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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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愛の定義

 ひどく気乗りしない様子で立っている奏をちらりと横目で確認し、理人あやひとはどうするべきかと心中に迷う。


 現状、彼らを取り巻くすべてがウェインスフォードの関係者だという。どれだけ殺す気なんだろうと奏は呆れているが、金を取った犯人というだけでこれだけの追い回しをされるだろうか。


(それだけカヤさんが大事だったっていうか、明らかにカヤさんを取り戻そうとしてないか?)


 本人はどうにも無関心らしいが、今までも追い回している大半から明確な殺意は感じ取れなかった──理人に向けられるもの以外は。勿論知らない顔もいると言っていたからその連中が事情も知らず殺意を向けることはあるのだろうが、理人が少し手古摺りそうだと思うほどの実力者からは戸惑いが強く感じられた。


 死んだと諦めていた相手が、急に生きていると知らされたような。


(歓迎されるどころか殺されるって、確かに奏嬢は思ってるみたいだけど)


 これだけ周到に追い詰められるなら、もっと早い段階で二人とも殺しにかかれただろう。当然ながら奏も易々と死ぬ気はないので反撃は許されたはず、多分そうしてくれていたほうが何人かを始末して抜け出す機会はあったはずだ。それがされない理由を自分の奪還が目的だと思わないのは、何かが彼女の心に枷をつけているからか。


(個人の見解としてはカヤさんでも奏嬢でも構わないとは言うものの、奏嬢でいてくれたほうがやり易いのは事実……)


 今も時折機嫌を損ねるとカヤが顔を出すけれど、本人が意識して奏でいようとしているなら逆らう気はない。誰も殺さずこの場を切り抜けたいというのが口にされた絶対的な願いなら、叶えるまでだ。

 しかしまんまと相手の思惑に乗って意図した場所に追い込まれた今、分が悪いのも事実。さっき一度は撒いた彼女の弟妹たちも続々と集合している、世界的に顔の知られていないウェインスフォードの血族がここに勢揃いしているのではなかろうか。


「ここで集合写真を撮ったら、一生遊んで暮らせる額が手に入りますよ。どうします」

「どうって、売る気もないのに写真だけ撮っても手に入らないよね」

「……可愛くなーい」


 揶揄するような問いかけに思わず本気で返すと、じとりと恨みがましい目をされてはっとする。


「ごめん、家族写真が欲しかった?」


 なら撮ろうかと何気なく聞き返すと、今度は本気の強さで脛を蹴り飛ばされた。思わず蹲って痛みを堪えるのは許してほしい。


「野暮な男は馬に蹴られて死にますよ!」

「ごめん、正に痛感した……っ」


 馬に蹴られるより痛いと、骨が折れたのではないかと思うほど痛い足を抱えつつ謝罪している間にも、取り囲んでいる連中は銃やその他の武器を構えていく。奏なら避けられはするだろうが、確かにここまでの重装備で来られると殺す気だと言いたい気持ちは分かる。


(何だろうな、とりあえずぶん殴ってから話をする主義なのか? 武器なくして話し合いは成立しないのか)


 逃がしたくないと用心しているのは分からないではないが、傷つけるのが前提の引き留めは如何なものか。それとも世界的に有名な暗殺者一族は、殺し合い即ち話し合いなのだろうか。迷惑極まりない。


「どうして先にあの男を片付けなかったのさ」

「文句を言われるなら、自分で始末に行かれればよかったのでしょうに」

「とりあえず逃がした執事は全員馘にすれば」

「はっ。目の前で取り逃がした主人に言われてもな」

「あんた、どっちの味方よ」


 こちらの葛藤を微塵も気に留めず騒いでいるのはさっきも見かけた彼女の弟妹たちで、その側にいつの間にか壮年の男女と老婦人が増えている。彼女が言葉少なに語った内にぽろぽろと聞いた話では、両親と祖母がいたはず。きっとこれで全員が揃ったのだろう。


 隣に立つ奏をそっと窺えば、人数の多さに辟易したような顔をしている。ただ目に苛立ちが見えるのは、感慨深いのを隠すためか、それとも本気で逃げる障りと感じているのかまでは分からない。


(貰った呪符ならいくらでも姿を変えられるけど、まず全員の目から逃れないと意味がない。建物に入って相手方に紛れて、諦めて引き上げるのを待つのが簡単なんだけど)


 奏がそれを是とするか以前に、建物に避難するまで相手が油断してくれるかが問題だろう。既に一度理人が連れて逃亡した、家族の数も増えた今、それはどこまで現実的な策か。


「とりあえず俺が確保するから、お前たちは男を始末してきたら」

「はあ? みすみす二回も目の前で逃げられてるあんたが偉そうに言うな!」

「……先に妹から殺していいかな」

「弟妹には優しく、はお姉様の口癖だったように存じます」

「土台無理なんだって、兄貴たちと共闘とか。いっそ早いもん勝ちでよくね?」


 投げ遣りに提案した弟に、兄妹たちがそれだと目を輝かせたが。


「お前たち、少し静かにおし」


 静かな声音が言いつけるなり、ぴりっと緊張が走ったのが分かる。奏の目がずっと捉えて離さない老婦人は、一瞥もしないで孫たちを諫めると奏をひたりと見据えてきた。けれど彼女より早く、面倒そうに奏が口を開いた。


「私が何をしてご機嫌を損ねたか存じませんが、いい加減に人の行く手を邪魔するのはご容赦願えませんか」


 あくまでも見ず知らずを押し通す気で奏が溜め息交じりに告げると、老婦人はわざとらしく目を瞠った。あら、と困ったようにおっとりと首を傾げる様は上品で、とてもこの押し潰されそうな殺気を放っている本人とは思えない。気を抜くと後退りして逃げたい気分にもなるような圧力だが、歯を噛み締めて堪えている理人と違って奏はまるで気づいてないとばかりの顔で話を続ける。


「何か誤解があるなら話し合いで解決したいところですけど、そちらにその用意はなさそうですし失礼してもよろしいですか」

「まあ、そのように一方的に諦めてしまわないで。お嬢さん、少しお話していかれなさいな」

「生憎と先を急ぐものでして、また改めて」

「お嬢さん。少しお話していかれなさいな」


 笑みを深めて繰り返す言葉だけで、老婦人は奏の足を止める。奏の迫力はこれを見習ったものだろうか、とぼんやり考える程度には余裕ができたが、何故かいきなり目の前でお茶会の準備が整えられていく光景は異様なものがある。一応殺すと話すが同義でないらしいと安堵はするが、力業にも程がないだろうか。


「人の話を聞く気のない相手と、お茶会……?」


 ないわーとぼやく奏を無視して、相手の一家は早々と丸机に沿って設置された椅子に各自座っている。どうやら座り位置も決まっているらしく、ぽつんと残った一脚は祖母たる老婦人と母と思しき女性の間。奏は何の感慨も浮かべずに一瞥し、空いた椅子に近寄っていくと座面の下に足を入れてがんっと蹴り上げた。


 机に当たることもなく奏の上を通って後ろへと蹴り上げられた椅子を、何となく理人が受け止める。そっと自分の近くに下ろすと無言のまま戻ってきた奏は、不愉快そうに顔を顰めて一斉に視線を向けてくる一族に吐き捨てる。


「話を聞く耳どころか、物を見る目もないご様子で。こちらは二人なのに椅子は一脚って、頭おかしいんですか」


 その程度の礼儀も守れない輩と話す気はないと不機嫌そうな奏に、慌てて執事らしい一人がもう一脚椅子を持ってくるが近づくなと威圧する奏に負けて大分離れた場所にそっと置いて離れていく。持ってくるべきだろうかと理人がその椅子を眺めていると、奏は側にある椅子をもう一度蹴飛ばして離れた椅子の近くに乱暴に着地させている。ただ近づく気配もなく座る気はないとその態度だけで言い放っている。


 何だか居た堪れない気分なのは理人と執事たちだけらしく、テーブルについた一族はそっと目配せし合ったが咎めも諫めもしないで受け入れているらしい。


「話し合いの場につくのは代表者だけ、と思ったのですけれど。ご機嫌を損ねたなら謝罪いたします」


 家族の中では一番若い女性が丁寧に謝罪するが、奏は受け入れる気がないらしい。隣に立つ理人を軽く見上げてきて、座りますかと椅子を指すのでやめとくと頭を振る。


「まさかそっちの男が代表者なんて言い出さないよね」

「どっちが代表者か、そっちに決める権利があるとでも?」


 馬鹿じゃないのかとありありと顔に書きつけた奏は、銀行でも会った黒髪の男性に見向きもしないまま吐き捨てている。顔を合わせたのは僅かの間だが、自分以外の傲慢を受け入れられそうにない性格のように見受けられる。けれど奏のそれには殺気を飛ばすでもなく、何となく悄然と受け入れている。まるで親に叱られた子供みたいな風情に、ちらりと奏を窺う。


(もう相手はカヤさんだって確信してると思うけど──)


 当の本人は何故か丸机のほうには目も向けず、ただ苛々している。あまり見かけないその姿に、ひょっとして思った以上に負担をかけていたのではないかと思い当たってそわりとしながら口を開く。


「あの人との対面、大分我慢させてたみたいたね。ごめん」

「……? 穏やかに済んだと思ってますけど」


 何ですか今更と不審そうに見上げられるので、様子を窺って口も開けていない丸机の面々を一瞥してから奏に戻す。


「あの人のほうが、かなり礼儀知らずだったから」


 無礼者でごめんと代わって謝罪すると、奏はああと納得したように苦く笑った。


「構いませんよ、あれは知ってて臨んだんですし。それにあの人は、」


 言いかけてはっとしたように口を噤んだ奏に、理人も何となく察しをつける。


 挨拶はきちんとする、背筋を伸ばせ、人の話はちゃんと聞け等々。たまに突きつけられる理不尽は別として、基本的に奏から呈される言葉はどれも正しくて優しい。理人のための諫めだと分かるから、逆らう気もない。そしてそれは家族ほどに近しい人間にのみ向けられる小言だ、数日前に初めて会った将軍がどれだけ無礼であろうと知ったことではないのだろう。


 無礼者が問答無用で気に食わないのではない。では今、こんなに怒っている──否。拗ねているのは、奏にとって丸机に揃った彼らが間違いなく家族だから、ではないのか。今まで何度も口にしてきたのだろう礼儀云々を無視されるのは、カヤの話を聞いていないとの証明に他ならない。それが悔しくて寂しくて態度を取り繕えないのだと気づき、子供じみているとようやく気づいて口を引き結んでいる。


(ああ。どれだけ姿が変わっても、時間が経ってても。君にとって彼らの意味は変わらない)


 受け入れてくれないと知っていながら、諦めきれずにいる自分が腹立たしいのだろう。現実を直視したくなくて、そっぽを向くから気づけないのだとは気づかずに。


(言えばいいのかな)


 あれは今も家族だと指摘すれば、彼女の心は軽くなるだろうか。喜んで笑顔になるだろうか、戸惑いつつも受け入れるだろうか、涙の再会さえなるかもしれない。──けれど。


 今までの関係性を知らない理人からすれば、カヤが生きているのではないかと期待しているはずのウェインスフォードの態度は気に入らない。少なくとも愛すべき相手に武器を向けるなど、理人には信じ難く愚かしい行為だ。今以て強く彼女の心に据えられているくせに、無条件で受け入れると表明もしなければ居丈高に追い詰めてくるだけの連中が、家族だという理由だけで受け入れられているなんて。


(……大人げないのは知ってるけど)


 奏の望みは叶えたい。でもウェインスフォードは気に入らない。なら、奏が口にした願いを叶えればいい。聞いたのは逃げたいとだけ、つまりは逃げるべく努めればいい。


(察しがつく望みをないことにするのは、まあ、愛とは呼べないんだろう)


 愛とは無償で施すこと、決して相手の不利益になってはならない。


 いつだったかからかうように奏が語ったそれは、確かにそうなのだろう。ただ実行に移せないのは、修行が足りないからか。


(それに関しても、反論の余地はないけどね)


 秀真まほろを出る前に痛感したばかりだが、一朝一夕で改善されるはずもないのだからしょうがない。ただ奏を傷つける気はないから、望みが変わった場合はそちらに従う。変わるまでは、ちょっとばかり八つ当たりが混じっても仕方がないと言ってほしい。


 思うが故に愛から遠のく、とかく恋は難しい。

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