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猫の尻尾と女の名前  作者: あつろ
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主の行く道

「ついて参ります」


 一瞬の躊躇いもなく即答するなり、お茶を飲んでいた奏はそのままの姿勢で固まった。ちらりと視線だけで確認され、どうしても緩む頬を抑えきれずににこりと笑うといくらか困ったように眉根を寄せられる。

 近重の答えが意図するものとは違ったのだろうが、選択肢を提示してくれたのは奏だ。選んで伝えた以上、言質は取った。奏がいくら不本意であろうと、近重は満足だ。


「ちょ、っと待とうか、近重さん。いくら何でも返答が早すぎない?」


 ここはもうちょっと落ち着いて冷静に断ったほうがいいと思うよと複雑そうな顔で勧める奏の言葉に、選ぶべきだった答えはある。けれど近重に示された二つの中に、断る逃げるといったものはなかった。それがどれほど近重にとって誇らしく幸せなことだったか、奏は知らずとも責任は取ってもらわなくては困る。


「奏様の仰るままに選んだのですが、何か不備がございましたか」


 いつも何かに困っているような顔だとよく言われるが、より一層困ったように見せながら聞き返すと奏は言葉に詰まってまた湯呑みを傾けた。言いたいあれこれを呑み込んでいる姿にほっとして、表情だけは困ったままじっと見据える。


 今からでも言を翻し、逃げてほしいと望まれているのは分かる。わざわざ殺すと直接的な言葉を使われたのも、それを意図してのことだろう。けれどその選択肢そのものが近重に対する気遣いだと分かっているのに、何に恐怖すればいいのか分からない。


(奏様が手ずから殺したほうがいいと思う状況になる、分かっていて置いて行くには忍びないと思ってくださっている)


 近重にとってはその奏を知れただけでも夢心地だ、ついていくことまで許されたなら今まで以上に誠心誠意お仕えしようと誓うのみ。

 けれどそれをおくびにも出さず、困ったように悲しそうに奏を見つめる。近重の主は無言の圧に耐えきれず、ふいと視線を逸らした。


「考える猶予を与えるつもりだったんだけど、何故に即答……」

「私は常に奏様のお側に。迷う余地などございません」


 お連れ頂けるのですねと喜んで手を打つと、隠す気のない嫌そうな目を向けられる。さすがにちょっと傷つく。


「私がお側にあるのはご迷惑ですか……?」


 共にと仰ってくださいましたのにと責めるように尋ねると、目を伏せて大きく溜め息をついた奏は頭の後ろをかいた。武家の令嬢にあるまじき振る舞いだが、他に人目がない場で窘める必要はないだろう。そもそも近重についてくるかと尋ねる以上、奏はもはやこの国に留まる気がないはずだ。ならば下手に良家の子女と見られる行動は、慎んだほうがいい。


(あら、では私も言動に気をつけなければいけないような……)


 あまり家格は高くないとはいえ、近重も武家の娘として教育を受けてきた。下手な振る舞いで奏の足を引っ張るわけにはいかない、この先の最重要課題だとひっそり心中に書き留める。今は奏の話を聞くのが先決だが。

 奏は近重の決意に気づいた様子もなく、真面目に見据えてくる。


「二度と秀真まほろに戻れなくなっても後悔、」

「しません。奏様のお側にあることが私のすべてです」


 言葉を遮ることになってもそれだけはと主張するが、奏は納得の色を浮かべてくれない。


「近重。気持ちは嬉しいけど、ちゃんと考えて。連れて行くにしても近重だけ、秀真に戻らないってことはもう二度と家族に会えないってことだよ」

「奏様のお心遣いは大変有り難いのですが、私にはもう家族と呼べる者はおりません。知っての通り母とは死別しましたし、父にとって娘の私は不要のようです。家は兄が継ぐ予定ですし、生憎とその兄との仲も良好ではございません。いなくなれば、どちらにも歓迎されるでしょう。身軽なものにございます」


 この身一つではありますが誠心誠意お仕え致しますと頭を下げると、奏が諦めたように深く息を吐いた。


「お互いに、今生は家族の縁に恵まれなかったみたいだね」

「よい主に巡り合えましたので、他の縁が犠牲になったのでございましょう」


 私はそれで満足にございますと微笑むと、聞いた奏は呆れも色濃く笑って目を細めた。


「殺すを選択肢に入れるのがいい主、かなあ」

「お言葉ではございますが、それも私の身を案じてくださってのことにございましょう。死を望むほどの不遇に見舞われると察し、ならば手ずからと御配慮頂けたものと存じます」


 違いますかと言下に含めて首を倒すと、奏は過大評価だよと苦笑する。その仕種がすべてだと満足してにこりと笑った近重は、けれど尋ねなければならない最大の事柄があったと思い出して慌てて威儀を正した。気づいて奏が促すように視線をくれるのを見て、恐れながらと控えめに切り出す。


「秀真を出るとの仰せに異議はございません、連れて頂けるのならばどこまでもお供する覚悟はございます。ただ私と決意を同じくされる方は、他にもいらっしゃるのではございませんか」


 直接名前を出さずとも、静寂しじま当主の話だと見当はつくだろう。奏は軽く眉を寄せて、うーんと唸りながら天井を仰いだ。


「将軍の盾を私が奪うのは、外聞が悪いと言いますか。そもそも謀反を企んでるわけじゃないんだから、変な波風立てたくないと思うと身軽に出て行こう。って結論に達するよね」

「──それはつまり、静寂様は奏様のご予定を御存知ではない、と」

「これだけ旅券が欲しいって言ってるんだから、知らないとは言わせないけど。そーっと出て行ってそのまま帰らずに済ませたいなー、って計画は知らないだろうね」


 言うと面倒そうだから言いたくないと、逸らした奏の顔に書きつけてある。確かに静寂は奏を大事に思っている──というより過ぎた執着を見せている。自分の手が届く範囲にいる限りは好きにしていいよと放任主義を気取れても、少しでも離れる素振りを見せれば即座に囲い込まれるのは想像に難くない。

 奏が本気で自由を得ようとしたなら、それこそ先ほど呈された二択ではないが静寂を取り込むか殺すかするしかないだろう。


(私がどうにかあの方を殺せるだけの技量を持ち合わせていたなら……)


 否、止めには至らずとも相討ちを覚悟で挑めば奏が国を出るだけの時間は稼げるのではないかと本気で考えていると、怖い顔をしないのと軽く額を突いて上を向かされる。はっとして知らず伏せていた目を開けると、奏はやるなら自分でやるってと軽く請け負う。


「ついておいでって言ったのに、足止めに使ったりするわけないでしょう。ついてくるって決めたなら、近重はいらないことを考えないで黙って私に従いなさい」

「っ、出過ぎた真似を致しました」


 そんなに思い詰めた顔をしていた自分も恥ずかしいが、敵うわけもない主になり替わろうとした浅はかさに恥じ入る。

 そうだ、奏は近重が思うよりずっと慈悲深く残酷だ。そして強い。近重が考える程度のことはとっくに思い巡らせているだろうし、拙い技術しか持たない素人がやるよりずっとうまく対処できるはず。役に立てるかもしれないなんて、そもそも烏滸がましい。


 心から落ち込みそうなほど反省していると、何やらまじまじとこちらを見てくる視線に気づいて顔を上げた。呆れて離れられるならともかく、どうしてこんなに熱心に眺められているのか分からずに軽く首を傾げる。


「奏様……?」

「一個だけ、聞いてもいいかな」

「何なりと」


 主の命であればどんな弱みも晒す所存と意気込んで頷くと、奏は顎先に軽く手を当ててじっと見つめたまま不思議そうに尋ねてくる。


「どうして近重は私についてくるって即断できたの? 最初に雪代や秋谷あきやが期待したような主働きはできてない、辛うじて静寂と繋がってはいるけど引き立てるような働きかけもしてない。持て余す荷物、がこの国で私に与えられる唯一の評価だよね」


 淡々と語る奏に卑下する様子はなく、正確な現状把握だとは思うがまさか肯定もできない。複雑な顔で返答に惑っていると、奏が面白そうに笑った。


「まあ、その顔がすべての答えだから言わなくていいよ。でも近重としても同じ認識なのに、どうして私についてくるって迷いなく言えるのかが不思議なんだよね」


 私は何ができるって期待されてるんだろうと本気で不思議そうに真っ直ぐ尋ねられ、近重は思わず目を瞬かせた。


 奏に期待していること。期待?


「何……、あの……、お側に。ずっと置いて頂きたいというのは期待に入りますかっ」


 これが正解なのか自信がなく身を乗り出させるようにして聞き返すと、奏は大きくゆっくりと瞬きをして軽く首を傾げた。


「思ってたのと違うけど、まあ、期待かな」

「違いましたか!? え、ええと、それではその」


 何と言えば奏が意図したところに副うのだろうと必死に頭を巡らせていると、ごめん聞き方を変えると苦笑めいて奏が提案してくれる。失望させてしまっただろうかと蒼褪めると、そんなに深く考えなくていいからと宥められて余計に申し訳なくなる。


「近重が私の側付きになってくれたのは、秋谷に言われて渋々だったんじゃないのかなと思ってるんだけど、」

「まさか! まさかそのようなことはございません、あくまでも自ら望んでのことです! 秋谷の家などどうでもいいのです、私が! ただただ奏様にお仕えしたくっ」


 そんな悲しい誤解を受けていたなんてと泣き出しそうに主張すると、今の流れで諒解したから大丈夫と飲み口を拭った湯呑みを差し出される。奏は近重が何度も厨に足を運ぶのを好ましく思ってないようなので、不精ではないかと葛藤しつつも常に急須ごと用意するようにしている。空になった湯呑みに新しく茶を注がれ、どうぞと勧められるまま受け取ってぐいと煽る。側付きとしては大分失格だとは思うが、今はとにかく落ち着きたい。


 大きく息を吸い、ゆっくりと吐き、どうしてそんな理解をされていたのかと悔しさを滲ませつつ考える。察したのだろう奏は、違うならいいんだけどと珍しく口篭もってからゆっくりと息を吐いた。


「近重の母上が自死されたのは、私のせいでしょう。恨まれてもしょうがないと思ってたのに側付きにって言ってくれたから、これは父親からの圧力があったなって考えてたんだけど」

「父に何を言われようとも望まぬことは致しません。母についてはむしろ私のほうが奏様にお詫びすべきであって、恨むなど逆恨みもいいところではございませんか」


 とんでもないことにございますと眉根を寄せると、奏は割と本気で驚いたように軽く眉を上げた。


「十五年前、母は何があろうと乳母を辞すべきではありませんでした。奏様にご不自由をおかけしたとしても、お育て申し上げるが本懐。それができなかったのみならず、奏様が当時の姫様と認識したなら自らの愚行を詫び、その先は死ぬ気でお仕えすべきところを放棄して死に逃げるなど我が母ながら噴飯ものにございます。叶うならばこの場に呼び戻し、娘の私が直々に誅したいくらいでございます」

「そ、こまで言わなくても、最初の一年を通ってくれただけですごく有り難かったよ?」


 落ち着いてと宥めてくれる奏には感謝しかないが、いいえと近重は強く頭を振る。


「母には乳母を務める覚悟がまったくございませんでした。情けなくも不甲斐ない、いくらお詫びしても足りない事態と存じます。はじめは償いのためにと意気込んでおりましたが、今はただ自分のため、奏様に尽くしたいと望んでおります」


 お仕えすることこそ我がすべてと熱い思いをぶつけると、奏は呆れたのか感心したのか分からない様子でじっと近重を見て滲むように笑った。


「とりあえず近重がついてきてくれるのに間違いないのは理解した。後は……うん、おいおい聞いていこうかな」


 理由はさておき熱意は受け取ったと頷く奏に、まだ言葉足らずだったのかと焦りはしたがおろおろしたまま目が合うと柔らかく細められてふっと肩の力が抜けた。


「この先のほうが色々と迷惑をかけると思うけど、覚悟を決めて宜しくね」


 もう巻き込むって決めたからと悪戯っぽく笑って言い添えられたそれに、ああ、確かにちゃんと受け止めてもらったのだと理解する。


 近重が今どれだけ幸せなのか、奏が知らなくても構わない。この先、足手纏いになるまではちゃんと連れて行ってもらえる事実があればそれだけでいい。


 主の行く道を整える、それだけがすべて。

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