幸せラジオ
ある地域FM放送局からの出演依頼が私にあったのは、放送予定日の一週間前だった。それも何の前触れもないまま突然のことだった。個人事業主として仕事を始めたばかりの私がたまたま異業種交流会で知り合った人からの紹介ということである。その知人が放送局のある地方都市在住であり、自身がその放送の中で毎日入れ替わる地元ゲスト出演者となった後で、私のことを紹介したらしかった。正直なところ、私がその地方都市に関わるような出来事はそれまでには全くなかったし、これからもなさそうだった。なぜならば、百九十万人の人口がある札幌で毎日を過ごしている私にとっては、7万人ほどの人口しかない小さな街は、事業の場所としてはさほどの魅力も感じてはいなかったのだから。
郊外の商業施設の中にあるサテライトスタジオに着いたのは、約束の時間の十五分前だった。スタジオの外にあるベンチに腰かけて、放送局のスタッフが置いてくれた小さなラジオの声に耳を傾けた。聞こえてくる放送はすぐ横のガラス張りのサテライトスタジオからの生放送であり、これから私自身が出演する番組だった。すぐ横には、ガラス窓に囲まれた四畳半ほどのサテライトスタジオの中の様子が見えていて、ひとりの若い女性がマイクに向かって何か楽しそうにしゃべっている。
そこで放送を続けているのは、女性パーソナリティーのキャサリンだった。勿論愛称であり、れっきとした綺麗な日本人女性だ。パソコンのモニターと手元に置いた原稿の両方を交互に見ながら、時々手元のマイクを器用に操作し、明るいけれども落ち着いた声でリスナーに語りかけている。どうやら明るい性格のようであり、どちらかと言えば孤独が好きな私とは異なる性格らしいことが感じられた。これからの約三十分間の生放送の間、こんなにも性格の異なる人と向き合って果たして会話が盛り上がるのか、あるいはそれ以前に会話自体が成り立つのかという不安感が心に広がった。
私がスタジオ入りする時間まで十分前となった。その時、携帯ラジオから聞こえていたキャサリンの声のトーンが変わったことに私は気付いた。スタジオの中の様子をガラス越しに見ると、印刷された原稿を手にしてニュースを読みだしたキャサリンの横顔には凛とした緊張感が漂っていた。沢山の観光客が行き交う場所であったから私は周囲の視線を意識して、何気ない様子でキャサリンの様子を見続けた。やはりついさっきまで面白い話題を喋っていた時とは明らかに雰囲気が違っていた。瞬時にまるで別人と入れ替わったようにさえ思えた。
「この人はただの人ではない。アナウンサーとしてのプロ意識を持っている人だ。このまま何の打ち合わせもない状態でいきなり生放送のスタジオで向き合ったとしても、この人とならうまく話を合わせられるかもしれない」
という気がした。
ほどなく時間となり、スタジオから出てきた若い女性スタッフにスタジオ内に招き入れられた。放送では音楽が流されている間に、改めてパーソナリティーのキャサリンとスタッフの女性に名刺を渡して急いで挨拶を済ませた。私にとっては初めてのラジオのそれも生放送の出演なのだから、狭いスタジオの中でこれからの時間をともに過ごすことになるこの女性達に、少なくとも嫌われないようにすることは絶対に守らなければならないことと気を引き締めた。
指示された椅子に腰かけると、放送用のマイクが置かれたテーブルを挟んでキャサリンと向き合う位置関係になった。私の緊張感はにわかに高まってきていた。その上スタジオ内は放送機器が発する熱気で暑いために、私はすでに背中に汗をかいていた。
音楽が終わるとキャサリンのおしゃべりが再開された。目の前のキャサリンが慣れた様子でマイクに向かって話している様子は、私にとっては普段見かけることのない風景だった。放送用のヘッドホンを付けたので外界の音が聞こえなくなり、聞こえてくるのはマイクに向かってしゃべり続けているキャサリンの声だけだった。こうして周囲の音が遮断されると、私自身も周囲から遮断された小さな部屋の中にいるような気分になり、自分がラジオの生放送に出演中であるという緊張感が幾分和らいだ。更には向き合って座っているキャサリンの眼差しは、心なしか笑っているようにも見えた。そんな私の心の内を知ってか知らずか、キャサリンは、あらかじめ渡してあったプロフィールカードを見ながら私のことを生放送の中で手短に紹介してくれている。そんなキャサリンの声を他人事のように聴きながら、初めて間近で見るラジオパーソナリティーの仕事というものを私は珍しいものを見るように見入っていた。私は本当に夢を見ているような気がしてきた。
不意にキャサリンはちょっと真面目な顔になって、私の方へ向けて右手を差出した。「マイクをONにして」という合図だった。私は自分の前に置かれたマイクのスイッチをONにするとヘッドホン越しに聞こえてきたキャサリンの問いかけに対して
「こんにちは」
とありきたりの言葉に続けて、私は自分の名前をマイクに向かって告げた。話し始めてみると意外と開き直ることもできて、心地よい緊張感を身体に感じ始めていた。横を向くとガラス張りのスタジオの中からは、商業施設を利用する観光客が行き来する姿が時々見えていた。視線をスタジオ内に戻すと、キャサリンの微笑と線香花火のように綺麗なデジタルの電子表示を繰り返している放送用の機器と、放送機器の操作をしているもう一人の女性の姿があった。モーリーという愛称で呼ばれたその女性スタッフが時々小さなホワイトボードを掲げては、残りの時間を示している。そんな様子も私にとっては新鮮で関心を引いた。
「今日のテーマは秋ですが、山崎さんにとって秋といえば何ですか?」
キャサリンは放送用の少し高めのトーンでそう問いかけてきた
「そうですね、やっぱり紅葉でしょうかね」
放送内容についての打ち合わせはなかったから、いきなりの問いかけだった。私は、とっさに思いついたことを口にした。そして、ともかくはそんなありきたりな答えをしながら、私は生放送の流れを早く体感しようとしていた。
「どこかおすすめの紅葉スポットはありますか」
キャサリンの口調は普通に落ち着いていたが、さすがに放送素人の私の言動を心配するかのように、私から視線を外すことはなかった。
「以前に旅行で行った関西の古いお寺の庭が良かったですね」
「山崎さんはお寺が好きなんですね」
「ええ、お寺と仏像が」
「仏像のどんなところに惹かれるのですか」
一見仏像になど興味がなさそうに思えたキャサリンが、意外に仏像の話題を続けてきたことに私のほうが戸惑いながら
「優美で優しいお姿が好きですね」
と答えた。
「あとはお寺の静けさが好きですね。でも紅葉の時期は観光客で大変な人ごみでしたけれどね」
キャサリンの微笑に誘われるように、私は尋ねられていないことも答えていた。
「そんなに人が多かったのですか」
「ええ、お祭りのようにね」
「にぎやかで楽しそうですね」
「いや、あまりにも人が多すぎて歩くのさえ大変でしたよ。それに私は孤独が好きなんですよね」
そう言ってしまってから、私はしまったかなと思ってキャサリンの表情を見た。生放送で暗い話題は厳禁だと思っていたからだ。心配したようにほんの一瞬だけキャサリンの表情が固まったようにも見えたが、すぐに笑顔を私に向けた。
「お一人って寂しくないですか」
「全然寂しくないですよ。気楽でいいですよ」
キャサリンの会話のうまさに助けられていることをいいことに、放送の流れや雰囲気など考えることもなく、私はさらに自分の普段から思っていることをそのまま口にしてしまっていた。私の面白味のない答えに対してもキャサリンの反応は早かった。すぐに笑い声を立てながら
「山崎さんって面白い方なんですね」
とマイクに向かって言った。
沢山のリスナーに向けて、いかに面白味のない男であるかということを私自身が披瀝しそうになっていたところを、キャサリンの機転によって一転して「面白い男」に変わることができたのだ。
形だけの面白い男に向けて、キャサリンの次の思いがけない質問が発せられた。
「今度生まれ変わるとしたら、男がいいですか、女がいいですか」
答えによって深層心理までのぞかれそうな気もして、生放送で即時に答えるのは難しい問いかけに思えた。ひと呼吸おいての私の答えは
「やっぱり男ですね」
という答えだった。
「どうしてですか」
少しばかり興味を感じているようなキャサリンの表情が見えた。
「男のほうが気楽でいいじゃないですか。女性は何かと大変なことが多いから」
世の女性方が聞いたら怒りそうな、私の相変わらずの愛想のない答えに対してもキャサリンの応対はあくまでもおおらかだった。
「さらにもう一度生まれ変わるとしたらどちらがいいですか」
「そう、やっぱり男ですね」
私はあくまでも自分の気持ちに素直に答えたつもりだったが、何故だかキャサリンは、今度は少しばかり真面目な表情になって、
「そのあともう一度生まれ変わるとしたらどちら」
と問いかけてきた。理由はわからないが、ともかく一度は女に生まれ変わりたいと言わせたいらしいことを感じた私は
「その時は女かな」
と答えた。後で考えると、家庭の主婦など多くの女性リスナーが聴いているであろう時間帯の放送であるにかかわらず、何も考えずに気楽に「男のほうがいい」などと答えていた私の立場を考えての心遣いだったのだろうと思った。
リスナーからのリクエスト曲をかけている間に、放送外で、私のことについてキャサリンからいくつかの質問がなされた。ほんの二、三分の短い間であっても、少しでも私のことを理解しておいて、後半の放送をどのように展開していこうかということを構想しているのだろう。私は目の前で穏やかに微笑しているキャサリンの内に秘めた高い職業意識を見たような気がした。どうすれば放送が盛り上がって、聴いてくれているリスナーさんが幸せな気分になれるかということを真摯に考えている姿だった。そして、そんなキャサリンの真摯な姿は、顔の見えないリスナー側からは決して伺い知ることはできないことなのだ。
放送の後半は、私自身の事業について話しても良いことになっていた。
「出版事業ということですが、どのような本を扱うのですか」
「自分史とか家族史とか、あるいは自作のオリジナル小説でも出版しますよ」
「へえ、そうなんですか」
興味を持ったらしいキャサリンの瞳は少女のような輝きを増したように見えた。
「どうして出版事業を選んだのですか」
「私の性格としては、おしゃべりよりも活字の方が向いているからですかね」
私の本音に対してキャサリンは放送用に笑い声を立てながらもその表情は苦笑していた。
「注文はありますか」
キャサリンとしては、沢山の注文があるという答えを予想して発した問いかけであり、会話を盛り上げるための質問であったのだろう。しかし現実の問題として注文はほとんどなかったから、私としては答えたくない質問だった。
「残念ながら注文はあまりありませんね」
苦笑いとともに答えた私の表情を見て、キャサリンの表情もわずかに曇ったのを私は感じた。度重なる私の否定的な発言に対して、さすがのキャサリンも言葉をなくしかけているようにも見えた。
「それなら、ご自分で物語を書いて出版したらどうですか、もしかしたらベストセラーになるかもしれないですものね」
前向きではない私の答えに対してもやはりキャサリンの声は明るかった。
「自分でですか」
思いがけないキャサリンの発言に、私は笑いをこらえながら答えた。自分で物語を作って自分で出版するなんて考えてもみなかったことだった。
「自分で作る物語なら、自分が主人公だから、自分自身が幸せだと思えるストーリー展開ができるわけですものね」
言われてみればそうだと私はその場で納得した。
「自分で幸せだと思うストーリーだときっと楽しいお話になるでしょう、それを読んだ読者もまた楽しい気持ちになれるんじゃないかしら」
キャサリンは満面の笑顔を見せた。
「そうですね、自分が作った物語の中では少なくとも自分自身は幸せですものね」
「私達も放送するにあたっては、少なくとも私達自身が楽しまなくちゃっていつも思っているんですよ。私達が楽しそうに放送していれば、聴いてくれている人達も楽しい気分になってくれるんじゃないかと思いますもの」
「じゃあ、今度自分で話を作って自分で出版してみようかな」
最後の最後で、私はようやくキャサリンのとの素直な会話を成り立たせることができたような気がしていた。
「前向きな発言が聴けて嬉しいです。もし物語ができたら読んでみたいので、また来てくださいね」
「ええ、是非また呼んでください」
最後まで夢を見ているかのようなふわふわしたような気分で、ともかく無事に私の出番は終わった。
放送中終始穏やかだったキャサリンの表情を思い返してみる時、心に残ったのは
「お一人で寂しくないですか」
というキャサリンの言葉であった。そう言った時にだけ何故だかキャサリンの表情がほんの一瞬だけであったが、笑顔が消えかけたような気がしたのだ。
翌日からは、また何も変わらない札幌での私の日常が始まっていた。私は札幌の市立図書館の地下にいた。ぽつんと一本だけ立っている若いもみじの木を眺めながめていた。
その場所は図書館の地下に位置していながら、大きな窓の前面は地上から斜めに掘り下げになっているために、地下にいるとは感じられない明るい光が差し込んでいた。勿論この場所も、ほどなく図書館が開館してしまえば休憩のために沢山の人が利用する場所になったが、開館前の数十分間はいたって静かな隠れ家的な場所だった。その場所にいると、何故だか落ち着いた気分になれるのだった。日常から少しだけ離れた小さな空間がそこにはあった。その頃の私の頭の中は始めたばかりの事業のことでいっぱいであり、事業を継続するための模索が毎日続いていた。事業を始めたこと自体が本当に良かったのかという迷いさえ起ってきていた。
そんな気持ちにも余裕のない毎日の中で、机の引き出しの奥にあった見慣れないパンフレットが私の目を惹いた。あの時にキャサリンから手渡された地域限定FM放送局のパンフレットだった。懐かしい気持ちで中を開いた私の視線に、大きな文字と図解で示されたパソコンによる受信方法が飛び込んできた。通常の電波放送だけではなくパソコンでもキャサリンの放送が聴けるようになったことを私はすっかり忘れていたのだ。
さっそくキャサリンが担当している放送の開始五分前に受信の設定をしたが、パソコンからは何の音も聞こえてこなかった。設定に間違いがないかを何度も確認したが、パソコンは沈黙したままだった。あの時の放送開始直前に狭くて暑いサテライトスタジオの中で感じていた重苦しい緊張感が蘇ってくるようだった。
夢の続きは突然に始まった。それまで物音ひとつ立てずに静まりかえっていたパソコンから、子供が聴いたら踊りだすような明るいリズムの音楽が突然に流れ出した。それに続いて、キャサリンの明るい声がパソコン経由で聴こえてきたのだ。
私には、あの時向き合って会話したキャサリンと、今こうして放送を通して聴こえてくる声だけのキャサリンとはまるで別人であるかのような感覚を覚えていた。あの時には、私とキャサリンとの間に交わされる会話という感覚があったが、今のキャサリンは放送を通して沢山のリスナーと向き合っているのだ。そして、私というただひとりのリスナーに過ぎない存在とのつながりはどこにもないのだという事実にも気が付いた。
「あれは夢だったのかな」
そんな想いが何度となく私の心の中で繰り返された。
「皆さんからのメッセージをお待ちしています」
パソコンから聴こえてきたそんな呼びかけによって私の気持ちに微妙な変化があった。ふとメッセージを送ってみようかという気になったのだ。それは、もう一度キャサリンとの何らかの接点を持ちたいという私の気持ちの表れだった。思いついてはみたものの、いったいどんなメッセージを送るのかとなると思い浮かばなかった。そうこうしているうちにその日の二時間の生放送はあっという間に終了した。結局何もできないまま、そのまま何日もの放送が終わっていった。
なかなかメッセージを送るというまではいかなかったが、放送を聴き続けていることで、よく知らなかったキャサリンの人柄が少しづつではあったが見えてきた。キャサリンの話しぶりはいつも落ち着きがあって明るかった。それは意識して努力しない限り維持できないもののように私には思えた。放送に入るまでの間に自身の感情の中では様々な起伏があったとしても、放送が始まる時にはそんな様々な想いを全て消し去って、ラジオパーソナリティーとしての姿を演じ切って見せるというような強い意志が存在しているように思えた。そしてそれはプロにしかできない仕業であろうとも思うのだ。
私にとってはラジオネームを考えるという課題も残っていた。キャサリンと面識があるということを考えるとき、ラジオネームでのほうが気遣いの無い本音で語ってくれそうな気がしたのだ。
いつものように周波数が違っているのではないかと思うような沈黙を破って突然明るい音楽が流れ出した。そんな始まりをいつもとは違う深い緊張感を持って私は迎えていた。私の感情の起伏を知る由もないキャサリンは、いつものように明るい声でリスナーに向けて語りかけている。
「プロとしての姿を演じ続けているのかな」
勿論キャサリンに向けて直接そんなことを問いかけたとしても否定されることは間違いないだろう。番組が存続している間は、そのまま最後まで演じきるのがキャサリンの生き様であり、魅力でもあるのだと私は思い始めていた。
番組が中盤へ差し掛かった頃、ついに私が番組あてに初めて送ったメールが読みはじめられた。
「初めてのかたのようですね。ラジオネーム瀬戸内からさんからメッセージをいただいてます。ありがとうございます」
これが、私が短時間に考えたラジオネームだった。決して女流作家を意識したわけではないが、私にとっては別の理由から思い入れのある言葉だった。
「時々放送を聴いてます。キャサリンさんはいつも楽しそうですが、キャサリンさんにとっての生きている意味って何ですか?私はよく考えるけれど、未だに答えが見つかりません」
「いきなり難しい質問が来てしまいましたね。まさか寂聴さんからではないでしょうね。そう、私にとっての生きている意味は…、出会った人の幸せを願うことかしら」
ゆっくりとそう答えたキャサリンの声はいつものよりも落ち着いて聞こえた。真剣に考えて答えてくれたのだということがラジオを通しても伝わってきた。自分のことではなく他人を幸せにというキャサリンの言葉に軽い衝撃を受けた私は、時間が止まったかのようにその言葉を心の中で何度も繰り返していた。そんな私を置いてきぼりにして番組は進行していき、あっという間に二時間の生放送は終わっていた。
私も最近は年齢を重ねたせいか、以前よりも他人に対して寛容になれるようにはなってきているつもりであった。それぞれの人生の様々な事情に思い至る時には他人に対しても少しは寛容な気持ちになれそうな気がしてくるのだ。もっとも私の場合はこのようになりゆきの寛容さに過ぎないのだが。それに対して放送中に感じるキャサリンの他人に対する愛情や寛容さは、彼女の持っている本質的な部分に由来しているようにも思えた。
番組のゲストコーナーの来客は毎日変わった。私自身が出演した時を思い返してみると、放送に先立ってキャサリンやスタッフとの打ち合わせは全くなかった。全てはいきなり始まり、その場で展開してゆくのだった。つまりは、番組を担当しているキャサリンは、日替わりでスタジオを訪れる様々なゲストについての予備知識はないままの生放送らしかった。初対面の相手といきなりその場で向き合って、三十分間にわたって会話を楽しく成立させることがどれほど大変なことかは私にも容易に想像できた。
番組の恒例として、その日のゲストに対して簡単なクイズのようなものをまず出題してみたり、座ったままで行う簡単な体操を一緒にするのだが、改めて考えてみると、そんな短い時間の中で、相手の反応や表情やしぐさなどから、その人のことを判断していることが思われた。
キャサリンの放送がない週末に、私は図書館へと向かった。地下フロアから見えるもみじは、一週間前と同じ姿でそこに立っていた。いつもその姿が安定していて変わらないという点では、キャサリンと同じだと思ったが、いつも孤独でいる姿は私に似ていると思った。私の場合は自分から望んで孤独になることがあるが、果たしてこのもみじの心境はいかばかりかと思われた。
週明けの月曜日、いつも変わらない明るさでキャサリンの生放送は始まった。
「今日もさっそくメールをいただいています」
送ったのは私ではなく、常連のリスナーだった。
「キャサリンの声はいつも明るいけれど、落ち込むことってないの?」
常連らしい親しみのこもった問いかけだった。そしてキャサリンの答えにはよどみがなかった。
「車の中で歌っているうちに元気が出てくるのよ」
放送を聴いていた他のリスナーからも続けて質問が来た。
「毎日日替わりでゲストを迎えているけれど、苦手なタイプの人っていないんですか?もし苦手な人が来たらどうするんですか?生放送だし」
まるで私の心境を代弁してくれたかのような問いかけのメッセージを耳にして、私は手を止めて放送に集中した。
「私にとっては、このスタジオにわざわざ足を運んで下さるだけで嬉しいことだから、どんな人でも苦手と思ったことはないかも」
そんな言葉は、あの時私とスタジオで向かい合っていた時のキャサリンの温かいまなざしと穏やかな表情と重なって聞こえた。さらには私には言えない深い言葉だとすぐに思った。
リスナーからのリクエスト曲がかかり、曜日別のコーナーへと進み、いつものように順調に放送は進行してゆく。毎日繰り返される放送は淡々と進んでゆくが、毎日何事もなく無事に続けられることこそが難しいことだということは、私なりに理解はしているつもりであった。
翌日も私はパソコンのインターネット回線を使ったサイマルラジオを利用して地域FM放送に耳を傾けた。以前はその名前さえ知らなかったキャサリンとその放送であったが、不思議なご縁で私自身が呼んでもらって出演してからというもの、急に身近な存在になってきており、常連のリスナーさん達のラジオネームも覚え始めた最近では、生活の中の一部になりつつあると言っても良いような気さえした。それは毎日顔を合わせている職場の人間関係に近い感覚であり、毎日声を聴いて安否を確認しあうかのような連帯感さえも私は持ち始めていた。
常連のリスナー達は、それぞれ思い思いのことをメッセージとして送り、自分好みの曲をリクエストしていた。聴いている私もそうなのだが、常連のリスナー達の平均年齢はといえば、どうやら四十代、五十代くらいらしく、よく言えば、番組全体が大人びていておおらかな感じがするのだ。思い思いに送られてくるメッセージの内容は多岐にわたっていたが、キャサリンはひとつひとつ読み上げては、ラジオの向こうのその人との会話を成立させるように答えていく。まさに包容力のある大人の対応であった。
ゲストをスタジオに迎えてからのキャサリンの様子は、さらに楽しそうに聴こえた。目の前に座っている他人に対して温かいまなざしを向けて、その人のことを理解しようと努めていることが、その言葉のはしばしからも伝わってきた。聴いているだけで和やかな気持ちになり、聴き入っているうちにあっという間に放送は終了した。いつものように、私だけがどこかに取り残されたような、一抹の寂しさとともに。
個人事業主である私は、特に仕事の予定が入っていないときには、午前中は札幌の市立図書館の中で過ごすことが多かった。時間があるうちに事業に関する参考図書や法律書などをできるだけ読んでおきたかったからだ。図書室が開くまでの時間は、南からの光が差し込む明るくて静かな休憩コーナーで過ごすことで気持ちを休ませた。中庭に立つもみじの木は、何ら変わることなくそこにあった。
「ひとりで寂しくはないのかい?」
私は心の中でそう問いかけてみた。もみじの木は
「寂しくはないよ」
と答えるのは間違いないと思った。でも、他には花も木もない中庭の中央に一本だけ立ち続けている姿からは、言葉には尽くせない寂しさを私は感じ取り始めていた。
それまでは、一本だけで立つ孤独な姿を私自身の姿と重ね合わせていたのだが、多くの人の注目を集めているという意味ではキャサリンの姿とも重なった。
そんなキャサリンに、もし誰かが「寂しいことはないの?」と問いかけたとしても「寂しくないわよ」と必ず答えることだろうと私には思える。自分に厳しい姿勢で放送のプロを演じ続ける苦労の陰に孤独な想いはないのだろうかという、極めて余計なおせっかいが私の心を離れなくなった。
季節はいつしか夏休みに入った。例年快適なはず北海道の夏であったが、今年はなんだか様相が違っていた。世界的な気候変動の影響であろうか、湿度が高く蒸し暑い日が多く、当たり前であった日常が少しづつ壊れていくときのような漠然とした不安感が感じられるような八月だった。
そんな大人達の重苦しい気持ちを変えてくれるのはやはり子供達の明るさなのだろうか。キャサリンの番組でも夏休みの子供のパーソナリティー体験という行事が始まった。二時間ある放送枠のうちの半分を子供達に放送の進行をしてもらうというものであった。
いつの時代でも大人達は、子供達が一生懸命に何かにとり組もうとしている姿には心を動かされるものらしい。キャサリンもまたサテライトスタジオに招いた小学生達と過ごす時間を楽しんでいるようで、ラジオから伝わってくるスタジオ内の雰囲気も実に楽しそうだった。いろいろと気遣いが必要な大人のゲストとは違って、スタジオに飛び込んできた子供達の笑顔は、ただそこにいるだけでキャサリンにとっては心の癒しになっている様子が感じられた。
そんな折、私はといえば、気心の知れた同業者の事務所を訪れて一緒に仕事をする機会があった。
「山崎さんは仕事中にラジオとかは聴かないの?」
私達の仕事はといえば、パソコンに向かって資料を作ったり、役所などに提出する書類を作成したりすることが多かったから、ラジオは必需品とも言えた。
「いつも聴いている面白い番組がありますよ」
私はキャサリンのことを知ってもらう良い機会だと思った。キャサリンの放送局は地域限定のFM局だったから、私達が日常を過ごしている札幌までは電波は届いていなかったし、札幌にローカルFM放送局がいくつかあったから、札幌に住みながら、私のように他の地方都市のFM放送に耳を傾ける人の数はあまりいないはずであった。私がパソコンをサイマルラジオが聴けるようにセットすると、サテライトスタジオの中のにぎやかな声がいきなり聴こえはじめた。夏休みで番組に参加している子供達のはじけるような笑い声だった。女の子達の笑い声の合間にキャサリンの落ち着いた声が聴こえた。何か面白いことを言っては子供達を笑わせているようだった。そんな和やかな雰囲気は、自分がその場にいなくてもその声を聴いているだけでも、何だか元気が出てくるような魅力を秘めていた。
「この声は聴いたことがあるな、名前はなんというんだい」
「キャサリンです。知っているんですか」
そんなことはあり得ないと思いつつも、私は尋ねてみた。
「キャサリンなら知っているよ。もし同じ人物ならね。以前は東京の放送局のアナウンサーだったんだ」
その放送局の名前なら私ももちろん知っていたが、かつてキャサリンがそこでアナウンサーをやっていたということについては全くの初耳だった。キャサリン自身が今の番組の中でそんなことを言ったことは一度もなかったのだから。
「この人の声と話しかたが好きだったけど、いつの間にかいなくなってしまったんだよね、まさかこんなんところでまた声が聴けるなんて思ってもいなかったよ。結構人気があったんだよ、美人だし」
「どうしてやめたんですか、そんなに人気があったのなら」
「それがわからないんだ。突然だったから」
東京からの全国放送の中でも人気があったということは、今のキャサリンの様子から充分感じられた。以前よりは人数はずっと少ないかもしれないが、家族のように親しみをもって毎日放送に耳を傾けているリスナーが何人もいるのだから。勿論私もその中の一人であるのだ。
出演した子供達にとっても聴いている大人達にとっても楽しかった夏休みの特集も終わり、放送も通常の形式に戻った。少なくとも私にとっては、夏休みの間子供達の方へと向けられていたキャサリンの心が、また私達大人のリスナーの方へ向いてくれる時が戻ってきたようで嬉しかったが、同時に、キャサリンがまた大人達を相手にプロとしての姿を全うしなければならないことを考えると、少しばかり気の毒なような気がした。余計なプレッシャーをかけるようなメッセージを送るのは控えて、聴くことに専念しようかとも思った。しかし、私はどうしてもキャサリンに尋ねたいことができていた。
次の月曜日も明るいキャサリンの声から番組が始まった。
「皆さんからのメッセージ・リクエストをお待ちしています」
そんな言い回しもいつもと変わらなかった。キャサリンの言葉に誘われるように私は週末の間に考えていたメールをスタジオあてに送った。
「さっそくメッセージが届きましたよ、嬉しいです」
キャサリンがどんな答えをするのか気になる私は、何もしないでただパソコンの前に座ってキャサリンの声に集中した。
「ラジオネーム瀬戸内さんから、これは私への質問ですね」
キャサリンの声にはよどみがなかった。
「キャサリンが以前は東京の大きな放送局で全国放送のアナウンサーだったという話を聞いたことがあります。どうして地方のFM局に来たのか、その理由が聞いてみたいのですが。それともう一つ、キャサリンほどの経歴がありながら、番組の中ではそのことを一切話さなかったのは何故でしょうか」
「どこで私のことを知ったのでしょうね。そう、以前は確かに東京にいました。全国放送のアナウンサーもしていました。この街に来たのは、ここが地元だからです。東京ではいろいろなことを勉強させてもらったから、これからの人生は地元の人達と楽しく過ごしたいと思ったから帰って来ました。他に理由はありません。そして、もう一つの質問ですね。何故、以前のことを話さないのかということですが、私は過去ではなく今を生きているからですかね。まあ、こんなところでしょうかね、答えになりましたか瀬戸内さん」
キャサリンの声は自然で終始穏やかだった。私はキャサリンに対して失礼なことをしてしまったような気がしだした。本人が特に話したくもないことをわざわざリスナーに向けて話させたのだから。たった今自分がしたことに何の意味があったのかと軽い後悔を感じた。そして、なんと心の広い女性なのかと改めて思った。
すでに私自身の出演の時から半年が過ぎていた。私は私自身でもすでに忘れかけているキャサリンの顔をもう一度見たくなってきた。声はいつでも聴くことができたが、当然のことながらラジオではその顔を見ることはできなかった。いつもラジオで声だけ聴いていて私がキャサリンに対して感じている印象について、自分の目でもう一度確かめたくなったのだ。
訪れたサテライトスタジオの中で放送中のキャサリンは、やはり生き生きとして見えた。放送で聞こえてくる明るい声そのもののような明るい表情で、時折大きな身振り手振りで何かを表現しようとしているのがガラス越しに見えている。そう、それほどまでに放送に集中し、自分の持っているものすべてを二時間の生放送に注ぎ込んでいる姿だった。そんな放送中のキャサリンの様子を通りがかりの小さな子供達がガラス越しにのぞき込む姿があった。子供達の真っ白な心には何が本物なのかということが解っているような気がした。
札幌に秋の涼しい風が吹き始めた九月に入った第四週の月曜日に、思いがけず突然その連絡は来た。それはキャサリンの所属する放送局からの連絡だった。前回私がキャサリンの番組に出演したのも、秋の紅葉の頃だったからちょうど一年近くが過ぎたことになる。私としては、キャサリンとはラジオネームでいろいろなやり取りをしている状況であったから、何だか複雑な気持ちがした。
出演は一週間後だった。私は、瀬戸内のラジオネームでメッセージを送っていたのが私自身なのだと放送の中でキャサリンに伝えるべきかどうかということを考え続けていた。一度はスタジオで向き合って話をしておきながら、そのことを告げないまま別人のようなラジオネームで、キャサリンの内面の思いについて問いかけたことについての後ろめたさがあった。
放送の前日、私は札幌の市立図書館に赴いた。自分の気持ちを落ち着かせるためだった。朝の開館前の地下フロアは静かだった。すぐ前の一段高い公園、実際はそこが地上であり、私が地下の窓から見上げている芝生の上を、妙に伸びるリードにつながれた真っ白な小型犬が、右から左へと舞台の上を行き来するように私の視界を横切っていく。あんなに小さな犬にもどこへでも行けるという自由があるのだ。では、目の前のもみじの木には自由はあるのだろうかと私はすぐに思った。その公園からは一段低い位置にあたる石造りの椅子が円形に配置された広場、そこの中心にあのもみじは一本だけでそこに立っていた。何よりもその姿を不自然に見せていたのは、そのもみじの葉以外にはあたりには緑色が存在していないということだった。借景には公園の芝生の緑があったが、もみじの木の周囲に人口の石畳が敷かれたほかには木も下草もなかった。そう、人の手によって意図的に観賞用に作られた空間なのだから。たった一本で立つ木の姿は目立つものではあったから必然的にそこを訪れた人の視線がすべてそこへ向けられた。もみじの木自身の意思ではなく見られるために人の手によってそこに置かれた存在なのだ。気が付けばいつもそこにあって心の安らぎをくれるのだが、必要以上に自分を主張することもなかった。でもやはり私にはどこか寂しさが感じられる姿だった。
「キャサリンは本当に寂しくはないのだろうか」
余計なお世話だと思いながらも、私はまたそんなことを思った。
翌日の放送日、今度は時間ぎりぎりくらいにスタジオの前に着いた。早く行き過ぎてキャサリンに余計な気を使わせたくはなかったからだ。事前の打ち合わせなしで、いきなり本放送が始まる番組なのだから、私もそれに合わせて臨機応変な対応を心掛けることだけを考えていた。
「こんにちは、お久しぶりですね瀬戸内さん」
私達がマイクを前に向き合って腰かけるとすぐにキャサリンが言った言葉だった。
「えー」
放送中スタジオの中で音響調整をしている、モーリーという愛称で呼ばれている若い女性スタッフが私のすぐ横で声を上げた。あの瀬戸内がここにいるという唖然とした反応だった。
「えー、知っていたんですか?私が瀬戸内ということを」
キャサリンはいたずらっぽく笑いながら大きくうなずいた。その表情からは失礼な私に対する怒りの感情はみじんも感じられず、ただ穏やかな眼差しで笑っていた。私は
「この人にはかなわない」
心からそう思った。それ以上の会話をする間もなくほどなく音楽が終わった。キャサリンが自分の手元のマイクのスイッチを入れたのに合わせて私も慌てて私の前のマイクのスイッチを入れた。もうどこへも逃げられないのだと覚悟を決めた。
「こんにちは山崎さん」
「こんにちは」
「実は山崎さんには、一年前にも出演いただいたことがあるんですよね」
「ええ、私にとってはいつまでも忘れない思い出ですが、キャサリンさんは毎日たくさんのお客さんと会っているので、私のことなどお忘れでしょう」
キャサリンは本当におかしそうに笑った。
「確か前回はお寺の紅葉のお話をしてくれましたよね」
「覚えていてくれたんですか」
私は放送中であることを忘れて驚きの声をあげていた。時間ぎりぎりにスタジオ入りして、キャサリンとの間では、前回出演したかどうかという話さえもする間もなかったのだから。それなのにキャサリンはちゃんと私と話す内容を考えて来ていたらしかった。
「今回はあの続きでしょうかね」
キャサリンにそう促されて私の心は決まった。
「ええ、紅葉の話続きです。私がよく行く札幌の市立図書館の地下の中庭には、もみじの木が一本だけぽつんと立っています。細身でまっすぐに伸びています」
「そうですか、そろそろ赤く色づくころですかね」
「そろそろです。毎年、真っ赤なとても透明感のある綺麗な赤色に染まります」
「札幌なら時々行っているから、今度私も行ってみようかな」
おしゃべり好きでもない私が、それなりに話を合わせようとしている努力をくみ取ってくれたのか、キャサリンはニコニコと笑顔を見せている。
「私は一本でも、いつも凛とした姿で立っているその木が好きなのですが、時に寂しくはないのかと思うことがあるんですよ」
「他には木がないの?」
「そう、周りに木はないんです」
「それは寂しいかも」
そんな短い言葉の中にもキャサリン自身の本音が見え隠れしているのではないかと私は思った。
「それで、私は時々その木に問いかけてみるんです。寂しくないのかと」
「うんうん」
キャサリンは相槌を打ちながら私の次の言葉を促した。そしてその表情は
「何を話してもいいのよ」
と言っているように穏やかだった。今の私がそうであるように、毎日入れ替わりでこの椅子に座って、こうしてキャサリンと向き合って話していった人達は、どこかしら幸せな気分に包まれるのだろうと思った。男性も女性も大人も子供もみんな。そんな幸せなあたたかい雰囲気は電波に乗って、遠くで聴いているリスナー達も幸せな気分に包んでくれるのだろうかと思いながら、私は小さなスタジオの中を見回した。横で調整をしていたモーリーさんとも目が合ったが、愛称モーリーさんもまた笑っていた。なんと幸せなスタジオなのだろうと自然にそう思えた。
「私にはそのもみじの木がキャサリンさんと重なることがあるんですよ」
「細身で透明感がある木と私が重なるなんて嬉しいことですけど、それはあり得ないわね。夏休みにスタジオに来ていて私のことを知っている小学生の子供達がこの放送を聴いているなら、きっと笑っていると思います」
そばで聴いていたモーリーさんが一番先に笑い出し、私もつられて笑った。
「それはそれとして、私がたとえたいのは内面ですよね。こんなことを聞いていいのかどうかわかりませんが、キャサリンさんはいつも放送を通じてたくさんの人の気持ちを幸せにしているけれど、ご自分はもしかすると寂しくはないのかと思うことがありますが」
「重なっているのは外見じゃなくってそっちの方なのね」
そう言いながら少女のように輝くような笑顔を見せた。そしてすぐに答えは返ってきた。
「寂しいって考えているよりは、誰かが幸せな気持ちになってくれたらそれが嬉しいと思うから、寂しさは忘れているのかもしれないわ」
「そうですか」
「でももしかしたら、今日は山崎さんが私に大事なことを気づかせてくれたのかもしれないわ」
「それは何ですか」
「自分の寂しさに気付くということ」
キャサリンは短く答えた。
「どういうことですか」
本来自分が話さなければならない立場を忘れて、私の方からキャサリンに問いかけていた。
「自分が寂しいと思えばこそ、他人の寂しさも理解できるのではないかと今気付きました」
あまりにも謙虚なキャサリンの答えに私は言葉をなくして沈黙した。
目の前に置かれたパソコンに目をやったキャサリンが明るい声を出した。
「このことについてメッセージです」
キャサリンはそれが番組あてのメッセージの内容であることがリスナーに分かるように、おしゃべりの時よりも少しだけトーンを上げて読みだした。
「瀬戸内さんいいこと言うわ」
「キャサリンは寂しいことないさ。私達リスナーはいつも応援しているから」
「透明感があるというのもキャサリンと重なるよ」
それらは、いつもラジオネームで番組にメッセージを送ってきている常連のリスナー達からだった。
「キャサリンお姉さんは本当に綺麗だったよ」
それは、夏休みにパーソナリティー体験でスタジオに来ていたという小学生の女の子から来たメッセージだった。常連のリスナー達を巻き込んだあたたかい雰囲気に包まれたままあっという間に時間は過ぎ、その日の生放送は終わった。私は夢の続きを見ているような心地良い気分を感じたままサテライトスタジオを後にした。
札幌の図書館のもみじの紅い葉も散り落ちて、雪虫の飛び交う頃キャサリンの番組の中で突然の発表がなされた。番組は一時休止するという内容だった。ほかならぬキャサリン自身がはっきりとそう言ったのだ。
たちまち生放送中にリスナーからの驚きの声が続々と寄せられた。すべてが継続を望むものだった。その一つひとつに放送を通して礼を述べた後、キャサリンは自分の声で番組休止の理由を述べ始めた。
「長い間放送をさせていただいてきて、私自身が本当に本心で皆さんと向き合ってきていたのかということを最近考えています。少し時間をおいてみるのもいいのかなと感じています。一時休止ということなので、また再開するかもしれません」
いつもと変わらないなめらかな口調であったが、少し固い声の様子からもキャサリンの固い表情が見えるような気がした。放送の中ではいつもキャサリンの笑い声が聞こえていたが、その日は最後まで笑うことはなかった。
私は、いつまでもキャサリンが変わらない姿でそこにいてくれるという勝手な思い込みをしていたにすぎなかったのだと知った。日々送られてくる様々なメッセージの全てをおおらかに受け止めてくれ、温かい言葉で包んだうえでまたリスナーに向けて返してくれる、そんな印象のキャサリンの生放送だった。
世間の驚くべき、同時に悲しむべき出来事の中のいくつかは、期限ぎりぎりで回避されることがあることは、およそ大人と呼ばれる年齢に達した人なら充分あり得ることだろうと知っていることだろう。この時の私はまさにこの心境だった。常連のリスナーからは継続的に支持され、夏休みには小さな子供達まで集まって来る、人の心をひきつけてやまないこの番組が、本当に終わってしまうとは思えなかったのだ。キャサリンの心境や決心とは別の次元において何らかの力が働いて、ぎりぎりで放送の休止は回避されるという希望的観測を持って疑わなかった。
しかし、そんな私の楽観的な考えを裏切るように、キャサリンの番組は予告通りに本当にあっけなく終わってしまった。キャサリンの声がもう聴けないのかと思うと、日々の心の張りさえも失ってしまったような気がしてきた。
個人事業主である私の事業は決して順調とは言えなかったから気持ちが晴れないことも多かったが、そんな折でもパソコンから聴こえてくるキャサリンの語りかけを聴いている間は不思議と気持ちが明るくなれたのだ。私はそんな明るい声に日々励まされていたのかもしれないと思った。私はもう十分にキャサリンから幸せな時間をもらったのかもしれなかった。そしてもうこれ以上のことを望むことはできないような気がしたし、キャサリン自身で決めたことなら尊重すべきだとも思った。
私は仕事でサテライトスタジオのある地方都市へ出向いた時には、決まってサテライトスタジオのある大きな商業施設に立ち寄った。ずっとそこで放送されていたキャサリンの担当番組が終わったわけだから、当然のように平日の昼の時間のスタジオは照明が落とされ無人だった。知らない人が見たならばガラス張りの倉庫かと思うほど存在感が無かった。以前に放送中に立ち寄って眺めた時には、スタジオ内の照明は明るく、放送機器が発するデジタルの光が輝いて見えた。そして何よりもニコニコしながらマイクに向かうキャサリンの姿がガラス越しではあったがすぐ間近に見ることもできたものだった。
誰もいないスタジオの中をのぞき込むと、テーブルとマイクを挟んで向かい合う二つの椅子が薄暗がりの中に見えた。私自身が明りの輝くサテライトスタジオの中に入って、キャサリンと向き合っていろいろな話をした時のことが鮮明に思い出された。今思い返しても、あの時のことは夢であったのではないかと思うことがあった。そんなキャサリンに対して何らの恩返しもできないまま思いがけず番組が終了してしまったのだ。私は何だか取り返しのつかないことをしてしまったような気がした。でも、キャサリンのことを大切に思っているリスナーが沢山いることはキャサリン自身が良く知っているはずだから、きっとまた放送に戻ってきてくれることを私は疑わない。次の番組の改編の時期を楽しみに待つことにした。
あの時の生放送の中で、私自身がとっさに関西の古いお寺を訪ねた時のことを思い出したのも、目の前に座っていたキャサリンの優しい微笑が仏像の穏やかな表情と重なったからだということは、私だけの大切な思い出としてこれからも誰にも話さないつもりだ。