束縛する名前
彼女を映像で見つけた時、分かっていたことながらあまりに姉とは似つかない姿に自分を疑った。
レシタの考察は完璧だ。姉の思考を解析して行動パターンを読み解き、町中から集められたすべての映像を三日がかりでチェックして条件に当て嵌まる人物を見つけ出した。見知らぬ他人を見つけるという仕事だったなら、これで間違いないと絶大な自信を持って断言したはずだ。だが固唾を呑んで見守っている家族の前で、姉だ、と断言するのはいくらか躊躇した。
家族にしてもレシタが映像を止めて検分し始めた時から、目の前のモニターに映る人物が姉なのだろうと見当はつけただろう。ただ最初に見つけた双子の兄たちもあっと声を上げるでなく、スルフやロイナはあからさまに胡散臭そうな顔をし、両親と祖母は眉間に皺を寄せてじっと見据えたまま動かない。レシタの背中には、珍しく冷たい汗が伝うような気分だった。
それでも、どう考えても条件を満たすのはこの凸凹な男女二人組。何だか染めたようなわざとらしい茶色の長髪と、赤茶の瞳。特徴を上げるのが難しい姉と違って狐のような顔立ちで、ひょろりと背だけは高い双子の兄と変わらないほどの高身長。豊満というには些か通り過ぎたふくよかな体型は動きが鈍そうで、どこをどうとっても姉とは思えない。
これが? と無言で尋ねてくる、全員の視線を跳ね除けて頷くのは大分難しかった。
レシタの能力を全員が知っていて頼りにしているのに、今回ばかりは自分を含めた全員が大いに戸惑い、不安を覚えたまま。それでも他に手掛かりがあるわけでなし、半信半疑で向かったというのが本当のところだ。
けれど。
(ああ、お姉様お姉様お姉様お姉様……!!)
画面越しでなく目の当たりにした瞬間、違う外見など全部帳消しになるほどの確信を持てた。歩き方も話し方も声さえ違うけれど、分かる。あれは姉だ。愛するカヤその人だ。何一つ読み間違うことなく手に取るように分かる、その思考。先回りして対面すれば、似つかない色合いの目がそれでも自分を捉えただけで胸が高鳴った。
間違いない、確実に姉だ。生きている。理由も経緯も分からないけどどうでもいい、だってそこに! いるのだから、生きて確実に目の前に!
ただ久し振りに見た姿にどこか緊張して上手く話せないでいると、拗ねたようにふいと顔を逸らして逃げられた。軽くショックは受けたものの、理由に見当がつくなら受け入れられなくはない。見つけると豪語したくせに実に十六年も放っておいた、それは怒って拗ねて意地も張るだろう。
許してくれるまで謝罪するくらい何でもない、そうして機嫌を直してくれたら今度は思い切り甘えよう。放っておいたのは申し訳ないが同じだけ放っておかれたのも事実だ、拒否権は認めない。
「ていうか、何あの男! 逃げたじゃん!!」
執事じゃなかったのと悲鳴みたいに叫んだロイナの言葉で、レシタもはっと我に返る。うっかり姉にばかり気を取られていたが、考えれば映像にも常に二人で映っていた。銀行で双子の兄が遭遇した時も、姉の他に誰かいたと言っていたはず。
確認するようにちらりと視線をやれば、自分たちを前にして逃げた姉に衝撃を受けて固まっていた二人もようやく弟妹の目を気にして解凍したらしい。物問いたげなレシタの視線に気づき、始末するなら注意しろよと珍しい忠告を口にする。
「殺さないようにってことか? はっ、いつからそんな甘くなったんだよ、くそ兄貴ども」
「殺せるならやってみろって言ったんだよ、愚弟」
あからさまに馬鹿にして語尾を上げたスルフを、クザキが憐れむように見下ろした。抜け駆けするように一足早く追い始めたウズハを慌てて追いかけると、お前たちにはまだ無理だろうねとどうでもよさそうに言われる。
「あいつ、クザキが撃ってから部屋に入ってきたくせに銃弾全部切り捨てたから」
「「「は?」」」
双子の兄の発言は大体が信憑性に欠けるが、殊戦闘に関しては信頼できると思っていたのに。情報を修正しなくてはいけないと顔を顰めるが、クザキから否定が返らないのも信じられずに二人を見比べる。クザキは面白くなさそうに小さく肩を竦め、前情報がなかったからねと苦く吐き捨てる。
「けどウズハだって、投げたナイフ全部カヤに跳ね除けられてたじゃないか」
「っ、カヤなんだからしょうがないだろ」
「待ちなさいよ、あんたたちカヤ姉に攻撃したの!?」
馬鹿じゃないのと声を張り上げるロイナに、双子の兄たちは揃って目を眇めた。
「「目の当たりにしてもカヤかどうかの判別も出来てないくせに、よく言うよ」」
確かにロイナとスルフは、本当に本人かと疑っていた。見た目でしか判断しないからそうなるのだと冷めて考えるが、姉かもしれないと前もって言われていなければ死んだはずの相手が姿を変えてそこにいると断じるのは時間がかかるかもしれない。
レシタとしては反省して改めるべしと心に刻むが、生憎と兄に対する敬愛を持ち合わせない残り二人は攻撃はしてないと反骨精神を見せて噛みついている。それもまた事実と受け止めているレシタを他所に、痛いところを突かれた兄たちは静かに殺気を垂れ流す。
(そもそも、どちらも修行が足りないのでは?)
今はそんな場合ではないはずだ、執事に紛れていた一人が姉を掻っ攫って逃げてしまったのだからすぐにも捕まえなくては。
(でも行動を共にしていた相手を殺すと、お姉様のお怒りたるや……)
基本的にウェインスフォードは、邪魔者は殺れ。が基本姿勢だ。殺されたわけでもないなら放っておこうよと弱者に寛大なのは姉だけで、それは昨日今日入ったばかりの執事であろうと顔見知りになると余計に手心を加える悪癖があった。それで死んじゃったらどうするのと問い詰められている姿も何度か見たが、死んでないのに説教される謂れはないとやり返していたのだったか。
とにかく自分の知り合いが酷い目に遭うのは認めないと変な精神を貫いていた、顔見知りで済みそうにない相手を手にかけたとなればただでさえ怒っているのに二度と口も利いてもらえないのではないか。
嫌な想像にふるりと身を震わせ、レシタは僅かに速度を落として兄姉に先を譲る。彼らが暴走してうっかり殺してしまっても、それはレシタのせいではない。間に合わない頃合いにやめなさいと声を張れば、姉にはちゃんと止めたようにアピールできるだろう。直接手を下した相手は姉から蛇蝎のように嫌われても、レシタは見つけられなかったことさえ詫びれば許されるはず。
これでよしと心中にだけ頷いていると、何となくスルフが横に並んできた。さっきまでは兄たちを追い抜きそうに先を急いでいたのに、こんな時は何故かちゃっかりと並んでくる。直情径行にあるスルフに思考解析は不可能なはずなのに、レシタの考えだけは勘だけで察知される。これが双子の弊害だろうか。
抗議の意味を込めてじとりとした目を向けるが、スルフは素知らぬ顔で位置を変えない。まあいい、愚かを働くのは姉馬鹿の双子の兄たちに任せよう。所詮、いつもの話だ。そっと息を吐いてレシタが諦めると、見計らったようにスルフが小声で尋ねてくる。
「祖母様たちもここに来てるんだろ?」
「私がお姉様と見当をつけたと聞くなり帰ってらしたから、そうでしょうね」
「じゃあ、先に祖母様たちが始末をつけるんじゃないか」
それだと困るのかと言下に問われ、特には困らないと肩を竦める。むしろそうしてもらったほうがいい気はする、何しろ姉にとっても両親と祖母は逆らい難い相手ではある。ウェインスフォードに必要だったのと祖母がにこりと笑えば、姉はぶちぶちと文句を言いはしても受け入れざるを得ないだろう。
(ただ、拗ねたお姉様は案外怖いもの知らずだから……)
一度臍を曲げてしまえば、誰が何を言っても聞き入れなかった。例えば祖母が前当主の絶対的権威を振り翳そうと、真っ向から蹴り返すくらいやってのける無謀は自棄になった姉くらいしかしないしできない。
(子供じみたお姿も可愛らしいし、そんな時でも凛として格好良いのも確かですけど)
思わずうっとりとかつての姿を思い出して考えていると、スルフが緩く頭を振ったのが視界の端に映る。
「恋は盲目って言うけど、崇敬が盲目すぎんだろ、お前の場合」
「それで迷惑をかけた覚えもないのだから黙らっしゃい」
走る相手の脹脛を後ろから爪先で蹴飛ばすと、がっと無様な悲鳴を上げられる。ただ前を行く兄姉は気にした風もなくただ一つの気配を探しているのを見て、そっと息を吐く。
(お姉様、私をはじめとして全員がこんなにも待ち望んでいるのです)
どうか機嫌を直してほしいと強く祈っている間に、最初から追い込むと決めていた場所まで姉を追い詰められたらしい。ここに至るまで相手の男も無事だなんて、悪名高いウェインスフォードも随分と落ちたものだ。
目を眇めて少し遠い二人を見下ろしていると、どこか面白そうにしたスルフが肘で背中を突いてきた。
「隠せてねーぞ、その舌打ちしたげな顔」
「……ロイナと違ってしてないからいいのです」
まったく、いちいち煩い兄もいたものだ。そんなことより、姉が明らかに苛ついた様子でいるほうが気になって仕方ない。お茶の用意もしていつもの席を空けたのに、どうして座ってもくれず席が足りないと怒り出すのか。
戸惑って家族と視線を交わすが、悲しいかな、姉の思考を読み解ける者はいない。レシタが得意なのは大まかな思考の流れをなぞって次の行動を読むことであって、目の前で何を考えているかを具に読み取れるわけではない。そんなことができたなら、姉が何故生きているのを隠して行動しているかの理由さえ判明しているはずだ。できるのではと期待して目を向けられたところで、分かるはずがない。
姉は家族に視線を向けるのを拒否し、隣の男は反対にこちらをじっと見据えている。姉でさえ、家族全員を敵に回せばまだ勝てないはずだ。その男にできるはずもないのに、虎視眈々とこちらの隙を窺っている。まるで敵にでも向けるような目つきで。
(私たちの敵は、お前のほう)
姉を唆し、家族の元から引き離しているのだとすれば何を置いても排除すべき敵。けれど姉がこんなちっぽけな男に操られているとは、俄かには信じられない。
「とりあえずお茶はどうでもいいので、話があるなら進めてもらってもいいですか」
彼女も大分帰りたいようですしと、そっぽを向いたままの姉を示して男が話を進めようと口を開く。思わず苛っとして兄妹が揃って口を開きかけると、祖母が静かに手だけで制してきた。こちらも大分苛立ちを堪えているような空気が伝わってきて、思わず一斉に口を噤む。
祖母は静かになった家族に笑みを深め、お嬢さんとあくまでも姉に話しかける。
「うちの孫が契約した金庫を開けられたそうで。そのお話を聞かせてくださる?」
「開けてません、銀行なんか行ってません、人違いです」
「まあ。あなたの姿がちゃんとカメラに残ってたのに、無駄な言い逃れね」
「行ってないのに映ってるわけがないでしょう、人違いです」
ぴくりとも反応しないで反射のような反論は、質問を予想していたからか、本当に人違いだからか。あれが姉だと知らなければ人違いだろうと納得しそうなくらいに自然だが、祖母もそんな反論など聞いてませんとばかりに自分の話を進める。
「あの子の設定したコード、とても難しいでしょう。どうやって覚えたか教えてくださいな」
「見たことも聞いたことのないもの、教えられるわけがないでしょう」
「こっそり録音した物を流してみても、反応しなかったのに。あれなら間違ってないはずなのに、どうして反応しなかったのかしら」
悩ましげにそっと息を吐く祖母の言葉に、思わず家族全員で同意した。祖母に限らずここにいる全員が考えつくありとあらゆる手段を使ってコードの入力を試みたが、どれもこれも跳ね除けられた。よほど精緻なコード設定がされていたのだろうが、それがどんなものかもまだ判明できていない。姉が関わる大体のことはそうだ、秘密主義にも程がある。
……違う、今はそんな場合ではなく。反応して噛みついてくるだろう時に備えねばと少し離れた場所で相変わらず突っ立ったままの姉を見据えるのに、彼女は話が通じないーっ!! と頭を抱えて天を仰いでいる。隣の男が慰めるのを聞いた様子もなく、何なのこの無駄な時間! と誰にともなくがなっている姿は、どこからどう見ても姉だ。
嗚呼。姉を姉たらしめるのは外見ではない、血の繋がりでもない、長く側にいてくれたそのカタチ。心だろうと魂だろうと呼び方は何でもいい、ただどれだけ惚けられても洩れる常々の癖や言動が彼女をカヤと教える。
「お姉様……」
知らず、全員の口から零れる名前。途端、彼女の肩がびくりと僅かに震えた。
いつだったか、これも姉が言っていた。名前とは人を縛る最古の呪だ、と。何だ、最初からそうしていればよかったのかと泣き出しそうに思い知る。
「お姉様!!」
悲鳴みたいな声は、確かに彼女に届いただろうか。確かに彼女を縛っただろうか。
愛とは、相手を解き放つこと? 違う、束縛して閉じ込めること。逆もまた真なり。




