と感慨深く頷きながら近重に視線を据える。


「この先多分付き纏うこと必須の二人が暴れるところ、慣れるためにも先に見ておく? それなら雪代に戻って過ごしたほうがよさそうだし、そうするけど」

「待った、雪代に戻ったら即座に城に、」


 連行されると止めかけた理人は、それが目的と気づいたのだろうそこで言葉を切った。

 奏に協力して立場を悪くしている静寂の屋敷が破壊される羽目になれば、さすがの奏も自分を許せそうにない。立場回復という意味では理人に突き出されるという形で城に戻ってもいいのだが、そうすると双子が静寂まで敵認識しかねないので雪代経由で城に赴くのが静寂を巻き込まないためには最善だろう。


 近重は奏と理人の様子を眺めた後、恐れながらとそろりと口を開いた。


「奏様のお気遣いは有り難く存じますが、あれほどご苦労なさって入手された命令書が無駄になるのは避けられれば、と存じます」

「あー。それはそうかも。今日のやり取りを無駄にするのは腹立たしいね」


 せっかく頑張ったのでそっちを優先しますと理人に告げると、複雑極まりない顔をしていた理人も諦めたように何度か頷いた。


「後始末のことを考えたら、そうしてもらったほうが助かるかもしれない……」


 因みに彼らを空港で留めてくれるっていう選択肢は、と最後の足掻きとばかりに問われたが、一刻もつと思いますかと真顔で聞き返したところで無言で目を逸らされた。

 一先ず秀真についてくるなの厳命を受け入れさせただけでも褒めてほしい、それ以上を望むのはどちらにも酷だ。


「まあまあ、とりあえず出国しても理人さんの連絡を待ってから動き出すのはお約束しますって」

「そうだね……、連絡がつかなかったらとりあえずウェインスフォードに乗り込むのは宣告しておくよ」


 乗り込んでどうするかまでは敢えて語らずにこりと笑う理人に、こちらもにこりと笑みを深める。最初に顔を合わせた時から殲滅を繰り返し唱えていた理人が何をするか、ウェインスフォードが乗り込んできた相手にどう対処するか、どちらも知りたくない。知りたくないなら、避けるべき事態として心得ておくしかないだろう。


(旅券さえ手に入れたら自由になれる、はずだったのでは……?)


 どこで予定が狂ったのかと密かに考え込むが、多少不自由を感じたところで自分を慕ってくれる相手を切り捨ててまで一人になりたいわけではない。それなら、受け入れるしかないではないか。


 知っている。人間、諦めが肝要だ。

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