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鋼琴一帯  作者: 谷川流慕
第四章 復活
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ジルバーマンの意図

 一行がヴォルフェンビュッテル博物館に着くと、博物館専属技術者のルドルフ・ペーターゾーンが彼らを案内した。


「こちらが創業当時のスクェアピアノ、そしてこちらの2台はそれぞれ1858年製と1860年製のグランドピアノです。ちなみに保存のために調律は半音下げていますのでご了承下さい」


 3人はそれぞれ3台のピアノを弾き比べてみた。岡島の予想通り、それなりに味はあるが、枯れた箱鳴りのする音だった。


「確かに音の魅力の片鱗は見せていますが、ここから当時どんな音が作られていたか想像するにはやはり当時の価値観を知る必要がありますね」


 ユリアがそう言うと、ウーがペーターゾーン技師に尋ねた。


「ペーターゾーンさんは当時、どんな音が求められていたと思われまか? 大きな力強いだったのか、それとも繊細な妙なる音だったのか……」


 するとペーターゾーン技師は腕組みをして考え込むように答えた。


「確かなことは言えませんが、その両方が求められていたと思います。こちらへ来て下さい」


 ペーターゾーン技師はそう言って3人を別の展示コーナーへと案内した。


「こちらにあるのはチェンバロとクラヴィコードです。チェンバロは主に演奏会用で大きな音が求められていました。一方クラヴィコードは繊細なか細い音ですが、音色は多彩で表現の幅も豊かです。一度弾き比べてみて下さい」


 ペーターゾーン技師に促されてユリアがまずチェンバロを弾いてみた。


「音はしっかりしていて美しいんですけど、やはり強弱がつかない分、平面的で表現力に乏しいですね」

「では、クラヴィコードを弾いてみて下さい」


 ユリアはクラヴィコードを弾いてみた。すると音は小さく弱々しいだけでなく、不快な金属的の混ざったひどい代物だあった。


「うわ……これじゃあただの雑音ですね」


 ユリアが思わず声を上げると、ペーターゾーン技師は笑って言った。


「ははは。ある人がこんなことを言ったんです。ネコがピアノの上を歩いても音楽になる。でもクラヴィコードの上を歩いたら金属的な雑音しか出ないと」


 そう言ってペーターゾーン技師はクラヴィコードを弾き始めた。すると先ほどユリアが弾いたのとはまるで違う、美しい音楽が流れた。さらにピアノやオルガンでは不可能なビブラートまでかけてメロディーを歌わせていたので3人は驚いた。


「い、一体どうやって弾いたんです?」

「この楽器はピアノよりも遥かに繊細なんですよ。美しい音を奏でるためにより神経を尖らせなくてはいけないのです。まあ、慣れの問題でもあるんですけどね。多くの人はピアノが弾ければ鍵盤楽器は何でも弾けると思いがちですが、そうではありません。逆にクラヴィコードが美しく弾ければどの鍵盤楽器でも弾けます。だからギーゼキングは初心者にはピアノを買うよりクラヴィコードを買うことを勧めているくらいです」


 しかし、ユリアがここで疑問を投げかけた。


「繊細なクラヴィコード、力強いチェンバロ、その折衷の形がピアノということですね。それはよくわかったんですが、その後のピアノ音楽にはチェンバロやクラヴィコードの表現とは明らかに異なる表現が登場しています。例えばペダルですね。そう言った所謂“ピアニスティック”な表現はどこから来たでしょう?」


 ペーターゾーン技師は関心したように言った。


「良い着眼点ですが、それは私にもわかりません。ピアノ音楽が登場するのはバッハ以降ですが、そのピアノの創始者はゴッドフリート・ジルバーマンです。彼がどんな意図で、どんな要請を音楽家たちから受けたのか……その辺に謎を解く糸口が見つかるのではないでしょうか」


 今度は岡島が疑問をぶつけた。


「ちょっと待って下さい。ピアノを発明したのはイタリアのクリストフォリではないんですか」


 するとペーターゾーン技師は手を振って答えた。


「クリストフォリはあくまでチェンバロに強弱機能を付ける提案をしただけです。それを具現化し、ピアノという楽器に昇華させたのはジルバーマンなのです。現にクリストフォリのアイディアをそのまま反映させた楽器をジルバーマンは最初に作りましたが、これはバッハの酷評を受けてしまいました。その後、改良を重ねて自らのアイディアをふんだんに取り入れた楽器こそが現代のピアノの祖先で、これにバッハは高い評価を与えたといいます」


 これに対しウーが感慨深げに言った。


「その過程で何かピアノのオリジナルな要素が加わったと考えて良いのかもしれないですね……ジルバーマンについてはどこで調べればわかるでしょうか?」

「ジルバーマンの故郷から近い場所にフラウエンシュタインと言う山上の城下町がありますが、その城の中にジルバーマン博物館があります。そこで何らかの情報が得られるかもしれません」

「そのフラウエンシュタインという町はここから遠いのですか?」

「ドレスデンの近くですからね……車で3〜4時間というところでしょうか」


 岡島とウーは顔を見合わせた。さすがに遠過ぎると互いに目で確認し合った矢先、ユリアが2人を促すように言った。


「ねえ、行きましょうよ! せっかくここまでたどり着いたんだもの。行かなきゃもったいないわ!」


 ユリアに気圧されるようにして岡島とウーはフラウエンシュタインへと向かうことにした。一旦会社に戻り、社用車を借りて3人が運転を交代しながらフラウエンシュタインへの長い道程を走っていった。カーナビが目的地に近いことを知らせる頃には山道に差し掛かっていた。


「お、あれじゃないですかね」


 岡島が差したのは、向かいの山上にそびえ立つ古城だった。雲の位置が低く、ちょうど雲海の上に浮かび上がるような光景で神秘的な雰囲気を醸し出していた。それに見とれたユリアが思わず叫んだ。


「なんて素敵なの! 何だか日本のアニメみたいね。何だっけ、あの天空の城の……」

「ラピュタ?」

「そう、それそれ」


 そんな会話を交わしている内に車は目的地に到着した。城の入口にはジルバーマン博物館の場所を示す標識があったのでそれに従って3人は歩いて行った。行ってみると、そこは小さな雑貨屋程度の大きさで展示数も多いとは言えなかった。その割にはしっかり入場料を取られた。3人はここまで来てもったいないという意識からか、血眼になって展示物や資料に目を通した。しかしどこからピアノ的な表現が生まれたのかということに関してはヒントになりそうなものが見当たらなかった。


「これと言った情報はありませんね……」

「係の人に質問してみましょうか」


 そこで3人は受付に座っていたおばちゃんに質問してみた。しかし……


「うーん、そういう専門的なことは私にはわかりませんね」

「そうですか……」


 そうして3人がうなだれていると、小柄なギョロ目の老人が近づいて来て言った。


「おぬしら、ジルバーマンがどうしてピアニスティックな表現を取り入れたのかと言ったな」


 老人の問いかけに、3人の中で年長者のウーが代表して答えた。


「ええ、ピアノは明らかにチェンバロやクラヴィコードとは違う流れが入っています。ジルバーマンが今迄とは違う何かを取り入れたとしか思えません」

「その通り。そもそもピアノという楽器が発明されるきっかけは、パンタレオンという幻の音楽家の存在なのじゃ」

「パンタレオン?」

「ハックブレット(注;マリンバのようにバチで弦を叩いて演奏するダルシマーという楽器のドイツ語名)を進化させたツィンバロンの名手でな、当時ヨーロッパ中を沸かせたスーパースターじゃった。その演奏は超人的で他の人間にはパンタレオンのように演奏するのは無理だったのじゃ。そこで多くの鍵盤職人は考えた。鍵盤の先にバチをつけて弦を叩くようにすれば誰でもパンタレオンのように演奏できるとな」

「ジルバーマンもその影響を受けたということですか」

「それどころか、ジルバーマンはパンタレオンの楽器を製作していたのじゃ。だからクリストフォリやマリュウスに出来なくても、ジルバーマンには出来たんじゃよ」

「なるほど……そのパンタレオンについての資料などはどこで見れるんですか?」


 すると老人は待ってましたとばかりにバッグから1冊の本を取り出した。タイトルは「パンタレオン──知られざる楽聖ウンベカンター・マイスタームジカー」、著者はドクター・エッカート・ホッペとなっていた。


「これはもしかしてあなたが書かれたんですか?」

「そうじゃ。おぬしら運が良いぞ。通常価格30ユーロのところ、20ユーロに負けてやろう」


 どうにも胡散臭い気がしたが、岡島たちは自称ドクター・ホッペから1冊だけその本を購入することにした。

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