再会は銀行で
さて、人の寿命は大体が七十年前後。世界一の長寿でも百を超えるのがようやくといった今、足して足して足してながら七十を超えるなら人生経験は豊富、少しは人生も容易に進んでくれていいと思いませんか?
(別に裏から世界を操りたいとか、国を乗っ取りたいとか、大それた望みなんて抱いてないじゃない。そもそもそんな面倒なことを進んでやりたがる人の気が知れないくらいだし)
彼女の望みなんて、ごくごくささやかだ。平穏に、幸せに、天寿を全うしたい──今度こそ。
(最初が三十二、次が二十四、今度は十六かって予想はしてたけど。裏切ってくれてよかったんだよ、神様)
前二回の享年を思い出しつつ遠い目をして考え込む間にも、聞いてるの質問してるんだけどと尖った声が突き刺さる。
現実逃避に努めたところで、最悪の事態はなかった顔をしてくれない。遠く逸らしていた視線を渋々と戻し、自分に突きつけられている銃と長剣を見る。相変わらず手入れはばっちりだ、暴発することもなさそうだし錆びて切れないこともなさそうだ。しかし武器の手入れと同じくらい、女の子には優しくとも言いませんでしたっけねと小さく溜め息をつく。
「お前、自分の立場を分かってるの?」
「よくこの状況で溜め息なんてつけるね。よっぽど殺されたいみたいだ」
片方は無表情に、片方は笑みを深めて怒りを露にする。双子のくせに正反対なのも相変わらずで、これが単に町で擦れ違っただけなら懐かしく目を細めて感慨深く思えただろうに。何故彼女は今、世界一安全と謳う銀行の貸金庫室内で前世の弟たちに武器を突きつけられているのだろう。
(まあ、原因は偏に私の手の中、なんだけど)
現在の彼女が入り用としている金額を、端金と笑えるだけの預金を前世の自分は持ち合わせていた。預けた銀行に赴き、暗証コードを入力すればさっくりと問題が解決する。となれば実行しない理由がどこにあろう。
そもそも、それを目的に前世の自分は頑張った。一度経験したのだから次もあるかもしれない程度の認識だったが、また記憶を持って生まれ直すなら少しは楽をさせてやりたいというのが親心(?)だろう。自分以上に金を持て余している家族ではなく何も持たず生まれてくる次なる自分に託すため、物理的にも社会的にも頑強で融通の利く銀行を選んで準備した。万が一を考えて家族にも、正規の手順で誰かが引き出したなら自分が後を託した人だから見逃してと言ってあったのに。
(過保護だったからねー。そして面子大事な一族だしねー。死後数年は罠も仕掛けて待ち構えてるだろうと思ったけど)
十六年も経ったんだから忘れてないかな、忘れてるはずだ、よし大丈夫と根拠のない結論に至って行動したのが間違いだったのか。しかし前世ながら自分で稼いだお金を使って何が悪い。は、未だ彼女の中に確固として存在する信念なのだからしょうがない。
姉と共に死に金となった遺産が誰の手に渡ろうと、懐かしむ縁になったと見逃してくれればいいものを。
「さっさと言いなよ。そのコード、どこで手に入れたのか」
苛々しているのは声の調子で分かるが、相変わらず表情筋が仕事をしていないのは黒髪に藍色の瞳をした上の弟。二重の大きい目、癖のない真っ直ぐな黒髪も無表情さえ変わりなく懐かしいが、向けられる視線は敵と定めたように険しい。
「そのコード、僕らでも全部を覚えるのは無理だったんだけど。一体どうやったのか、教えてよ」
人好きのする懐っこい笑顔で柔らかく言葉を重ねるのは、淡い金髪に藍色の瞳をした下の弟。目が細いせいで普段から笑っているように見えるが無表情と大差ない仮面のようなもので、視線や仕種には隠す気のない敵意が滲んでいる。
(二人とも無表情なのに分かりやすすぎるってあれだけ言ったのに、聞き入れる気ないなー)
殺意くらい隠さないと聞き出せないから気をつけろとあれだけ言ったのに、未だ改善が見受けられない様子に遠い目をする。相手の心理状態など気に留める気もないらしい黒髪は、短気を発揮してますます声を尖らせている。
「言えばさっくり殺す、言わないなら言うまで拷問してから殺す」
「……どっちにしても殺すなら交渉になってないって、前に言われてなかったっけ?」
「言われたことない」
金髪の弟に突っ込まれ、黒髪の弟はさらりと嘘をつく。いやいや言いました、しっかりお姉ちゃんが注意しましたー! と心中で激しく突っ込むが、片割れの性格を知り尽くしているせいか、ああそうとあっさり受け流している。ちゃんとその場で正さないから通用すると思うんだ! と金髪の弟に対しても拳を作るが、下手に藪を突きたくない身としては心中に留めるしかない。
せめても話せば命は助けると言っておかないと、何の利益もない交渉に誰が応じるのか。けれど最初に警告した時も、黒髪の弟は不思議そうにこちらを見て、嘘はよくないって言ったろうと首を傾げたものだった。
片割れの理不尽は君が正しなさいと疲れたように諭した彼女に、金髪の弟はそっくりの様子で不思議そうに首を傾げ、自分の利益にならないことはしたくないって姉も言ってたよね? と聞き返されたものだった。
ああ、教育って難しい。
彼女が死んだ時、まだ十代だった弟たちも今や三十をとっくに超えたおっさんだ。四捨五入すれば四十にもなろうと言うのに(暴論)、彼女が生きていた頃とあまり変化は見受けられない。大人になれば自然と身につくものではないらしい落ち着きや一般常識は、一体どこで拾えるのだろう。
「誰に聞いたのか言えって、さっきから言ってるだろ。聞いてないの?」
懐かしんだり後悔したり自分の不甲斐なさを痛感したりしている間にも、双子は限界に達しつつあるらしい。元より我慢の利かない子たちだったと思い出しつつ、ちらりと時計に視線を向ける。
そろそろ終わらせないと、次なる厄介が発生しかねない。気乗りはしないが、やるしかないのだろう。
「時計の確認とか、余裕のつもり?」
「自分の残り時間のほうを気にしなよ」
殺すことに決めたとばかりに攻撃態勢に入る二人は、あれから十六年も実戦経験を積んでいるはずなのに戦う時の癖はまだ直っていないらしい。双子のくせに連携して戦うことを嫌い、どちらも主導権を握って先に戦いたがる。敵との距離やタイミングを計って先に攻撃する側が決まるまでに僅かの間ができる、それを直せともう何度注意したか分からない。
今回は長剣を手にした黒髪の弟が先手を取るらしく、先に一歩踏み出してくる。けれど既に読んでいた彼女は持っていた重い鞄を高く上に放り投げると剣が突き出される前に懐に入り、鳩尾に続けて三発拳を入れる。それほどの痛手を負わせていないのは承知だが、落ちてきた鞄が頭部を直撃するよう四発目を胸に入れて位置を調整する。
さすがに予測していなかった重さと落下速度に黒髪の弟が体勢を崩した隙を衝き、落ちる寸前だった鞄を取り上げると後手に回った金髪の弟に向かって投げつける。片割れの行く末を見ていた金髪の弟は銃を持っていない手で自分に向かってくる鞄を薙ぎ払い、下からの攻撃に備えて銃を構え直したがそこに彼女がいないのを見て僅かに目を瞠っている。鞄の影に隠れるようにして飛んでいた彼女は死角から後頭部を蹴りつけ、ぐらついている間に体勢を整えると再び足を繰り出して銃を蹴り上げる。さすがに手放すまいと腕ごと天井に向けて突き上げる形になったところを肘に足を絡めて間接を決め、銃を奪い取ると振り払われるままの勢いで飛び退って投げやられた鞄を拾い上げた。
「っ、何やってるんだよ、ウズハ」
「先に無様を晒したクザキに言われたくない」
互いを罵りつつも彼女に向き直って再び戦闘態勢に入ろうとされるが、整うまで待つ必要を感じない彼女としては黒髪の弟が持つ長剣を撃った。半ばほどで折れて飛んだ剣先を避けるために金髪の弟が距離を取り、三人を頂点に正三角形を描くような形になったのを見て彼女はにこりと笑った。
「年下の小娘にいいように振り回されて、恥ずかしーい」
ちょっと鍛錬が足りないんじゃないですかね? と語尾を上げると、予備の銃を取り出した金髪の弟が躊躇なく撃ってきた。分厚い黒い鞄を盾に軌道を逸らせて避けた彼女は、怖っと声を張り上げた。
「非道っ、怖っ。今の完全に殺す気だったよね」
「殺されたくて煽ったんじゃないの?」
避けないでよと薄ら寒くなる笑顔を浮かべて再び銃を向けられるが、予備の銃は不意を衝くために隠し持てるよう軽く小さく作られている。物作りが好きな妹による自作だろう、十六年前は一発撃つのが精々だった。あれから年月を重ねて改良されているだろうが、弟の掌に収まる大きさから撃てても後一発。
(違うな、装填されてるにしてもあの銃は軽すぎる。ということは、ブラフ。もう一丁が隠し玉ってところかな)
隠しやすい大きさになってるからねと妹の腕に感心しつつ、持ち方で軽さを見抜かせてしまう金髪の弟には反省を促したいところだ。あからさまに腰の後ろに手を回そうとしている、黒髪の弟然り。
「悪いけどそろそろ失礼したいから、余計な真似は控えてくれるかな」
素人には扱い辛い銃から弾倉を抜いて黒髪の弟に投げつけ、本体を金髪の弟に投げる。二人とも咄嗟に薙ぎ払っているが、一瞬の隙さえあれば今まで立ち塞がられていたこの部屋唯一の出入り口には辿り着ける。ただ彼女の手が分厚い扉の取っ手にかかる前に、背後から銃弾とナイフが複数襲い掛かってくる。分解したとはいえ、やはり銃を返すのではなかったかと反省する。
とりあえず対処が間に合うとすれば、ナイフのほうか。本数は多いが、手にしている鞄があれば一度に防ぐくらいはできるだろう。
(でもその間に銃弾は届く。だから連携は大事なんだって)
いつもこれくらい協力すればいいのにと暢気に考えながらナイフに対応し、頭を狙って放たれた銃弾は外から押し開かれた扉から入ってきた人物に任せる。今までの流れを見ていたわけでもないのに即座に状況を把握したのか、声をかけるまでもなく今にも届きそうだった銃弾はすべて切り捨てられている。
「っ、思わず切ったけど大丈夫だった? え、ひょっとして今死にかけてたよね」
「開口一番、聞くことがそれですか」
銃弾を受けたくらいで死にませんと顔を顰めると、長剣を構えたまま呆れた顔をしているのは現在の彼女につけられた後見人。自慢げなところを申し訳ないけれどと、そろそろと水を差してくる。
「普通の人は死ぬところを生き延びると、常人じゃないって宣伝することにならないかな」
「当たり所が悪ければ死ぬ、だから問題ないですよ。つまり当たらなければいいんですから。狙いが分かってるなら、その軌道から逸れれば当たらない。死なない。ね?」
「……普通の人は、それができないんだと思う」
「え。じゃあ死んじゃうじゃないですか」
「うん。だから死にかけてたよねって」
聞いたんだよと苦笑がちに説明され、はあほお、と感心する。
「じゃあ死にかけてました」
「それも自慢できることではないよねぇ……」
諫めるというよりは脱力したように笑う後見人から目を逸らすべく視線を動かすと、久し振りに笑顔の仮面を剥いで唖然としている金髪の弟を見つける。自分の放った銃弾を避けたり払われたりされる経験はあっても、片割れが持つ幅広の長剣よりずっと細い片刃の剣で切り捨てられたのは初めてなのだろう。
彼女としても足して足して足した人生の中でも、後見人以外にできる人物を知らない。見たのはこれで二度目だが、最初の時と同様、凄いを通り越して気持ち悪いというのが感想だ。勿論、助けてもらった恩に報いて死ぬまで言わない秘密と決めているけれど。
「何、その化け物じみた技」
「いや、女の子にその言い方はどうだろう」
思わずといった様子で呟いた黒髪の弟に同意してしまうより早く、失礼じゃないかなと眉を寄せて反論した後見人の背中を無言で突き飛ばした。不意を衝かれて軽く蹈鞴を踏んだ後見人が、庇ったら駄目だったかなと困ったように聞き返してくるのを見て目を据わらせる。
「あの人の発言は、銃弾を切ったことに対する評価です。だから無礼者なのは、私のことだと思ったあなたのほうですよ」
「え、俺はただ切っただけなのに? 短刀の雨を鞄一つで凌ぐほうが凄いよね」
「それは普通ですー」
「「どっちも普通じゃないよ」」
後見人と言い合っていると、双子が珍しく声を揃えて突っ込んでくる。えー、と不満の声を上げるがまた二人が攻撃態勢に入りそうなのを見て取って後見人の背を引いた。
「用事は済みました、引き上げます」
今は敵意を向けてくるとはいえ可愛い元弟たちだ、これ以上やり合う気はないと暗に告げると後見人は分かったと簡単に頷く。
「じゃあ、君は先に行ってて。俺は片をつけてから行くから、」
「それをするなって意味で、引き上げるって言ったんですよ!」
全然分かってないじゃないですかと噛みつくと、あれと後見人は本気で驚いたように目を瞬かせる。
「てっきり自分でするのが嫌だから、俺に片づけてって意味かと」
「自分でできることを、よりにもよって嫌がってる人に押しつけるほど鬼じゃないです。──前から思ってましたけど、ちょっと私に甘すぎませんか」
嫌なことは嫌だと断りましょうと指を突きつける彼女に、後見人はまた何度か瞬きを繰り返して滲むように笑った。
「君が嫌なことを肩代わりできるなら、自分の感情なんてどうでもいいよ。それに男は目の前の女性を守るもの、なんだよね?」
「違います。野郎は須らく女性を守るべし、です。やろうかどうか迷う余地もない、義務ですよ」
「それだ」
くすくすと笑って当然のように理不尽を受け入れる後見人に呆れた側では、何故か再び手にした武器を取り落とすほど双子も驚きに目を瞠っている。
「「今の、」」
「では、お騒がせしました。これにて失礼」
帰りますとにこりと笑みを残すと、後見人を置いてさっと踵を返した。待ってとどこか悲鳴みたいな声が途中で途切れて咳き込みに変わったのは、後見人が煙玉でも投げつけたからだろう。すぐにも追いついてきた背の高い後見人は横に並んで、ちょっとだけ何か言いたげな目で見下ろしてくるが聞きたくない──答えたくない。
「聞かないで」
走りながら機先を制すると、後見人は開きかけた口を閉じて苦笑を浮かべた。
「君が言うなら」
ものすごく問い詰めたいけどとちくりと刺してきたが、本当にそれ以上を問うことはなく話題を変えてくれる。
「これで用事は終了? もう帰ったらいいのかな」
「お陰様で、無事終了です。空港に手を回される可能性はありますけど、出る手段はありますか」
「大丈夫、忠直に準備はさせてるから」
「たかが私のお使いに、自分の側近まで狩り出してるんですか?」
思わず馬鹿にしたように聞き返すのは、こう見えてこの後見人は彼女たちが暮らす国ではトップに次ぐ権力者だから。自分の被後見人が国を出るのについてくるだけでも相当な過保護だと思うのに、自分の持てる力を総動員して助力するとか頭が悪いにも程がなかろうか。
けれど後見人はけろっとした顔で、
「君のために尽力するのが俺の務めだから」
何でもなさそうに言われ、彼女は思い切り顔を顰めた。
「将軍の盾が、将軍以外の人間に言っていい台詞じゃないですよ」
「でも俺はあの人のために死ねって言われる立場ではあっても、あの人のために生きる必要性はないからね」
生きる理由は君がいいとどこまでもさらりと言ってのける後見人に、あーそうですかーと真に受ける気はなく棒読みで返して走るほうに集中する。後見人と上司の面白おかしい関係性に言及して得られるものなど何もない、知りたくないが一番の本音だ。
「とりあえず自由の切符は手に入れた、ってことで」
残りの人生を謳歌するぞーと拳を突き上げる彼女に、できたらいいねえ、と憐れむような後見人の不吉な声が背中を打つ。最も自由から遠い地位にいる人間のやっかみなど聞こえないと耳を塞いだが、人生が儘ならないのを誰より実感しているのも彼女だ。
信じるのは自由だが、信じる者が救われるとは限らない。