家族
理人という盾は外せないままも元家族──ウェインスフォードの家族に顔を見せると、全員が今にも抱きついてきそうに喜んでいるのに気づく。いやいやそれは勘弁してくださいと理人を盾に使ったまま、ちょっと落ち着いてくださいと思わず頬を引き攣らせて声をかける。
「皆ちょっと我を忘れ過ぎじゃないですか。もっとこう冷静沈着に、」
「十六年もどこをふらふら彷徨っておられたのです、お姉様の馬鹿ーっ!」
叱るように声を尖らせたレシタが、呆気なく理人の盾を擦り抜けて力一杯首筋に縋ってきた。ぐえ、と無様な声を上げるくらいには苦しいが、決して離すまいと必死の強さで抱きついてくるレシタが可愛くないわけではない。宥めるように軽く腕か背を撫でようとしたところに、反対側から回り込んできたロイナが、会いたかったカヤ姉! とこちらも突進する勢いで抱きついてきた。両側から支えられるような格好だからこそ倒れずにすんだが、下手をすればみっともなく座り込んでいるところだ。
(その場合、理人さんが助けろよって話ですけどね)
妹二人に抱きついて泣かれるという、なかなかに心苦しい状況に甘んじつつ恨めしく理人を見ると、出しかけて無駄に終わった手を何度か開閉させて眉を下げている。家族さえ出し抜いた二人の行動を、今日会ったばかりの理人に止めろというのも酷な話かと遠い目をして諦める。
「とりあえず腹は括ったので、二人とも離れてください。話をするのに、これはきついです」
「っ、カヤ姉が困ってるだろ! お前ら、離れろって!」
声を尖らせたのはスルフで、問答無用で近寄ってきて一人ずつ襟首を捕まえて引き剥がしたのはウズハとクザキの二人。妹には優しくと諫めたくはなるが、不自由な状況から救い出してくれた功に免じて一先ず呑み込みながら再び理人を突き出して盾にする。即座に自分たちが代わって抱きつこうとしていたことなど、とっくにお見通しだ。ローティーンの頃ならいざ知らず、今や立派なおっさんに抱きつかれる趣味は生憎と持ち合わせない。
「「どうして逃げるのさ、カヤ」」
「喧しい、自分たちの外見を考えて行動しなさい。とにかく全員、席に着く!」
わざわざ用意してもらったんでしょうと遠く空いたままのテーブルを示すと、じりじりと近寄っていた家族は全員が一斉に顔を顰める。お前が言うなと言わんばかりの態度に、理人もフォローできないと苦笑しているが無視してテーブルを指し続ける。何やら言いたげにはされたがこうなると従うまで聞かないのは既に承知なのだろう、家族はそれぞれに溜め息をついて席に戻った。
それを確認した奏は理人を軽く見上げ、少し離れた場所に逸れている椅子を視線で示す。少し迷ってそちらに近寄って行った理人は、手近にあるほうの椅子を軽く引いてどうぞと促してくる。秀真育ちのくせにエスコートまで完璧か紳士かと心中に毒づきながらも近寄って行って座ると、ほっとしたように隣の椅子に腰かけている。
面白くなさそうな顔をしたウズハとクザキは、それ誰と吐き捨てるようにして尋ねてくる。さっきに理人が答えただろうにと思いながら、とりあえず順番にと軽く威儀を正して家族を見据え、
「はじめまして、雪代奏と申します。こちらは私の後見人で、静寂理人さん」
「はじめまして」
もう名乗っていいのかといった顔をした理人が軽く頭を下げると、前当主であるライカが僅かに目を細めた。
「その名前の感じだと、秀真かい」
慣れた喋り方に戻った祖母にくすぐったい思いを堪え、奏は軽く身動ぎしながら頷いた。
「カヤ・ウェインスフォードは死にました。十六年前のいつだかに死んで、気づいたら秀真で雪代奏になってました。因みに死ぬ前後の記憶もないですし、どんな仕組みで今ここにいるかも分かってないから聞かないでください」
「聞いたら駄目なことばっかりなんだけど」
「駄目と言うか、聞かれたって分からないのに答えようがないだけです」
ぼやくクザキを受け流し、奏はライカを見据えたまま話を続ける。
「これが自分の身に起きたことでなければ、私も何を言ってるんだろうこいつと思うので信じてくださる必要はないです。ただ私は雪代奏で、でも──かつてはカヤでした。できる説明はこれがすべてです、あなた方の望みに副う形であろうとなかろうと」
殊更突き放すように端的に説明すると、レシタが不安げに眉を寄せてですがと僅かに腰を浮かした。制するように視線を向けるとそろりと座り直し、ですがと繰り返して目を潤ませる。
「お姉様でしょう。私たちのこと、覚えておいででしょう? 会いに来てくださったのではないのですか」
「会いに来たわけではないです。ちょっとお金が入り用になったので、カヤの遺産なら使ってもいっかなー、の誘惑に勝てなかっただけなので」
「お金が入り用になったなら、直接家に来ればいいものを」
用立ててあげたのにと眉を顰めて咎めるように声を尖らせたのは、母のルキサ。父のトウエイも深く頷いているが、人の話を聞いてたかなこの人たちと頬を引き攣らせる。
「私は雪代奏なので」
「でも俺たちのことは覚えてるんだよね」
「なら、カヤでいいじゃない。何を拘ってるんだか」
よく分からないと肩を竦める上の双子に、この野郎どもと心中に拳を作る。もう無駄なんじゃないかなーと言いたげな理人を肘で突き、譲れない主張をする。
「カヤの記憶があろうと別人です、カヤが戻ったわけではないのでお間違えなくっ」
「それはもう、お姉様とお呼びしてはならない、ということですか……」
ぐすっ、としゃくり上げながら恨めしげに悲しげに声を震わせられ、当然と頷こうとした奏は耐えきれずにふらりと視線を逸らした。負けすぎてないですかと隣からの視線は突き刺さるが、弟妹は可愛いものと相場が決まっているのだから仕方ない。
「そこに関しては……まあ、呼び名くらいはお好きに……」
「ああよかった、お姉様……!」
「え、じゃあカヤ姉でいいんだよな」
「それは駄目っ」
「えー! ひでえ、カヤ姉、レシタばっか贔屓して!」
「そうだよ、いっつもレシタばっかり可愛がって狡い!」
差別反対と意気投合して拳を振り上げるスルフとロイナに、贔屓なんかしてないのにと心中にだけ反論して目を据わらせる。
「私がカヤの記憶を持つからって、皆様ちょっとはしゃぎ過ぎではないですか。ちょっと冷静に現状を把握してください。私はまだ生まれて十六年しか経ってません、次期当主と比べて八歳も年下なんですよ。その相手を姉呼ばわりとか、不思議すぎませんか」
「「……なら、カヤは妹になるわけだ」」
奏の主張を受けて、何故か上の双子が目を輝かせてこちらを見てくる。びくっと反応して椅子ごと後退り、それは却下! とすかさず反論する。
「どうしてさ。自分で年下だって言ったんだろう、じゃあ妹じゃないか」
「姉の理不尽には従え、って言葉に従ってきたんだから。今度はカヤが僕らに従うべきだ」
わくわくと目に見えて空気を華やがせる双子には、嫌な予感しかしない。
弟は姉に従うべきだ、その主張は二度ほど死んだところで変わらない。どんな理不尽も受け入れろとも言ったかもしれない、何しろ世の野郎は須らく女性を守るもので、その守るの中には身体だけでなく心の安寧を守るも当然のごとく含まれる。ならば姉の理不尽くらい、耐えられなくては始まらないという主義に基づく警告だ。寧ろ、後々自分たちが愛すべきを見つけた時に、姉より遥かにマシ。という判断基準になればと思っての姉心であり、決して虐げるのが趣味だったわけではない、断固としてない。
しかしこの双子に誤って伝わっている可能性は、薄々感じていた。カヤとして生きている頃からだが、その間は近くにいて諫められていたので特に問題視していなかったが。あれだけ妹には優しくしろと言い聞かせてきたにも拘らず、今の扱いを見ていると自分たちが受けた理不尽は弟妹で晴らすものと信じている節がある。
その双子に、今度は妹認識をされる。冗談ではない。
「そもそも妹には優しくって散々言ってきたでしょう、従うべきなんて兄の台詞じゃないからね! 理不尽が許されるのは、姉だけに決まってるの!」
「「だから従ってきたじゃないか」」
でも姉じゃないんだろうと、見た目に反してそっくりの様子で首を傾げて聞き返してくる双子に、ぎりぎりと奥歯を噛み締める。
「私がカヤだとしたら弟が姉の年を越せるはずがないんだから姉に決まってるし、奏だとしたら君らなんか赤の他人様だ! 他所のお嬢さんを勝手に妹呼ばわりした挙句、理不尽を強いるなんて横暴は認めない! 姉は君らをそんな子に育てた覚えはありませんっ」
びしっと遠く指を突きつけながら肩で息をするくらい強く主張すると、それでこそカヤねと祖母と両親は顔を輝かせ、素敵ですお姉様とロイナとレシタは目を潤ませ、弟に人権がなさすぎるとスルフが苦笑している。カヤさんの弟でなくてよかった、とぼそりとした安堵の声が隣から聞こえた気はするが、肝心のクザキとウズハはあからさまにぶすくれた顔をしている。
二人の無表情と笑顔の鉄面皮を崩すのはカヤの得意技で、主に理不尽に従わせる時はいつもこんな顔をされていた。
「「身勝手すぎる……」」
「じゃあ赤の他人様として、他人扱いしたら?」
それが望むところですけどと腰に手を当ててふんっと鼻を鳴らすと、子供みたいに不貞腐れた双子は口を尖らせたまま椅子に座り直した。とりあえず妹扱いは免れたようで、ほっと息を吐く。
「──満足したようで何よりだけど。因みに、奏嬢。最大の恐怖を逃れるために前提を色々と吹っ飛ばしたことに気づいてないようなのは、突っ込んだほうがいいかな」
もはや姉扱いしかされないと思うとぼそりと突っ込まれ、奏ははっとして理人を振り仰ぐ。無駄も無駄、と真面目な顔で重々しく頷かれ、ぎしぎしと軋むような音を立てて家族を窺えば何やらもう生温く微笑ましい空気で奏を──カヤを見ている。
『違う違う違う、カヤじゃなくて奏だしカヤじゃないって話をしてましたよね!?』
「声に出さなくてもきっと分かってるだろうけど、声にされたって聞かなさそうな人たちが聞くかなあ」
無理だと思うけどとすっぱり切り捨ててくる理人の襟を掴んで引き寄せ、君はさっきから嫌なことばっかりー! とがくがくと揺さ振る。さしたる抵抗もせずかくんかくんと揺れながら、理人はどこか憐れむように見下ろしてくる。
「だって、彼らに会ってからずっと──カヤさんですよ」
奏嬢と呼ぶにも無理がありますねと寂しげな敬語でそっと諭され、ぐっと言葉に詰まる。
「誰も責めないと思います。あなたがカヤさんであることに違いはないんですし、……久し振りに会ったんでしょう。一時であれずっとであれ、カヤさんに戻っても問題ないですよ」
とにかく素直に再会を祝ってきてはどうですかと軽く背を押され、怖じ気づいて後退りしようにも支えた手に阻まれる。
「っ、リト少年」
「猫の尻尾と女の名前、ですよね」
幾つもあるのだと悪戯に笑った、それを逆手に取られてぎゅっと唇を噛む。後で覚えてろよと心中に毒づくが、とん、と一歩踏み出す形で再度背を押された。
諦めろ、と心中で誰かが囁く。
どれだけ強がってみせても、例えば家族ではないと向こうが主張してきたとしても、彼女にとってウェインスフォードは“家族”だ。今となっては、唯一の。一度目の人生では自分が死ぬより早く亡くしてしまい、遺していくことも探される可能性もなかったから考えなかったけれど。会えて嬉しいのは、きっと彼女だけではない──?
「「カヤ!」」
堪らず抱きついてきた妹たちがそうしたように、自分から抱きつきに行っても構わないのだろうか。
(いやいや。落ち着こうよ、自分。足して足して足して、あなたもう何歳になると、)
躊躇して竦む足を見越したように、今度こそ理人に阻まれないと確信して家族が一斉に詰め寄ってきて思考を遮られる。攻撃か。と思うほどの強さで突進してきたり抱きついてきたり頭を撫で回したりと好き勝手な仕打ちは乱暴にも思えるのに、不意に泣き出したい気分になる。
今だけ。今だけ雪代奏ではなく、カヤ・ウェインスフォードに戻ってもいいですか。
「どうぞ、あなたの望むままに」
甘やかな声で与えられた免罪符で、視界が霞む。それでも泣くのは悔しくて、手荒く歓迎してくる家族に好きにされながら、ぐっと拳を作った。
大事を抱え持つのは恥ではない。たまに折れても立ち止まっても、再び歩く術になるのだから。




