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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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諦念とは未だ親友ならず

「十日のお休み、ゲットー!」


 城から下がって静寂しじまに戻る車の中。二人になってようやく見せる、嬉しそうに腕を突き上げてはしゃぐ姿は愛らしいが、冷静に考えてそんなに喜べる事態だろうか。


 行忠との交渉は、概ね奏の思うように進んだらしい。奏からすれば一度秀真(まほろ)を出るのが最大の目的だったようなので、仮旅券とはいえ叶うのだから満足ですと笑顔で言われたが。どう考えても十日で百両を稼ぐなんて、法外もいいところだ。


「手段があるんだろうとは思うけど、無茶をしなくてもそのくらいなら俺が用意できるよ」

「有り難い申し出ですけど、多分そうすると将軍に付け込まれるだけだからやめたほうがいいですよ」


 絶対にあらゆる金の動きを見張りますよねと確信を持って断言され、否定できない理人あやひととしては黙り込むしかない。


 行忠に把握されていない隠し金もあるにはあるが、国内で動かすなら理人の加担はすぐに知られるだろう。せっかく今のところ隠せているのに暴かれるのみならず、不正を働いたとして奏が責められるのも想像に難くない。どこからの金だろうと奏が用意するのだからよさそうなものだが、僅かの隙でも厭らしく突いて自分の思う通りに事を運ぶのが行忠という存在だ。奏を召し上げるという最悪は免れたものの勝手に婚約を解消させられた挙句、行忠の言うまま相手を見繕われるなど怖気が立つ。


 鳥肌が立ちそうな腕を無言で摩ると、奏は面白そうに笑って大丈夫ですよと軽く請け負う。


「カヤの貯蓄は、家族でも動かせないようになってますし。死んでからも保管義務期間は設定してますから、それを取ってきたらいいだけの話です」

「あ。それでヴィシュムに行きたがってたんだ」


 てっきり家族に会いたいのかと思っていたが、違ったらしい。逆鱗ではなくとも繊細な部分だろうと心中に留めた言葉は、けれど奏にはお見通しだったらしい。


「会いになんか行きませんよ、今更。確かに懐かしく思いはしますけど、この姿でうっかりお姉ちゃんだよなんて言ったら殺される予感しかないですからね」


 怖い怖いと頭を振る奏が案外本気そうで、え、と思わず聞き返す。


「殺され、……え?」


 天下に悪名高いウェインスフォードだが、家族経営だからか一族の絆の強さも広く知られている。いつぞや奏が拾われっ子の貰われっ子という表現をしたことを考えれば血の繋がりはないのかもしれないが、家名を名乗っている時点で一族の内と見做されているはず。それが懐かしく会いに行っただけで殺されるとは何事だろうかと目を瞬かせると、奏は悩ましげに溜め息をつく。


「ウェインスフォードは確かに家族大事なんですけど、その場合の家族って当然ながら私じゃなくてカヤですからね。赤の他人が家族を名乗ったら事実確認より早く殺す、って発想になりますよ」

「っ、だってカヤさんなのに!」

「まあ、私も易々と殺される気はないですけど。頭に血が上った家族を相手にカヤだと信じさせるのは至難の業、殺されてからカヤだったって判明しても家族殺しの負い目を与えるだけですからね。会わないのが一番です」


 悲哀の色など欠片もなくあっさりと肩を竦めた奏に、そういうものなのだろうかと僅かに眉根が寄る。


 理人としては、さほど家族と深い絆など感じていない。先代は尊敬しているが父親というより先達としての意味合いが強い、弟に至っては虎視眈々と当主の座を狙って理人を突け狙ってくる厄介者たちだ。仮に逃れることができれば、二度と会いたいとは思わないだろう。ただ奏は──カヤは、また意味が違う。望んで離れたわけでもなければ、険悪なわけでもない。会わないの言葉には、どれだけ強がりが混じっているのか。


 つい心配してしまうが、奏は理人を見て小さく苦笑した。宥めるように、慰めるように、ぽんぽんと軽く腕を叩かれる。この場合は理人が慰める側なのではないかという疑問も浮かぶが、外見はどうあれ彼女はいつでも理人を年下のように扱う。声にされなかった言葉を訳するなら、小さい子が変な気を回さないの、といったところか。頼られたいとの切実は、まだまだ叶わぬ夢らしい。


 とはいえ出会ったばかりの頃とは違って、理人にも手助けできる範囲はある。例えば今回の仮旅券は、後見たる理人がいなければ成り立たない。少しずつ点数を稼ぐべきかと心中に息を吐き、気を取り直す。


「それより出発って、いつくらいになりそうか聞いてもいいですか」

「あー、うん。特急で引き継ぎはするけど、十日くらい、」


 かかるかなと続けるより早く、じとりとした視線だけで抗議されて必死に落としどころを探る。


「七日……、五日。五日だけ待ってください!」


 それ以上には絶対にしないからと握り拳で確約すると、いーですけどー、と不服気な顔と声で奏が突き放すように言う。上手くいくか分からないから黙っておくが、一刻も早く仕事を押しつけようと決意する。


「えー、っと、待ってもらう間は十弦屋じゅうげんやの甘味を毎日お届けするのでどうかな」

「手を打ちましょう」


 仕方ないなあと尤もぶって頷く奏にほっと胸を撫で下ろすと、ちらりと視線を寄越した彼女はやはりどこか大人びた顔で苦笑する。


「まあ、甘味を届けてくれる分には有り難く貰いますけど、本当のところそんなに急がなくてもいいですよ。こっちも近重と相談しないといけないこととかありますしね」


 のんびりどうぞと大分本気らしく勧められ、理人は一瞬言葉に迷ったけれど小さく頷くに留めた。理人にしても今後に備えて準備することは山ほどある、できる限りの手は打っておかないと。


 やるべき一覧を脳内で整理している理人の気が取られた隙を衝くように、奏は覗き窓にかけられた簾を軽く持ち上げて外を覗いた。まだ道程の半分も来ていないはずなのに、ここで降りていいですかといきなり声をかけられて軽く戸惑う。


「早く帰りたいなら雪代に向かわせるけど、」

「いえいえ、ちょっと寄り道を」


 慌てた理人の言葉も軽く受け流して、止めてほしいと曳き手にさっさと合図している。どうやら最初から予定していたのか、諦めた理人が降りるために手を貸そうとするより早く外から上げられた簾の向こうにしっかり近重が待機している。その後ろには少し苦い顔をした春朗太がいる、どうやら後ろの車は既に引き払われたのだろう。


 本来なら咎めるべきと分かっていても、元より奏の行動を制限する気はない。ただそれは心配をしないと同義ではない、恨めしい気持ちもあまり隠す気はなく溜め息交じりに問いかける。


「奏嬢、せめてこれからどこに行くのかは聞いてもいいかな」

「あらあら。女の秘密を暴こうなんて、野暮も過ぎるというものです」


 女の我儘くらいどーんと受け止めないと、と悪戯っぽく忠告され、苦く笑うしかない。何を言ったところで受け流されるのは分かっている、分かっていても無駄な抵抗は試みたいと春朗太に視線を向けた。


「ならせめて、護衛代わりに春朗太は持って行ってくれるかな。邪魔しないように、そっとついていかせるし。何なら金子に使ってくれてもいいよ」

「なんて心躍るご提案。でも残念、女同士の買い物に野郎は不要です」


 私に護衛が必要だとでもー? と挑戦的に語尾を上げられるが、俺には必要だよと軽く目を眇める。


「君の役に立つ立たないじゃなくて、それで俺の心は安寧が保てる」

「それじゃあ、残念ですが不穏なまま過ごしてください」


 情けないと知りつつ妥協を期待して告げたのに、真顔で断言されては項垂れるしかない。惚れたほうが負けだなんて、一体誰の名言か。


 控えめにやり取りを聞いていた近重は主人が勝ったのを見計らって、さっと踏み台を用意する。止める暇もあらばこそ、ありがとうと近重の手を借りて車を降りる奏の背中に恨み言の一つは許されるだろうか。


「俺が君に勝てないのはいつもの話だけど、少しばかり理不尽に思うのは俺の修行が足りないからかな」

「その通りですね。野郎は須らく女性を守るべし、ですよ。女性が理不尽を受けるより、自分が引き受けようという気概が必要です」

「……うん、思った以上の理不尽を要求されてるのは実感した」


 まさかこれ以上があるのかと、思わず本気で感心する。痛そうに額を押さえている春朗太が視界の片隅に入るが、それより振り返ってきた奏に気を取られる。


「今の内から慣れておくと、やがては諦念と友達になれますよ」

「もう大分、親友の域にかかってる気はする」

「はは! では奔放と先に親友になってる私を、止め立てなさいませんように」


 また明日にでも進捗状況はお知らせくださいと軽く手を振り、そのまま何の名残も見せず本気で近重と歩いていく奏をしばらく見送った理人は春朗太を促して車に戻った。


「お館様、本当にお二人にしてよろしいのですか」

「いいわけがないだろう。延広」


 溜め息混じりに名前を呼ぶと、はいはいと面倒そうな返事をしながらいきなり車の中にもう一人現れる。理人たちより一回り上で、猫のような印象を受ける細身の男。秀真では珍しく柔らかく波打つ茶色の髪と薄い灰色の目をしているところから、山の民の血を引いているのは明らかだ。その高い身体能力を生かし、理人が当主を継いで以降は教育係を辞して忍頭としての務めに専念している。これよりは臣下の分を全う致しますと恭しく頭を垂れられたものだが、実際には表で腹の探り合いをするより裏で小細工するほうが楽で性に合っているだけだろう。


 今もって臣下の分を弁えられていない証拠のように、教育係の時と同じように理人の反応を面白がるような光を浮かべた目でじろじろと検分してくる。もはや指摘するのも面倒で、言葉短につけろと突き放すように命令すると延広はますます面白そうに眉を上げた。


「別に命令なら俺は従いますけどね。いいのかなあ、あのお嬢さん、俺に気づかないわけがないと思いますけど」

「お前がちょこちょこ勝手に会っているから、尚更な」

「うわ、藪蛇。でも気づかれてまだ潜んでるのは、忍として間違ってると思うんですよねぇ」

「忍なら生涯忍んでろと思うが?」

「ひでえ。なに、若、俺のことが嫌いなの」

「これで仕事ができなかったら、とっくに首を刎ねてるくらいにはな」

「おお。じゃあ、俺、一生安泰ってことだ。な、春朗太」

「……梁瀬やなせ殿の楽天的思考回路はどうでもいいのですが、そろそろ行かれないと見失われませんか」

「馬鹿、お前、俺の実力があれば見つけるのは簡単だ。そんなことより、本気で追いかけていいのかって話だろ」


 見つかって嫌われるのは若なんじゃないのと語尾を上げられ、理人はにこりと凍った笑みを浮かべる。


「お前が見つからないように努めるのが先決だが、見つかったところで俺はどうせ修行が足りてないんだから仕方ない」

「うーわ、可愛くなー。お前、あれだぞ。そんなんだから諦念としか友達になれねぇんだぞ」

「とりあえず来月の減俸は決定したが、まだ減らしたいか?」


 生涯無給でいいならこちらは構わんがと凍ったままの笑顔でちらりと延広を見ると、びくっと身体を竦めた相手は次の瞬間にはもう姿を消している。とりあえず鬱陶しくはあっても実力は折り紙付きだ、どうせ奏には見つかるだろうが彼女もまさか本気で二人にするとは考えてないだろう。


「無理にも私が同行させて頂いたほうがよろしかったでしょうか……」


 見えなくなった延広の姿を探すように覗き窓を窺っていた春朗太が、どこか不安そうに確認してくるのを聞いて大きく溜め息をついた。


「目の前で歯向かえるほど愛されてる自信がないなら、引き下がるしかないだろう」


 言うだけ無駄だと言葉にしないまま皮肉に笑い、面と向かっていなければ歯向かうのか、といった突っ込みは臣下らしく控える春朗太に甘えてなかったことにする。さっきも言ったが修業が足りないのは互いに承知している、たまには彼女にも妥協してもらわなくては。


(……まあ、本気で嫌われる前に状況は整えないとまずいけどな)


 引き継ぎ期間を三日にするために明日から祐筆を置こうと決めて優先事項順に手順を考えていると、物言いたげな顔でこちらを見ている春朗太に気づく。


「どうした」

「いえ……、私も色々と準備を進めるべき、でしょうか」


 婉曲に問われただけでも真意は通じる、それほど長くこの乳兄弟は理人の影となりずっと側にあった。ただ安心しろと笑いかけてやる気になれないのは、八つ当たりだろうか。いや違う、考えるべきに気を取られているからだと言い訳して理人は小さく肩を竦めた。


「お前はいい」

「っ、理人様、」

「この三日で引き継ぎの片をつけるために、俺に手を貸すのが先決だ。出航は五日後としてそこから十日、戻っても二日は報告に上がる気はない。俺と違って十四日以上も猶予があるなら十分だろう?」


 最優先は引き継ぎだと断言すると、泣きそうな顔で反論しかけていた春朗太は一瞬呆けた後でじわじわと喜びを広げ、より泣き出しそうになった。


「はい……、はい。御意のままに……!」


 噛み締めるように俯いたのは、泣いた顔を見せないためだろうか。どこか羨ましく乳兄弟を眺めた理人は、ふいと顔を逸らした。本当のところ、八つ当たりをしたい理由なら分かっている。自分が望む相手に必要とされている、その事実が胸を焼くから。


 春朗太は従者として優秀だ、いなければ自分が不自由をするのも然ることながら、理人が気を許せる数少ない友人でもある。主として友として敬愛を向けられているのは知っている、それを裏切りたくないと思えるほど理人にとっても気の置けない存在だ。何か事を起こす際には頼りこそすれ見捨てない、巻き込まれると分かっていても春朗太自身が望んでいるからこそ安堵するだろう。


(君にとって、俺はいつになったらそこまでの存在になれるんだろうね)


 気儘に振る舞う風のような存在と分かっていて惹かれた、驚くほどの理不尽を強いられたところで離れさえしなければ苦笑して受け入れられる。ただ彼女の場合、笑ったままふらりと姿を消しそうなのが怖い。例えどんな目に遭おうとも連れて行ってくれるほうが幸せだと考える理人のことなど、見ない顔をして消えてしまったら? 考えるだけで目の前が暗くなる、いっそそうなる前に──、


(やめろ)


 考えるなと強制的に思考を中断して頭を振り、大きく息を吐く。暗い欲求に従いそうになる前に、為すべきをしなければ。


 思うよりも動け。考える余地などないほど早く、ひたすらに。

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