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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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希望と絶望の錯綜

 この世界を語るにおいて、ヴィシュム大陸を外すことは不可能だ。世界一広大な大陸をそのまま冠した国、それがヴィシュム。世界地図では常に中央に描かれ、共通語もヴィシュムを基準としている。他に二三の国が治める四つの大陸と国が犇めく大陸が二つ、複数の島国と点在する諸島、すべて独自の文化を持ちそれぞれが統治しているが、どこも大なり小なりヴィシュムの影響を受けている。

 世界の中心と、自他共に認める栄華を誇る大国。眩いばかりに光り輝いているが、その足元には濃い影が広がっているのも事実。中でも最も深い闇と称されるのは、ウェインスフォード一族だ。ヴィシュムのみならず、この世界に暮らすすべてがその名を恐怖とともに刻んでいる。実在を疑われるほど姿を見た者は少なく、世界に起こる不穏の影にはいつも囁かれる名前。


「ていうか、頭おかしいよね。私たちの生業は暗殺で、戦争仕掛け人じゃないっつの」


 すべての影になんかいるかと吐き捨てるのは、ロイナ・ウェインスフォード。憧れた姉の髪形を真似て肩にもつかないほど短く揃えた黒髪と、濃い青の瞳。吊り上がり気味の目をより吊り上げて皮肉に吐き捨てる、それが癖になったのはきっと十六年前。姉がこの世を去ったと教えられた、一族にとって絶望で目の前が暗くなったあの日。

 因みに頭がおかしいという表現は姉が時々使っていた、それを口癖にするほど彼女を忘れたくないのだと言われているようで聞くほうは少し辛い。


(言わないけど。忘れたくないのは、私もだし)


 そっと目を閉じて諦念の溜め息をつくのは、レシタ・ウェインスフォード。現当主の末娘で、既に次期当主と定まっている。母譲りの淡い金髪と、濃い青の瞳。金髪碧眼ってお姫様みたいだねと笑って頭を撫でてくれた一番上の姉は、家業でありながらこの仕事を疎んでいた。その彼女を解放するためなら、何にでも喜んでなったけれど。今は言うことを聞かない兄姉に振り回される、損なだけの役回りとしか思えない。


「何、またどこかで戦争?」


 どうでもよさそうに口を挟んだのは、レシタの双子の片割れであるスルフ。黒髪を短く刈り上げて、左半分だけを濃いグレーに染めている。兄たちの手ひどい悪戯でシャンプーに脱色剤を混ぜられた時、斑にグレーになったのを見た姉が灰髪もかっこいいねと何気なく褒めたのが忘れられないのだろう。以来苦手意識のある双子の兄たちと同じ藍の目は天井に向けられていて、問いかけたものの興味がないのは見て取れる。けれどロイナは弟の態度にこそ興味がなさそうで、広げていた新聞を見たまま答える。


「ソソロトロ大陸の元ソロボ。何てったっけ、今」

「知らないけど、そこなら俺たちも原因の内ではあるんじゃねぇの」

「はぁ? 何でさ、あんた、頭おかしいんじゃない? 上の双子が暴れたって話も聞かないでしょーよ」


 新聞から顔を上げたロイナに射殺しそうな目で睨まれ、スルフもようやく天井から次姉へと視線を変えて不快げに目を細めた。


「馬鹿じゃねぇの。元ソロボは俺たちが滅ぼしたんじゃん、あれ以降落ち着かないんだから一端だって言ってんの」

「馬鹿はそっちでしょー! ソロボだった前からあそこがドンパチ好きなのは、あたしらのせいじゃないわ!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ始める二人を少し離れたソファから冷めた目で眺め、レシタはゆっくりと息を吐く。


 元ソロボを滅ぼしたのはウェインスフォードだ、それは間違いない。両親の実子でこそないが全員が長姉として慕っていた彼女が、命を落とした国。喪失を許せず、認められず、目につく人間を片っ端から尋問という名の拷問にかけて責任の所在を探した。まだ四歳だったレシタも感情の赴くままに暴れた覚えがある、止める者は誰もいなかったのだから滅亡は当然の帰結と言える。


 一族に命令できるのは、ただ当主のみ。血筋で一番強い女性であり当時から変わらず母だが、実子ではない長姉を溺愛していたのもまた母だった。感情に任せがちな当主の手綱を取って補佐するのが婿たる父に課せられた義務だったが、彼にとっても子を亡くすのは初めての経験で冷静ではなかったのだろう。そうして両親がブチ切れたなら宥められるのは前当主の祖母しかないが、その誰もが長姉を喪った悲しみを受け止めきれずにいた。暴走は必至だ。


 そもそもすぐに殺して解決しようとする家族を実際に止めるのは、長姉の役目だった。面倒臭いことはしないどこうよーと、本気で面倒そうに諫める彼女の声で不思議と家族は収まった。物臭だなお前はと父が苦笑し、しょうがないわねと母が受け入れれば誰からも文句は出ない。双子の兄は構ってほしくてあれやこれやと難癖をつけはしたが、それでも長姉がしないのと指を突きつければ馬鹿みたいに素直に従ったものだ。その長姉を亡くして起きた暴走が、一体誰に止められようか。


 結果、三日と経たずにソロボの上層部は全滅し、継ぐべき正当のなかった国はそのまま滅んだ。その前例があるからこそ余計にウェインスフォードは国をも亡ぼすと囁かれるようになったのだが、あれは例外中の例外だ。


(多分お姉様以外の人間が死んだって、もう家族の誰もあそこまで嘆かない)


 そのくらい、特別だった。血筋を何より重んじるウェインスフォードが、唯一婿以外の養子として受け入れた余所者。誰より家族を愛してくれたからレシタたちも愛さずにいられなかった、血を同じくするよりもかけがえのない存在があるなんて知らなかった──今となっては、知りたくなかった。


 堪え切れない溜め息は、年々重くなっていく。彼女がもういないと受け入れるのも、随分と時間がかかった。いないと痛感したまま過ごせねばならない人生の、なんと長いことか。


(お姉様と同じ年に死ぬんだとしても、まだ三年もある。これでおばあ様と同じ年まで生きるなんて考えたらぞっとする、今でさえお姉様がいない人生のほうが長くなってしまったのに……っ)


 ウェインスフォードはこの十六年で、より悪名高くなった。理由なんて簡単だ、家族の誰もが彼女と同じ場所に行きたがっているから。生き延びることに重きを置いた家訓のせいで自死は認められない、事故か油断で殺されるしか術がないから無茶をする。今までは彼女が家にいるから仕事に出たくないなんて馬鹿みたいな理由で、仕事の諾否が決められることもあった。今はもう、仕事を断る理由がない。無謀を働いて死んだところで幸いだ、家族の誰より早く彼女と再会できるのだから。


 きっと最初に死んだ家族の葬儀では、残された者の啜り泣きより歯噛みの音が響くだろう……。


「当主! 当主はどこだ!」

「別に補佐でもいいけど、……前当主さえいないってどういう了見さ」


 そっと感慨に耽っていたレシタの意識を現実に引き戻したのは、同じ部屋で未だ繰り広げられている不毛な争いではなく外から届く声。祖母や両親に対する敬意の篭もらない呼びかけをするのは、双子の兄たちしかいない。普段は好きで詰め込んだ仕事に出ているか、彼女の死を受け入れてから始まった女遊びですっかり屋敷に寄りつかなくなったはずの二人が揃って声を荒らげているのは珍しい。


 言い争っていた二人も知らず声を止めて顔を見合わせ、窺うようにレシタに振り返ってくる。面倒じゃない? 関わりたくないとどちらの顔にもくっきりと書いてあるが、家族を大事にしなさいとは姉の言葉だ。些細な言いつけさえ厳命に等しいなら、気配を消してやり過ごすわけにもいかない。

 促すように頷くとわざとらしい溜め息をついてスルフが立ち上がり、部屋の扉を開けに行く。


「兄貴ども、喧しい。三人とも仕事だよ、レシタはここ」

「母さんたちに仕事取られて腹立たしいのは、こっちもなんだけど。因縁だけつけに帰ってこないでよ」


 外で遊んできたらと声を尖らせたロイナを気に留める様子もなく真っ直ぐ乗り込んできた双子の兄たちは、いつになく焦りが見えた。無表情と笑顔と形は違えどどちらもポーカーフェイスには違いなく、ここまで分かりやすく狼狽しているのは姉絡み以外で見たことがない。

 何が起きたのかと僅かに眉を顰めると、レシタに視点を据えた双子は図ったように口を開いた。


「「手を貸せ、今すぐ!」」


 二人の声が揃うのも珍しい。何度か瞬きして衝撃をやり過ごしていると、何なの気持ち悪いとロイナがはっきりと口にして顔を顰めた。そこまであからさまではないスルフは物珍しげな視線を向けながら、開けた礼もなく通り過ぎて行った兄の側を通って元の位置に戻りながら語尾を上げる。


「兄貴たちが一緒にいるのも久し振りに見たけど、何か事件でもあった?」


 元ソロボの件じゃないだろうなと揶揄する声に反応さえしない兄たちに、レシタは軽く首を傾げた。


「手を貸せだけで動けるはずがないでしょう。要点は簡潔に」


 五十字以内でと、レシタが呑んだ続きを多分に全員が心中に続けただろう。これも、彼女がよく口にしていたと思い出す。ロイナを責めるわけにはいかないくらい、レシタだって彼女の行動を無意識になぞっている。

 反省して知らず目を伏せるレシタを急き立てるように、黒髪の兄──クザキが口を開いた。


「カヤの金が動いた」


 あまりにも簡潔な説明に、先にその部屋にいた全員が一斉に顔を上げてクザキを睨むように見た。クザキの言葉を補足するように後を継ぐのは、双子の片割れであるウズハ。


「貸し金庫の暗証コードが解かれたんだ。当然見に行ったら、そこにカヤがいた」

「っ、馬鹿言うな!!」


 有り得ないと悲鳴混じりに批難の声を上げたのは、真っ青になっているスルフ。ようやく見ないように隠した傷を抉じ開けられた気分なのだろう、希望を抱くどころか怒りに打ち震えて今にも掴みかからんばかりだ。


「カヤ姉は死んだ、いるわけないだろ!!」

「頭おかしいんじゃないの、変な病気でも貰って脳にまで回ったんじゃないでしょうね!? あたしの前で二度と姉の話はしないで!!」


 そんな悪質な冗談は許容できないと真っ赤になって怒鳴りつけるロイナの気持ちも分かる、レシタにしても青くなったり赤くなったりしたい。ただ家族の中で誰より姉に心酔し愛していた双子が、彼女に関して確証もなく口にするはずがないとも知っている。


 一瞬で口が乾き、舌が張りついたような心境でレシタは慎重に言葉を探した。


「本当に、お姉様ですか」

「「レシタ!」」


 咎めるようにスルフとロイナが諫めてくるが、兄たちは真っ直ぐにレシタを見たまま同時に頷いた。


「俺がカヤを間違えるはずがない」

「雰囲気がまるで違った、年もお前たちよりずっと下に見えた。けど俺たちの攻撃を躱してまんまと金を持って出て行った、カヤ以外の誰にできる?」


 声に苛立ちが乗っているのは、レシタの理解が遅いからだ。当主が不在の今この場では、一族を総動員する命令を下せるのは次期当主であるレシタだけ。母が帰るまでも待てないからの交渉なのに何をぐずぐずしているのかと苛立ったように見下ろされ、レシタはこくりと喉を鳴らした。


 ここで愚かと言われる命を下せば、後の統制に支障を来す。けれど、それの何が怖かろう。当主の座などもうほしくはない、やりたい誰かが好きにやればいい。二度目の死を突きつけられれば生きていく気力も湧かないだろう、義務を放り出して自堕落に過ごせば誰かが制裁で殺してくれるかもしれない。


 ああ、それはいい。


 薄らと笑みを貼りつけ、レシタは逸らされない藍の双眸を見上げる。望むまま踊って見せよう、優雅に、華麗に。もし彼女が生きていたなら、見つけて笑ってくれるように。近く会いに参りますと、心中でそっと自慢げに囁く。


「次期当主レシタ・ウェインスフォードの名において、一族のすべてに命じます。兄たちの指示に従って、お姉様を捜し出しなさい!」


 すぐにと声を尖らせたレシタに、当主一族の邪魔にならないよう空気に徹して控えていた使用人たちが我が意を得たりとばかりに即座に動き始めた。人手を得られたならもうここに用はないのだろう、兄は自暴自棄とも言えるレシタの決断に礼も言わず踵を返し、後を追いかける使用人たちに次々と指示を出している声だけが小さく聞こえた。


 さっさと見えなくなった兄たちの背を睨んでいたスルフとロイナは、咎めるというには殺意の籠もった目で勢いよく振り返ってきて凄んでくる。


「レシタ、一体何考えてんだよ」

「あたしは嫌よ、次期当主の命令だろうと絶対に従わない!」

「ではロイナは死ぬしかありませんね。……よかったですね、お姉様の二度目の死には立ち会わずに済むかもしれませんよ」


 ウェインスフォードは凡そ家族経営だが、当主の命令には絶対服従が基本だ。言葉で逆らうくらいは許容範囲とされているが、本気で歯向かうなら程度により追放か死が与えられる。今回は問答無用で死ねと告げて笑いかけたレシタに、ロイナは一瞬言葉に詰まったが拳を震わせて睨みつけるに留まった。


「あんたのせいでまた姉の死を味わわされたなら、あたしが必ず殺して次期の座から引き摺り下ろしてやる……っ」

「そんなのレシタの望むところだ、褒美にしかなんねぇよ。カヤ姉が死んでたなら俺は絶対にお前を当主に据える、勝手に死ぬことなんて許さねぇからな」


 ぞくりとする殺意の籠もった目で睨んでくるスルフは、さすが片割れだけあってよく心得ているらしい。けれどレシタは怯むことなく笑みを深める。


「好きになさい。お姉様さえいらっしゃれば、私は他に何も望みません」


 だから、きっと、生存している証拠を持ってきて。


 言葉にはしないままも縋るような目を向けたレシタに、その場に残っていた二人の兄姉は気まずげな顔をして舌打ちすると渋々といった様子で部屋を出て行った。

 それがどれだけ細い糸と知っていても、掴まずにはいられない。それが今にも、ぶつりと切れそうだとしても。


 知っている。絶望の女神は、しばしば希望の女神と見紛う風貌をしている。

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