マンハイム
マンハイム中央駅に降り立つと、ソーセージとピザの混じり合った匂いがプーンと漂ってきた。
(懐かしいな、この匂い。またドイツへやって来れたんだな……)
やることなすこと初体験で緊張の連続であった前回のブレーメン滞在と違い、今回は何をするにも手慣れていたため、落ち着いて行動出来た。駅前に格安国際電話ボックスを見つけると、日本の滝藤楽器に電話した。電話には川口専務が出た。
「岡島です。無事にドイツへ到着しました」
「それは良かった。私も来週ドイツ入りします。岡島さん、そちらで携帯はお持ちですか?」
そう訊かれて岡島は思った。今後のためにドイツ国内用の携帯を持った方がいいな、と。
「まだ持っていませんが、これから買うつもりです」
「そうですか、一応私の携帯番号お知らせしますので、携帯ご購入されましたらこちらまでご連絡下さい」
レジで国際電話の料金を払った後、岡島はすぐ近くにあった携帯電話ショップに入った。そしてその店で一番安い、シンプルなプリペイド携帯を買った。
ゲーテインスティテュートでの手続きはほぼ前回と同じだったので、何も緊張することなかった。テストの結果、岡島は今回はB1クラスに進級することになった。クラスは全部で11人おり、受け持ちの先生はマテウス・ダッハマンという中年男性だった。
岡島の他には3人の日本人がおり、みな音楽学生であった。ピアノ科のユイ、フルート科のミライ、声楽科のエリカといった具合である。マンハイムのあるバーデンヴュルテンベルク州には多数の音楽大学があり、その関係上ここに来ている日本人はほとんど音楽留学に来ている学生であった。
その他のメンバーは、
中国人のジーシュアン
台湾人のユーハン
エジプト人のモハメド
トルコ人のケマル
アメリカ人のエイミー
スペイン人のララ
ギリシャ人のアレクシア
……という具合である。
マテウスは元は俳優志望だったとのことで、その演技力を生かした授業は生徒たちに受けが良かった。ただ、A2クラスよりも大分レベルが高く、先生の言うことが聞き取れないことも多かった。生徒たちも、特にエイミーやララはまるでドイツのように流暢に話してレベルの高さを感じさせた。
往々にして東洋人はどちらかと言えば読み書きは得意だが話したり聞き取ったりするのが苦手、西洋人はその反対……という傾向があるが、その差が顕著になってくるのがこの中級クラスあたりである。
授業が終わると3人の日本人女性が岡島のところに来て言った。
「もし良かったら、一緒にお昼行きませんか?」
岡島は1人でランチも何なので、彼女たちの誘いを受け入れた。どこで調べたのか、E4という場所にある美味しいと評判のブランチビュッフェのあるカフェと連れられた。マンハイムの中心部は碁盤目状に区切られており、縦の列を数字、横の列をアルファベットという組み合わせで場所を特定するようになっている。つまりこの地区の住所はE4の何番地、というように書きあらわす。
「へえ、調律師さんなんですか? ドイツのメーカーで働くんですか? すごーい!」
店につくなり彼女たちは岡島に色々と根掘り葉掘り訊いてきた。日本にいるとそんなことないのに、何故か海外に来ると女性から関心を持たれることが多い気がした。
(やっぱり僕ってそこそこモテるのかな)
そんな考えが頭をよぎると、慌てて首を振ってその思いを振り払った。
(いかんいかん、また目的を見失うところだった。それに僕には結実子がいるんだ……)
そう思いつつ何気なく財布を取り出してみると、そこに結実子の写真があった。岡島はその写真に心の声で大丈夫だよ、と語りかけた。
ところがその写真を目ざとくミライが見つけて言った。
「ええー! この人彼女さんですか? ねえ、見て見て、やっばーい、キレイ!」
するとユイとエリカが岡島の財布を取り上げてその写真を繁々と眺めた。
「何してる人なんですか?」
「どうやって知り合ったんですか?」
「いつから付き合ってるんですか?」
……など、またもや岡島は質問責めにあう羽目となった。
その後、浮かれそうになる気分を払拭するように、再び滝藤楽器の川口専務に電話した。
「度々すみません、携帯買いましたので、番号だけお知らせしておこうと思いまして……」
「ああ、丁度良かったです。今クラウトミュラーのクローゼ社長と電話していたところだったんですが、来週水曜日の午前中に時間が取れるということでした。それで、その日の朝10時頃フランクフルトメッセの入口で待ち合わせする、ということで如何でしょうか」
「はい、僕の方はいつでも大丈夫なので、その時間に参りたいと思います」
岡島は電話を切ると浮かれ気分から一転、一気に身が引き締まる思いに捕らわれた。




