精霊祭の夜
寒い……
ガタガタと震える。
粗末な服から出た足は冬だというのに靴さえ履いていない。
素足だ。
鎖に繋がれた足首は紫色に腫れ上がり。
痛くて立ち上がることもできない。
木の板のベッドと穴の開いた毛布。
それと部屋の隅に置かれた用を足す尿瓶。
部屋にあるのはこれだけだ。
窓にはガラスもはめ込まれてなく。
冷たい風がピュウピュウと吹き込む。
吐く息が白く辺りを漂い消える。
穴の開いた毛布を体に巻きつけるがあまり役に立たない。
鉄格子の嵌められた窓から白いものがちらちらと降っている。
雪だ。
遠くから鐘の音が聞こえる。
ああ……そうだ……
今日は精霊祭だ。
咎人が許される日。
すべての罪が精霊の許しの元。消えていく日。
人々は人型の紙に己の罪を書き、燃え盛る祭壇に投げ込む。
浄化の炎で罪は消える。
今日は私の17歳の誕生日でもある。
毎年家族とともに精霊教会に出かけ。
精霊に祈りを捧げ、屋台を見て回り。
家に帰り御馳走を食べる。
そして……両親からプレゼントを貰う。
去年は赤い薔薇の髪飾りだった。
まるで本物の薔薇のように精巧に作られていた。
ハル様から贈られた赤いドレスとお揃いの様な髪飾り。
王太子ハルアード・アドリス・ルブラ。
そう私の婚約者。いえ……元婚約者だった男。
そして……私から全てを奪った男。
愚かな私は彼に恋をしていた。
いえ……
私は幻の王子様に恋をしていた。
『王太子様は立派な方です』
『王太子様は武術に優れた方です』
『王太子様は立派な白馬を持っておられます』
『王太子様はお優しい方です』
お優しい方が……立派な方が……
男爵令嬢を虐めたと無実の者を牢屋になんか入れない。
私はあの男の何を見ていたのだろう。
何も見ていなかった。
ただ……みんなが言う幻の王子様に恋していただけ。
何でこんな事になったの?
『お幸せですね。王太子妃になられるのですから』
そう言ったのは侍女だった。
『代われるものなら私が王太子妃になりたかった』
そう言ったのは侯爵令嬢だった。
代わって欲しいのは私の方だわ。
笑うしかない。
学園の卒業パーティー。
あの男の隣にいた少女。
ピンクブロンドに翡翠の瞳。
初めて見た。
どうやら彼女が男爵令嬢なのだろう。
そもそも私はこの2年、王太子妃の教育を城で受けていたのに。
だから2年間学園には10日も行っていない。
王妃様主催のお茶会では誰も彼女の事を教えてくれなかった。
王妃様から口止めされていたのだろう。
本当に私は何も知らなかった。
男爵令嬢を虐めたと断罪する王太子に抗議する両親。
当たり前だ。私は城に居て王太子妃教育を受けてそれどころではなかった。
少し考えれば分かること。
王太子は皆の見ている前で私の両親を切り殺した。
反逆者だと濡れ衣を着せて。
私は呆然と両親の死体を見下ろしていた。
あまりの事に悲鳴さえ上げることが出来なかった。
気が付けば、私は襤褸を纏。
反逆者の娘として牢屋に繋がれていた。
父の領地はとても豊かで鉱山から金や銀が出る。
私が婚約者に選ばれたのも金持ちだからだ。
王家は父にかなりな借金があった。
要するに借金を踏み倒したのだ。
反逆者の汚名を着せて。
それが証拠に王も王妃も動かなかった。
私達が無実なのを知ったうえで切り捨てたのだろう。
4ヶ月の間私は牢屋に入れられたままだ。
牢屋番が食事を持って来る以外ここに人がやってくることはない。
薄いスープ、硬いパン。
粗末な食事だ。
それでも罪人には贅沢な食事だと、年老いた牢番は言った。
取調べ中に餓死する罪人は多いのだとこぼす。
足音が聞こえてくる。
牢番だろうか?
いえ……
足音は複数聞こえる。
ガチャリ
とドアが開き、王太子が現れる。
取り巻きとあの男爵令嬢もいる。
首相の息子のテボイア・マタルは眼鏡をくいっと上げる。水色の髪が揺れる。
あの時もキャンキャンと五月蠅く私のありもしない罪を並び立てていた。
エッセード将軍次男のモリス・エッセードは相変わらず無口だ。
馬鹿力で私を床に叩きつけた。
守るべきものを間違えた愚か者。
脳みそが筋肉でできているらしい。
こいつは本気で私が男爵令嬢を虐めたと思っているようだ。
証拠もないのに? どうして男爵令嬢の証言だけで信じる?
せめて偽の証拠に証人を用意しろ。
キエロ・ソベルアは高価なハンカチで鼻と口を抑えている。
臭いとブツブツ愚痴をこぼす。
相変わらずオシャレに気を使っているのだろう。
高価な服に臭いが付くと文句を言う。
しかし牢屋にその恰好は浮き過ぎだろう。
早く用事を済まそうと魔導師長の息子を促す。
黒いローブに陰気な顔。
ジェイコブス・クリークは父親に劣らぬ才能の持ち主と評判だったが。
いかせん魔術のお勉強ばかりでハニートラップには弱かったようだ。
頭でっかちの馬鹿。女にチヤホヤされたのがよほど嬉しかったのだろう。
ジェイコブスが呪文を唱える。
私の体が動かなくなる。
「良い様だな」
王太子が言う。
「私は無実よ」
キッと王太子を睨み付ける。声は出せるようだ。
彼は無実の父と母を殺した咎人だ。
罪人は彼の方だ。
「金で王妃の座が買えると思ったか!!」
憎々し気に王太子は私に罵声を浴びせる。
「借金は王からの申し込みよ!! 隣国に攻め込むために資金が必要だと!!」
本当に無能な王だ。
隣の国が飢饉に落ちたと偽の情報に踊らされ、攻め入ったは良いが見事に返り討ちに会った。
多くの兵を失い。
苦境に立った。
そう……
ここにいる彼らの親は皆敗戦の責任を問われたのだ。
そこで彼らは己が身を守るために両親に裏切り者の汚名を着せた。
隣の国と密通していると。だから戦に敗れたのだと。
逆賊だと罪を被せた。
飢饉に落ちたと言う情報は確か男爵令嬢の父親ダンガルト・シュイルスがもたらしたもの。
敵国に通じて偽の情報を齎し敗戦に導いた。
裏切り者は男爵だ!!
私がそう叫ぼうとすると声が出ない!!
「うっ……くっ……」
モリスが私を床に押し倒し服を破く。
瘦せた背中が露わになった。
王太子はノエルからナイフを受け取ると私の背中に突き立てる。
「喜べレイデス。今宵は精霊祭、私自らお前の罪をその身に刻み。女神の元に送ってやる」
「ひっ……!!」
痛い!! 痛い!! 痛い!! 痛い!! 痛い!! 痛い!! 痛い!! 痛い!! 痛い!! 痛い!!
私は悲鳴を上げることも、のたうち回ることも出来ず、ただボロボロと涙をこぼす。
『私は咎人です』
王太子は私の背中に文字を刻んだ。
王太子はナイフをテボイアに渡した。
テボイアも私の左足に文字を書く。
『私は裏切り者です』
次はモリスにナイフは渡され。
ナイフは左腕につき立てられ。
『私は恥知らずです』
と刻まれる。
キエロは暫く考えていたが。
『私は卑怯者です』
と右腕に刻んだ。
ジェイコブスはナイフを渡されるとためらったのち。
『私は臆病者です』
右足にそう刻んだ。そして……ナイフをノエルに渡す。
ノエルは楽しそうにナイフを弄び。
「ん~なんて書こうかな? ああ……そうだ。貴女にピッタリの言葉が浮かんだわ」
ノエルはニンマリ笑う。
『私は淫売です』
ノエルは私の顔にそう刻んだ。
私の体は血まみれだ。
ノエルはそっと囁いた。
「バイバイ。間抜けちゃん」
「おい。神殿に連れていけ!!」
ハルが怒鳴る。
牢屋の外に待機していた兵士が私を襤褸の毛布に包み担架の上に乗せて外に連れ出す。
外はちらちらと雪が降り始め。私の上にも降り積もる。
燃えるように体が熱い。意識が朦朧とする。
粗末な馬車に揺られて神殿に着いた。
私の処刑を見ようと多くの民が集まっていた。
ターピア王も王妃も首相も将軍も魔導師長も有力貴族がそこにいた。
レックス・グイダール様も。
レックス様は神官だ。
若くして枢機卿になられた。
隣の領地だったグイダール伯爵家の三男で神官見習いとして領地に修行に来ていた。
小さい頃はよく遊んでもらった。
背中まである銀の髪を三つ編みにして白と赤の飾り紐で結わえている。
白い神官服に金の飾り帯。神々しくて精霊様のよう。
ノエルも頬を染めている。
「皆の者これよりこの神聖ルブナ王国を裏切ったレイデスの処刑を行う」
ターピア王が宣言する。
荷馬車から引きずり降ろされ立つこともできない私は引きずられて祭壇まで運ばれる。
ゴウゴウと祭壇は燃え上がっている。
わあわあと人々の怒号が飛び交う。
「裏切り者!!」
「国を裏切った恥知らず!!」
「父ちゃんを返せ!!」
「王太子様の婚約者でありながらハル様を裏切るなんて恥知らず!!」
「敵国のスパイめ!!」
罵声を浴びながら私は祭壇に突き落とされる。
すべての罪を背負わされ私は声を上げる事すら許されず燃え盛る炎に飲まれ。
私は死んだ。
……?
私は死んでない?
それどころかさっきまであんなに疼いた体が痛くない?
燃え盛る炎も熱くない?
私は腕を見る。
刻まれた文字が金色に浮かび上がり私の体から浮かび上がる。
これは……?
金色に輝いた文字は私の周りを漂っていたがやがて凄いスピードで飛んで行った。
王太子達の元へ。
「な……なんだ? 文字が飛んできた?」
「うわあぁぁ~~!! く……来るな!!」
「……!!」
「ひいぃぃ!!」
「やめろ!! そんなダサイ文字は私に似合わない!!」
「いや!! いや!! 私に纏わりつかないで!!」
『私は咎人です』その文字は光り輝き王太子の体に纏わりつくと彼を消し炭に変えた。
『私は裏切り者です』その文字は蛇のようにテボイアの体に纏わりつくと彼は腐れ死んだ。
『私は恥知らずです』その文字はモリスに襲いかかるとゴキゴキと彼の全身の骨をへし折った。
『私は卑怯者です』その文字は逃げようとするキエロの身を爆散させた。
『私は臆病者です』その文字は重力を操りべしゃりと床に血の絨毯を作った。
『私は淫売です』その文字はくるくるとノエルの周りを踊り彼女を輪切りにした。
王と王妃と貴族達はその場に凍りつく。
ゆらりと死体に絡みついていた文字が死体から離れ。
貴族達を見てにいっと笑ったような気がした。
踊る様に軽やかに文字は貴族たちの方にやって来る。
「ひいっ!!」
悲鳴を上げたのは王だろうか?
それとも王妃?
金色に光る文字に纏わりつかれ。
肉の塊と化す。
貴族も民も悲鳴を上げ出口に殺到する。
首相も将軍も大貴族も魔導師も男爵令嬢の父親もただの肉片と化す。
「これは……一体……?」
いつの間にか私の周りで燃え盛っていた炎が消えている。
パサリ
私にマントがかけられた。
「レックス様……」
いつの間にかレックス様が私の側にやってきてマントをかけてくれた。
「レイデス大丈夫か? 傷は痛むか?」
「あ……どこも痛くない? 体中血まみれだったのに……」
どこも痛くありません。
それどころか傷も血も消えて……お風呂上がりのように肌も髪もつやつやです。
「レックス様何が起きているのですか?」
レックス様が手を差し伸べて下さった。
私はその手を取り立ち上がる。
あの光の文字はかなりの貴族を血祭りに上げている。
「天罰だ」
吸い込まれそうなレックス様の金色の瞳を見上げながら私は首を傾げる。
「天罰?」
レックス様は頷いた。
「精霊祭の夜に君を処刑するように王族に進言したのは私だよ」
「えっ?」
「精霊祭の夜にのみ無実の者がその身に冤罪を書かれ祭壇で焼かれるとその罪は咎人に帰る。昔から神官上層部のみに伝えられた秘術だ」
「そんな秘術が教会に伝わっていたの」
「しかしあいつらナイフでレイデスを切り刻むなんて。もっと早く助けてあげられなくてごめん。しかしあの噂は本当だったのだな」
「噂?」
「王太子と男爵令嬢と取り巻き達は快楽殺人者だと」
「そんな!! まさか……」
「男爵令嬢と父親は悪魔崇拝者で攫った子供を生贄に捧げていると言う噂があって教会の異端審問官が極秘に調べていたんだよ」
「それで……」
「悪魔崇拝者ではなく快楽殺人者だった。王太子が静養に行った領地で男爵令嬢に会って二人はよく魔物をたわむれに殺していたらしい。やがて子供や娘を攫ってきては拷問して殺すようになった。取り巻き達もその遊び加わって……王族に有力貴族だったから教会もなかなか手が出せずにいたんだ」
「なんて恐ろしい……王も王妃も知っていたの?」
「戦に敗れた責任をダンガルトに問いただしたら王太子が快楽殺人者だと暴露して王と王妃を脅したんだよ」
疲れたようにため息をついてレックス様は言葉をこぼす。
「王と王妃と取り巻きの親たちは敗戦の罪を君の両親に被せた」
「聖女様」
いつの間にか神官たちが私達の周りに跪いていた。
「聖女様?」
私は神官たちを見回した。
「そうです。数百年前も断罪の聖女様は現れ咎人を裁きました。あなたこそまごうことなき【断罪の聖女】です」
その時多くの貴族を屠ってきた金色の文字が私の周りを踊る様にくるくると回ると光の柱が立ち昇る。
【レイデス・エーゼルを聖女として女神イーデスは祝福します】
女神イーデスの祝福を受け精霊祭の夜、私は聖女になった。
伝説によると精霊祭の夜聖女レイデスは咎人を裁き。
その地から悪を一掃したと言う。
その後かの国は隣の国に併合されるも、民にはさしたる混乱もなく穏やかに統合された。
陰で教会と聖女の働きがあったことは周知の事実である。
その後聖女は幼馴染の神官と結婚し子宝にも恵まれ末永く幸せに暮らしたと言うことである。
精霊教会 聖女レイデス記18章-365
~ 登場人物紹介 ~
★ レイデス・エーゼル (17歳)
主人公。王族の罠に嵌められて精霊祭の夜に燃え盛る炎の中に投げ込まれる。
両親は無実の罪を着せられ王太子に切り殺される。
★ ハルアード・アドリス・ルブラ (19歳)
王太子。レイデスの元婚約者。まともなレイデスを嫌う。
レイデスの両親を無実の罪を着せ切り殺した。
男爵令嬢と取り巻きとは快楽殺人者仲間。
★ ノエル・シュイルス (17歳)
男爵令嬢。ハルとは快楽殺人者仲間。
攫ってきた少年や女を戯れで殺してきた。
★ テボイア・マタル (20歳)
首相の息子。メガネ。神経質。伯爵家長男。
水色の髪で緑の瞳。快楽殺人者仲間。
★ モリス・エッセード (22歳)
王太子の護衛騎士。エッセード将軍の次男。
馬鹿力。脳筋。焦げ茶の髪にアイスブルーの瞳。
快楽殺人者仲間。こいつが主に犠牲者を攫って来る。
★ キエロ・ソベルア (18歳)
四大貴族の一つソベルア家の三男。お洒落。
赤髪で赤目。快楽殺人者仲間。
★ ジェイコブス・クリーク (19歳)
魔導師長の息子。才能はあるがハニトラに弱い。
快楽殺人者仲間ではあるが死体愛好家でもある。
★ レックス・グイダール (21歳)
神官。レイデスとは幼馴染。精霊祭の夜のレイデスを処刑するように王族をそそのかす。
無実の者は精霊祭の夜には加護が働き助けられる事を知っていた。
しかもレイデスには女神の祝福で聖女になる。
★ ダンガルト・シュイルス (55歳)
ノエルの父親。売国奴。偽の情報で隣の国に戦争をけしかけ罠に嵌める。
天罰が下り焼け死ぬ。
★ ターピア・ルブナ (59歳)
ルブナ国の国王。偽情報に踊らされ隣の国に戦争を仕掛け敗戦する。
敗戦責任をレイデスの両親に押しつけて爵位と財産を没収する。
天罰が下り焼け死ぬ。
★ マイア・エリザベート・ルブナ (42歳)
ルブナ国王妃。レイデスを王妃教育と称して監禁。王太子の悪い噂から遠ざける。
ろくでなしの夫と快楽殺人者の息子を持つ。詰んじゃってる人。
息子が快楽殺人者だと知った時にはどうしようも無かった。
ある意味彼女も犠牲者。
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2019/1/19 『小説家になろう』 どんC
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最後までお読みいただきありがとうございます。