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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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交渉開始

 東源行忠とうげんゆきただが無礼者なのは、何も今に始まったことではない。側付きとして初めて顔を合わせた時も憎まれ口を叩いてきた、主だ将軍だと言われたところで何の敬意も湧かないのは初対面から分かっていた話だ。ただ悲しいかな、理人あやひとにとっては逆らう術のない定められた運命で、諦念を主に受け入れてきた。正直に言えば逆らうのも面倒臭いから流されていただけだが、押しつけられたその主より大事な存在を得た今の理人にとって行忠の無礼はただただ腹立たしかった。


(奏嬢をつまらん、普通の娘とは何事だ!?)


 本人は将軍の評価など気にした様子もなくけろっとしているが、理人にとっては万死に値する罪深い暴言だ。


 平凡且つつまらなかったのは理人のこれまでの人生を指すのであって、決して彼女に対する言葉ではない。艶やかに強く、怖いほど鮮明で、凍てつくように鋭い。理人を覆っていた深い霧など物ともせずに薙ぎ払った、一陣の風。すべてを擲っても留めたいと願う唯一を、一体何と心得るのか。


『一臣下の小娘、以外の何物でもないと思いますけど』


 それ以外の感想を抱かれているほうが怖いと奏が冷めた顔で考えているのは分かるが、理人には受け入れ難い。どれだけ刻めば気が晴れるのかと心中で試みるが、気づきもしない行忠はぶすくれた顔で奏を睥睨している。


 よし、殺そう。


 隠す気もなく柄に手を伸ばして理人が決意すると、遮るように奏が口を開いた。


「恐れながら、此度お招き頂きました理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「っ、無礼な! 上様の許しもなく勝手に口を開くでない!」

「皆様はこの沈黙に慣れておられるのやもしれませんが、生憎と私には時間の無駄に思われます。将軍職がそこまでお暇とも思えませんし、挨拶せよとのことでしたら先ほど遮られた時点で成したものと存じます。辞して構いませんか」


 ご機嫌ようとにこりと笑って実際に立ち上がりそうな奏に、不敬である!! と近侍の一人が唾を飛ばして怒鳴りつける。行忠を斬るのが先か、あれの始末が先か。悩ましいところだ。

 当の奏はわざとらしく目を瞠り、口許に手を当てると大きく辺りを見回した。何かを探し、見つからなかった様子で眉を下げ、申し訳ございませんと神妙に謝罪した。


「将軍に招かれたと承知しておりましたが、まさか玉体が御出座しとは存じ上げず。ご挨拶もせぬままとは、大変な無礼を働きましたことを心よりお詫び申し上げます。輝かしき御身の存在を感じ取ることもできぬ若輩でありますれば、誠に恐縮ではございますが何処におわしますかお伺いしてもよろしいでしょうか」


 すぐにも御挨拶申し上げねばと気負った様子で畏まる奏のそれは、強烈な当て擦りだ。秀真まほろで唯一、不敬と口にしていいのは国主たる帝のみ。たかが将軍如きに遜る気はないが帝には頭を垂れると言い切ったに他ならない。不敬と言い放った近侍は帝を蔑ろにしていると婉曲に指摘されたことに気づき、顔色を失って拳を震わせるとすかさず抜刀して奏に斬りかかった。


 当然理人も鯉口を切ったが、それより早く奏が懐から扇を取り出した。諫めるように先端を理人に向けた後、振り下ろされた剣先を扇で払い除け、そのまま相手の足元に振り抜いた。軽く揺らしたようにしか見えなかったが、すぱーんと軽やかな音に反して強かに脛を打ちつけられた近侍はよろけて奏に圧し掛かる。けれど動じた様子もない奏が何度か扇を揺らすたびに近侍はよろりよろりと体勢を変え、気づけば奏の隣で膝を突き、座り込んでいる。


 閉じたままの扇で口許を隠した奏はちらりと隣の近侍を見ると、あらあらと呟いて扇を近侍の後頭部に叩きつけた。


「頭が高い」


 冷ややかな声で奏が吐き捨てた時には、近侍は将軍に対して深々と礼をするように畳に額を擦りつけたまま失神している。


 一連の動きに知らず見惚れていた理人は、気づかれないよう苦笑しながらそっと剣から手を離した。見慣れてしまった自分より幼い外見のせいで時折忘れそうになるが、奏は当然ながら自分の身は自分で守れるのだったと痛感する。

 無礼だったあの近侍は今後しばらく動くたびに激痛を伴う痣が幾つかと、将軍や他の近侍の前で見せた無様を思い出すたびに屈辱を噛み締めるだろう。奏はその場から動きもせず、一滴の血も流さず報復した形になる。


「さて、帝は何処に?」


 自分の膝から拳一つほど前に扇を据え、姿勢を正すなり何事もなかったかのように再度問いかけた奏に、行忠の側に控えていた他の全員もようやく我に返って色めき立つ。不快に目を細めた理人が腰を浮かせかけたが、ゆらと手を振って止めたのは誰あらん行忠だった。


「成る程、少しは面白みがあるようだ。女、名は何と言った」

「既に名乗りましてございます」

「そうか。聞いてなかった。名乗れ」

「人に名を聞く時は自分から、と教わりませんでしたか」


 その程度のことも御存知ないなんてと頬に手を当てた奏は、悩まし気に溜め息をつく。もはや勘弁ならぬと片膝を立てる近侍たちとは裏腹に、はは! と声を上げて笑ったのも行忠だ。


「儂は行忠という。其方は」


 お前と偉そうな口振りを少しは収めた行忠に、奏も仕方なさそうに息を吐いた。


「雪代奏と申します」

「奏か」

「行忠様、私の婚約者を呼び捨てるが真似は控えてください」


 どさくさ紛れに何を考えているのかと理人がすかさず注意すると、行忠は面白そうにこちらを一瞥して口の端を歪めた。


 何だろう、あの憎たらしい顔は。斬れと言うことか。やってやる。


 一度は離した剣に再び手を伸ばすと、大人気ないとばかりの視線が二対向けられる。奏にそんな目を向けられると剣を抜くのは躊躇われるが、呼称に関しては譲れず行忠を睨めつける。付き合いだけは長くなった、越えてはならない一線くらい行忠も承知しているのだろう、煩げに手を揺らして奏嬢、と呼び直した。


「玉体はここにはおわさん。近侍が先走ったが無礼は許せ」

「……色々と間違っておいでですが、精一杯と認めることは致しましょう」


 行忠が色々と譲歩したように、奏にしても一応の敬意を払っているのは分かる。基本的に駄々っ子を見る目をしていることを考えれば、偉ぶっている子供に調子を合わせてやろう、といったところだろう。周りで眺めている近侍たちはぎりぎりと歯噛みしているが、面白がった行忠が受け入れているなら口の出しようがない。理人にしても奏が不利を被らないなら彼女の好きにさせたいとの意思の下、口を噤む。


 退屈が何より嫌いな偉ぶった子供は面白い玩具を見つけたとばかりに目を輝かせ、殊更ゆたりとした仕種で脇息に肘を突いた。


「理人は、其方と儂を会わせるのがよほど嫌だったようだ。この三年、どれだけ水を向けてものらくらと逃げおったものよ。それを今になって、いきなり目通りせよと言う。思うに理人ではなく、其方が儂に話がある。のではないか?」


 たまには頭も使うらしい行忠の言は正しいが、知った上で奏を怒らせて帰らせようとしていたのだと思うとふつりと怒りが湧く。奏も僅かに眉を上げたが、それだけ。不快を滲ませるでもなく呆れは一瞬過らせるに留め、さて、ではこの状況でどう優位に話を進めるかと算段しているらしい。


 行忠は急かすでもなく、奏が口を開くのを待っている。まるで寛大な為政者にも見えるその姿勢は、けれどどうやって目の前の得物を甚振るかを考えているのだと知っている。将軍の性質の悪さを思えば奏を会わせずに自分で交渉したほうがよほど自分のためだが、真に奏のためになるとは限らない。


(旅券が欲しい、以外の情報を一切くれないからな……)


 どこまでが譲歩していい範囲なのか分からないまま交渉して奏に不利を齎すくらいなら、胃を壊すくらいは享受すべきだろう。

 ただ見守るしかない状況に慣れないせいで、知らず眉根が寄る。ちらりと視線を向けてきた行忠がどこか嬉しそうに口の端を持ち上げたのを見て、結局のところ奏を通して理人に対する嫌がらせがしたいだけだと痛感する。苛立ちは募るが、やきもきする彼を見て留飲を下げるなら少しは奏の役には立つだろうか。


(……いや、そもそも俺が側付きだからこその嫌がらせなんだけど)


 まったく嬉しくない事実だが、行忠に気に入られているのは知っている。そして気に入った者ほど虐めたいという幼稚な精神を諫めるに至らずここまできたせいで、この状況だ。奏の交渉が上手くいかなければ切腹しても足りない、やはり謀反を企てるべきかと真剣に検討し出した時、奏は前に置いていた扇を膝に置き直しながら単刀直入に申しますと微笑む。


「旅券を発行してください」


 言葉のままどこまでも取り繕わず真っ直ぐな要求に、理人は知らず遠くに視線を向けた。先日、大事なものを偽るくらいやってのけると言っていたはずだが、あれはどこに行ったのだろう。


(聞いたら複雑な気分になるのは間違いないけど、雪代に娘として認めてほしいの類を切々と訴えて、それができないならもうこの国にはいられないって嘆いてみせれば嬉々として雪代との縁を切ってくれたはずだよ? 挙句親切面して、国を出るよりないなあって旅券を投げ渡してきただろうに……っ)


 それが理人の思う一番簡単な方法だったが、奏には違ったらしい。尤も、帝に敬意を払うことで将軍を扱き下ろし、扇一本で大の男を昏倒させた少女が父親を求めて泣いて見せても信憑性は足りないかもしれないが。

 謁見を取り持った時点で使えない手だったかと自分の浅慮を反省する間に、行忠は今にも笑い出しそうなほど面白がって身を乗り出させている。


「旅券を得て何とする」

「他国に渡る以外に旅券の発行を求める例はあまり知りませんが」


 他に何かあるのですかと聞き返す奏に、行忠は薄らと笑みを浮かべた。


「そうさな、他国に渡るため以外に求める者は少なかろう。身分証など求めずとも、其方は身元がしっかりしておるからな。だが其方の立場をより確かなものとしてくれる静寂しじまに嫁げば、他国に渡ることは難しかろう。発行したところで無駄に終わると分かっている物に、公費は使えぬなあ」


 残念だが諦めろと緩く頭を振る行忠は、明らかに相手が望む物をくれてやりたくないの一念しか窺えない。わざわざ身分証としてなら認めたと仄めかしているが、そう答えなかったことを後悔させるために言い添えただけで実際に言われていれば蹴ったはずだ。


 奏は馬鹿を見るような目で行忠を一瞥した後、小さく息を吐いて仕方なく論破にかかる。


「元より旅券の申請は権利です。発行に手数料がかかる、書類による審査などは他国でも見られますが、いくら政の長であれ一存で申請そのものを退けることは法により認められておりません」

「他国ではそうかもしれぬが、生憎と今の秀真は公費節約と煩くてな。幸いにして我が国の民は愛国主義者が多く、他国に出ようとする者は少ない。おかげでそこに避ける人員そのものが少ないのだ。しかしながら仕事の都合で取得を望む者はいる、そちらを優先させるは当然であろう? 使いもせぬ物で割り込んで迷惑をかけるほど、奏嬢は非常識ではあるまい」

「割り込むほど非常識ではございませんが、欲しい物を簡単に諦められるほど人間もできておりませんので。申請して大人しく順番を待つことと致します」


 申請はする。と譲らない笑顔で断言する奏に、行忠の眉がぴくりと反応した。強情な、とでも言いたげに目を細めたがそのまま笑顔を取り繕い、言ったはずだと子供に言い聞かせるように仕方なさそうな声を出す。


「それをしてやるには人手も金も足りんのだ、諦めよ」

「発行にかかる費用そのものを出す、と言えば如何ですか」


 十六歳の少女は、いきなり金で顔を叩きにかかった。なかなかに隠す気のない鼻薬だが、将軍とはいえ自由に使える金額は知れているため、行忠に対して袖の下は思った以上に効果がある。


『命を金額で左右してた暗殺者が断言します、世の中にお金でどうにかならないことなんてほとんどないです。一割も切ります』


 世の中お金次第ですよと無邪気を装った笑顔で宣う奏に、乾いた声で追従したのも既に遠い日だ。そして悲しいかな、否定するだけの材料は理人も持ち合わせない。

 実際に、行忠も興味を引かれたように軽く身を乗り出している。


「戯れに聞いてやろう、其方にとって旅券の代金は幾らか」

「幾らも何も、かかる費用に人件費と特急料金で倍掛けにするくらいです」


 必要経費はそちらで算出されるものでしょうと肩を竦める奏に、行忠はふんと鼻を鳴らした。


「そうではない、其方が旅券に幾ら出せるのか、だ。思いを金額に換算するのはどうのと言い出す輩もおろうが、目に見えぬ物を数値化するは有効な手段であろう。其方にできる精一杯も示せんようでは、程度が知れるな」

「あからさまに金額を吊り上げる人間も、底が知れているように思いますが」


 上品に手で口許を隠して笑う奏の目は決して笑っていない。気持ちはとても分かるが、生憎と旅券発行を行忠が握っている以上、主導権は相手にある。奏も理解しているのだろう、諦めたように一つ息を吐くと素早く計算を始めたのが分かる。


 髪を上げて三年の奏は、行忠にとってはいい鴨に見えていることだろう。どれだけ現実味のない数字を上げるか、それとも話にならない程度の数字しか上げられないか、楽しんでいるのが透けて見える。そしてどちらにしろ自分の望む金額を請求する気の行忠を遠く眺め、理人は気づかれないようにそっと嘆息した。


 自分優位で話を進められると信じているらしい行忠が、少しばかり哀れになる。奏がカヤであるという事実を知らずとも、理人なら相手が女性だと言うだけで気を引き締める。それができないのは行忠が将軍であり、自分の言葉には従順と従う女性しか見てきていないからだろう。無知とは怖い。つくづく思う。


 侮るなかれ。幼く見えても、女性は皆“女”である。

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