転がる人生
奏の体感としては半日近く、理人に曰くはお茶を三杯ほど飲める時間。家族にもみくちゃにされてぐったりした奏は、戻れ! と本気の強さで言いつけて家族をテーブル席に戻させて自分は理人が座る椅子の側へと戻ろうとしたのだが。
「……人がちょっと竜巻に揉まれるかのような体験をしてた間に、何があったんですか」
「あの辺に控えてた執事さんたちが、カヤ様のお客様とあってはお持て成しさせて頂きますって色々と用意してくれて」
家族に用意された物と比べれば小振りのテーブルに、お茶とお菓子、軽食までが並べられている。ちゃんと二人分、理人が口をつけたのはお茶だけらしいが途切れることなく提供されているらしく、正規のお客様としての扱いをされているのはいいことだが。どれだけ準備してきたんだと軽く呆れて、少し離れた場所で控えている執事に視線を向ける。
カヤとしては、専属執事を持たなかった。拾われっ子には分不相応ですと断ったからだが、それでも専属に近く熱心に仕えてくれた相手はいた。家族に近く目を潤ませ、歓喜に打ち震えた様子でこちらを見ている紺髪の男性。前髪の一筋も許さず綺麗に後ろに撫でつけ、銀縁の眼鏡をかけた無駄に姿勢のいい姿は年を重ねてもあまり変わらない。
「久し振り、ルイエット」
「カヤお嬢様……! まさか自分のことまで覚えててくださったとはっ」
大仰に感涙に咽ぶルイエットに、はははー、と乾いた声で笑う。カヤだった頃は同年代だったが、今や双子の弟たちより年上のおっさんだ。相手もやり難いだろうが、奏も非常にやり難い。思わず額に手を当てて、嘆く。
「どうしてこうなった……」
「どうしてというと、殲滅させてくれなかった上に逃げ切れずに追い詰められてカヤさんだって認めたから、以外にないと思うけど」
それ以外にないよねと軽く肩を竦められ、奏は額に手を当てたまま恨みがましく理人を睨む。
「何か怒ってます?」
「怒る。何に?」
別に特には何も。と硬い笑顔で答える理人に、怒ってると断じはするが理由が分からない。思い当たるとすれば、今この時間が耐え難いくらいか。
「あー……、他人様からしたら家族の再会なんて茶番みたいなものでしょうし。先に宿に戻られますか」
「はは。先に? 宿に?」
何するんだっけと笑顔のまま聞き返され、奏は思わずふらりと視線を外す。まずい、地雷だったらしい。
「できればここにいてくださいますと、とてもとても助かります……」
「それならよかったよ」
帰れって言われたら暴れるところだねと笑顔のまま続けられ、あはは、とさっきより乾いた声で笑うしかない。咄嗟に銃弾を切り落とし、走りながら鉄鎖を切り裂ける相手を怒らせてはいけない。殺すことは簡単でも、取り押さえるにはとんでもない労力がかかる。
(何だろうなぁ。弟たちにしても、時々よく分からない地雷を備えがちだよね)
もう触りたくないと機嫌を取るのも放棄して、さっき散々構ってきたくせにまだ足りないようにこちらを窺っている家族へと視線を変えた。途端、堰を切ったようにてんでばらばらに口を開かれるので、両耳に指を突っ込んで聞こえないとアピールしながらお祖母様と名指しする。
現当主である母よりも、やはり前当主の祖母が未だこの家族では一番の権力者だ。どこか誇らしげに胸を張り、ライカが改めて口を開く。
「それで、いつ帰ってくるんだい」
「……。いや、話がよく通じてないようですけど、もうカヤじゃないのにウェインスフォード家にお世話になるつもりはないですからね」
雪代奏の帰る先は秀真だけだ、それ以外のどこに帰れというのか。何を言ってるんだとばかりに断りを入れると、全員が衝撃を隠し切れない様子で立ち上がっている。
理人は持っていたカップを傾けて茶を一口飲むと、凄いねと感心したように言う。
「あの初耳って顔は、全員本気っぽい」
「前から薄々思ってましたけど、本気で聞く耳を持ってないですね」
さっきまでの流れで分かってそうなものではないのかと理解力を疑うが、カヤだった頃を知っている古株の執事たちまで手にしていた物を取り落とすほど驚いているのが解せない。
「愛されてますね、カヤさん」
「んっふ。カヤ扱いを続ける気ならもう奏には戻らない所存ですが、よろしくて?」
「……そろそろ空港に向かわないと今日中に戻れないから気をつけて、奏嬢」
「ですねー」
最重要事項ですと頷いた奏は、ぱんぱんと無造作に手を叩いて騒いでいた家族の気を引く。
「とりあえず積もる話はさておいて、時間制限のある依頼を抱えているからそろそろ失礼したいんだけど」
「っ、カヤ! 何てこと、家族と仕事とどっちが大事なの!?」
「仕事」
何の躊躇もなく断言すると、金切り声で問いかけてきたルキサが大仰によろめいた。けれど全員がどこかしらっとした目で当主を見るのは、ウェインスフォードで仕事以上に優先されるものは他になく、どれだけの約束が反故にされてきたか分からないからだ。当然母のみの横暴ではなく家族全員がそういうものだと思っている、カヤだった頃に彼女も何度かそれで弟妹を泣かせてきた。奏になったからといって、いきなり反省して慎むなど出来かねる。
「まぁ、仕事ならやり遂げてくるのは構わないけど」
「いつお戻りになられます? お姉様の部屋は私が。私が常に掃除をして、今まで通りに保ってます。今日これから戻られても大丈夫ですよ」
「だから仕事だって」
なかったことにして話を進めるなと突っ込むと、ばれたかとばかりに小さく舌打ちされる。年を重ねて、確実に性質が悪くなっている。
(まぁ、性質のいい暗殺者とか何の冗談だって話だけど)
とりあえずまともに相手をしていると日が暮れると判じ、受け流す。
「じゃあ、搭乗時間もあることだからこの辺で」
お茶はご馳走様と主に執事たちに向けて声をかけて立ち上がると、家族も続々と立ち上がっている。見送ってくれるにしてはおかしい様子に眉根を寄せ、遠く睨めつける。
「言っておくけど、ついてきたら怒るよ」
「ついていくのではなく、私も秀真に用事があるだけよ。ねぇ、あなた」
「そう、次の仕事が入る予定だ」
「予定って何、入ってないなら遠慮して!」
「私は久し振りの休暇で旅行ですわ」
「そうそう、兄妹水入らずで」
「三人で」
仕事を理由にしようとする夫婦を退ければ、旅行を言い出す末妹にその片割れと姉が尻馬に乗っている。私の案ですのにと笑顔に影を帯びているレシタが下手に喧嘩をして却下されたくないと我慢しているのは分かるが、残念ながらと理人が首を振る。
「秀真の入国は申請に十日はかかるから、今から申請しても一緒に向かうのは無理だと思う」
「っ、鎖国は随分と以前に解除されたのでは!?」
「そうなんだけど、解除したところで閉鎖気味の島国だからね」
軽く肩を竦める理人が一緒に連れて行くと決めたなら、実のところその手の審査はパスできるはずだ。御三家筆頭というのは、その程度には権力がある。ただ元の家族だと知っていつつ殲滅する? と何度も聞いてきた理人が、奏の頼みもなく自主的にそれを申し出てくれるはずもなく。奏としても連れて行く気はなく頼む予定もないのだから、実際には十日以上かかるだろう。
「別に正規ルートで入る必要性ないよね」
「カヤについて行くくらい、造作もないけど」
「取り締まる側の人間がいるところでする発言じゃない以前に、ついてくるなって言ってるのが聞こえないのか、君らは」
一番性質の悪い発言をする上の双子に思わず突っ込むと、二人して聞いてないと言いたげな顔を向けられる。ここまでくると尊敬するとぼそりと呟く理人に、変な感心をしないと諫めて双子を見据える。幼い頃の面影は残しているものの、カヤどころか最初の人生での享年を越えた弟たちは、何か間違っただろうかとしばらく迷った後に閃いたとばかりに声を揃える。
「「報酬なしで手伝うよ」」
カヤだった頃は、家業とはいえ気乗りしないことが多かった。育ててもらった恩を返すべく最低限は受けるようにしていたが、一人でこなすより手が増えることを喜んでいたから、報酬を分けることになっても手伝うと言われれば巻き込むことが多かった。弟妹の中では当然、一番長い付き合いだ。今回も仕方ないと折れることを期待しているのは分かるが、残念ながらと首を振る。
「手はいらない。家向きの仕事じゃないから」
「っ、手伝うのに!?」
最後の切り札だった分かる様子で繰り返されるが、いらないと頭を振ると大仰によろめいて座り直される。何だろう、そんなにぐうたら認識をされていたのかと思うと目が据わる。
けれど反論すべく口を開く前にふと気配に気づいて振り返ると、や、と気安く片手を上げた梁瀬が突然そこに湧いた。
「話しかけてよさそうな空気だったから、一応報告に。チョコレートは無事確保、融ける前に渡しとくな。また御贔屓に、だってさ」
「贔屓にしたいのは山々ですありがとうー!!」
大事な私の宝物! と渡された箱を抱き締めて歓喜の悲鳴を上げると、喜んで頂けて何よりと笑った梁瀬は少しだけ表情を引き締めて理人を窺う。
「それで、若。どうします」
「どう」
短い問いかけに答えるべく、ちらりと理人が奏を窺ってくる。自分の行動くらい自分で決めればいいのにと思いつつ、奏はチョコレートを抱き締めたまま帰りますよと弾んだ声で言う。僅かにほっとしたように息を吐いた理人が梁瀬に視線を戻し、それだけで諒解した忍はではそのようにと一礼している。
周りにいる執事たちは唐突に現れた梁瀬の存在に戸惑い身構えているが、家族は胡乱げに一瞥しただけで咎めるような目を奏に向けている。ついてくるな発言は、そんなにお気に召さないらしい。
「秀真に行けない理由は既に話したでしょう。私が密入国者を連れて行ったとなったら依頼が失敗判定されかねないから、本気で。何があっても。邪魔しないで」
仕事の邪魔だと断言すれば、さすがの家族も引き下がらざるを得ない。それでも縋るような目を向けてくる弟妹に、妥協すべきかと手の中のチョコレートを見下ろす。
「妥協っていうか、完全にチョコレート目当てだよね、奏嬢」
「人の顔色から行動まで読まないでください、そろそろ無礼者認定しますよ」
口も利きたくなくなるかもとにこりと笑って見せると、理人も張り合うように笑みを深めた。
「旅券が手に入っても、後見人の許可がないと国外には出られないって知ってるかな」
例えば発行はされても渡さないって選択肢もあるよねと権力を振り翳され、あらあらうふふと口許に手を当ててわざとらしく笑う。
「被後見人の我儘を叶えてくれる、優しい理人さんが後見人でよかったですう」
「俺に無断で行動しない、理解のある奏嬢が被後見人でよかったよ」
ははは、ふふふ、と笑み交わした奏と理人は、大きな溜め息を合図に笑みを消して互いに自分の額を押さえた。意地を張り合ったところで事態は好転しない、ちくりと刺したことに納得して話を変えたほうが無難だろう。
とりあえず理人には察しがついているらしいがいまいち奏の行動を読めずに眉を寄せている家族に目を向けて、改めて口にする。
「この仕事が上手くいったら、旅券も発行されるから。そうしたら少なくとも一度はウェインスフォード家に、」
そこまで言って僅かに躊躇い、決意して口を開く。
「帰る、から」
小さくなった声でも確かに届いたらしく、家族の顔が目に見えて輝く。居た堪れない気分になってふいと視線を逸らした奏は、また騒ぎ出される前に急いで付け加える。
「仕事の邪魔しないで、家で待ってて」
「お姉様が気に入っておられた食事とデザートを、山ほどご用意してお待ちしております!」
「いつ終わる、すぐ終わる? 空港まで迎えに行くから!」
「カヤ姉の好きだった花、俺ちゃんと世話してたんだっ。一層万端にしておくから楽しみにしててよ!」
嬉々として拳を作る弟妹たちの後ろでは、祖母と両親が早速執事に色々と指示を出している。その中で黙り込んでいるのは上の双子で、こんな顔をしている時は人の話を聞き入れる気がない時だと知って奏は目を据わらせた。
「ウズハ、クザキ。ちゃんと家で待ってられないようなら、二度と帰らないから」
ついてきたのが判明した時点で連帯責任だからねと浮かれている家族に釘を刺すと、全員にぴりっと緊張感が走った。上の双子は反論したげに口を開きかけたが、祖母に鋭い眼光で睨みつけられて口を噤んでいる。元家長の威光はまだ健在なようだ、素晴らしい。
とりあえず帰れそうかなと確認してくる理人に、お騒がせしましたと苦笑して一つ頷く。
(色々と予定は変わりすぎたけど……)
姿を見たり噂を伝え聞くことはあっても、もう会えないと思っていた家族と再会できた。前の人生を引き摺るのがいいことなのか、それとも余計な事態を招くのか。どうにも後者の気はするが、理人に指摘されたままカヤである彼女にとっては喜ばしいのも事実。
(どうせ人生なんて、自分の意志でどうにかできた例もないし)
二度目を期待したことはなかった、それでも今三度目を経験している。元の家族を受け入れるくらい、何だと言うのだろう。
人生なんて、意思もなく歪に転がっていく。決して望んでいない、思いがけない方向にも。




