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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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友情ごっこ

 ようやく将軍との目通りが叶うことになり、城に向かう車に今日は理人あやひとも同乗していた。本来ならば女車に、理人が乗るのはどうかしている。いつものように側付きの近重と二人で乗るか、理人が登城するために用意した車に相模や近重と一緒に四人で乗り合わせるかの二択しかなかったはずなのに、何故こんなことになっているのか。


「まあ、静寂しじまの権力を振り翳されたら逆らえませんしね。所詮臣下の娘ですし」


 刺々しい声でにっこりと微笑むと、向かいに座った理人は目を逸らすでもなく二人が邪魔だったからねとにこりと笑い返してくる。これはまた、随分と面の皮が厚くなったものだ。

 咎めるように目を眇めると、さすがに理人もふらりと視線を外す。


「あらあら、目を逸らされるくらいなら最初からなさらなければよろしいのに。それとも静寂の殿様は、年下女に虐められるのがご趣味ですか? それはそれは外聞の悪いご趣味ですこと」


 巻き込まないでくださいねときっぱり言いつけると、無茶を言うなぁと苦笑される。


「奏嬢以外、興味もないのに。俺の性癖がおかしくて巻き込まれるのは君だけだよ」

「そんな最悪、御免被りますっ」

「まあ、大丈夫だよ、世間で言われるような幼女趣味も少女趣味もないし。至って真っ当……だと思う。多分」


 多分て。と心中に突っ込むが、実際に口に出すのは控える。こんな逃げ場のない空間で掘り下げたい会話ではないのなら、聞き流すのが最善だ。


「婚約者の評判が幼女趣味の少女趣味とか、普通なら未来は絶望しかないですねー」


 あくまでも他人事として乾いた声で笑う奏に、どこか恨めし気に理人が目を据わらせる。


「言っておくけど、どっちも奏嬢を起因とした噂だからね」

「何ですか、その言いがかり。少女はともかく、幼女期間に理人さんと会ったことないですよ、私」

「そうだよね。けど世間的には裳着直後の婚約はそう見えるらしいよ」

「えー。なら今からでも解消しときます?」


 評判を下げる気はなかったからと軽く提案すると、理人が絶対零度の微笑みを浮かべる。何でこの子は時々こう薄ら寒いんだろうと心中で腕を摩り、そういう手段もありますよねと言い添えると何もなかった顔で話を進められる。


 聞き流すというのは、円滑な会話には必須技巧なのかもしれない。


「少女趣味っていうのも解し難いよね。そもそも裳着で成人って決めたのはこの国で、裳着と同時に結婚してる夫婦だっているのに、どうして大人しく手出しもしないで婚約に甘んじてる俺が謂れのない中傷を受けなくちゃいけないのか」

「少女趣味というなら、雪代藤間(とうま)のほうがよっぽどですよね。あの人、手を出す相手がどんどん若くなってるんですよ」


 さすがにまだ奏の年齢を下回ってはいないが、長姉はとっくに二十五を越えたのではなかったか。側室にも満たない愛妾が、娘より若くなるのも時間の問題だろう。

 ああ気持ち悪いと今度こそ本気で腕を摩ると、何やらじっと理人がこちらを見ているのに気づいて首を傾げた。


「ひょっとして、心境は分かるって同意されますか? 即縁切り案件ですけど」

「同意どころか庇う気さえこれっぽっちもないよ、俺は生涯たった一人しか愛さない主義だから! そうじゃなくて、……普段は気にしてる様子もないのによく知ってるなって思って」


 気になっただけでと小さく続けられ、不思議なことを言うと反対に首を傾げる。


「自分の不快を横に置いて考えれば、世の中に知らないほうがいい情報なんてありませんよ。何が誰に対する切り札になるとも知れないんですから、得られるだけ得ておいたほうがいいでしょう」


 今のところただ不快になるだけですけどねと肩を竦めると、理人は何度か目を瞬かせた。


「その発想はなかったな……、知らなくていいことは山ほどあると思ってた」

「知りたくないことが多いのは認めますけど、知らないと後手に回るじゃないですか。先手を取りたいなら情報は必須です」


 基本ですよと指を立てると、今後そうすると素直に頷かれる。年下の忠告でも有益と思えば受け入れられる人間は出世する、大いに頑張ってほしいところだ。


(まあ、秀真まほろを出たら私と関わりはなくなるけど。知り合いが落ちぶれるのを見るより、先が明るいと知れるのはいいことだ)


 何だか言い訳めいて心中に呟いている間に、車が軽く揺れて止まった。どうやら城に着いたらしい。


「いつも思いますけど、歩いたほうが早くないですか」

「否定し辛いけど、体面も大事だからね」


 まさか刻限まで門で止められるのも楽しくないよねと苦笑がちに説明され、そうか、忍び込むのはなしかと認識を改めながらそうですねと同意しておく。やらないでねと小さく釘を刺されるところを見ると、心の声が漏れたらしい。

 失敗したと舌を出したのは隠し通し、何の話か分かりませんといった顔で見つめ返すと、その手段も俺以外には使わないでねと怖い笑顔で釘を刺される。よく分からないが、頷いておいたほうがいいのだろう。本当に分かってくれてるのかなあと痛そうにこめかみを押さえて唸る理人を尻目にさっと降りようとすると、先に表から理人様と相模の声がかかる。


「開けろ」


 奏と話している時にだけ見せる情けなさを一瞬で払拭した理人が答えると、廉がゆっくりと引き上げられていく。既に用意されていた踏み台を無視して先に理人が下りて振り返り、自然な様子ですっと手を差し出される。手慣れてますねと冷やかしたくなるのをぐっと堪え、にこやかに微笑んでその手を借りると柔らかく目を細められるのがむず痒い。


(やっぱり一度は世界を見ないといけないってことだよねぇ)


 ヴィシュムで一度人生を過ごしてしまえば、秀真のやり方は前時代的に思えるほど未だに男尊女卑の傾向が強い。女は黙ってついて来い、男は背中で語れの世界だ。その中でさり気なく女性をエスコートできるとなると、家柄に顔まで合わせて文句のつけようがないのではなかろうか。


(ごめんね、秀真のお嬢さん方。本来なら血で血を洗う抗争を繰り広げても勝ち取りたいだろうに、結婚する気もない女が邪魔してて)


 これが一度目の人生なら、奏ももうちょっと頑張った──、


(……ないな。多分全力で逃げてるはず。好条件過ぎて引くわー)


 人間、何事も程々がいい。自分の身の丈は弁えている。オークションにかけたら金に糸目をつけない参加者が一斉に札を挙げそうな値打ち品を競り落とす自信もなければ興味もない、すごい世界もあったねーと見逃して終了だ。どうぞと差し出されたって全力で拒否する。

 それが今や後見人の上に婚約者なんて、まったく前世の行いは慎むべきだ。猫の恩返しなんて、蝉や鼠を咥えて持ってこられる程度でいい。頬が引き攣っても受け入れるくらいの度量は見せられる。多分。


「奏嬢、さっきからそこはかとなく失礼なことを考えてる気配がするけど」

「女の顔色なんて、喧嘩してる時以外はスルーするものと相場が決まってます。口にされてない感情に反応するなんて野暮の極みですよ」


 小声で突っ込まれ、よろしくないなーと小さく頭を振る。名残惜しそうに手を離した理人は、どこか苦く笑う。


「それも君の人生哲学? なら、胸に刻んでおこうかな」

「そうしてください」


 尤もぶって頷いた後、近重を探して視線を巡らせると理人が門の外を指し示した。


「さすがに春朗太も君の側付きも表に入るのは無理だから、控えに待たせてる。ここからは俺が案内するから、……逸れないでね」


 一人で行動しないようにと言下に告げられ、十三歳の時にとっくに奥御殿まで探索したことがあるとも言えずににこりと笑う。多分既に知ってはいるのだろうが追求しないでくれる理人は、もっと重大事とばかりに離した奏の手を見ているのに気づく。


「この国ではエスコートの習慣もないですし、例え婚約者でも人前で必要以上に触れるのはご法度ですよ」

「──習慣を変えるのって、どれだけ偉くなればいいと思う?」

「今でも十分に偉い人が、何を言ってるんですか」


 上には後二人ほどしかいない立場のくせにと呆れると、秀真のみならず世界を取るべきかと考えているのが分かって頭痛がする。

 どうしよう、無駄にスケールのでかい馬鹿がいる。


「世界の覇者にでもなったら好き放題できるでしょうけど、世界征服の理由がエスコートしたいからって頭おかしいですからね」


 やりたいなら縁を切ってからにしてくださいと真顔で告げると、それじゃ意味がないと理人が深い溜め息をつく。どこまで本気なのか知らないが、そんな関わりたくない話よりも今はやるべきが待っている。


「諦めたなら早く案内してください。旅券が私を待ってますっ」

「正確には、待ってるのは将軍だけどね。旅券が主目的なのは、心の奥に仕舞っておいてくれると助かるかな」


 一応婚約の挨拶ってことになってるからねと苦笑気味に突っ込まれ、そうでしたそんな今更な挨拶なんでしたと何度か頷く。棘があるなあと嘆きながらも先を促して歩き出す理人についていき、仰々しい城へと足を踏み入れる。入るなりぴりっとした殺気を伴う緊張感が懐かしく、表御殿に潜んでいる人数を無意識に探る。


(騒ぎを起こして咄嗟に駆けつけてきそうなのが十人、遅れて五人ずつ駆けつけてくるって感じか。一、二、三……、まあ、五人ずつ五セットなら負ける気がしない)


 無手でも完全勝利して逃げる算段までつけていると、前を歩く理人が振り返らないまま苦く笑って声をかけてくる。


「君がしなくても俺がするから、今は目先の交渉に集中したほうがいいよ」

「また、」


 野暮なことをと突っ込みかけたが、どうやら反応を楽しんでいるような気配に気づいて口を噤む。何をと指摘されたわけではない、突っ込んだところに謁見に備えての忠告だと返されては業腹だ。ついでに言えば車内での会話と違い、ここでは姿はなくとも耳を欹てている者も多い。下手に言質を取られないためには、口を閉ざすのが一番だろう。


(そこまで計算の内かー。……親と逸れて泣きそうな子猫だったのに、今や立派な野良猫様とか)


 野生が逞しいけど可愛げがないと心中に頭を振ると、俺も成長くらいするんですよと口の中で小さくぼやかれる。未だにちょくちょくリト少年が顔を出すが、見ない振りをするのも大人の務めだろう。


(今ここで縁を切られたら、せっかく目の前まで来た旅券がまた遠ざかる……っ)


 それは避けたいとぐっと言葉を呑み込んだのに、理人が気の悪い深さで溜め息をつく。振り向きもしないまま、空気だけで会話をしないでほしいものだ。


 奏としての初対面でやったのは自分だという事実を棚上げして考えている間に、長ったらしい廊下を曲がりくねってようやく謁見の間に辿り着いたらしい。迷路じみているのは襲撃に備えてわざとだろうが、カヤやその家族ならばどんな造りをしていようがターゲットの気配を頼りに真っ直ぐ突き進む。壁だろうが罠だろうが、特に障害とは思えない。警戒するなとは言わないが、つまらない対策をするより自分たちの動線を考えて作り直したほうがよくないか、と本気で考える。


「奏嬢、たいめん」


 体面が大事であり、且つ将軍に対面しているのだとぼそりと突っ込む理人の声ではっと我に返り、優雅を取り繕ってそこに座るとゆったりと頭を下げる。


「雪代藤間が一女、奏と申します。拝顔の栄に浴する、」

「何だ、つまらん。普通の娘ではないか」


 口上の最中でがっかりしたとの声が遮り、頭を下げたまま奏は口を閉ざした。行忠ゆきただ様! とかなり険しい声で理人が声を張り上げ、将軍の名が行忠だと知るが特に興味のない情報だ。


(まあ、真名は大事だけど)


 フルネームを知れば呪いはかけやすくなる、と前々世の母から教えられたのを思い出してとりあえず胸の内に刻むが、今のところは口を挟む余地もない。第一、呪いはまどろっこしい。暗殺一家育ちとしては、さくっと殺っちゃいなーと家族が声を揃えるのに同意したい。


(違う違う、殺し方がどうのではなくて。将軍とその盾の会話に、口を挟む余地はないからね?)


 所詮は理人のおまけで許された謁見なのだから、比喩でなく頭越しに会話をされれば黙っているのが筋だろう。正直、旅券さえ貰えればどうでもいい。色々。


「お前の執着振りを見ていれば、どれほど美しく愛らしく稚いのかと思いきや、平凡そのものではないか。それのどこに惹かれる余地がある?」

「そろそろ口を閉ざされないと、剣を抜くことになりましょうが」

「は。儂に歯向かうか。たかが女一人のために、禁を犯すと?」


 やってみろと面白そうに語尾を上げた将軍のせいで、理人の殺気が静かに深まる。将軍としてはいつもの軽口の応酬のつもりかもしれないが、猫のくせに忠犬気質の野良猫様には触れてはならないところだったらしい。

 駄目だ、本気で殺る気だと察した奏は、面倒ながら僅かにこちらも殺気を飛ばして牽制する。はっと我に返ったらしい理人が、随分と口惜しそうに何とか気を収める様は思った以上に懐かしい。そう言えばカヤの頃、暴走しがちな弟をよくこうして諫めたものだった。


(いやー、青い青い。将軍の軽口だって、理人さんに構ってほしいだけなのにね。それで地雷を踏み抜くとか、世話ないけど)


 弟とその友人を見守るような生温い気分になっていると、不意に反応しなくなった理人に対してつまらなさそうに将軍がふんと鼻を鳴らした。知らず身動ぎしたくなるほど青臭い。


 友情ごっこは、せめて人目のないところでやるべきだ。

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