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鋼琴一帯  作者: 谷川流慕
第四章 復活
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リファレンスモデル

 岡島とユリアはドイツへ戻ってくると早速リファレンスモデルの作成に取り掛かった。まず二人の間で採用したい音もサンプルを突き合わせることから始めた。とは言え、目で見えるものではないので、ピアノをいくつか集めてこれはと思う音にチョークでチェックを入れていくという地味なものだった。


「現代ピアノに比べると、昔のものは箱鳴りするものが多い。いわゆる“ドンシャリ”の真逆を行くわけだけど、そういう要素がどこか含まれるのもいいかもしれない」

「でもあまりあからさまだと安っぽいですね。料理で言うところの隠し味程度が良いのではないでしょうか」

「難しいな……」


 このようなやりとりを経て、岡島とユリアはリファレンスモデルに取り入れたい音のイメージを膨らませていった。


「グランド1台、アップライト1台をレファレンツモデルとして仕上げるとすれば、それぞれどの機種がふさわしいでしょうか?」

「まずアップライトピアノは高さ120㎝のものが良いだろう。130㎝だと少し音が作りにくいし、110㎝ではもともと低音があまり出ない。グランドピアノは奥行220㎝のものがクラウトミュラーらしさが出てよいだろう」


 そして岡島とユリアは意見を突き合わせ、最終的に双方の合意するところでリファレンスモデルを作成した。

 それをテレサ・リーとメッツガーに試させたところ、どちらも辛い評価だった。まず、テレサ・リーの評価としては、


「音色の多彩さは面白い。ただ、その分だけ統一感がなく、一曲を弾き通すのが難しい」


 というもので、メッツガーは、


「高音と低音が全くパワー不足。アップライトはまだ良いかもしれないが、グランドがこれというのはいただけない」


 という評価だった。また一からやり直しとなった。岡島はユリアだけでなく、自分自身にも言い聞かせるように言った。


「最初からうまくいくほど甘くはないさ。気を取直していこう」

「はい」


|| ||| || |||


 その頃、香港では尖沙咀チムサーチョイ工場の廃業申請が受理されたことで香港労働局による勧告は鳴りを潜めていた。それを受けてタン社長はネット上の暴露記事をマスコミにリークし、これが明道有限公司の仕業であることをデッチ上げようとした。

 ところがそれが裏目に出て、イーストスター社の尖沙咀チムサーチョイ工場での労働環境がマスコミから叩かれることになったのである。そこで、ジャック・ウーは新会社・ウー鋼琴股份公司の設立発表を兼ねて記者会見を開いた。


「皆様も既にご承知の通り、当社工場の前身はイーストスター社の尖沙咀チムサーチョイ工場でございまして、その時代には労働者を無賃で働かせるという状況があったのは事実です。しかし当社は業務を引き継ぐに当たり、このような労働環境を一掃し、クリーンで働きやすい職場環境を提供することをお約束します」


 この会見で当然タン社長は慌てふためいたが、それはタン社長だけではなく、多くのイーストスターの株主たちも同様であった。このままでは株の暴落は必至であることは間違いなかったからである。


 そんな株主の1人、張吴然タオ ウーランの職場に1人の男がやって来た。


「張さん、あなたは愛人に貢ぎ過ぎて火の車となり、株を手離そうと考えていた。しかしこんな騒ぎになって株はあわや大暴落というところでお困りになっている。違いますか?」


 すると張は声を潜めて言った。


「やめてくれ、こんなところで。一体あんたは何者なんだい」

「申し遅れました。明道有限公司の孫と申します。実はあなたの持っているイーストスター株を高額で買い取らせて頂きたいと思ってやってまいりました」

「何だと?」


 同じ頃、他の株主のところにも明道有限公司の社員が訪れて、同じような取引が行われていた。こうして明道有限公司はイーストスター株を多数買い集め、ついには筆頭株主となった。


|| ||| || |||


 経営コンサルタント陳雪麗(チェン シェアリー)の事務所にジャック・ウーが訪れた時、陳は荷物をまとめているところだった。


「もうここを畳むのか?」

「ええ、もう役目は終わったでしょ。折角あなたに用意してもらった事務所だけど、私もずっとこんなことするつもりはないので」

「……まあ、でもよくやってくれたよ。娼婦仲間をスカウトして株主たちに派遣してくれて。お陰で大成功だ」

「みんな喜んでたわ。高い報酬が貰える上に貢いでもらって大儲けだって」

「そうか……ところで君はここを畳んでこれからどうするつもりだ。まさかまた娼婦に戻るつもりじゃないんだろう」

「今回稼いだお金でアメリカに行く。そしてうんと勉強してくるわ」

「まあ、頑張れよ」


 そう言ってウーは陳の事務所を出た後、広州の明道有限公司の本社へと向かった。ウーが受付で自分の名を名乗ると、受付嬢は彼を社長室へと案内した。ウーが入室するなり、社長は彼を手厚く出迎えて言った。


「やあ、実に見事だったよ。お陰であのイーストスターを傘下に収めることが出来た。君には何と礼を言ったら良いかわからない」


 するとウーはうやうやしく頭を下げて言った。


「買収成功おめでとうございます……ワン云烨ユンイェ社長!」

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