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鋼琴一帯  作者: 谷川流慕
第三章 修行時代〜渡独編
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再会、そして新たな問題

「おおトシカズ!」

「ジング、久しぶり!」


 デュッセルドルフ中央駅で岡島とキム・ジングは会うなり抱き合って再会を喜んだ。ジングはブレーメンのコースの後、デュッセルドルフ大学に在籍していた。ジングの横には彼と同年代の女性がいた。なかなかの美人だ。岡島はジングに紹介を促した。


「この方は?」

「ああ、紹介するよ。僕の彼女マイネ・フロインディンのヘジンだ。一緒に住んでいるんだよ」


 いつの間にジングに彼女が出来て同棲していたとは。時の流れを感じた。


「はじめまして。ソン・へジンです。トシカズのことは彼からよく聞いていたわ。ジングのベストフレンドだって」

「それは照れ臭いな。寿和です、よろしく」


 岡島とへジンが挨拶を交わすと、ジングが思わせぶりな口調で言った。


「トシカズ、まだ1人来るんだよ。君にとって懐かしい人がね」

「もう1人?」


 岡島が訝しげな顔をしていると、背後から聞き覚えのある声がした。


「ごめんね、みんな。遅くなって」


 岡島が振り向いてみると、そこにいたのは……ナオミだった。


「ナオミさん!? どうしてここに?」

「っていうか、寿和さんひどくない? こんなおめでたい話があるのに全然知らせてくれなくてさ」

「ごめんごめん、何だかバタバタして色々抜けちゃってさ。それよりナオミさんがどうしてデュッセルドルフにいるの?」

「知らない! ジングに聞いてみれば?」


 ナオミは再会するなりプリプリしていて、それ以降岡島と話そうとしなかった。そしてへジンと話し出して街中へと歩いて行った。ジングはその様子を見て肩をすくめ、岡島について行くよう目で合図した。その道すがら、ナオミに代わって彼女のこれまでの経緯について語った。


「ナオミはあれからドイツで働く機会を探しながらドイツ語の勉強を続けているんだけど、よりチャンスの多いデュッセルドルフに移ってきたんだ。僕がこっちに来てから少し後だったけどね。人材派遣会社に登録して求人情報に目を光らせているんだよ。トシカズが就職を決めたこともすごく励みになったみたい。だけど同時に嫉妬する気持ちもあって、だからちょっとあんな風にヘソ曲げてるんだ」

「なるほどね……」


 そしてジングが耳打ちするように小声で言った。


「それから、あんまり大きな声で言えないけど……ナオミ、不倫ザイテンシュプルングしているらしい。日本人の駐在員とね。その相手、日本に妻子を置いて単身赴任で来ているってことだ」

「不倫……」


 岡島はへジンとおしゃべりしているナオミの後ろ姿を見た。まるでそんな後ろめたさなど感じさせないほど明るく振舞っていた。


 一行が東通り(オストシュトラーセ)のラーメン屋でランチをとる頃にはナオミの機嫌は直っていて、岡島にも色々なことを話した。だが、その中に不倫の話はなかった。


 そんな時、1人の日本人女性が声をかけてきた。


「あれ? ジング、へジン、それにナオミさん?」

「エリさん!」


 そのエリという若い女性は彼らの共通の友人らしかった。岡島もエリに自己紹介した。エリは岡島がクラウトミュラーに採用が決まるまでのエピソードを既に聞いていたようで、「ああ、あなたがあのピアノメーカーの人だったのね」と言い、あらためて岡島から一部始終を聞いた。


「凄いサクセスストーリーだわ。だけど岡島さん、まだドイツにいるんですか? もう語学は途中で切り上げて帰国した方がいいんじゃないですか?」

「えっ、どうしてですか?」

「岡島さんは今ビザなしで滞在しているでしょ。だったら労働ビザは日本のドイツ領事館で申請しなきゃいけないと思うんです。労働ビザって下りるまで結構時間かかりますから、早目にしないと9月のスタートに間に合わないんじゃないですか?」

「……そんなものなの?」

「ここデュッセルドルフでは結構“あるある”なんですけど、こっちで働き口が見つかったはいいけどビザが期日までに下りなくて結局話が流れた……なんて良くあるんです」


 その話を聞いて岡島は少し不安になった。すっかり浮かれ気分になっていたけど、やはりまだまだ道は険しかったのだ。それまでナオミの不倫の話が気になっていたが、最早どうでもよくなっていた。その後デュッセルドルフの町を案内されたが、どこか気もそぞろで楽しみきれないまま岡島はマンハイムへと戻って行った。


 週明けの月曜日、またクラウトミュラーから手紙が来ていた。手続きについてであった。


──岡島様


 同封の契約書に必要事項を記入し、サインして下さい。その際、以下の書類を同封して下さい。


・履歴書

・パスポートのコピー

・滞在許可書のコピー

──


(滞在許可書って、ビザのことか。もう取らなければいけないのか?)


 岡島は早速外国人局(アウスレンダーアムト)へ出かけて相談してみた。担当官は岡島から手渡されたクラウトミュラーからの手紙に目を通して淡々と言った。


「確かにここには滞在許可書が必要と書いてありますね。でも、岡島さんは現在ビザなしで滞在していますから、新規に滞在許可を取得する必要があります。でもそれはここでは出来ないので、1度お国に戻ってドイツ大使館或いは領事館で申請して下さい」

「そうですか……わかりました」


 そうして岡島が帰ろうとして荷物をまとめていると担当官がボソッと言った。


「あなたがこの仕事を得るのは難しいでしょう……」


(ひいいっ! そんな……)


 岡島は内心泣きたい気持ちであるのを抑えて航空会社に電話した。帰り便を早められないかと。しかし岡島の取ったチケットは変更不可能な格安航空券で、早く帰りたければ改めて買い直す必要があるとのことで、しかもその料金はべらぼうに高かった。


 岡島はクラスの受け持ちの先生であるマティアスに相談した。すると、


「事情を話せば会社のほうは了解してくれるんじゃないかな」


 そう言ってマティアスは岡島に代わってクラウトミュラーに電話した。しばらく話し込んだ後、電話を切って岡島に言った。


「とりあえず今準備出来るものを送ってほしい、滞在許可書は下りてから送ってくれれば良いとのことだったよ」


 それを聞いて岡島はホッと胸を撫で下ろし、とりあえず残りの書類を揃えてクラウトミュラーに送った。


 そしてマンハイムでの語学コースも終了し、岡島はわずかながら不安を抱えたまま日本への帰路についた。

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